2016年04月29日

僕が日本から逃げ出した理由(6)

(6)贈る言葉
他に課題はないのか、ということなら、そんなことはない。例えば東京への一極集中などは日本の構造的問題で、最近話題の保育所問題も少なくない部分がこれに影響しているかも知れない。しかし、多くの部分が「日本の労働者マインドの変革」で解決すると考えられる。ここで、ひとくちに「マインドの変革」と言っても、それは頑強な価値観の、あらゆる角度からの破壊と再構築を意味している。例えば「同一労働同一賃金を実現する」と言えば、法律を作れば良いだけではない。これを実現するためには、年功序列を前提とした様々な状況・制度を全て変えていく必要がある。「あなたは部長ですが、コピーを取るだけの働きなので、明日から給料は90%減になります。それが嫌なら、もっと働いてください。無理なら退職してくださっても結構です」というスタンスでは、それはそれで大混乱となるだろう。

全ての要素が複雑に相互作用しつつ、今のバランスが構築されているので、それをリセットする作業は楽ではない。個人的には、この日本人のマインドは弥生時代以降の農耕民族としての日本人に長時間かけて念入りに刷り込まれたものだと思っている。しかし、その刷り込まれた価値観の破壊抜きに日本が世界の舞台に復活してくることはなく、このままでは徐々に衰退していくだけだろう。

大学の研究環境が悪くなる一方なのも、育児環境が整わないのも、地方の社会保障が悪化しつつあるのも、格差が一層固定化しつつあるのも、あるいはもっと卑近なところで言えばアジアチャンピオンズリーグで日本のチームが活躍できないのも、全ては日本の経済の衰退で説明がつく。文科省に「もっと基礎科学にお金を投入しないと、このままじゃ、ノーベル賞科学者は日本から出なくなる」と文句を言っても、「サンフレッチェ広島はもっと良い外人ストライカーを補強すべき」と文句を言っても、仕方がないのだ。しかし、なぜか多くの人がそれ以上踏み込むことをしない。「でも、それじゃぁダメですよね。目の前の問題の解決じゃなくて、経済の再建が必要ですよね」と言っても、「確かに、経済の再建が重要だ。だけど、まずはこの目の前の問題だけは何とかして欲しい」と、身近な問題だけを解決したがる。だから、それがダメなんだって。必要なのは、経済の再建である。そして、それは公共投資では実現不可能だ。もちろん、金融緩和でも不可能である。

では、経済の再建は誰の仕事なのか。もちろん、その旗振り役は総理大臣である。

今できることは、日本経済を立て直すための方策を持ちうる政治家を見つけ出し、その政治家に投票することだ。ところが、寡聞にして、そういう政治家に心当たりがない。関東の政治家はちょこちょこチェックしているのだが、以前希望を持っていた河野太郎もダメだったし、日の出テレビの関係者たちにも失望させられた。ただ、もしかしたら、小泉進次郎だけは可能性があるのかも知れない。他にも誰かいるのか、あるいは、そもそも誰もいないのか。

経産省時代、僕は投資家に対して「日本には技術はあるんです。ただ、それを顕在化させるプラットフォームがありません。だから、経産省はそこを整備していきます。皆さんは、潜在能力の高いスタートアップ企業を見つけ出して、投資してください」とお願いして歩いたものだ。しかし、今になってみると、日本には技術はほとんど存在しなかった。当時もてはやされたアンジェスMGを筆頭に、バイオベンチャーはどこも討ち死に状態である。ないものはない。それと同じ状態が、政治家にも言えるのかも知れない。すなわち、日本の経済再生に向けて適切な政策を講ずることのできる政治家はいないのかも知れない。だとすれば、僕が言える言葉は一つだけである。

ご愁傷様です。

そして、僕は日本を逃げ出して、米国に来た。

(1)最低賃金のアップが招くもの
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(2)大学の運営費交付金の減額
http://buu.blog.jp/archives/51522710.html

(3)彼岸と此岸
http://buu.blog.jp/archives/51522711.html

(4)日本の向かう先
http://buu.blog.jp/archives/51522712.html

(5)日本の成長力が低い理由
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(6)贈る言葉
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僕が日本から逃げ出した理由(5)

(5)日本の成長力が低い理由
僕はこれまでずっと反アベノミクスを主張してきた。なぜなら、アベノミクスには根本的な解決策が含まれていないからだ。では、解決策とは何か。政策としての手法は、(4)に書いたように、労働市場の流動化である。しかし、これすら、根本的な解決策ではない。なぜなら、「年功序列と終身雇用をやめます」としたところで、「ふざけんな」とストライキを実施する労働者が量産されてしまうなら、やはり日本の状況は変わらないのだ。アベノミクスが多くの日本人に支持されているからこそ、今の安倍政権が成り立っていることを忘れてはならない。つまり、日本人がそれぞれマインドを変えなくてはならないのである。それは、すなわち既存の価値観の破壊である。

既存の価値観とは、例えば「みんなが働いているから自分も会社に残る」とか、「一度会社に入ったら、会社の言いなりになっておくのが一番得」とか、「大企業や公務員が人生の勝ち組」とか、「東大を出て官僚になるのが最高の人生」とか、「出る杭は打つ」とか、あらゆる次元に存在するのだが、ひとくくりにするなら「官僚主義」からの離脱である。「論語」に「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」とあるけれど、日本ではこれを「人民には法律の意味など理解させることはない、従わせておけば良い」という間違った意味で使っている。この間違った解釈こそが、日本人の体質で、今の教育方針はこういう人間を量産している。

一番大切なのは「自分の頭で考えること」だが、残念ながら「上から言われたことに素直にしたがう」人間ばかりが出世する社会だ。出世する人間がこういうタイプだから、それに倣う人間と、あとは諦めてしたがう人間が大半になる。

「みんなが残業しているから、自分も残業する」

これが、代表的な日本人労働者像である。

日本人が、日本の国内で競争している間は良かった。お互いに切磋琢磨しつつ、敗者が現れても、日本的護送船団方式でその敗者をすくい上げ、社会全体が前に進むことができた。しかし、ボーダレスの時代になって状況は変化した。

ここで、次の二つの野球チームAとBで、どちらが強そうか考えてみて欲しい。

A:定期的にポジションをローテーションする。去年はピッチャーだったが、今年はキャッチャーである。
B:能力と希望にあったポジションに固定する。この選手は遠投ができて左利きなので、ライトを守らせる。

A:体力的に無理な年齢になってきているが、本人が現役を希望しているので契約を継続する。おかげで、新しい選手を雇用することができない。
B:高齢からくる体力の衰えから、トップチームでの戦力外となった。ちょうど他国のリーグで投手を欲しがっている球団があったので、自由契約になって移籍した。チームは登録選手に空きができたので、新戦力を雇用した。

A:入団選手は高卒のみに限定する。
B:高卒、大卒、社会人と、あらゆる経路からの入団を妨げない。大学の中途学年からでも入団を許可する。

A:選手の調子や体調には無関係に、毎日決まった時間に練習する。
B:それぞれの選手がコーチと相談しながら自分に必要な練習をする。

A:打順は入団時期の古い人間からとする。
B:選手の特徴(足の速さや長打力、選球眼など)を考えて、適性の高い打順に配置する。

A:選手はチームの方針には一切口出しさせない。
B:監督、コーチ、選手の風通しを良くし、きちんと選手の意見を吸い上げる。

A:現時点の能力とは無関係に、出身大学で入団を決める。
B:新入団選手は、選手の能力で決める。

米国がBでやってくる中、日本がAでやっていて、勝負になるだろうか。上の項目の中には、一つか二つぐらいはAの方が好ましいというものがあるかも知れないが、全部揃ってしまえば、全く相手にならないのではないか。

しかし、今の日本は「Aの方が自分で考える必要がなくて楽」と考えている節がある。「いやいや、俺はプロ野球選手じゃなくて、草野球レベルなので」のように。だから、大学生に就職希望のアンケートを取ると「公務員」なんて選択肢が上位に来てしまうのだ。こんな社会に競争力がつくとは思えない。そうして負け癖がついてしまい、国内での競争すら不活発化してしまったのではないか。日本は、低成長であるべくして低成長なのだ。

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僕が日本から逃げ出した理由(4)

(4)日本の向かう先
賃金を上げろ、とか、大学の予算を増やせ、みたいな主張は稚拙である、また、資源という物理的視点から日本は圧倒的に不利な状況にあるというのが(1)から(3)までの趣旨だが、では、どうしたら良いのか、ということになる。話としてはそれほど難しくない。このブログでも再三主張していることだが、「日本型雇用習慣からの脱却」である。これは、文字にして書くのは簡単だが、実施するのは非常に難しい。なぜなら、膨大な数の既得権者たちが抵抗するからである。

日本型雇用習慣とはすなわち終身雇用(退職金制度を含む)、年功序列(反同一労働同一賃金を内包)、新卒一括採用、男性優遇(総合職と一般職の区別を含む)、定年制などである。これらを排除した先にあるのは能力主義と平等主義である。この能力主義は解雇規制の緩和も含むので、能力の不足している労働者の排除につながる。したがって、自分の能力に自信のない既得権者たちが強く反発することが予想される。

そして、こうした既得権者たちは、後進たちに「君たちも僕と同じ立場になれば、将来は安泰だよ」と囁く。これは、ポスドクが大量に余り始めた時に大学ポストに就いていた人間たちが繰り広げた甘言と同じである。彼らは、自分のポストだけは保持しながら、「こうすれば、余っている人材を活用できる」と、絵空事を描き続けた。僕が大嫌いな人間に榎木英介という奴がいるのだが、彼などはありもしない希望を描き続けた定型的人物である。数年前から「年功序列や終身雇用はやめたほうが良い」と宗旨替えしたようだが、彼のせいでありもしない希望を持った人間はたくさんいたと想像する。希望など、ないところにはいつまで経ってもないのである。僕は存在しない餅を絵に描く奴は大嫌いだ。

話を元に戻す。

景気が悪化した日本社会においては、まず普通に就職することが難しい。また、運良く会社に入ることができても、そこが自分にとって良い会社とも限らない。今は活躍できても、10年後に同じ環境とも限らない。そうした時に、すぐに会社を変わることができる雇用の流動性こそが、社会の活性化にとって大切なのだ。

能力主義の社会は、プロ野球やJリーグの社会を見ればわかりやすい。良い選手は、高い給料で雇ってもらえるし、より資本力のあるチームに買われて移籍していく。一方で年齢による衰えが見え始めれば下位リーグに移籍していく。レベルを落としても契約してくれるチームがなければ、引退するか、他国のリーグを探すことになる。選手として無理なら、解説者や子供教室やコーチなど、周辺の仕事をやるのでも良いし、それまでの経歴とは全く別の、メロンパンを売るような仕事を始めるのでも良いだろう。そういう働き方、生き方をしましょう、ということだ。

僕は1992年に大学院を修了して三菱総研に入社したのだが、それから会社にいくつかの「異例」を認めさせた後に小保方騒動で有名になった理研に出向に出た。その時、僕がやったのは、当時三菱総研の労働組合との交渉窓口になっていた団野副社長に直訴状を送りつけ、直談判に及んだことだ。その時、僕が主張したのは、「今の仕事のやり方では、三菱総研の仕事の処理の専門家にはなれても、社会に要求される専門家にはなれない。このままでは自分の専門性を切り売りして消耗する一方なので、外に出してくれ」というものだった。団野副社長は僕の意見に同意し、人事部をすっ飛ばして出向を勝ち取ったのである。理研では和田昭允センター長の下でゲノム科学総合研究センターの設立を手伝い、その後経産省の生物化学産業課に転職して、ベンチャー支援を担当した。経産省退職後も創薬系バイオベンチャーの社長にスカウトされた。これらの転職に際しては、自分の能力のみで勝負してきたつもりである。そして、今になって三菱総研の様子を聞いてみると、当時の同僚の中には僕が危惧したような「三菱総研の仕事の処理の専門家」になってしまい、会社を辞めることができないでいる人が何人かいる。こうした状況は、おそらくは日本中の大企業で散見されるのだろう。給料に見合った働き方ができず、他に活躍の場を求めることもできない人たちがたくさんいるんだと思う。彼らは、会社にしがみついてさえいれば、定年まで給料をもらうことができる既得権者でもある。こうした状況を、良しとするか、否か、なのだ。

ただ、誰も彼も競争して実力主義の社会で生きていけ、とは言わない。それなりの給料で、安定した人生を全うするのもありだと思う。そうした人材の受け皿は、本来役所(公務員)や大企業の役割である。身分は安定しているけれど、給料はそれなり、という立場だ。

問題なのは、運の良かった人たちが、能力もないのに不相応なポストに就いて、不相応な給料をもらっているということだ。これを「無駄」という。前述のように、今の日本は様々な厳しい環境に置かれている。この中では、みんなが効率的に動き、機能する必要がある。ところが、その非効率な状況が改善する方向に向かわない。これこそが、日本の問題点である。

アベノミクスは、単に円安を誘導しているだけである。円安になればほぼ自動的に日本企業の株価が上昇するのだが(ただし、ドル建ての場合は円安が相殺要因になるので、ドル建ての株価はあまり変動がない)、会社の活力が失われているので、その効果は長続きしない。株価が下がってくると「アベノミクスは失敗」と言われてしまうので、日銀が上場投資信託を買うこと(質的金融緩和)によって株価を買い支える。これで安心と思ったら、今度は国際的要因で円高になってしまい、また株価が下がる。これはいかん、と日銀が量的緩和に走る。とりあえず、円建ての株価が安定上昇することがアベノミクスの大命題になってしまい、海外の投資家の食い物にされる。上げ下げがある程度予想できる株式相場においては、資金力の大きな投資家が一人勝ちし、残るのは、日銀が大株主になって弱体化した日本の大企業たちである。

日銀の金融緩和は、企業の構造改革が進んでいる最中であれば鎮痛剤として機能する。しかし、構造改革がない現状では、末期がん患者に麻薬を投薬しているようなものだ。病気の根治は望めないのに、外見は元気になったように見える。それと知らない人たちは病気が快方に向かっていると勘違いするのだが、実際は何の解決にもなっていない。何もしないでいるうちに、病状は深刻化する一方である。

有権者がこうした状況を把握し、アベノミクスにノーを突きつけたとしても、それだけでは社会は変わらない。今の状態が続いた時に、どういう社会が訪れるのか、想像しなくてはならない。より良い未来のために、今の安定を捨てることができるのか。その改革は、今の日本人には非常に難しい選択になるだろう。

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僕が日本から逃げ出した理由(3)

(3)彼岸と此岸
まだ一ヶ月しか暮らしていないのだが、米国には余裕がある。その余裕がどこから出てきているのかは謎だ。例えば、NIHの研究環境を見てみると、東大よりもよっぽど貧相である。研究機材は日本のそれより2世代ぐらい前のものだし、パソコンのOSもXPだったりする。

では、みんなが凄い勢いで働いているのかといえば、そんな感じもしない。多くの労働者たちは16時ぐらいになると帰宅してしまうし、月曜日の会話は「週末は何をしたの?」という内容に終始する。どこが高生産なのか、さっぱり見えてこない。

ただ、スーパーで農作物や畜産物が安価であることから想像できることがあって、それは米国には肥沃で広大な土地があるということだ。日光が降り注ぐ肥沃な土地は、それだけで生産に寄与する。そこに適切な人の手が加わるなら、その効率は格段に向上するはずだ。また、米国の場合、地下に石油やシェールガスが眠っている。これを掘り出すことによっても、資産を生み出すことができる。おそらく、米国の豊かさを支えている土台は、この広い国土なのだ。

米国に来て最初に感じたのは住宅コストの安さで、ホワイトハウスまで地下鉄で20分ほどの街で、占有面積が100平米で、地下に本格的なジムがあり、屋上にはプールが設置されているアパート(日本で言えばマンション)で、賃料は19万円弱である。日本で首相官邸から20分といえば、山手線内部ぐらいが該当すると思うのだが、同じ条件で家を探せば倍以上のコストになるのではないか。

一方で、日本である。日本には広大な土地がない。土地の面積だけで比較するなら、米国は日本の約25倍を有する。この差は致命的だ。エネルギー保存則を考えても、無償で天から降り注ぐ太陽エネルギーの量が米国の4%しかないのである。米国と渡り合おうとするなら、この大きなハンデはどこか別のところでひっくり返さなくてはならない。その可能性の一つが広大な海洋で、排他的経済水域だけで比較するなら、日本は世界第8位になる。しかし、この海洋資源の開発にはまだまだ時間がかかることが予想される。こうした資源を活用できるようになるまで、日本は持ちこたえていかなくてはならない。

地面が広いから米国は強い、単位面積当たりの人口が多すぎるから日本は弱い、では元も子もないかも知れない。しかし、まずはこの点をきちんと自覚する必要があると思う。

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僕が日本から逃げ出した理由(2)

(2)大学の運営費交付金の減額
僕のフェイスブックの友人には何人か大学関係者がいるのだが、彼らのタイムラインをつらつら見ていると、時々「運営費交付金の漸減をやめて欲しい」という意見を目にする。

運営費交付金に関して財務省が渋いのは当たり前で、そのわけは、日本にはお金がないのである。どこにどう限られたお金を投入するか、優先順位の問題になっている。国からのお金に頼っている大学やら、自治体やらは、少ないパイを取り合っているだけだ。財務省はその分配を差配しているのだが、僕から見ると、その判断に著しい不適切さは見当たらない。

財務省に圧力をかけることができるのは政治家ぐらいだが、その政治家の背後に存在する一般国民、特に投票に出かける40代以上の国民にとっての関心事は、大学やノーベル賞ではなく、社会保障、福祉になっている。現状、高齢者福祉にかけるお金を削って、将来の貢献が不明確な高等教育にお金をかけることは非常に難しい。大学の運営費交付金の増額を掲げて選挙を戦えるのは、幸福実現党ぐらいではないのか。特に、一度は政権を取ったことのある旧民主党の政治家たちは、安易に大学関係者に同調することはないだろう。日本の有権者たちにとっては、ニュートリノの数がいくつだろうが、将来、宇宙が収縮しようが、そんなことはどうでも良くて、むしろ気になるのはレイがルークの娘なのかとか、プリンスの死因とか、今晩のおかずのことである。

大学関係者について感じるのは、研究費であっても、給料であっても、そのお金の原資の少なくない部分が税金であるということについて鈍感だということだ。どういう思考回路なのかは不明だが、お金はどこかから湯水の如く湧いてくるものと考えている節がある。こう考えてしまうのは、彼らが景気回復の重要性を論じる場面にほとんど出くわさないからである。

研究費が不足している 

大学にお金がない

国からの支援が足りない

国にお金がないか、お金はあっても分配方法が悪い

どうやらお金がないらしい

税収が少ない

景気を良くするか、人を増やすか

と考えるのはそれほど難しいことではなく、少なくとも国立大学を卒業して大学のポストを得るぐらいの経歴の人間であれば、すぐに思いつくのではないだろうか。にも関わらず、なぜか4番目ぐらいで思考が停止するのである。あるいは、思い付いてはいても、あえて目をつぶっているのか。

とにかく、根本的なところに行き着かず、無駄遣いが多いとか(まぁ、それも一理あるけれど、本質ではない)、文系と理系のバランスがおかしいとか、なんでも良いけど増額しろ、といった主張を繰り広げる。もしかしたら、「10年、20年後はどうでもいい。自分が今のポストに就いている間だけ、何とかなれば良い」という考えなのかも知れないが、これでは社会の同意は得られないだろう。百歩譲って、4番目あたりで思考停止することを良しとしても、「俺たちにもっとお金をよこせ(減らすな)」と主張するのであれば、同時に「あっちの予算を減らすべきだ」という具体的かつリーズナブルな主張がセットであるべきだ。しかし、そういった主張に行き当たった記憶がない。ただ「金よこせ」では乞食やおもちゃ売り場で座り込んで駄々をこねているガキと一緒である。

「大学への投資が足りない」と論じる大学関係者は、少なくとも経済政策で失敗した安倍自民党には投票すべきではないし、「今の政府ではアカデミズムは死に絶える」ぐらい言うべきだと思うのだが、おとなしいことこの上ない。「政府や文科省に楯突くと後が怖い」とビクビクしているのだろうか。

兎にも角にも、大学がお金が欲しいなら、すなわち国に寄生し続けるのであれば、日本経済の再建しか道はないのである。

あるいは、国など頼りにせず、自分たちでなんとかすることだ。

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僕が日本から逃げ出した理由(1)

(1)最低賃金のアップが招くもの
最低賃金を上げろと言っている人たちがいるのだが、彼らの多くは重要なことを忘れている。それは、労働者の最低賃金を上昇させた場合、給料が増えるのは自分だけではないということだ。安い給料で働いている人たちの給料が全部上昇する。そうなると、社会はどうなるのか?それは、最低賃金が時給15ドルになりつつある米国の状況を見るとよくわかる。

こちらに来てすぐにわかるのは、レストランの価格が非常に高いということだ。ラーメン一杯でも1300円程度。これは、従業員の給料分が価格に上乗せされているからと予想される。「そんなに高コストでは暮らしていけない」と心配することはなく、工業製品化されている食品は逆にかなり安い。例えば、冷凍ピザなどはホールで一枚350円ぐらい。ハーフを食べたらお腹いっぱいになるので、一食あたりのコストは175円である(オーブンの光熱費などは除く)。米国のことだから裏で色々と力が働いている可能性も強いのだが、安いのだけは間違いがない。それに比較してファストフードやそれに類するサービスの価格はかなり高額だ。正確な因果関係を調べたわけではないが、最低賃金をアップさせれば、人件費がかかるサービスの価格がアップすると想像できる。スタバも、マクドも、例外ではない。こうしたサービスが一人当たりの人件費を削ることができず、提供する商品の価格も高くできないのなら(自宅で調理した方が格段に安ければ、貧困層から順に自炊に流れてしまうので、過剰に高額にはできない)、その次に来るのは人員削減である。つまり、必要とされる労働力そのものが減少する。

コンビニのように価格に人件費を転嫁しにくい業態の場合は、店自体が淘汰されていくだろう。実際、米国のコンビニは日本に比べてかなり少ない。日本では美容室、歯医者に続いてコンビニを目にするが、例えば僕が住んでいる駅ではCVSが一軒あるだけである。このように小売りが減っていけば、当然雇用は減少する。

結局のところ、買う側の所得の総量が増えない限り、あとはパイの取り合いになるわけだ。ある特定の分野、例えば介護や保育関連の給与が増えるなら、どこかで減少が起きる。また、一個人だけに注目して「賃金をアップしろ」と主張するのは構わないのだが、社会のシステムが総体として賃金アップするなら、それは雇用の再構築を意味する。そのあと、社会がバランスを見つけた時には、低賃金労働者の所得上昇と同時に、価格の高騰(これ自体はあながち悪いことではないと思う)とサービス業全体の沈滞が発生しているはずだ。つまり、低所得者の生活は思ったほどには楽にならない。
#とはいえ、資本が流動するので、税収は増える。

米国では、それでも大丈夫なだけの成長社会があるようで、高い最低賃金でも新しいバランスを見つけ出している。一食1300円、チップと税金を含めたら1500円のラーメン屋でも、店は普通に営業している。しかし、日本がそういう社会になって、今の低所得者たちは耐えられるのだろうか?その次に来るのは、生活保護対象者の増加ではないのか。また、米国の場合、食料品を扱う小さな商店は、大都市圏ではほとんど見かけることがない。日本食や中華などの特殊な食材であれば別だが、一般的な食料品を扱う商店は全く目にすることがない。みんな、馬鹿でかいスーパーで購入している。流通が高度に効率化し、結果として零細商店が駆逐されたんだと思う。田舎はどうなのかわからないけれど。そういう高度に効率化された社会では、小規模な事業主は切り捨てられていくし、貧困と人口減少にあえぐ地方都市、例えば北海道の歌志内市みたいなど田舎なら、大規模スーパーからも無視され、流通網からも外れ、生活環境は大きく劣化するだろう。

政府は保育関連の賃金アップを打ち出したようだが、これが浸透していけば、保育料が上昇する。すると親の負担が大きくなるわけで、保育の質の格差が生じる可能性がある。つまり、金持ちが良い保育環境を得る、という社会である。この状況は、社会一般のコンセンサスは得にくいだろう。僕も、格差は別に否定しないのだが、格差の固定化には否定的である。

軽減税率でも、ある特定の分野を優遇すれば反作用が生じる。賃金であっても同様で、特定の分野を取り上げてその賃金をどうこうするのは、非常にデリケートな話である。

ある特定の分野、例えば保育士の給料が安い、という現状には何かしらの理由があるはずで、それを無視してただ優遇するのであれば、状況の根本的な改善にはつながらない。しかし、日本人はこういう行動が大好きだ。貧乏な人を見つけると、その人がなぜ貧乏なのかには目をつぶり、ただお金を支援する。おかげで、お金をめぐんでもらった人はいつまで経っても貧困から抜け出せない。目の前に頭痛で困っている人がいた時、ロキソニンを与えているのが日本人だ。しかし、その頭痛の原因を調べて、適切な治療をしなければ、いつまで経っても頭痛は根治しない。場合によっては自己の回復力によって治るかも知れないのだが、治らないなら、時間とともに状況は悪化してしまう。目の前にいる困っている人を助けることによって、お金をめぐんであげた本人は自己満足に浸れるかも知れないが、本質的な援助にはなっていない。こういうのを筋悪という。

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2016年04月28日

日本人が英語が下手な理由

英語をカタカナにするとき、もうちょっと配慮したら良いんじゃないかなぁ。

例えば、ワシントンはワーシントンだし、シカゴはシカーゴだよね。ニューヨークはニュウヨクにしなかったんだから、もうちょっと何とかならなかったのかな。  
Posted by buu2 at 12:13Comments(0)TrackBack(0)ワシントンDC

2016年04月27日

ムービングセールで家具をゲット

この街は結構な頻度で引っ越しがあるようで、この3週間ぐらいだけでも、向かいの部屋と上の部屋が引っ越した。引っ越しの時にはムービングセールを実施するのが普通みたいで、そのセールの情報を集めたサイトもある。

今日はそんなサイトで家から徒歩12分のところで引っ越しセールをやっている家を見つけて、出かけてみた。座って使うのにちょうど良いテーブルと、テレビの台にちょうど良い棚があったので、二つ購入。30ドル。

早速活躍している。
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Posted by buu2 at 01:36Comments(0)TrackBack(0)ワシントンDC

2016年04月26日

OWINO MARTINさんのBATIKS

イースタンマーケットで見つけたOWINO MARTINさんのBATIKSという絵を買ってみた。




OWINOさんは西ケニアから2001年に米国に来た作家さん。このバティックというのは木綿の布にろうけつ染めを施したもので、一般的にはインドネシアがルーツと言われているらしい。アフリカのバティックはワックスプリントと呼ぶのが普通らしいのだが、マーケットではバティックとして売られていた。

絵はかなりたくさんの種類があって、主なモチーフはアフリカの動物たちだった。キリンとか、カバとか、フラミンゴなどがあったのだが、一番迫力があって素晴らしかったのはアフリカゾウを描いたものだった。サイズ的にも1メートル四方ぐらいある大作で、価格を聞いたら400ドルとのこと。コストパフォーマンス的には全く普通の価格だと思うのだが、手持ちに十分なお金がなく断念。プランBでサイのバティックを買ってみた。




1メートル×40センチぐらいだろうか。手前の水場にサイが3頭いて、後ろにはキリマンジャロが描かれている。ということで、家に帰ってきて早速飾ってみた。

OWINOさんのサイトはこちら。
http://kowinobatiks.com/  
Posted by buu2 at 00:43Comments(0)TrackBack(0)美術

2016年04月25日

Eastern Market(ファストフード)

イースタンマーケットには飲食店の出店もたくさんあるのだが、今回はマーケットの建物の中にあるハンバーガーショップで食べてみた。













注文したのはダブルバーガー。



バンズは工夫がない感じだけど、パテはとても美味しい。このハンバーガーを食べたら、マクドで食べる人の気が知れない。

バス一本でここに来ることができるのは良い発見だった。

名称:イースタンマーケット
住所:225 7th St SE
Washington, DC 20003
電話:(202) 698-5253