生物の関係者以外にはあまり知られていないのかもしれないが、「バイオベンチャー1000社計画」というのがある。「大学発ベンチャーじゃなくて?」とうい声もありそうだが、バイオベンチャー1000社計画の方は日本バイオ産業人会議(JABEX)という組織が発表したb-Japan計画の中に盛り込まれたもので、2002年5月に発表されている。
b-Japan計画サマリー
この計画はあくまでもJABEXが作成したものだが、その内容については政府がかなり深く関わっており、バイオベンチャーの目標に関しては当時経済産業省でバイオベンチャー育成を担当していた僕も色々と意見を言う立場だった。この計画はBT戦略会議にも大きな影響を与え、日本のバイオ政策にも反映されている。
さて、話をバイオベンチャーに戻す。
バイオベンチャーの世界は「センミツ」と言われるが、これは1000社作って成功するのは3社程度という意味。だから、まず背景となる「数」が重要ということになる。日本の風土はどうしても安定志向で、優秀な人材は大体の場合において1.中央官僚、2.大企業、3.ベンチャーという順番に流れていく。この様相は米国と全く逆で、結果として本来一番タフな仕事を要求されるベンチャーには人材が集まってこない状況がある。もちろん最近は日本人のマインドも変わってきており、IT業界などには優秀な人材がどんどんベンチャーに流れてくるようになってきているが、ことバイオに限るとどうしても製薬、醗酵の大企業に人材が集中する。
しかし、大企業がやりやすいこととやりにくいことは厳然として存在し、リスクの大きい創薬の初期は後者の代表である。これまではその部分を大学と大企業が手を組んでなぁなぁでやっていたが、大学が法人化されて権利意識が強くなり、それが難しくなった。もちろんこれは正しい流れではあるのだが、同時にそれに代わる仕組みが必要となった。そこで、リスクの担い手として期待されてきたのがバイオベンチャーである。
バイオのカバーする領域は環境、医療、食料、そしてそれに派生する各種産業と非常に広範で、その知的財産を海外に全て押さえられてしまっては日本の競争力は大きく後退する。そして、それらバイオ産業の萌芽的部分を担うバイオベンチャーが育たないことには日本のバイオ、創薬業界全体の衰退につながる。そこで、「1000社」という数値目標を掲げ、産業界全体でバイオを下支えするバイオベンチャーを量産していこう、ということになったのである。
結果として、現在のバイオベンチャーは464社(2004年、財団法人バイオインダストリー協会)まで増加し、順調に計画実現に向かっているように見える。
ところで、こうした状況を手放しで喜ぶべきなのか、このあたりでちょっと振り返ってみる必要もあるのではないかと思う。疑問に思うのは急激な増大が「粗製濫造」につながっているのではないかということだ。センミツは、あくまでもそれなりのバイオベンチャーが1000社という話で、箸にも棒にも引っかからないようなベンチャーであれば1000000社あっても話にならない。
具体的に例を出して申し訳ないが、知っている範囲でちょっと書いてみると、産業技術総合研究所では政策的にバイオベンチャーの創出を誘導している。手法としては、
1.研究費の削減
2.共同研究費としてのマッチングファンド提供
3.ベンチャー創業の推奨
ということをやっているようだ。つまりはまず普通の研究費を削減する。すでに一定数の人数を雇用している研究室では、これでは研究費が足りなくなって困ってしまう。そこで、「研究費が欲しいなら民間企業と共同研究をやりなさい。そうしたら、民間企業から引き出したお金と同額の研究費を産総研からも出します」と持ちかける。そしてさらに、「しっかりした技術があるのであれば、資金調達をしてベンチャーを立ち上げたらどうですか?そこの株主になり、CSO(科学顧問)やCTO(技術顧問)となって、自分の研究室と共同研究をやるんです」と提案する。ベンチャーキャピタルから首尾よくお金を集めることに成功すると、キャピタルから得たお金をもとに共同研究を実施し、産総研からもお金をもらう、という段取りである。
実用化を重視する産総研にとっては、民間企業との共同研究を推進するという意味で効率的なやり方である。予算配分を自分達で考える必要もなく、研究の評価を民間に任せている点も賢い。研究費の一部を民間から引き出すというのも予算削減に寄与する。少ない予算で、市場のニーズにマッチした研究を効率的にやっていこうという主旨である。ぱっと考えただけでは、このやり方はメリットばかりで問題点は特に見当たらない。
しかし、実際にはこの手法には2つの大前提があり、それが崩れつつある現在、問題が顕在化しつつある。まず問題になるのは「民間(大企業、ベンチャーキャピタル)に目利き能力があるか」という点である。もちろん、民間は自腹を切るわけで、経済産業省が取ってきた予算が上から降ってくる産総研とは評価に当たって真剣さが全く異なるのは間違いない。しかし、それでもなおきちんと評価できるのかどうかには疑問が残る。特にバイオ専門で投資をしている会社以外の場合、「あそこの会社も投資しているからうちも投資しよう」といった行動原理が透けて見えるような気がする。そして、もう1つの問題が、もっと上流の「研究者から提供されているデータが本物か」という点である。
産総研の仕組みが産総研だけのものなのかはわからない。似たような仕組みを理研や大学などでも導入しているのかもしれない。この仕組みは非常に良く出来た仕組みではあるから、他所でも導入されていたり、あるいは導入を検討していても何ら不思議がないのだが、この仕組みは最低限の環境が要求される。それは、
1.研究者がきちんと実験し、その結果を正確に情報公開をしている
2.民間がきちんとした評価能力を持っている
の2つである。一見、至極当たり前のことであり、政策担当者もこのあたりは正直ほとんど疑うところがなかっただろう。ただ、2.については民間の自己責任であるから、「損をしないように頑張れ」としか言いようがない。問題となるのは1.の部分である。折りしも、先日捏造疑惑で問題になった多比良氏はその産総研所属である。多比良氏の研究成果が捏造である、あるいは実験のミスで、実際は再現性がなかった、という結論に達した場合、日本のバイオ政策に非常に大きな影響を与える。
「その程度のことまで疑ってかからなくてはならないのか」と暗澹たる思いであるが、多比良氏の件は非常に良い機会なので、多比良氏に限らず、1.をきちんと担保できるような環境を整備していくべきであろう。それはモラルの向上という非常に抽象的な手法と、実験データ・実験ノートのきちんとした管理という具体的な手法と、捏造が懸念されるデータの組織的再検証、そして捏造が発覚した場合の厳しい対応とで確保するしかない。
それにしても、捏造で論文を書くことはできる。捏造で特許を取ることもできる。さらに、捏造でベンチャーをつくることもできる。運がよければ公開までも持っていけるだろう。でも、捏造データをもとにした創薬は限りなく困難である。僕はいまや産業サイドの人間なので、アカデミックな分野にまで大声でものを言う気もないし、また検証する手段もないのだが、是非とも捏造データでベンチャーを作るのだけはやめていただきたい。バイオベンチャーは研究費を確保するためのツールではないのである。