2008年04月30日

マタギ亭

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写真入の詳細なレビューは食べログ版まにあな日記「マタギ亭」をどうぞ。  

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白神山地

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折角青森に来たので、世界遺産のひとつも見ておこうと思い、白神山地へ。といっても、僕、子どものころこのあたりには何度も遊びに来ているのだけれど。

で、弘前界隈のソメイヨシノはもう八分散り、九分散りだったわけですが、このあたりまで登ってくるとまだまだ一分散り、二分散りといった感じ。なかなかに奇麗でした。で、肝心の世界遺産のブナ林ですが、奥まで入っていこうとしたら、「今はまだ雪が残っていて無理です」とのこと。なので緩衝地域の林だけ見ておきました。うーーーん、世界遺産。なんだか良くわかりませんが。  
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玉寿し

1e84b660.JPG写真入りの詳細なレビューは食べログ版まにあな日記「玉寿し」をどうぞ。  
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2008年04月29日

サロン ド カフェ アンジュ (salon de cafe Ange)

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比較的詳細は食べログ版まにあな日記「サロン ド カフェ アンジュ (salon de cafe Ange) 」でどうぞ。  
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翠明荘

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比較的詳細は食べログ版まにあな日記「翠明荘」へどうぞ。  
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自由軒

cb3c79d9.JPG名称:自由軒
種類:中華
場所:日の出町
評価:2/CBC
2008.4.29
コメント:麺はやや細めで弱く撚りが入ったもの。スープの絡み云々より、腰が全くないので麺の食感を楽しむことができない。

スープは鶏ベース豚骨ブレンドの中華タイプ。特に何か特徴があるというわけではない。

チャーシューは質の悪い肉を使った煮豚。これも食べる価値があるわけではない。

近年、ラーメンのレベルは物凄く底上げされたので、こういった感じの中華系ラーメンではなかなか太刀打ちできない。「昔ながら」のノスタルジーに浸るには良いかも知れないが、美味しいラーメンを食べたいと思う人にはお勧めできない。  

注目のキーワード

11ee3d73.gifはてなダイアリーの注目のキーワードから。

いや、別に誤植じゃないですよ。

しかし、篤姫のキーワードでこのコンテンツに飛ばされたらびっくりだろうな(笑)。確かに篤姫には言及しているけれど。  

2008年04月28日

七宝麻辣湯 (チーパオ マーラータン)

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石神氏がお店を出したというので、ラーメン店ではないけれども面白そうなので食べてきた。スープ春雨のお店。

スープの辛さを6段階から選ぶことができる。石神氏がいたのでちょっと聞いてみたら「辛党なら三番目ぐらいでどうでしょうか」というので、「中辛」という記述がかなり軟弱っぽく見えたのだけれどこれで注文。トッピングを色々選べるのだけれど、今回は初めてなのでベーシックなところで無難に注文。

さて、食べてみたわけですが、山椒の辛さはなかなか良いですね。鶏、豚あたりでスープのベースを作っているようですが、かなりあっさりした味わいで、ヘルシーな感じです。男のラーメン好きにはちょっと物足りないところがあるでしょうが、女性にはかなり受けそう。辛さのほうはやはりちょっと物足りない感じで、次からは激辛か極辛で注文しようと思います。隣で自称辛党という知らない人が女性に薀蓄を語りながら中辛(僕と同じ辛さ)を食べて真っ赤になりながら「これは辛党でも辛い」などと言っていましたが、それはいくらなんでも言いすぎ。あんたは辛党でもなんでもないよ、と言いたかったけれど、黙っておきました(当たり前ですが(笑))。

食べ終わってから石神氏と色々話をしたのですが、この店を開店するために中国で色々調べて、店で働いたりもしてみたとのこと。それで、結構いけそうだったのだけれど、やはり向こうの店なので、化学調味料とかバンバン使っていて、「このままの味ではちょっと」ということだったらしい。そこで、日本人の嗜好に合わせてスープのベースから全部見直して、ほぼ完全に再構築したそうです。そのあたりは散々ラーメンを食べている彼ですから、お手の物でしょう。

ラーメンとは全く違う食べ物ですが、食にこだわりがある人間のセンスを感じさせる一品でした。  
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クローバー・フィールド

c5dd7a77.JPG怪獣に襲われたニューヨークで逃げ惑う人々を描いたパニック映画。と書いてしまうと「なぁんだ」という感じなのだけれど、それが「登場人物が持っているハンディカムの映像だけで描かれている」となると「ほう」ということになると思う。

全体の設定に関していえば新しいものは何もない。しかし、それをハンディカムを通すだけで「創作物」としての価値は格段にアップする。あんまり何度もやれることではないし、過去にも同じような趣向のものはあったので、「発明」とまでは言い切れないのだけれど、しかしそれでも「この手があったのか」と思わされる。

まず最初に書いておくべきことは「何はともあれ、この作品は映画館で観ておくべきである」ということである。映画館でゆらゆらとゆれるハンディカムの画面を観て、気分が悪くなるかもしれない。しかし、それこそが「臨場感」である。これは家のテレビでDVDを観るのでは体感できない。ポジティブな感想を持つか、ネガティブな感想を持つか、それは個々の感性次第なのだけれど、とりあえず映画館で観ておいた方が人生の経験ポイントが増えるよ、ということは言えると思う。新感覚を体験することは、間違いなく可能だ。

さて、では映画の質はどうなのか。普通のパニック映画と何か違うのか。いや、違わない。表現方法が違うだけである。ハンディカムの持ち主が撮影した主体的な映像に終始するので、情報量もかなり限られる。この、「限られた情報」というのが、鑑賞者と、映画の中の主人公を完全にシンクロさせる。主人公が感じる「未知のもの」に対する恐怖や理不尽さを、観ているものも同じように感じることになる。このあたりのアイデアが秀逸。怪獣が徐々にその正体を明らかにしていくあたりも非常に良くできた構成だと思う。

パニックの本質とはなんなのか。それを第三者的な視点ではなく、当事者としての視点で記述したところが素晴らしい。ときどき挟まれる、「事件」の前の平和な映像との対比もなかなか秀逸だ。

登場人物たちの行動に関していえば、「お前、そこでその行動はあり得なくないか?」というところがあるし、ヘリコプターが墜落したのにそれほどフェイタルな状況に追い込まれなかったりもするし、まぁいろいろと「それはちょっとないんじゃないの?」と思わないでもないのだけれど、そのあたりはまぁ良しとすべきなんだろう。さすがに物凄い状況においても執念深くビデオカメラを回し続ける登場人物たちはさすがにやりすぎ感があって、ラスト近くでは個人的には笑いが漏れてしまった。これはターミネーターのラスト近くで、「おいおい、まだ頑張るのかよ」(苦笑)、みたいな状況になったのと似通っている。米国人はここまでビデオで記録することに対して執念を燃やすのか、と勉強になった。

本当に、全体としては全く大した話ではないのである。しかし、それでも全編を通じて楽しめた。これこそがアイデアの勝利だろう。もしかしたら、まずパニック映画の本編があって、これはそのスピンアウト、みたいな感じで公開されたらもっと面白かったかもしれない。

しかしまぁ、お金がかかっているのかかかっていないのか、良くわからない映画でした。あと、結構画面が揺れるので、観ていて疲れました(^^; 評価は☆2つ半。
  
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2008年04月27日

今、そこにある格差(メモ書き)

野党の主張と言うのはちょっと油断すると単なる人気取りに走りがちだ。今、気になるのは「格差社会を是正しよう」という主張である。野党は「格差」「格差」と連呼するが、では、今日本に存在する格差とはなんなのか。もちろん、野党が主張しているところの所得格差も確かに存在する。しかし、所得格差、特に上方向の所得が多すぎるからこれを是正せよ、という主張は全く的が外れている。例えばイチローや松井のように、自分の能力だけを頼りに米国に出て行き、そこで年間億単位のお金を稼いでいる人のことを悪く言う人間がいるだろうか。彼らは多くの日本人にとってあこがれであり、目標であるはずだ。上方向の正当な格差を否定することは、日本に古くから見られる「妬み」感情に他ならない。これは決して否定されるべき格差ではないし、考えるべき格差でもない。所得の格差とは、他の格差から生じる二次的な格差である。では、今考えるべき格差とはなんなのか。

日本人が考えなくてはいけない格差には大きく二つある。それは「権利の格差」と、「能力の格差」である。前者は解消すべき格差であり、後者は存在を認めなくてはならない格差である。これらは所得とも密接に関係しているが、所得の格差は表面的なものであって、それに対して「権利」「能力」の二つはより根源的なものである。

まず、権利の格差である。権利と言うと色々なものが含まれてくるが、今回言及したい「権利」をわかりやすいところで例示すれば「正社員」(厳密には正社員と言う言葉は正しくないのだが、一般論としてその言葉が社会的に認知されているのであえてこのエントリーでは使用する)という権利である。正社員と非正社員の間には大きな格差があって、これがさまざまな弊害を生んでいる。非正社員が正社員に対して不利だということは誰でもすぐにイメージできるが、正社員側からしても、一度正社員になってしまうとそこから飛び出すことが非常に難しいという状況が生まれている。そして、その延長線上にはいくつかの「顕在化しない不利益」が存在する。たとえば、会社の待遇に不満があっても、正社員という既得権を手放したときに状況が悪化するのが見えているので、泣き寝入りせざるを得なくなる。これがサービス残業などの就業環境の悪化につながるのだ。「正社員」という権利が固定化しつつ存在することによって、非正社員のみならず、正社員までもが不利益を被っているのである。

労働力の流動化を阻んでいるのは間違いなく労働基準法および労働契約法であり、そしてそれを良しとする国民性であり、さらにはその上に胡坐をかいている既得権者達である。それらによって日本の権利の格差は固定化している。僕は「現在の労働基準法は労働者を保護しすぎである」というスタンスで(実際には文面上は保護していないにも関わらず、運用によって保護しているケースもある)、その内容は下記のエントリーで詳細に述べているのでそちらを参照してほしい。

「安心」は向上へのモチベーションではない

この手の、「権利の格差」が顕在化した事例としてはポスドクの余剰問題、各種談合に関するもの、年金問題、街中の書店の閉鎖、学歴社会、女性差別、教育問題など、大小含め枚挙に暇がない。そして、この格差は是正されてしかるべきである。逆に言えば、これらが解消されていかない限り、日本の国家としての競争力は回復しない。なぜなら、日本のライバル達は、日本以上に成功の機会を持てるような社会に変革しつつあるからである。

ちなみに、日本にいる労働者の中でも、本当に能力の高い人間達はこうした既得権に対して全く無頓着である。実際、大企業の要職で働いている人間や、あるいは中央省庁の官僚の中でも特に優秀な人材と話をしていても、「クビになっても別に全然困らない」という話をする。それは強がりでもなんでもないし、実際、彼らはどこに出て行っても大丈夫だろう。問題はそういう自信のない、「その他大勢」が、手にしている既得権を手放そうとしないということである。これは、年功序列の中でヒエラルキーの上位に位置している「働かない既得権者」と、その予備軍である。実際、多くの人が僕の文章を読んで、「そりゃ、有能な人は良いでしょうよ。でも、有能な人ばかりじゃないでしょ?」「でも、いつまでも第一線で働き続ける自信がないんですけど」と言いたいんだと思う。そして、その意見が通ってきたのがこれまでの日本である。しかし、そういう時代はそろそろ終わりにしなくてはならない。終わりにしないと、本当に日本は世界の中で一人負けになる。人間はほとんど場合、そこに存在し続けるだけで価値など発生しはしない。価値を生み出したければ、努力が必要なのである。その努力を否定するような「権利の格差」(=権利の固定化)は社会から排除されなくてはいけない。

次に能力の格差である。先日、IT業界にいる人間としては興味深いデータが公表された。

第2回 インターネット関連業界の職種別給与調査

調査母数がかなり少ないので、このデータの信憑性と言うのはある程度割引いて考える必要があるのだが、それでも利用方法によっては参考になるデータである。

プログラマの平均年収は約400万円で、この額は私が25歳程度のときにもらっていた給与とほぼ同一である。端的に言ってしまえば、「安すぎるんじゃない?」ということになり、ではなぜそういった状況が一般化しているのかと言えば、「権利が固定化しているから」となる。「会社を辞めたら仕事がないかもしれない」という深層心理につけこまれて、安い給料で「正社員」として働かされているプログラマが沢山いるのだろう。

ただ、考えるべきは果たしてそれだけなのか。「プログラマは気の毒ですね」というのは一般論ではあるが、必ずしも正しい認識ではない。

プログラマと一口に言っても能力は千差万別である。デキる奴もいればデキない奴もいるのだ。そうした「能力」の格差は、こうした統計結果からは読み取ることができない。では、なぜこういったデータを我々が参考にするのかと言えば、「おおよそ能力と言うのは平均的なものだ」という根拠のない前提を無条件に受け入れているからに過ぎない。しかし、現実は違う。平均とひとくくりにしてしまえば一般論として「安い」「高い」を論じることができるが、成果物と照らし合わせて「それが給与に見合っているかどうか」を検討しなければ本来の意味はないのである。能力があって、成果物も優秀なのに年収400万なら「それは安すぎる」と判断されるし、成果物がろくでもないのに年収400万円なら、「正社員になっておいて良かったね」となる。ところが、現在は能力一定の建前があるからこうした正しい判断がなされない。「まぁ、色々いるけれど、総じて言えば妥当な額なんじゃないの?」みたいな曖昧模糊とした結論にならざるを得ないのである。結果としてどうなるかといえば、一部の有能な人材に業務が集中し、そして有能な人材が疲弊していくのである。

「正社員」という権利によって「非正社員」から分離された層は、能力によってさらに二つに分けられる。平均的能力より上の人間と、平均的能力より下の人間である。僕のこれまでの経験からすると、これらの絶対数は平均以下の方が数は多く、できる人間は少数だが物凄くできる。したがって、「能力主義にしましょうよ」という話をすると、それでは困る人間の数の方が多いので、いつまで経っても「いや、年功序列で良いんじゃない?」ということになる。しかし、私見ながら、そういう「能力の格差」から目をそらし続けていることは近い将来できなくなってくると思う。実際、いくつかの会社ではすでにかなり厳格な能力主義が導入されつつある。

目の前に存在しているのに既得権者が手放さない「権利の格差」と、目の前に存在しているのにそれを認めたくない人たちが目をそらし続けている「能力の格差」は、認識すること自体は決して難しくない。なぜなら、目の前にあるからである。しかし、前者を解消することも大変だし、後者を受け入れさせることも大変だ。そしてこの二つの格差が日本社会の根底に横たわり続けているおかげで、いつまで経っても日本の社会は沈滞ムードを払拭できないでいる。

個人的に身近な例としてポスドクの余剰問題を挙げてみる。簡単に言ってしまえば、「これからの日本には科学技術を牽引するエリートたる科学者達が必要だ」という理念の下、大量に博士を生産したところ、ポスドク(=博士号を取得した後、無期雇用の職についていない人)が余ってしまって行き場がない、という問題だ。実際、かなりの数の博士号取得者が行き先がなくなって困っている。この問題を見ていると、ときどき「全てのポスドクが就職できるまで問題は解決しない」などと頓珍漢な意見にぶつかることがある。この意見が全く傾聴するに値しない理由は、ポスドクの質についての検討が全く為されていないということである。一口にポスドクと言っても、その質はさまざまだろう。一所懸命努力していて、評価されるべき能力を保有している人もいるだろうが、全てのポスドクがそういう人間であるとは限らない。そこでは必ず評価のフェイズが存在するはずで、それを放棄してしまっては話にならない。実際のところ、人を評価するというのは日本人が最も苦手とする行為なのだが、市場が商品を評価するのと同様、企業は人を評価しなくてはならない。目の前にある「能力の格差」をどう顕在化し、それを評価につなげるかと言うことが、これからの社会では大きな課題になってくる。

日本の社会といえども徐々に年功序列から能力主義にシフトしつつある。なぜなら、年功序列のシステムでは能力主義のライバル国に太刀打ちできないことがはっきりしてきたからである。そうした意識が高い企業から、徐々に地殻変動は始まってきている。能力主義社会にシフトしたとき、一番困るのは誰なのか。もちろん、能力がないのに年功序列によって上位に位置している既得権者達である。彼らは、能力主義になったときに一番割りを食う人たちだから、当然のことながら既存の体制を維持することに全力を注ぐ。いわゆる「抵抗勢力」である。そして、日本においてはこの抵抗勢力は決して無視できない規模の勢力である。

「努力した人が報われる社会にしましょう」という標語があった。なぜこういう標語が出来たかといえば、努力しているのに報われていない人が多いからである。実際、今の日本社会は努力しても報われないことが多い。いや、これは正確ではない。努力する時期を間違えなければ、努力は報われる可能性が高くなる。問題は、その時期と言うのが人生のかなり早い段階に設置されていて、その時点では当人の家庭環境の影響が物凄く大きいという点である。大学に在学している頃になってしまうと大抵の場合はもう手遅れであって、「なんでこんなことに」と思ってももう遅いのである。そうした閉塞感にある多くの日本人労働者に対しての「報われる社会」だったのだが、この言葉は、裏を返せば「努力しなかった人は報われなくても仕方がない社会」でもある。そのことが徐々に明らかになるにつれ、政治家はこの言葉をあまり使わなくなった。なぜなら、能力のない人(自分の能力に自信のない人を含む)、努力をしない人(自分の努力が他者に比較して十分でないと考えている人を含む)が日本には相当数存在していて、しかも、少なくない数の人が既得権者として要職についていたり、その予備軍であったりして、それらを否定することになりかねなかったからである。政治家は基本的に「過去に票を投じてくれた人のために働く人」ではなく、「将来票を投じてくれる人のために働く人」であるから、有権者の認識が変わってくれば対応も変わる。

今の日本はこうした抵抗勢力(=既得権者)と新興勢力の綱引きの場となっている。

世の中は、間違いなく能力主義にシフトする。問題は、その時期だ。そして、そのパラダイムシフトが起きたとき、もっとも大きな被害を受けるのは「既存の価値観の中で何の疑いもなく育ってしまった競争能力のない人たち」である。その立場にならないためには、能力の格差を認識し、能力の格差を受け入れ、そして何をすべきかを考えることが必要だ。世の中には実力主義の社会が沢山存在する。先日メジャーを首になった野茂投手などは直近の良い例である。そうした実力主義社会の流れは、もうすでにすぐそこまで来ている。この事実から目をそらしている人たちは、波に飲み込まれたら最後、もう助からない。権利の格差を認識しそれを解消するために努力することと、能力の格差を認識しそれを受け入れそして自分の人生における戦略を立てること。この二つが、今そこにある格差への対応策だと思う。

ちょっと踏み絵を用意してみよう。次の7つのうち、「そう思う」という項目はいくつあるだろうか。

「安定した生活を送りたいから大企業に就職したい」
「年功序列は良い仕組みだ」
「終身雇用はありがたい」
「会社は従業員のためにある」
「ホワイトカラーイグゼンプションの導入は労働強化につながるから反対だ」
「みんなやっているし、サービス残業は仕方がない」
「最低賃金はもっと高くするべきだ」

ひとつでも「そうだ」と思う項目がある人は、基本的に古いタイプの人間、競争社会では生きて行けない可能性が高い。4つあったら、競争社会ではほぼアウツだろう。しかし、そうした人たちに対して積極的なセーフティネットを用意する余裕は今の日本にはない。そもそも、大多数はまだ非競争社会が持続可能なのではないかという幻想を抱いているのだ。ただ、今アウツでも、将来的に助からないわけではない。早い段階でそれに気付き、対応していけば助かる可能性は高くなる。

では、そうした能力主義社会とはどういう形態になるのか。少なくとも、日本人の思想は根本的なところから変わらざるを得ない。これまでの日本人は隣の人を見て、一緒であることを良しとしてきた。ムラ社会の中で個性を殺し、人と同じことをやっていくことを美徳としてきた。目立つことをすれば「出る杭は打たれる」のことわざよろしく、仲間はずれにされ、コミュニティは均質化を目指してきた。実は、現在もこうした均質化を目指すコミュニティは脈々と存在している。例えばミクシィのコミュニティなどは顕著で、映画愛好家のコミュニティで「○○はつまらない」などと否定的な意見を述べると叩かれる。コンピューター系のコミュニティにおいても、ちょっと普通ではない応答をする人がいると「アクセスブロックをすべきである」などという意見が出てくる。異端の存在が疎ましくて仕方がないのである。しかし、こうした均質化された状況は能力主義、競争社会にはフィットしない。なぜフィットしないか、ということになるのだが、ここでまた別の事例を取り上げてみる。

先日、銀座の旭屋書店が閉店するというニュースがあった。街中の本屋は今、物凄い勢いで淘汰されつつある。僕が子どものころから通っていた地元の本屋も先日閉店した。恐らく30年以上営業していた本屋が、である。なぜ本屋の経営が難しくなってきているのかといえば、amazonの台頭が原因だと思う。目的の本を本屋で探したり、あるいは目的もなく本屋の棚を色々とチェックする楽しみと言うものも存在するのだが、一方で「目的の本をすぐに入手したい」というニーズも間違いなく存在し、そしてそのニーズは拡大しつつある。「無駄」は必ずしも排除すべきものではないが、現代人の生き方には無駄のスペースがなくなりつつある。そうした合理主義思想からは、ネットで検索して希望の書籍を見つけ、ネット上で注文し、宅配便で数日のうちに届けられるというシステムは非常に魅力的だ。そして、その他にもう一つ大きな問題が存在する。それは、再販売価格維持制度である。日本では書籍、雑誌、新聞、音楽に関して割引が認められていない。割引できないということは、店舗間での価格競争がないということだ。本屋の場合、競争するポイントは立地、規模、品揃えといったところに限られる。変わったところでは「閲覧用の椅子を用意」といったサービスを提供している店も存在するが、こうしたサービスによって差別化を図っている店舗はマイノリティである。立地、規模は店を開店した時点で決まってしまうし、品揃えもある程度は店舗の規模にリンクしてしまう。したがって、本屋は開店した時点でほとんどその性格付けが終了してしまうのである。こうした非競争環境におかれていた業界はどうしても新興勢力に対する抵抗力が落ちてしまう。amazonという新しいライバルによって、いともあっさりと土俵の外へ押し出されてしまったと考えられる。均質化された既存書店には競争がなかった。そして、そこに異端が入ってきたことによって、あっさりと既存書店が退場に追い込まれてしまったわけだ。均質化された社会は新しい価値の台頭に対して非常に免疫力が弱い。

「その後の世界」の新しいルールはここに暗示されている。つまり、能力主義の競争社会においては、人と同じでは駄目なのである。人と一緒であることがアピールポイントだった世の中から、人といかに異なるかをアピールする世の中へ、すなわち、「能力の格差」をアピールする世の中へと変わっていくのである。競争社会には当然厳しさも存在する。他者との差別化は、自らの能力と努力によって為されるからである。そして、その、各自の少しずつの日々の努力が国の競争力につながっていく。そうした競争を続けていけない人は、大企業や公務員といった、競争の少ない低成長組織に属することになる。

そして、もう一つ、会社の従業員管理手法も大きく変わるだろう。これまでの会社は経営サイドからの命令、そして従業員のモラルと横並び体質によって動いてきた。経営からの指示は引き続き出されるだろうが、従業員サイドの目安、モチベーションとなるものはモラルや横並び体質といった曖昧なものではなく、あくまでも評価がベースになる。従業員は常に「会社に何を提供しているか」を意識させられるし、同時に「社会全体で自分の能力がどの程度評価されるのか」を意識して生きることになる。この、「評価」の視点の導入も日本社会にとっては非常に高いハードルになると思う。それは、評価する側、評価される側の双方にとって、である。もともと十七条の憲法による「和を以て貴しとし」を金言とし、農耕民族として共同作業を続けてきた日本人には競争も評価も体質的に合わない。そして、人より優れることを目指すよりも、人より劣ることを恐れる。だから、「評価しますよ」となれば、「×をつけられたらかなわないから反対」となるし、「×をつけたらうらまれるから反対」となる。しかし、この体質も、やはり国際的競争による外力によって変わらざるを得ない状況になりつつある。

つい先日、「休みたいなら辞めればいい」と発言して物議をかもした社長がいたのだけれど、このケースは二つの意味で非競争社会の典型的な遺物である。一つは「非競争社会の典型的な社長」であり、もう一つは「非競争社会の典型的な社員」である。他者と能力で差別化できないから「休日も働く」という努力で他者と差別化しなくてはならない。いや、他の人が休日も働いているから自分も働かなくてはならないのである。こうした発言は一般論としては暴言であるけれども、「会社」というローカルルールの中では十分に正論である。社長がそういうスタンスなのはわかっているのであって、そういう会社を自由意志で選んだのが社員である。もちろん労働基準法を盾にとって戦うという手段もあるのだが、そんな手間をかけるくらいならさっさと辞めてしまえば良いというのは確かに一理ある。実際、僕のように転職を繰り返している人間から見れば、「いやならさっさと辞めちゃえば良いのに」と思う。

#ただし、厳密に言えば、この社長と僕の意見は表現は同じだけれど、内容は全く違う。この社長の発言は「嫌なら辞めれば良いでしょ。でも、辞められないでしょ?だから従いなさい」というトーンだが、僕の意見は「本当に辞めちゃえば?」である。また、僕の「辞めちゃえば?」は誰に対してでも適用できる言葉ではない。辞めても次の仕事をきちんと見つけてくることができる人、あるいは起業してしまって好きなようにやっていく能力がある人に対してだけの言葉である。その会社を辞めたら次がない、という人は、石にしがみついてでもその会社に残るべきだとは思う。そして、いやいやながらもそこで働きつつ、次を見つけることができるような能力の開発に努めるべきだろう。

結局のところ、その会社は少々変わった価値観の経営者と、それを受け入れている従業員で形成されているということだ。そして、この会社社長の発言は会社ではそれほどネガティブには受け取られていないのではないかと思う。つまり、多くの社員はそのスタンスを良しとして、その環境を受け入れつつ働いているのではないかと思う。この社長の考え方が社会全体のスタンダードになってしまうのはいかがなものかと思うのだが、一方でそのことについて外野がとやかく言うのもいかがなものかと思う。

仮に、この会社の社員の多くが現状に対して大きな不満を抱えているというのであれば、悪いのは社長でも、そしてもちろんそれを受け入れざるを得ない社員の存在そのものでもない。問題は、自由意志で辞めるに辞められない、「正社員でなくなってしまうことに多大な恐怖心がある日本社会」にこそ、ある。本来、社会の活力と言うものは個人の個別の努力の集合によって為されるべきだと思うのだが、日本においてはその原動力は「正社員」という権利とバーターになって存在する「我慢」であることが非常に多いと感じる。少なくとも僕がこれまでに見てきた多くの大企業の若手のマインドは「仕方がないから働く」「みんながやっているから働く」「上司に言われたから働く」である。なぜそんな状態になっているのかと言えば、今の若い人が悪いのではなく、会社側が「正社員」という、日本においては非常に大きいと考えられている権利をかなりの自由裁量で配布できるからである。この状況を修正するのに必要なのは、「従業員がもっと強い権利を持つこと」ではない(社民党などはこれを声高に主張しているが、それは米ソで繰り広げられた核開発競争と変わりがない。強すぎる武力は冷戦(=不活性化)を生み出すだけだ)。「正社員」という権利の弱体化である。これによって、「いつでも辞められる」状況が実現し、会社のスタンスは「働かせてやる」から「働いてもらう」に変わるはずだ。なお、能力重視の競争社会とセットで語るべきは「いつでも嫌ならやめられる」という雇用の流動化なのだが、それは以前下記のエントリーで述べているので、そちらを参考にしてもらいたい。

有期雇用と無期雇用

今の日本は成長が見込めない大企業や公務員が多くの既得権を握っている。しかし、その形は理想ではない。不安定で将来が見えにくい企業は有能で高給の社員を抱え、常に成長を目指す。そうした環境に適合できない人は大企業や役所で流れ作業をこなす。こうした形に変わっていかざるを得ない。そもそも、国の今後を決める最も重要な役割を、「評価」とは最も距離のある「公務員」が担当している時点で、この国はどうかしているのである。

こうした変革は、技術シーズに会社の命運を握られてしまう製薬業界などから始まっていくだろう。上で取り上げたプログラマの給与などというのを見ると、IT業界もすでにこうした変革の中にあるのかな、とも思う。優秀なプログラマが起業したりベンチャーの中で高給を取り、優秀ではないプログラマは大きな組織の中で、安定と引き換えに安い給料で働いているのであれば、それはまさしく「その後の世界」のありようである。また、身のまわりを見ていても、IT業界というのは、「能力ある奴」は出世が早いし、若いうちから高給取りになるケースも少なくない。これはトヨタや公務員ではあり得ない話である。あるいはポスドク問題も同じかもしれない。ポスドク問題については、アカデミックポストが既得権者によって占められているという特殊事情はあるのだが(ポスドク問題を論じている人間のうち、少なくない人間が実はこうした「加害者」の立場に居続けているわけだが)、それでも、本当に優秀な人間はちゃんと行き先があるのが現実だ。たまたま中間層部分を既得権者に奪われてしまっているから二層分化がはっきりしてしまい、事態が顕在化しているに過ぎないのかも知れない。

雇用の流動化とは、本来「自由に出て行ける会社」、「自由に入って行ける会社」の両方が必要だ。しかし、今の日本には残念ながら後者が完全に不足している。その影響で前者がないわけだ。後者がなぜ不足しているかといえばもちろん既得権者がいるからである。けれども、もちろん既得権者がいない会社も存在する。たとえば僕の会社には既得権者がいない。厳密には、僕も含めて「株主」という既得権者は存在するが、それは株式会社だから当たり前だ。株主と言う立場を取り除いた場合、僕の会社は、代表取締役から平社員まで、待遇は全くフラットである。何かの作業をやったときの取り分などを決めたルールは厳密に全員に対して平等に割り当てられている。本人に能力があれば社長よりも稼ぐことだってもちろん可能だし、逆に是非そうやって稼いで貰いたいと思っている。残念ながらうちの会社などはまだまだ弱小会社でなかなか社員も増えてこないのだけれど、実力主義の中で能力を発揮したいと思っている人に対してはいつでも門戸を開いている。このように、「社会に見当たらないなら、作ってしまえ」というのも一つの手である。例えば株式会社リバネスという会社は、社長である丸氏が「やりたい研究があるのに、それが大学や大企業では思うようにできない。できるようになった頃にはもう管理職である。それでは面白くないから、自分で会社を作ってしまえ」と考えて作ってしまった会社である。

社会が変わっていく方向は既に明確になっている。そのスピードを決めるのは日本の労働者自身であり、そういう場を作っていきたいと考えている起業家でもある。


*注意 本エントリーは最終稿ではありません。引用等は自由にしていただいて構いませんが、内容が保持される保証はありませんので、その点ご了承願います。

追記:
2008/6/30
池田信夫blogさんが「ノンワーキング・リッチ」というエントリーをアップしてます。「ノンワーキング・リッチを早期退職させろ」という部分は非常に強く共感するので紹介しておきます。

#ただし、その人たちに「起業させる」というのはどうかと思います。多分、池田さん自身も本気でそんなことは考えていないんじゃないかな、とも思います。行き先ナシに「退場させろ」では誰も退場しないですからね(笑)。方便みたいな感じで書いているんじゃないかな、と。こういう大人の姿勢は見習いたいですね。  
Posted by buu2 at 22:26Comments(0)TrackBack(0)社長││編集

野党も相当アタマが悪い

今やってるサンデープロジェクトにて。

国内消費が落ち込んでいる

どうしたら良いか?

所得を増やす

どうするのか?

最低賃金を引き上げる

中小企業はどうするのか?

国が金銭的に支援する


あほらしい(笑) こりゃダメだ。

たとえば最低賃金を1000万円にしたらどうなるのか。それに見合った働きができる人間がどれだけいるのか、ということになる。生産性を無視して一律に決めてしまうことには全く意味がない。それはハードルが1000万円のところにあるか、400万円のところにあるか、という問題ではない。能力相応の給与を受けているかどうか、ということ。  
Posted by buu2 at 11:08Comments(4)TrackBack(0)テレビ番組││編集

大いなる陰謀

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一言で表現すると、「民主党の民主党による選挙のための映画」という感じなのだが、日本に住んでいて、米国での選挙権がない日本人にはあまり効果がない。なので、純粋にエンターテイメントとしてこの映画を観たわけだが、これは結構酷い出来だと思う。

何しろ民主党の素晴らしさ(というか、共和党の政策ミス)をアピールするのが主題になっているので、とにかく会話が多い。教授と学生、議員とジャーナリストの会話がメインなのだが、もう字幕を追っているのが面倒になってくるくらい。おまけにその字幕がイマイチなものだから、ついつい「あれ?さっきそんなこと言ってたっけ?」とか、「あれ?字幕の日本語、なんかおかしくない?」みたいなところにつっかかってしまい、画面を追いきれなくなってしまう。「しまった、これは吹き替えで観るべきだったかな?」などと、もうかれこれ何十年も感じたことがないことを思ってしまった。

自由の国、チャンスの国と言われつつもその実態は結局差別社会である、という当たり前の現実を見せつつ、「さぁ、あなた達はどうするんですか?」と思わせぶりに終わるのも、なんか政治色満載で嫌な感じ。

映画を引き締めるはずの雪山シーンが「こ、これがインダストリアル・ライト・アンド・マジックの特撮ですか?えーーーーーー?」みたいな、いや、まるでローレライとかあのあたりの予算不足の邦画の特撮を髣髴とさせるような安っぽいものなのもいただけない。

ロバート・レッド・フォードは久しぶりに見たけれど、まぁ普通の演技。支持している民主党のための映画を撮れたので満足でしょう。メリル・ストリープもそれなりだけれど、やっぱ、プラダを着た悪魔の快演が頭に残っているので、「もっと味がある演技が出来る人なのに」と思ってしまう。トム・クルーズだけは本領発揮。って、それは「トム・クルーズの出演作に傑作なし」っていうこと。

しかし、ストーリーよりも、背後の思惑よりも、駄目なのは「大いなる陰謀」なんていう邦題。なんだこりゃ。一体どういうセンスでつけてるんだろう。ロバート・レッド・フォードが監督だから、「大統領の陰謀」にひっかけたんですかね?でも、この映画で描かれているのは大いなる陰謀なんてとんでもない。せいぜい「臆病者の策略」ぐらいのものじゃないですか。「LIONS FOR LAMBS」じゃぁわかりにくいってことかもしれないけれど、良い邦題が思いつかないならやっぱ原題のままでいって欲しい。この程度の英語なら今の日本人は大抵わかるんじゃないの?「羊に仕えるライオン」「獅子を率いる羊」ぐらいでも良いけどさ。  
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2008年04月26日

技術が向上するにしたがってだんだん意味が希薄になってくる事例

61bb066b.jpgグラデーションメッシュを使って描いた人物イラスト二枚目。

暇つぶしにはちょうど良いのだけれど、そろそろ飽きてきた(笑)。いや、技術的にはまだまだなんですけどね・・・・。下手な方が味があると言うか、なんというか。  
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2008年04月25日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版

映画館で観たくせに、買ってしまいました(笑)。さぁ、みんなも買いましょう。これはいいものだ。

#本当は昨日有楽町のビックカメラでフライング販売していたので、それを買うことも出来たのですが、amazonで予約しちゃっていたのでした(^^;

##まだ観てないけど(笑)。  
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2008年04月24日

ノーカントリー

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観なくちゃ、観なくちゃ、と思っていた本作、ようやく観て来ました。なんとも、微妙な映画でしたね。

狩りをしている最中に麻薬の取引現場の修羅場を発見、200万ドルをネコババしたおじさんの逃亡劇。

と、思わせつつ、実はちょっと違うというひねりのある本作。そのあたりがアカデミー賞なんですかね?うむむ。

とにかく、人がどんどん死ぬんですね。で、最初のうちはどんぱちどんぱち直接的な表現で見せるわけですが、それがだんだん省かれていく。「勝手に想像しろ」みたいな感じになってきて、後半の中ごろではそのノリで物語の主人公だと思っていた人までが死んじゃう。これはサイコみたい。えーーー、じゃぁ、これで終わり?って思ったら、そのあともいくつかエピソードがあるんですね。奥さんのエピソードはそれなりだし、シガーのエピソードもまぁそういう結末にしたくなるよね、みたいな感じなんだけれど、そこで終わりかと思いきや、まだ終わらない。なんだ、主人公は保安官かい、そういえば冒頭も保安官だったね、忘れていたよ、みたいな(笑)。

理不尽に殺されちゃったり、コインの裏表で生き死にが決まってしまったり、かと思えばいきなり交通事故にあっちゃったり、色々ありながらも「なんだかんだ言っても、人生ってお金で左右されちゃうよね」と言いつつ、でも最後は「天国でおとうちゃんが待っていてくれるさ」という映画、と言い切っちゃって良いのかな?いっか(笑)。

ラスト直前までの不気味さ、緊迫感が雲散霧消して、突然悟りを開かされちゃう。そのあたりの理不尽さももしかしたら米国の文化人受けするのかもしれません。僕は、もうちょっとストレート勝負な方が好きですけどね。

どうでも良いですが、音楽と色気が全くない映画でした(^^; 特に前者は深刻で、おにぎりを買って席に着いたのですが、音楽が全然なくて静かなので食べることが出来ませんでした(;_;)

評価は☆1つ半。  
Posted by buu2 at 23:02Comments(4)TrackBack(1)映画2008││編集

どこから圧力がかかったんだか(^^;

FDA Strengthens Safeguards for Consumers of Beef

要は、「今までは牛だけだったけれど、他の全ての動物に対して、肉骨粉を与えてはならない」ということ。

ようやく「肉骨粉、やべぇ」っていうことになったんですかね。これまで頑強に「肉骨粉を使っても問題ない」って言い続けていたのに、なんで宗旨替えしたんですかね?やっぱり、アレですか?肉骨粉食べさせた家畜を食べた人で、まっすぐ歩けない人が増えてきたんですかね?

ま、理由はともあれ、米国産牛肉への距離が多少縮まったのは確かなようです。2009年4月から禁止ってことなので、2009年4月以降に生まれた牛なら安心ですね。きちんと規制が機能するなら、ですが。

安心して食べられるようになるのは、2009年4月以前の牛が全部いなくなった頃なので、2015年ぐらいでしょうか。

それにしても、さっき特定危険部位混入の記事を書いたばかりですが、そんな危なっかしい牛肉をまだ「安心」とか言ってる会社の人の頭の中を覗いて見てみたいものです。やっぱ、スカスカなんでしょうか(笑)。  
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特定部位混入のニュース

今さらのようにこんなニュースが掲載されているわけですが、

吉野家向け輸入牛肉に危険部位混入 米国産の再開から初発覚

ダイエー、米ナショナル社牛肉撤去=吉野家は販売継続を表明

吉野家とかダイエーの肉に特定部位が混入されていることは想定の範囲内だから、当たり前の話じゃんね。僕のブログを読んでいる人は「あぁ、当たり前だな、なんでこんなのニュースになるんだろうね?」と思うでしょうね。

え?もちろん僕はダイエーで肉を買いませんし、吉野屋にも近づいてませんよ。米国産牛肉よりずっと安心な肉がちゃんとあるのに、なんでそんな危ないことをしなくちゃならないのかわかりません。まぁ、「それでもボクは米国産牛肉を食べる」というのは一つの見識ですが(笑)。  
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2008年04月23日

どん底(二回目)

6927de15.jpg文化村でやっているケラの「どん底」、二回目を観てきた。

なるほど、一回目とこうも印象が変わる舞台も珍しい。印象が変わった理由は、

1.観た場所
一回目は三列目の一番はじっこ。今回は10列目の真ん中。前回は前過ぎて見切れちゃったところがあったり、手前にいる役者さんにどうしても目が行ってしまって、全体を把握できなかった。また、スピーカーのそばすぎて、音像が結びにくかったこともあるかもしれない。二回目のオープニングでは「こんなに色々音が盛り込まれていたんだ」と驚いた。

2.芝居の熟成度
もともとかなり熟成度は高かったのだが、やはりきちんと息が合ってきていた。プロデュース公演なので、そこはいつも一緒にやっている劇団公演とは違う。以前は微妙にちぐはぐなところがあった気がしたのだが、今回はそういったところがほとんど見受けられなかった。

3.観る側の熟成度
まだ、観る側のレベルはやる側のレベルに追いついていない。追いついていないのだが、それでも前回に比べるとはるかに良い。笑っていいところ、笑うべきところでそこそこ笑いが生じていた。前回は「え?この芝居で、ここで笑って良いの?」という手探り感が非常に強かったのだけれど、それが随分緩和されていた。

といったことろか。こうして最初に列挙した一回目と二回目の違いからも類推できると思うのだが、二回目の舞台は非常に出来が良かった。これまで僕が観た「どん底」では、トップに位置すると思う。途中で出てきて途中でいなくなってしまう段田安則の演技はいつもながらに安定していて素晴らしい。犬山イヌコが上手なのはもちろんだが、緒川たまき、荻野目慶子の姉妹も良い味を出していた。江口洋介を舞台で観たのは初めてかもしれないが、彼も丁寧な演技をしていたし、他の出演者達もあまり隙がない。

全体の構成がわかっていたので、途中に配置された伏線も良くわかった。一回目では良くわからなかった大家の死ぬシーンも、誰が殺したのかをチェックできた。

ラインティングを含めた舞台美術はさすがに文化村の公演。素晴らしかったと思う。

ということで、前回の評価は☆2つ半だったけれど、今回は☆3つ。これなら9000円でも惜しくない。27日まで。チケットはこちらでどうぞ。  
Posted by buu2 at 23:04Comments(0)TrackBack(0)演劇││編集

ありゃ、オキシジェニクス、結局事実上の倒産ですか

オキシジェニクスが事業継続を断念、有力パートナーなく命運尽きる

人工赤血球などの開発を主力事業としていたオキシジェニクス(東京・港、大村孝男社長)が、事業の継続を断念していたことが、2008年4月17日までに分かった。


だそうです。

僕が「オキシジェニクスは果たして大丈夫なのか?」という記事で、「数ヶ月以内に明らかになるだろう」って書いてからちょうど10ヶ月。普通、「数ヶ月」って書いたらひと桁ヶ月ですよね。はずれた・・・・・。いや、待てよ?僕が書いたのは去年の6月18日、今回の記事のリリースは4月18日。・・・・・・・・・・・やっぱり駄目か、微妙なところだけど。まぁ、オキシが予想以上に頑張ったと。そういうことですね。ま、状況証拠を積み重ねた僕の予想もそれ程的は外れていなかったということで。  
Posted by buu2 at 22:34Comments(0)TrackBack(0)バイオ││編集

内臓の検査

3月16日以来、背中の調子が悪い。背中というか、右の背中の、腰骨の上辺りに鈍痛が続いている。最初は筋肉痛かな、と思っていたのだけれど、それにしては回復が遅い。

背中が痛いといっても、関連痛の可能性もある。以前、尿管結石をやったことがあるし、もっと大病だったらヤダナーと思っていたのである。先日人間ドックに入ったばかりでもあるのだが、どうにもこの手の検査と言うのは信用がならない。もっと色々調べてもらった方が良いかな、と思い、泌尿器科にいってエコーで調べてもらった。

一体何を言われるかと思っていたのだが、「両方の腎臓、膀胱、肝臓、胆のう、膵臓、脾臓のどこにも異常はありません。痛みの原因は残念ながらわかりません」と、とても残念そうに言われてしまった。

いや、何もないなら喜ばしいことではあるのだが、そう残念そうに言われると、何か異常があった方が良かったのかな?という気にもなってくる。

まぁ、何はともあれ、一ヶ月以上「なんなんだーーー」と気にしていたわけだが、もう気にしないことにしよう。筋肉痛か何かかな?  
Posted by buu2 at 21:55Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

2008年04月22日

Skypeの新サービス

オールアバウトに書いておきました。

Skypeの新サービス  
Posted by buu2 at 12:30Comments(0)TrackBack(0)社長││編集

新幹線全裸社長のニュースの不思議

<公然わいせつ>IT社長、新幹線車内で全裸になり逮捕

 静岡県警浜松中央署は19日、東海道新幹線車内で全裸になったとして、大阪府高槻市古曽部町3、IT関連会社ファーストサーバ社長、岡田良介容疑者(42)を公然わいせつの疑いで逮捕した。

 調べでは、岡田容疑者は同日午後4時50分ごろ、新富士−静岡間を走行中の下りこだま567号のグリーン車出入り口付近で車内販売の女性(26)の前に全裸で立った疑い。

 女性が車内にいた県警鉄道警察隊員に通報。隊員が現場付近に駆けつけた時には岡田容疑者は服を着ていたため、浜松駅で降ろして同署に任意同行を求めた。飲酒はしていなかったという。調べに対してあいまいな供述をしているといい、詳しい動機を調べる。【大西量】


新幹線内で全裸になった社長を逮捕

 静岡県警浜松中央署は19日、新幹線車内で全裸になったとして公然わいせつの疑いで、大阪府高槻市のインターネット関連会社社長・岡田良介容疑者(42)を逮捕した。

 調べでは、岡田容疑者は19日午後4時50分ごろ、東京発名古屋行き東海道新幹線こだまの新富士−静岡間で、車内の通路で服を脱いで全裸になった疑い。

 同じ車両の女性会社員(26)が「キャー」と声を上げ、警戒のため乗車していた鉄道警察隊員が駆け付けると、岡田容疑者はすでに服を着ていたという。岡田容疑者は浜松駅で下車し、連絡を受けた浜松中央署が事情を聴いていた。

 岡田容疑者は酒に酔うなどしておらず、同署は動機を調べる。



二つの記事を比べると、発見通報者に関する内容が微妙に違う。両者を総合すると、通報者は

普段は車内販売をしている会社員で、グリーン車に乗っていたのだけれど、ちょっと席を立って通路に立ったときにたまたま全裸のIT社長を見つけて「キャー」と声を上げつつ同じ車内にいた鉄道警備員に通報した。


ということになる。なんか、おかしくない?

え?不思議なのはそこじゃなくて、なんで全裸になったのか?うーーーーん、女王様に命令されちゃったのかな(汗)?  
Posted by buu2 at 08:55Comments(1)TrackBack(0)ニュース││編集

2008年04月21日

MUKU

a482b594.JPGこのアイス、普通のアイスよりは高く、ハーゲンダッツなどのプレミアムタイプよりはやや安い、というところをついてきている最近流行のニッチタイプ。乳化剤、安定剤などを使っていないという、まぁこの無添加っていうのも流行のタイプ。つまりは、「いまどき」のアイスってことですが、そこはやはり食べてみないと、ということで食べてみました。

そうですねぇ、「あいすくりん」みたいな感じのカスタードアイスでした。凄い美味しいとか、凄い甘いとか、そういう感じではないのですが、まぁ素朴な美味しさと言えば良いんでしょうか。たまに食べてみるには悪くないかな、と思います。

評価は☆2つ。  

2008年04月20日

フラガール

フラガールスタンダード・エディション

昭和40年の東北を舞台にした本作。炭鉱が斜陽になっていく中、新しい時代に合わせて変わっていく人間を中心にして描いている。しかし、頑固に変わらないでいようとする者、変わりたくても変われない者、それぞれを要所に配置して、設定に偏りがない。どこまでが実話でどこからがフィクションなのか良くわからないのだが、非常に良くできた創作だと思う。

メインになる話はどうやらダンスの教師として東京からやってきた女性の成長物語だったのかもしれないが、抜群の存在感を見せるのは蒼井優の方。ラストのダンスはもちろんだが、特に素晴らしかったのは駅のホームのシーンだと思う。あのゆったりとしたやさしい踊りのシーンは必見。

兄や母との関係、友達との関係、教師と生徒の関係といった要素を適切に配置しているため、映画全体に全く隙がない。

ただ、ひとつだけ残念なのは主人公の教師が徐々に生徒達との付き合い方を変ええていく様子がいまひとつクリアではないこと。どういうきっかけで変わって行ったかがもっとわかりやすければさらに良かったと思う。2時間弱の映画なのだから、そのあたりのエピソードが追加されていればもっと良かったと思う。

途中に何度か泣き所を配置しつつ、ラストではさわやかに終わるという構成も見事。☆3つ。  
Posted by buu2 at 17:35Comments(0)TrackBack(1)映画2008││編集

日雇い派遣全面禁止法案に関する雑感

<日雇い派遣>「全面禁止」民主が法案 罰金1億円に

こういう法律が出来てしまうとどうなるか。ワーキング・プアは若干減るかもしれないが、代わりに無職が大量発生するのではないか。

企業サイドはコストを減らすことを常に考えている。週1日しか必要のない人間を正社員として雇うなどと言うことはあり得ず、「じゃぁ、なんとか内製しちゃいましょう。既存正社員の皆さん、頑張ってくださいね」となるのがオチ。今いる社員の仕事は増え、これまで短期労働していた人の仕事はなくなる。

民主党は「規制したらどうなるのか」という思考実験を経営者側の立場に立って、あるいはワーキング・プアの立場に立って実施しているのだろうか。

日本に存在する仕事の量には限りがある。その労働に支払われるお金にも限りがある。その全体量を増やすことはもちろん大事だが、今回の法案はそういう種類のものではない。全体量が限られている場合はそれをどうやって分配するのか、という話になる。ワーキング・プア問題を本気で解決しようと思うのなら、既得権層の受けている支払額を減額するか(つまりは減給)、あるいは仕事の供給を安定的に受けている既得権層を切り崩すしかない。民間企業に対する減給指導が現実的ではないとすれば、既得権層の切り崩しを狙うしかない。このためには、既得権層の固定化を助長している各種規制を取り払っていく必要がある。

ワーキング・プアに対する既得権者は誰なのかと言えば、もちろん正社員である。日本においては正社員という既得権層が固定化しているから、労働力の流動性が確保されず、そしてワーキング・プアと呼ばれる層も固定化する。

本気でワーキング・プア対策をしようとするならば、それは正社員や公務員の権利縮小に直結することが避けられず、当然のことながら反発を食らうことになる。それまでは「ワーキング・プアって、かわいそうな人たちがいるのですね」と、自分には関係のない話として見ていた人たちが、突然「なぜ私たちの権利がなくなるのですか?」と騒ぎ立てることになる。そうした対策は必要だと思うし、少しでも早くやった方が良いとも思うが、全国的にやるのはなかなか難しいだろう。そのあたりについては「石原都知事は銀行なんてやってないで、自由労働特区をやったらどうか」という記事でも書いているのでそちらを見てもらうとして、では、本気の対策でもなく、また民主党案のような筋違いの方策でもないやり方には何があるのか。

一つの案としては、以前、「有期雇用と無期雇用」という記事を書いたのだが、有期雇用の人間に対する労働賃金を無期雇用の人間のそれに比較して高くするというやり方がありうると思う。これにしても、結果的には企業に対する雇用削減圧力として働くのは間違いないが、民主党案が「100ある雇用を限りなくゼロに近くしてしまう」案であることに対して、この案は「100ある雇用を50程度にしてしまう」案である。そして、50の中に入ることの出来たワーキング・プア層は、今よりも恵まれた環境になるはずである。

なんにしても、規制によって社会を矯正しようと考える基本姿勢はどうにも好きになれない。今回の法案も、直接的には労働者保護の方向で機能するように見えるかもしれないが、結果はそうならないのではないか。  
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2008年04月19日

飲酒運転に頭を悩ませる福岡市長に対する無料の提言

こういうニュースを見ると世の中には本当にアタマが悪い人っていうのがいるんだなぁ、と思う。

飲酒運転:福岡市職員がまた事故…バイクではねる

市長の沈痛な面持ちの写真入りだけれど、もういい加減組織の責任でもないような気もする。日本が国をあげて「人を殺すのはとてもいけないことですよ。一人殺しても重罪、二人殺せばまず間違いなく死刑ですよ」とアピールしても殺人事件はなくならないわけで、どんなに教育しても飲酒運転をする馬鹿はいるんだろう。職員の数がある程度になればそういう奴が存在する確率も当然高くなる。

では、なぜ馬鹿が存在するのか。

まず一つ目に、これまでの「ぬるい罰則」の弊害が挙げられる。社会全体が飲酒運転に甘かった歴史があり、今でも特に高齢の人間との会合では「今日は車なので」と言っているにも関わらず、「乾杯だけなら良いでしょう」とか「一杯だけなら良いでしょう」と言いながら酒を勧める馬鹿がいる。この手の馬鹿はそれでも断ると不満そうな表情を浮かべるわけだが、何十年もの間、それでやってきた人には、もうそういう感覚が刷り込まれてしまっていて、「飲酒運転は社会的に全く許容されない」という現実を理解できないのだろう。こうした人たちの目を覚まさせるのは容易ではない。

二つ目に罰則が軽すぎることが挙げられる。飲酒運転の罰則は以前に比べれば重くなったが、それでも飲酒運転が根絶されない以上、まだ軽いと考えざるを得ない。他の法律とのバランス・整合性という観点も当然あるのだろうが、もっと思い切った厳罰化があっても良いと思う。飲酒運転が重罰に適する最大の要因は「やむにやまれず」という情状酌量の余地がほとんど想定できないことにある。唯一想定できるのは「みんなで飲み会をやっている最中に友達が心臓発作で倒れた。呼吸が停止しており、脈もないため、救急車を待たずに手近にあった車で病院まで運んだ」ぐらいのことだと思う。もちろん、世の中で摘発される飲酒運転にここまでの背景がほとんど見当たらないのは言わずもがなである。

そして三つ目。これが実は一番大きいと思うのだけれど、「運転しても良い基準」が不明確であること。僕に関して言えば、例えば「次の日の朝、6時に起きて車でスキーに行く」という状況において、「では、前日は何時まで、どの程度の酒を飲んで良いのか」ということがわからない。僕は万一のことを考え、次の日にスキーに行くときは前日から飲み会を断ることにしているし、どうしても参加しなくてはならない食事会や宴会では酒を飲まないことにしているが、酒席で「出発が明日なら、別に大丈夫でしょう?」などとお酒を勧められると「果たしてどの程度までが大丈夫なんだろうか」と考えてしまう。今回の件でも、「この量(ビール中ビン2本)でこれだけ時間(2時間)を置いたから大丈夫だろう」という(甘い)判断があったことは想像に難くない。呼気アルコール濃度という客観的かつ定量的な判断項目があるのだから、たとえばこんな商品を入手しておけば、ひとつの判断基準としては役に立ちそうだ(これで計測してオッケーだったからって、運転しても絶対に大丈夫ということではないと思うが)。



今回の事件では摘発された職員は59歳。クビになったおかげで支払わずに済む退職金の金額は2500〜3500万円だろう。仮に3000万円とすれば、この検出器は12000個ぐらい買える計算になる。福岡市の全職員数は約1万人なので、ほぼ全ての職員に配布できるのではないか。ここまですればさすがに「市長というよりは、職員個人の資質の問題だろう」と考えてもらえると思う。

面白そうだから僕も買ってみようかな。  
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2008年04月18日

創業から3年で企業価値を600倍にする12の方法

1.直接金融に頼るな
何かと言うと株を発行してそれを会社の資金にすることを考える経営者がいるが、こんなことをやっていたら株価はいつまで経っても上がっていかない。そもそも、そんな株式の乱発を許すような株主は株式会社には不要。直接金融(株式による資金調達)は会社にとって最もコストの高い手法である。お金が必要ならまず借金をしろ。

2.コストは徹底的に削減しろ
無駄なコストを削減するのはあたりまえ。では、どうやるか。形から入りたがる経営者はまず事務所を構えたがる。まずこれがコスト。家賃は固定費となって毎月の収益を圧縮する。必要のない事務所は借りる必要がない。この他にも、不要なものは買う必要がない。社長が使うパソコンなどはもし個人所有があるならそれを使うべき。文房具などを買うのは十分に利益が出てきたらの話。タクシーを使うなんていうのも同じ次元の話。もちろん自分の仕事が一杯一杯で全く時間がないなら話は別だが、少しでも時間に余裕があるなら全部電車を使え。

3.人事は最大の固定費であり、リスクファクターでもある
経営者は基本的に人を増やしたがるが、無駄な人員は最大のリスクファクターになる。時間が余っている人間にも給料は払わなくてはならない。逆に言えば、余っている時間を会社のために自発的に使える人間以外は雇うな。特に社長は、自分で出来ることは全部自分でやるのが基本。利益が対して出ていないのに秘書を持つなんていうのはもっての他。ついでに書けば、役員の給料は一番最後に考えろ。自分の給料は最後の最後でお金が余っているときに払え。

4.プライオリティをつけろ
何をやるのか、それをやるのにいくらかかるのか、それをやったらいくら儲かるのか、この3つを明確にしろ。総務省のマニュアルを参考にするのは良いが、その中には当然プライオリティがある。大事なことは常に意識する必要がある。大事でないことは思いついたときにやれば良い。何が大事で、何が大事ではないか。このことを常に整理しておけ。

5.大事なことは全部社長がやれ
契約など、大事な場面では常に社長が出て行け。相手は会社を判断するときに、相手を見る。相手に一番見せなくてはいけないのは社員ではなく社長だ。打ち合わせでも、契約でも、飲み会でも、どんな場面でも相手は会社を値踏みしている。だから、対外的なキーポイントでは必ず社長が出て行け。社内的なことでも同様。外部の取引先だけではなく、社員も社長の姿を観察している。「こいつは使えない奴だな」と身内に思われてしまったらその会社は終了。

6.自分でやっていて楽しい仕事をしろ
仕事のモチベーションとして最大のものは「自分が楽しいこと」だ。楽しくなければやっていても意味がない。まず自分が楽しめることが最低条件。次に、他の人も同じように楽しめることも重要。自分ひとりだけの趣味では事業は拡大していかない。多くの人がやっていて楽しい仕事を見つけてくる必要がある。逆に言えば、これがないなら創業は辞めたほうが良い。儲かることが楽しい人なら、「儲かる仕事」でももちろん構わない。しかし、儲けることに興味がないなら、儲かる仕事をやっても駄目。このあたりの「何をやりたいのか」をきちんと整理しろ。

7.人に頼れ
全部自分でやってしまおうと思っても、それは無理。困ったときには人に助けてもらうのが基本。一匹狼でやっていくのは個人事業主としてはオッケーだが、会社の社長として会社の価値を上げていこうと思うなら、人脈は重要。

8.「オレが一番」とのろしを上げろ
「この分野ではオレが一番だ」とのろしを上げろ。一番が発信する情報は常に信頼される。信頼される情報発信者のところには良質な情報と良質な人材が集まる。

9.何事にもフェアに対応しろ
他人から信頼されるには、他人からわかりやすい人間になる必要がある。裏表のある人間は他人から信用されない。信用のない人間はここ一番で裏切られる。自分の中に明確な判断基準を持ち、そして常にその基準に従って極力客観的に判断しろ。外から見て、「あの人はこういう場面ではこう対応する人だ」と思われるようになれ。そして、その基準は常にフェアである必要がある。

10.立ち戻るベースを確保しろ
判断に迷ったとき、困ったとき、常に立ち戻る基本をしっかり持て。迷ったまま目をつぶって判断するのは危険。いつもベースをしっかり確保しておけば、判断に迷いが生じない。そして、万一間違った判断をしたとしても、それは「運が悪かった」と諦めることができる。立ち返るべき基本がない人間は常に迷い、失敗すれば後悔する。後悔していれば判断に迷いが生じ、そしてビジネスは負のスパイラルに落ちていく。

11.会社は株主のもの、を肝に銘じろ
「会社は社員のもの」とか馬鹿言ってるんじゃない。会社はどこからどうみても株主のもの。ここが絶対的なスタート地点である。その大前提において経営者は何をすべきか、役員は何をすべきか、従業員は何をすべきかを考えなくてはいけない。株主を大事にしない会社に発展はない。

12.従業員を大事にしろ
株主としての権利がないからこそ、従業員を大事にしなくてはならない。従業員の意見には常に気を配り、良いアイデアがあれば積極的に採用し、そしてその手柄は全て発案者、実務者のものとしろ。  
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2008年04月17日

HEART STATION

考えてみると、このブログでCDのレビューを書くことってほとんどない。全然CDを買ってないわけじゃないんだけれど、ラーメンとか、映画とか、演劇とかに比べてレビューが書きにくいというのがその理由。なんでもかんでも理屈で考えようとするのが僕の癖なんだけれど、音楽だけはなかなか上手に分析することができない。たとえばこのアルバム。どれもこれもさらっと聞くことができる曲だと思うんだけれど、じゃぁ、何を感じるのかというのを正確に記述する自信が全くない。

一番気に入った曲はなんですか?と聞かれれば「Beautiful World」と即答なんだけれど、なんでそれが気に入ったのか、論理的な説明ができない。「れーれふぁーそふぁ」のあたりが良いのかもしれないし、「#どれみふぁみれ#ど」が良いのかも知れないし、うーむ。でも、昔書いた「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」のレビューでも主題歌が一番良いって書いてありますね。

#全然関係ないけど、FREEDOMの主題歌だった『This Is Love』も結構好きですな。

次はなんですか?と聞かれれば「Prisoner Of Love」のサビの部分だけれど、彼女の特徴と言うのは日本語のイントネーションとは異なるメロディに歌詞を乗せちゃう、その不安定感なのかなぁ。桑田の曲が歌詞を見ないとわからないのとは違う意味で、彼女の曲は耳から聴いただけだと歌詞がイメージできないんですよね。って、それは僕だけかな。

うーーーん、やっぱ、良くわかんないや。とりあえず、今、一番聴く機会が多いのがこのCD。

HEART STATION  
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2008年04月16日

酒席のマナーとカラオケのマナー

こんな記事を見つけたのですが、

オトナの酒席のマナー “諸刃の剣”を使いこなす

ちょっと突っ込んでみましょう。

・お酌のタイミング
 酒席での最初の一杯は、もてなす側から招待客へ、または目下から目上へお酌をするのがマナー。


えええーーーーー???そばにいる人から順番に注ぐでしょ。

ビールや日本酒は必ず手に持ったグラスや杯にお酌をすること。


いいでしょ、別に。空っぽになってるグラスを見つけたら、とりあえず注ぐでしょ。

 極端にお酒に弱い、体調がすぐれない、後でしなければならない仕事が残っている……。酒席に参加しても、お酒を飲めないことは往々にしてあるもの。そんな場合も、乾杯だけにはつき合うのがマナー。


いや、飲めないなら最初からソフトドリンクでしょ。お酒がもったいない。

お酒のマナーとして追加すべきは

1.注いだお酒は残さない。全部飲む。飲めないなら最初から注がない。
2.朝まで飲めないのに飲めるフリをして、真夜中に一人だけタクシーで帰るのは駄目。ただし、同乗させてくれるならむしろアリ。
3.立食パーティでの寿司はなるべくバランス良く取る。鮪系に偏るのは駄目。
4.遅れている人間がいる場合はたとえそれが最も偉い人間であっても待っていては駄目。とりあえず乾杯の練習をしておく。練習は必要に応じて何度もしておく。
5.吐くまで飲むな。吐くなら飲むな。

ぐらいかな?続いてカラオケのマナー。

1.新人はなるべく早めに歌う


ちょ、早い者勝ちでしょ。

2.歌いたくない人に無理に歌わせない


御意。なんで歌いたくない奴に歌わせるんだ。もったいない。

3.マイクを独占して何曲も歌わない


入れた者勝ちでしょ。

4.人が歌っている歌を横取りしない
5.人が歌っているときに大声で会話しない


それはそうだ。

6.上司や先輩の持ち歌を歌わない


そんなのカンケーネェー(笑)

7.人が歌った歌を再度歌うのはやめる


そんなのもカンケーネェー(笑) 自分で一度歌った曲をもう一度入れるのもありでしょ。ってか、一日ずっと「燃えよ!ドラゴンズ」だってアリ。というか、むしろ全部「燃えよ!ドラゴンズ」も歓迎の場合あり。

あ、これ、うちの会社の場合です。他の会社は知りません。こういうことはマニュアルに頼らず、先輩に直接質問しましょう。  
Posted by buu2 at 21:26Comments(0)TrackBack(0) ││編集

それでもボクはやってない

それでもボクはやってない スタンダード・エディションフジテレビさん、ごめんなさい。

僕はこれまでテレビ局がかんだ映画は全部ツマラナイと断じていたのですが、この映画は凄く面白かったです。

久しぶりに見た、「いかにもありそうな話」。そして、最後の最後まで、それが貫かれているのが良い。しかし、あまり詳しく書いてしまうとネタバレになってしまうので、そのあたりは触れずに。

映画は痴漢で逮捕された容疑者の第一審が結審するまでを描いたもの。普通の人が経験する機会がない話なんだけれど、いかにもありそうな話だから怖い。きっと刑事もあんな感じだろうし、検察もあんな感じだろうし、裁判官もあんな感じなんだろうと思う。裁判官が変わると審議もガラッと変わっちゃうというのもあの通りなんだろうな。

まぁ、彼らは現行犯逮捕された容疑者に対して「絶対に騙されないぞ」と考えてことにあたっているからそんなものだろう。いや、これはもちろん想像ではあるのだけれど。犯罪はきちんと裁かれなくてはならないけれど、冤罪はあっては困る。

人を裁くというのは、「法律」という人間が作った文書に沿って、人間が主観で判断すること。そこには「絶対の正解」が存在しない。有罪なのか無罪なのか、有罪なら量刑はどの程度なのか、人間が決める以上、どうしてもブレが生じる。そのあたりが社会ドラマに対して格好の素材を与えているので、これまでも裁判ものにはいくつかの名作映画、名作ドラマがあった。そして、この映画も多分そういった名作の一つに数えられると思う。

役者達の演技もなかなか味がある。主役の加瀬亮、弁護士の瀬戸朝香と役所広司、裁判官の正名僕蔵と小日向文世、容疑者の友達の山本耕史、容疑者の母親のもたいまさこ、どれもこれも、派手な動きがない分要求される演技をしっかりこなしている。特に主人公の加瀬亮は理不尽な扱いに対する心の動きを見事に演じていたと思う。登場人物は良い者、悪者がはっきりしているのだけれど、それぞれが見てすぐに「こいつは良い奴」「こいつは敵方」としっかりわかる。別にミステリーでもサスペンスでもないので、こうしたわかりやすさが良い。

え?この映画が日本アカデミー賞で最優秀作品賞じゃないの?え?最優秀は東京タワー?アホかと。観てないけど(笑)→東京タワー

いや、だって、これ以上面白い邦画を、僕はここ数年観てないもの。作品、監督、脚本、主演男優、助演女優ぐらいまではこれで決まりでしょう。

あぁ、面白かった。  
Posted by buu2 at 20:22Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

SAJ級別バッジデザイン

c4a579c1.JPG予定のない宅配便が届いたのでなんだろうと思ったらスキー連盟から。まだ色々と手続きするには早いよなぁ、と思いつつ開封してみたらTシャツに封書が一通。なんだろうと思ってあけてみたら、「財団法人全日本スキー連盟スキー級別テストデザインの審査結果について(報告書)」だって。

そういえば、年末にデザインして応募したんだった。

で、読んでみたら、一応優秀作品に選ばれて、そのご褒美のTシャツだって(笑)。候補作12点についての投票結果が書いてあるんだけれど、絵柄も含めて全部ブラインドにされちゃっていて、自分の作品がどの程度評価されたのかはわからなくなっちゃっている。まぁ、別にどうだって良いんですけどね(笑)。

新しいデザインはそのうち発表されるでしょう。一応オフィシャルにはまだ出ていないみたいなのでここには載せませんが、無難に格好良いデザインだと思います。  
Posted by buu2 at 13:17Comments(0)TrackBack(0)スキー││編集

2008年04月15日

浜田真理子 mariko plays 『mariko』TOUR 2008 東京

東京、大阪、福岡でのコンサートの東京渋谷CLUB QUATTROを観てきた。

渋谷CLUB QUATTROというのは初めてコンサートを観に来たけれど、わりと使い勝手の良さそうな箱だった。しかし、残念なのは空調が異常に悪いということ。わざとなのかもしれないけれど、全く換気がなされていない感じで、とにかく暑い。僕だけかと思っていたら、みんな暑かった様子。前から後ろまで、みんな扇いでいた。これではちょっと音楽を聴くという感じではなくなってしまう。

さて、コンサートの内容。僕はほとんど彼女の曲を聴いたことがない状態、つまり予習ゼロで行ったわけです。それで、ピアノ一台による弾き語りでずーーーっと進んでいくわけですが、「なるほど、こういうのもあるんだなぁ」というのが率直なところ。凄く特徴的で面白いおしゃべりがあるというのでもなく、曲に物凄くバリエーションがあるというのでもなく、とにかくストレートに歌を歌っている。勉強不足だったこともあって、ちょっと単調に感じる部分があったのですが、このあたりは「ちゃんと勉強しておけ」ということになるでしょう。最近、僕の記憶力が大分落ちているせいで、なかなか歌詞が頭に残らないんですよね(笑)。いや、残っている曲は残っているんですが、「あれ?さっき、どんな歌詞だったっけ?」と思い出そうとしても思い出せない(^^; なので、「次はちゃんと予習しておこう」と思いました。ちなみに僕が聞きたかった曲はちゃんと歌ってくれたので満足です。

会場内は7割が若い女性、残りが僕達のようなおじさん、おばさん、という感じ。僕達の世代で言えば多分岡村孝子さんあたりの客層に似ているんだと思う。

曲のセットリストは会場の外に貼りだされていたので撮影しておきましたが、浜田真理子さんのオフィシャルブログでは「お楽しみなのでナイショにしてね」と書かれていたので、当面ここでは発表しません。

さて、ここからは文句(笑)。僕の左隣にいたおじさんは何を聞きに来たのかわからないけれど、3曲目から船を漕ぎ出していた。で、寝ているなら寝ているで良いんだけど、暑い会場内で僕に寄りかかってくるものだから余計に暑い。お前、人に迷惑をかけずに寝ろよ。コンサートは二部構成だったんだけれど、途中で起きるかと思えばそのまま熟睡。暑いってば。それから、僕の前にいたおばさん。こっちも二部が始まってすぐに夢の世界へ。隣のお姉さんが凄く迷惑そうにしていて、その様子が嫌でも目にはいってくる。「あぁーあ」と思っていたのだけれど、このおばさん、しばらくしたら目が覚めたのは良いのだけれど、今度は睡魔との格闘を始めちゃった。首をコキコキ鳴らしたり、せわしなく扇子で扇いだり、用もなくキョロキョロあたりを見回したり。お前はチャウチャウか!目障りだからおとなしく(隣のお姉さんに迷惑をかけない範囲で)寝ていろ!  
Posted by buu2 at 22:48Comments(0)TrackBack(0)音楽││編集

Yahoo!のブログパーツに表示されるニュースが

13bf4682.gifしょぼいニュースばっかりで全然役に立たない。

特に「志村けんがブログ批判に反論」ってなんだそりゃ。配信元はアメーバニュースだそうで。  

情報通信系ベンチャーの経営マニュアル

全部読むにはちょっと時間がかかりますが、総務省が情報通信系ベンチャーの経営マニュアルを発表しています。ということで、オールアバウトにちょこっと書いておきました。

総務省が発表したベンチャー経営マニュアル

って、別にオールアバウトには大したこと書いてないので、直接総務省のサイトへどうぞ。

「事業計画作成とベンチャー経営の手引き」及び「事業計画作成支援コースの運営とベンチャー支援上のポイント」の公表

バイオベンチャーのも作ったら良いのに(笑)。  
Posted by buu2 at 13:31Comments(0)TrackBack(0)社長││編集

この相同性をどう評価するか

僕はブログやら、各種ネットサービスやらを利用して映画やらグルメやら演劇やら書籍やらのレビューを書き散らかしているわけですが、これまであんまりなかった事態(あるいは気がつかなかっただけかもしれませんが)が発生しました。

僕が書いた映画評とかなり相同性の高いレビューがミクシィの中でアップされたのです。

まず、僕の書いたもの。

ブラックサイト」から主に対象となる部分を抜粋
まぁ、このあたりはちょっと大目にみるにしても、一番の問題点は「閲覧数が増加するにしたがって死ぬのが早まる」という設定に対してあまりにも無策だというのがサスペンスをサスペンスっぽくなくしてしまっている。ただ単にアクセスが増加していくだけなので、事態はただ単に悪化していくだけ。最終的に「あーーあ、死んじゃったよ」ということになってしまうのだ。どうやったら助けられるんだろう、あぁ、そんなことしたら死んじゃうじゃんか、折角閲覧数が落ちていたのにまた上がっちゃった!などというハラハラドキドキがあれば面白いと思うのだけれど、残念ながらそういう要素が全くない。崖に向かって車を運転して、ただ単にアクセルを踏み続け、加速していくだけ。崖から落っこちた犠牲者達は可哀想だけれど、じゃぁどうしたら良いのかって、どうにもならない。

そういう、観客の無力感の中で主人公が拉致され、さぁ、どうするんだ、というところを制作サイドとしては見せたかったのかもしれないのだが、それはそれで、あんまり緊迫感がない。羊たちの沈黙などではラストの緊迫感が凄かったのだけれど、この映画ではそういったものに欠ける。というのは、やはり「映画を観ている側」が、「サイトを見ている側」と同化してしまっているからなんじゃないだろうか。「あらら、このままでは死んじゃうよ」と思いながら、のんびり観てしまう。そういった状態を作ってしまう演出がどうにも残念。


タイムスタンプは2008/4/14 16:28(ただし、この数字はライブドアの仕様で運営者(つまり、僕)が任意に変更可能です。今回はこの数字はいじってませんが。そして、さらに注意が必要なのは、このタイムスタンプはこの記事を最初に投稿した時間です。僕はいつもまず写真だけメール送信して、詳細な記事は後から書くことにしています。このタイムスタンプは映画を観終わってすぐに送ったもので、そのときは写真だけでした。レビュー記事が最終的にアップされたのは恐らく14日の18:30から19:30の間です)。このあたりについてはこのブログを読んでいる人たちが証人です。

また、ほぼ同じコンテンツをYahoo!ムービーにも掲載しています。

崖に向かってアクセルを踏むだけなのが・・

こちらのタイムスタンプは2008/04/14 19:01:04 になっています。こちらの数字は投稿者が任意に変更することができません。

さて、2008年04月15日 00:52(タイムスタンプはミクシィのもの)に、ミクシィ内「映画愛好会」コミュニティ「【ネタバレ有り】『ブラックサイト』[ 2008年4月12日公開 ]」というトピックにおいて、以下の投稿がありました(問題となる部分だけを抜粋)。

 但し突っ込みどころとしては、「閲覧数が増加するにしたがって死ぬのが早まる」という設定はいいのですが、3つ共にアクセスが急増して、あっけらかんと被害者が殺されてしまうのです。FBIは、モニターの目の前で殺人が行われているのに余りにも無策でした。そういう無力感を製作サイドは見せたかったのかもしれませんが、ただ単に悪化していくだけでは少しもの足りませんね。
 FBIの奮闘で、途中閲覧数が下がって、ひょっとして助かるかもと期待させてたり、それでも閲覧者の好奇心が強まって、また閲覧数が上がったり、そんな展開の変化があればよりハラハラドキドキ感が募って面白くなったはずです。


一読して記事の内容の相同性はもちろん、表現の相同性も高いと感じるのですが、実際にどういう状態なのか比べてみます。太字は全く同じ表現の部分(一部、漢字が変更されているところがありますが)、下線は同じ意味のことを僕が書いている部分です。

 但し突っ込みどころとしては、「閲覧数が増加するにしたがって死ぬのが早まる」という設定はいいのですが、3つ共にアクセスが急増して、あっけらかんと被害者が殺されてしまうのです。FBIは、モニターの目の前で殺人が行われているのに余りにも無策でした。そういう無力感製作サイド見せたかったのかもしれませんが、ただ単に悪化していくだけでは少しもの足りませんね。
 FBIの奮闘で、途中閲覧数が下がって、ひょっとして助かるかもと期待させてたり、それでも閲覧者の好奇心が強まって、また閲覧数が上がったり、そんな展開の変化があればよりハラハラドキドキ感が募って面白くなったはずです。


さて、この程度の相同性で、依拠性と類似性が主張できるのか、ということですね。もちろんそれ以前に僕のレビューが「創作」であるか、という部分もあるのですが。著作権法第二条第一項の記述によれば、

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。


となっていますから、「創作的でない」とか、「文芸でない」といった判断もあり得るわけです。しかしまぁ、通例からいえばこの部分はクリアされるかなぁと思わないでもありません。

となると、やはり依拠性と類似性ですね。

では、依拠性から検討してみます。依拠性は以下の三項目から評価されますが、

1. 被告による原告の著作物へのアクセス可能性
2. 被告の利用著作物と原告の著作物における表現の酷似性
3. 原告の著作物の著名性、周知性


今回の場合、僕は比較的露出が高いと思われる「Yahoo!ムービー」に当該文書を公開していますので、アクセス可能性は十分に高いと思われます。2.の部分は主観になるのでなかなか判断が難しいところではありますが、全く同じ表現が使われている部分を考えるとかなり酷似していると「僕は」思います。3.についても1.と同様、Yahoo!ムービーに掲載したことを考えれば満たしていると思います。

類似性については上に書いたような状態なので、誰もが判断可能な部分です。僕は類似していると思いますが、皆さんはどう思いますか?

ちなみに、僕の直前にYahoo!ムービーにアップされたナオさんという方の「好奇心には勝てない!」というレビューに、

下院議員の車に死体を載せるなんて簡単にできるの?
かなり警備が厳しそうな気がするけど・・・


という記述があるのですが、ミクシィ内の件のレビューには

 あとそういえば、被害者を下院議員の車に死体を載せるシーンがありましたが、警護もついているはずなので、そう簡単にできるものかと思いました。


という記述もありました。  

バンビ〜ノ!(誤植)

73cd070b.JPGしかしまぁ、なんでこんなミスをしちゃったんだろうね(^^; 出典は今発売中のスピリッツの「バンビ〜ノ!」です。

でもまぁ、単行本になるときは比較的簡単に修正できるとは思うのですが。

まにあなポイント対象です。  
Posted by buu2 at 09:30Comments(1)TrackBack(0)誤植││編集

2008年04月14日

EXILIM PRO EX-F1

「最近のデジカメって、全部同じに見えませんか?」とお嘆きのアナタ!

これは面白そうじゃないですか!

EXILIM PRO EX-F1サンプル画像集

さて、いくらくらいなのかなーと思って調べてみると・・・・

価格コムの価格

おお!これは買って買えない価格じゃないですね!

#でも、わりと最近デジカメ買っちゃったんだよな(;_;)  
Posted by buu2 at 23:23Comments(0)TrackBack(0)買い物││編集

ブラックサイト

ca65b151.JPGネット時代の劇場型殺人を題材にした本作。アプローチは面白いと思うのだが、内容はというとかなり平凡なものになってしまった。

まず、犯人があまりにも有能すぎる。ネットだけじゃなく、他の色々なことに対して有能すぎ。ネット周りで万能なのは許すとしても、「お前、ちょっと、それ、どうやったのよ」というのが色々出てくる。一方で、それを追いかけるFBIは相当に無能。「お前、ちょっと、もうちょっとしっかりしろよ」というのも色々出てくる。「そこをアップにして」って、画像ぐらい全部保管してあって当たり前だし、捜査に当たってはその画像を詳細にチェックすることだってできるはず。リアルタイムで「アップにして」も良いけど、事件後にもうちょっとしっかり分析したらどうなんだろう。目のモールス信号とか。

まぁ、このあたりはちょっと大目にみるにしても、一番の問題点は「閲覧数が増加するにしたがって死ぬのが早まる」という設定に対してあまりにも無策だというのがサスペンスをサスペンスっぽくなくしてしまっている。ただ単にアクセスが増加していくだけなので、事態はただ単に悪化していくだけ。最終的に「あーーあ、死んじゃったよ」ということになってしまうのだ。どうやったら助けられるんだろう、あぁ、そんなことしたら死んじゃうじゃんか、折角閲覧数が落ちていたのにまた上がっちゃった!などというハラハラドキドキがあれば面白いと思うのだけれど、残念ながらそういう要素が全くない。崖に向かって車を運転して、ただ単にアクセルを踏み続け、加速していくだけ。崖から落っこちた犠牲者達は可哀想だけれど、じゃぁどうしたら良いのかって、どうにもならない。

そういう、観客の無力感の中で主人公が拉致され、さぁ、どうするんだ、というところを制作サイドとしては見せたかったのかもしれないのだが、それはそれで、あんまり緊迫感がない。羊たちの沈黙などではラストの緊迫感が凄かったのだけれど、この映画ではそういったものに欠ける。というのは、やはり「映画を観ている側」が、「サイトを見ている側」と同化してしまっているからなんじゃないだろうか。「あらら、このままでは死んじゃうよ」と思いながら、のんびり観てしまう。そういった状態を作ってしまう演出がどうにも残念。

「硫酸を注入してpHを上げるのは相当大変だぞ。部屋中水浸しになるぞ」などというサイエンティフィックな突っ込みは置いておくとしても、もうちょっと面白くする方法があったんじゃないだろうか。そういった要素があんまりないので、観終わって何かを考えるというよりは、「なんか、気持悪い映画だったな」で終わりになってしまう。

あと、「ブラックサイト」という邦題もどうなんだろう。うーーむ。ちなみに原題は「Untraceable」。

ちなみにサイトはちゃんとあります。

http://www.killwithme.com/

ということで、評価は☆1つ。  
Posted by buu2 at 16:28Comments(0)TrackBack(1)映画2008││編集

いつまでもあると思うな親と金とからくり時計

そごう玄関のからくり人形時計、15日に引退

もともとそごうがあるあたりは横浜スイミングクラブがあったところで(移転済み)、僕は子どものころそこに通って水泳の練習をしていた。ちょっと雨が降ると膝上まで大洪水になってしまうような場所だったのだけれど、そこに超立派なデパートができたのは一体いつだったんだろう。そごうのからくり時計の前で待ち合わせというのは、西口三越(今はヨドバシカメラ)のライオンの前と同じくらいメジャーなことだったんだけれど、最近は携帯電話が普及したおかげで「じゃぁ、横浜駅で待ち合わせで」「オッケー」「今どこ?」「今、有隣堂で立ち読みしてる」「西口?東口?」「ごめん、まだ東戸塚(笑)」みたいな待ち合わせになってしまった。そういうわけで、「あぁ、そんなものもあったね」という程度のものだったのだけれど、いざなくなってしまうとなるとなんともさびしいものだったりする。

直すのにそんなにお金がかかるのかなぁ。市民に呼びかければある程度はお金も集まると思うんだけれどね。時計の前に募金箱を置いておくとかね。

「この時計は皆さんの募金で維持されています。来年度も動かすためには○○円必要です。今日現在、××円集まっています」

みたいな。  
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2008年04月13日

ブログでバイオ 第39回「第1回BT戦略推進官民会議(笑)」

第38回の掲載ブログが消えちゃっていたので、38回は欠番ですが、まぁこういうこともあるでしょう。さて、気を取り直して第39回です。

僕自身、最近はITの仕事が忙しくてバイオの方は結構棚上げ状態だったんですが、ふらふらとウェブサイトを見ていたらバイオ関連のエントリーを見つけたのでちょっとコメントしてみます。

コメントしてみますが、今、実は結構忙しいので、推敲とかきちんとできないし、いろいろ穴があるかもしれません。「普段のトーンと違うな」と思ったら、理由はそういうところにあるのであしからず(笑)。

さて、みつけた記事はこれです。

幻影随想「バイオテクノロジー戦略大綱の破綻

僕のブログでも過去に数回、このBT戦略大綱については取り上げていると思うのだけれど、この大綱を作ったとき、僕は経済産業省生物化学産業課で事業化担当の課長補佐をやっていました。メインでこの大綱を作った人間ではないけれど、横目でそれを見ていて、その作業の概要はほとんど把握していたわけです。ちなみに僕もある部分はチェックしているし、一部は実際に書いたりもしています。この大綱、一応内閣府が作るという形になっていたけれども、それを内閣府で取り仕切っていたのは経済産業省生物化学産業課で総括補佐をやっていた人で、大綱の作成時には内閣府に出向して担当していました。各省連携という形にはなっていましたが、恐らく経産省の影響は大きかったはずです。それで、これを実務的に中心になってやっていたのはその人とは別の、生物化学産業課の課長補佐だったのだけれど、彼は僕が一緒に仕事をした経済産業省の人間のなかでは恐らく最も「デキる」人間でした。彼はバイオのスペシャリストではなかったものの、それなりに大学でも生物を勉強している人間で、恐らくはこの作業をやるにあたって日本で一番適任だったと思います。彼の力がなければこれだけのものはできなかったとも思います。

#経産省はバイオ分野に限らずあまり規制を持っていないので、守りに入る必要がありません。この手の作業をやるには適任だったりします。

しかし、この大綱には大きな特性があって、それゆえに、結果的には手放しで評価できるものではなくなっているんです。その大きな特性とは、「バイオ予算を取るための道具」としての性格です。こうした文書がなぜ作られる必要があるのか。それは、役人が関連予算を取ってくるときに、財務省に対して「こういう根拠があるからこの予算が必要なんですよ」とアピールするときのよりどころになるからです。こういう数字を出すこと自体は別に珍しくなくて、記憶に残っているところでは「マルチメディア市場123兆円」なんていうのがあります。なぜこの数字が記憶に残っているかといえば、あるシンクタンクに二つの役所から別々に「マルチメディア市場を試算してくれ」というオーダーが出て、その様子をちょこっと見ていたからです(笑)。「あっちの省がこの数字なら、うちはもっと増やしてくれ」「なんかでかい数字を出してきたから、うちはもうちょっと上乗せしたい」という競争の末に「これもマルチメディア」「あれもマルチメディア」と積算を増大させ、最終的に「これなら1、2、3で覚えやすいね」ということで123兆に落ち着いたわけですが(爆)、市場予想なんて、発注側の意図でなんとでもなるわけです。「日本の」シンクタンクと言うのは、基本的に役所の言いなりであって、役人があらかじめ作った結論に対して整合性が取れる屁理屈を作るのが仕事です。ちなみにバイオ市場25兆円というのも形としてはシンクタンクが試算したということになっていますが、最初から数値があったのは言わずもがなです。財務省以外の役人は財務省に対して「○○総合研究所の試算によると」などと言いながら説明するわけですが、その数字がどうやって決まったのかなんて、多分財務省の側も知っているはずです。

#しかし数字の発表から10年前後が経過しているのにまだ覚えているんだから、「123」という数字にしたことは慧眼です。すばらしい。

閑話休題。したがって、この大綱の周りに配置されている色々な業界団体は、最終的にその予算の受け皿になる組織がほとんどです。例えばバイオ産業人会議

当たり前だけど、バイオ関連の組織がずらっと並んでいます。この組織はバイオ産業が発展しないと困る組織ばかりですが、バイオの予算がついたときに、その受け皿として機能したい組織でもあるわけです。

役所は財務省から予算(=お金)を取ってきて、それを再分配する(=ばら撒く)のが仕事です。ばら撒かれる側は常に役所の顔色をうかがっていて、「こういう施策はどうですか?」などと時々我田引水のアイデアを出したりもします。以前、科学技術の大型プロジェクトの予算の決まり方をこのブログで書いたことがありますが、産業政策だって似たり寄ったりです。それで、そういう仕組みが悪いということではないんですね。役人はジェネラリストでバイオのスペシャリストではないから、当然バックから色々なアイデアをもらわないと身動きが取れません。

そういう、「役所」と「業界」がタイアップして作った大綱だから、当然のことながら「業界」の役に立つことしか書かれていないんです。

以下のエントリーも、このブログでは何回か取り上げたことがあると思うのだけれど、

2010年のバイオ市場規模の持つ意味(2年前に書いて忘れてた)

このエントリーの中でもBT戦略大綱における「国民理解の増進」の比重があまりにも軽いことに触れているんですが、結局のところ、役人や業界の考え方は「臭いものには蓋をする」というものです。たとえば経済産業省が無駄遣いをして作った次のサイトなどを見るとこれも明らかなのだけれど、

みんなのバイオ学園

このサイト、バイオの学校を自称するにはちょっと不適切な表現が目に付くのはともかくとして(例えば「ゲノム」の解説として「生物には全て遺伝子があり、その遺伝子には親から子へ、姿・形や性質、体質などの情報が書き込まれている。そして、生物がもつ遺伝子全体をその生物の設計図、『ゲノム』という。」なんていう記述があるのだけれど、これって本当に正確ですか?遺伝子全体?遺伝情報全体じゃなくて?)、基本的に良いことしか書いてないんですね。素晴らしい夢ばかりが書かれている。ところが、科学技術が両刃の剣だってことは今の時代に生きる人間なら大体本能的に理解しているわけです。だから、褒め言葉ばかりのコンテンツの胡散臭さにだって気がつくわけです。

以前、僕が三菱総研にいたとき、「最新のバイオテクノロジー」についての論文を書いたことがあるのだけれど、そのときも取材した会社から、「うちの製品がバイオ製品だって書かれてしまうと売上に影響が出るのでやめてください」という要望が来たことがあるんですが、これも一例ですね。皆さんが「これは良い」って思って使っている食品にだってバイオ製品は山ほどあるんですよ。例えばエコナとか、どうですか。これ、れっきとしたバイオ製品です。

#そういう意味では、バイオ関連製品を片っ端からリストアップして、「これも組換え」「これも組換え」って全部オープンにしちゃうっていう手もあるかもしれませんね(笑)。関連企業って、できればバイオを使っていることを隠したいところがほとんどなんです。

それで、つい昨日オールアバウトにも似たようなエントリーを書いたんですけど、

青少年ネット規制法案問題をどう見るか(前編)
青少年ネット規制法案問題をどう見るか(後編)

もう既に世界は情報化社会になっていて、誰でも簡単に先進情報にアクセスできるような環境になってきているんです。もちろん日本だって例外じゃない。そんな世の中において、良いところばかりアピールすることがどんなに無駄なことなのか、そろそろ気がついても良い頃です。ところが、役人も、業界も、それに気がつかないんですね。このあたりがKYなところでもあるわけですが、そうした体質こそが、日本社会が抱えている最大の問題点なんです。これは一種の既得権でもあるわけですが、国のかじ取り役たちは「情報がない人間は情報がないままにしておこう。下手に知恵がつくと対策が難しい。国民は適度に馬鹿なのが一番扱いやすい」と考えているんですね。「そんなの、けしからん!」と思うかもしれませんが、こう思っているのは役人というよりは、業界そのものです。

ということで、そのあたりを変えていかなくちゃいけないんでしょうが、これって、ものすごく大変なことです。本当にできるのかな、とも思います。バイオだけの話じゃないし。生活者の側だって、考えなくちゃいけないことになるんですよ。今までは「役人に任せておけば良いや」だったんだから、ある意味、凄く楽だったわけです。でも、世の中が変わったら、自分でちゃんと勉強しなくちゃいけない。裁判員制度と一緒ですね。裁判官に任せていたことをやらされることになったら「面倒だなぁ」って考える人は多いはずです。そういう「面倒な勉強」が増えちゃいます。そうやって考えていくと、今の世の中、義務教育って中学までで良いのかなぁ、などとも思うのですが、これまたちょっと話がずれちゃう感じなので大概にしておきます。

で、何が言いたいのかといえば、このBT戦略大綱の最大のウィークポイントは、それが「業界が財務省からお金を引き出すことが目的」であるからこそ、直接的にお金になりそうなことがら「以外」についての書き込みが薄いというところなんですね。国民のバイオに対する理解、少なくとも、ネガティブな結論に結びつきそうな情報提供なんて、業界は全くやりたくないわけですから。財務省も、役所も、業界もやりたくない。結果として、そういう項目は落とされちゃうわけです。担当する役人がどんなに有能だって関係ないわけですね。

さて、件のサイトで取り上げられている「第1回BT戦略推進官民会議」の、議事次第のウェブサイトでは配布資料が公開されているんですが、これがなかなか興味深いわけです。

第1回BT戦略推進官民会議 議事次第

資料3−1とか、資料3−2とかを見ると、この評価もどうなのかなぁ、というのが正直なところ。まぁ、もともとムラ社会に生きる日本人は、物事を評価するというのが凄く苦手なんですね。「ばーか、こんなわけねぇだろ!」って指摘しちゃうと、将来自分のところにその言葉が返ってきかねない。「天に唾」みたいなことをみんな気にしているから、言いたいことも言えない。僕なんかもうバイオからはすっかり足を洗っちゃっているから(というのは正確ではなくて、昨年度もそこそこの額を調査もので色々な団体から請けているのですが(笑))、こうやって言いたい放題言えちゃうわけですが、そういう身分の人間と言うのは凄く少ないわけです。それから、日本人は同時に「批判されること」にも慣れていないんですね。打たれ弱い。だから、ちょっと批判されると蒼くなって右往左往する。つい先日もそういう噂をちょっと聞いたんですが(すいません、この話はオフレコってことだったのでここには書けないんですが)、みんなが遠慮して批判しないし、批判するとしてもせいぜい2ちゃんねるで書いたりするだけなので、全然表面化しない。で、そういう情報はあくまでもプル情報だから、見たくないと思っていれば見なくて済むことが多いわけです。まぁ、中には新聞とかにばーーーんと批判記事を書く人もいたりしますが(僕はそういう活動はもっと色々やってほしいという立場ですが(笑))、そういうのは稀なわけです。それで、評価がきちんとできないし、責任の所在もはっきりしないし(って、BT戦略大綱を作った責任者が今どのあたりにいるのかは僕はかなりのところまで正確に把握していますが(笑))、ということで、これがまともに機能しないのは仕方がないよなぁ、とも思うわけです。このBT戦略推進官民会議の資料とかを見ていると、「あぁ、コリャ駄目だ」ってことがわかるわけですから、そういう意味では素晴らしい情報公開ですよね。

僕はもう何年も前の第二回ライフサイエンスサミットで「2010年のバイオ市場25兆円なんて絵空事」という発言をしているわけですが、そのときも場の雰囲気はどっちらけなわけです。何故かって、絵空事だろうがなんだろうが、そういう数字をぶち上げたことが重要なんですね、その場にいた人たちにとっては。それが実現するかどうかが問題じゃない。その数値目標に向かって国を挙げて努力することが重要だ、と。そんな中、お金をばら撒いてもらう立場の人たちの前で「今のままじゃ、こんな数字が実現するわけないじゃないか」と正論をぶち上げたところで、「そりゃそうだけど、それを言っちゃぁおしまいでしょ。みんな実現するとは思っていないけれど、その目標のために財務省が努力してくれることが重要なんだよ」って思っているわけです。そんな人たちに冷や水を浴びせかけたところで、「あいつは一体何者なんだ」でおしまいです。

さて、そろそろ結論を書かなくちゃいけない時間です。篤姫が始まるから(笑)。

僕が最近強く思うのは、今の30〜40歳ぐらいのところで大きなギャップがあって、これより若い層の一部には「今のままでは駄目だ」と考えている人がちらほら見えてきているということです。もっと勉強して、もっと知識を身につけて、もっと発言力をつけて、そして世の中を自分の力で変えていかなくちゃならない、と思っている人たちですね。残念ながら、40歳を超えた人たちにはこういう人材を見つけるのは至難の業です。もうすでに、既存のパラダイムの中で生きてきた人たちですから。もちろん、僕もそっちの、役に立たない方に分類されます。それで、思うのは、そういう新しいニュータイプたちをどうやって育て、顕在化させ、そして、日本を変えていったら良いのか、ということなんですね。僕の出番がないのは明らかだけれど、次の人たちが活躍しやすい場を整備していくことは、少しはできるんじゃないかな、と。例えばリスクマネーを集めて、そういった若者に投入するのも一つの手です。馴れ合いじゃない、お互いに切磋琢磨できるような緩い求心力の集団を作っていくのでも良い。そういった人たちが働ける場としてベンチャーを作るのでも良い。とにかく、既存のシステム、既存のお偉いさんに頼らない場を作りたいんです。例えば僕が役人時代に財務省から取ってきた予算にバイオ人材育成というものがあるんですが、このお金をばら撒いた先のベンチャーの一つに「リバネス」があるわけです。この会社は僕が経産省時代にやった数少ない仕事の、数少ない成果のひとつですが、しかし、まだ芽の段階で見つけ出して、肥料をあげた甲斐があって、今は徐々に大きくなりつつあるわけです。この会社が存在しているだけで、「仕事をした甲斐があった」と思うわけです。そして、そういった活動を、今は民間の立場でやっていきたいわけです。若い人を中心にしてね。

#これまでもあちこちで「バイオベンチャーといえども、若者のものだ。年寄りはサポートに回れ」といって年寄りから顰蹙を買いまくっているわけだけれど、これはもう信念ですね。年寄りにベンチャーの社長をやらせてうまくいくわけがない。年齢なんか関係ないって言うかもしれないけれど、年齢が関係ないならなおさら若い奴にやらせろと思うわけです。リバネスの丸さんなんか、この間30歳になったばかりですよ。

##何かっていうと「国が」「国が」っていう人たちにも辟易としてます(笑)。国なんかに頼らないで自分達で何とかしろよ、と。でも、年寄りは仕方ないんです(^^; だって、今までずっと国に頼ってきた人たちですから。大学の先生だって、企業のお偉いさんだって、既存のシステムの中で偉くなった既得権者なんですよ。そして、そういう人たちには世の中を変えるのは無理。

そういったことをつらつら考えてはいるわけですが、ふと気がつくとついつい本業の方に一所懸命になっていて、バイオのことは後回しになっているのです(笑)。でも、やっぱりバイオにも頑張ってほしいんですよね。

中央官庁の原課が予算を取ってくるじゃないですか。すると、まず集まってくるのが「護送船団」を標榜する大企業です。「いや、この予算は大企業のためじゃなくて、ベンチャー企業のためにあるんですよ」と言うと、今度は「社内ベンチャーでバイオベンチャーを作りました!」などと言ってくる会社がうようよあるわけです。まぁ、具体名はどことは書きませんけどね。もちろん誰でも聞いたことのある会社です(考えてみると、本当に一流のところはそういうことを言ってきませんけどね)。国のお金をどうやって引き受けるか、こんなことを考えて作られた会社が将来大成功を収めるわけがないです。そういう、既得権者による枠組みの外で、何かやりたいと思ってます。

#どうでも良いけど、このブログ、理研の人とか経済産業省の人とか、結構読んでるんですよね(笑)。今のバイオインダストリー協会の専務理事はバイオ課時代にとてもお世話になった人だし。いや、皆様、今後とも是非よろしくお願いいたします(^^。  

2008年04月12日

かもめ食堂

かもめ食堂ここ数日、風邪をひいたのか、花粉症(スギ以外)なのか、とにかくどうも鼻と喉の調子が悪い。外に出るのもなんだかなぁ、ということで引きこもって仕事をしたりゲームをしたりサッカーを見たり野球を見たり本を読んだりしているのだけれど、「ブラックサイト」を観にいくのをキャンセルしてビデオにとっておいた「かもめ食堂」を観てみた。

まぁ、なんとものんびりした短編で、見終わったときの印象が非常に良い。こういう癒し系の映画は今の日本人にはかなり前向きに受け止められると思う。日本になくなりつつあるのんびりした生活をフィンランドに見出したのだろうか。

物語の舞台はフィンランドの和食レストラン「かもめ食堂」。ここを一人でオープンした女性のところに、一人、また一人と人が集まってくる。最初はガラガラだったお店に仲間が出来て、お客さんが増えていく、という、それだけのストーリー。その中でちょっとした不思議なことや、ちょっとした悲しい話や、ちょっとした面白い話が少しずつ盛り込まれて映画にアクセントを与えていく。

魅力的な主人公を小林聡美が上手に演じているのが印象的。人に対しても、料理に対しても、「かくありたい」という接し方をしている。誰もがそう思っていてもなかなかできないことをきちんと表現している。それが映画のラストにもつながっていく。

ミニシアターで軽く楽しむ、そんな感じの映画。評価は☆2つ半。
  
Posted by buu2 at 23:04Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

青少年ネット規制法案問題をどう見るか

Posted by buu2 at 02:37Comments(0)TrackBack(1)社長││編集

2008年04月11日

野田地図 NODA・MAP ウェブサイトリニューアル

あたり、はずれはもちろんあるものの、結局自分はここに戻ってきちゃうんだよな、という野田ワールド。考えてみれば、なんとなくぴあの優先予約で夢の遊眠社を見つけて、どうという理由もなくフラッとチケットを取ろうと思い立ち、電話をしてみたらなぜかワンコールでつながってしまい、そこで取ったチケットが一列目のど真ん中。そこでど迫力の芝居を観てしまったのが僕の演劇鑑賞の一番最初だった。昔はチケットが取りやすかった、などということはきっとなかっただろうから、やはり運命の出会いみたいなものなんだろう。通い続けているうちに贔屓の役者さんができて、どういうわけか役者さんから連絡をもらい、どういうわけか良い席のチケットを売ってもらえるようになり、劇団が解散してからも元劇団員の人の芝居はつらつら観に行ったりしているわけだ。

さて、そんな野田地図が北村プロデューサーの手から離れたのが今年。どういう活躍を見せてくれるのかな、と楽しみにしているのだけれど、その第一弾というか、なんというか、野田地図のウェブサイトがリニューアルした。このサイト、デザインやシステム面はともかくとしてコンテンツが良い。特にポイントが高いのはコラムの「当日パンフレット」というコンテンツ。野田氏が書いてきたコラムが掲載されている。僕はここ数年、パンフレットと言うものを買わなくなってしまった。コラムは読みたいのだけれど、コラムだけのためにお金を払うのはちょっと、という気分だったのだ。写真には別に興味がないし、役者さんにも特段の興味はない。芝居を観てもその余韻はパンフレットに頼らずとも楽しむことができる。じゃぁ、いらないじゃん、と思っていたのである。

そういうわけで、しばらく野田氏の演劇関連コラムは読む機会がなかったのだ。ありがたや、ありがたや。

野田地図  
Posted by buu2 at 14:09Comments(0)TrackBack(0)演劇││編集

過剰包装

f006692f.JPGTシャツ一枚送るのにこの包装はいくらなんでも大げさだろう、と思わないでもないのだけれど、そのTシャツが一枚9000円もするというのだからこれまた驚きである。生涯で買ったTシャツの中で一番高いかも知れない。我が家に一番沢山あるユニクロのTシャツなら、9000円あれば30着ぐらい買えちゃうんじゃないだろうか。

怖くて着れないよ、こんなTシャツ。またあほらしい物を買ってしまった。

しかしまぁ、結局のところお金なんていうのは貯金していても何も生み出さない。使っちゃったらなくなっちゃうかも知れないけれど、あくまでも可能性の問題。何もしないでいたら可能性はゼロ。使ってしまえば投資になるかもしれない。なので、やっぱ、使っちゃわないとね(笑)。  
Posted by buu2 at 12:26Comments(0)TrackBack(0)買い物││編集

TOP 50 FOOTBALL GOALS

プレイには色々好みがあると思うので、評価は人それぞれだと思うのだけれど、やっぱ、ロベカルの二発はすげぇ。

  
Posted by buu2 at 12:00Comments(0)TrackBack(0)サッカー││編集

バンテージ・ポイント

678c3152.JPG宿題になっていた「バンテージ・ポイント」を観てきた。

米国大統領がスペインで狙撃されるという事件を、徐々に視点を変えつつ、さらに少しずつ新しい事実を付加して行くことによって、その全容を見せていくというもの。

謎解きは特に難しくもないのだけれど、最初に観ていたものは実は「みんなが思っていたものではなかった」と種明かししていくことの繰り返しで、それは先日の『東京少年』とかでも使われているそれほど新しくない手法。しかし、その塗り替え作業を「これでもか」というくらいに繰り返していくのはなかなかに面白い試みだと思う。有吉佐和子の「悪女について」という小説があったけれど、それの映画版と言っても良いかもしれない。

登場人物については人物描写などがあまり行われず、単に事件はどのようにして起きたのかということをドキュメントタッチで描いている。そのおかげか、映画自体は非常にスピーディーですぐにラスト近くまで行ってしまう。

が、この映画を台無しにしている要素が後半にある。それがカーチェイス。このカーチェイスが無駄に長い。昔、ホイチョイプロダクションが見栄講座か何かで「米国の映画は必ずカーチェイスがあります」みたいにちゃかして書いていたことがあったような気がするのだけれど、これもまさにその典型的な映画。全編カーチェイスじゃなかったのはまだ救いがあるのだけれど、とにかくこのカーチェイスのおかげで眠くなるったらありゃしない。ほとんどネタは出尽くしているのになぜこんな下らない、意味のないカーチェイスを延々と観なくちゃいけないのかと思ってしまう。

折角良い映画になりそうだったのに、「ヒット映画の文法」を無理やり踏襲させたことによって台無しになってしまったのは残念。それから、全てのアイテムが無理やりラストに向けて収束していくのもかなり違和感がある。過不足なく必要にして十分な要素が配置されていて、もうちょっと無駄があっても良いのにと思わないでもないのだ。

短い映画なのにカーチェイスの部分で退屈させられてしまったので、その分減点。評価は☆1つ半。  
Posted by buu2 at 00:33Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

燃費

ef2e3218.JPGTIIDAの燃費情報です。

今回は36.32リッターで520.4キロ走りました。ということで、リッター14.33キロです。なかなか良い調子。
  
Posted by buu2 at 00:18Comments(0)TrackBack(0)TIIDA││編集

2008年04月10日

ジェネラル・ルージュの凱旋

ジェネラル・ルージュの凱旋(上) (宝島社文庫) ジェネラル・ルージュの凱旋(下) (宝島社文庫)

チーム・バチスタの栄光」は文句なく良質のエンターテイメントだったのだけれど、「ナイチンゲールの沈黙」で大失速。海堂 尊さんは一発屋だったのかな、と思っていたのだけれど、アマゾンでまとめ買いしちゃっていたのでこの本も読んでみた。

結論から書けば、☆は2つ。チーム・バチスタまではいかないものの、ナイチンゲールよりは随分と良かった。何より、この本の主人公である将軍が非常に魅力的である。この作者の作品は悪者は徹底的に悪者に、そしてそれ以外はみんななんだかんだ言って良い人に、つまりはドラゴンボール的な世界で描いている。フリーザ以外に最後まで悪役だった登場人物がいなかったドラゴンボールのように、多くの登場人物たちが最終的には善意の人に描かれているので、読後感が良いのが特徴である。

個人的な感想を書けば最後のエピソードは大分駆け足で、もうちょっとしっかり書き込んだほうが良かったのではないかな、などと思うのだけれど、枚数的にあまり増えてしまうとこの手の軽い小説の読み手には重すぎる(内容的に、ではなく、分量的に)ものになってしまうかもしれない。しかし、この本を楽しむにはバチスタはともかく、ナイチンゲールを読んでおく事はほぼ必須。この本一冊の分量は大したことがないのだけれど、その前に一冊あまり面白くない本を読まなくてはならないというのはやはり負担だろう。

ちなみにミステリー色は非常に薄い。しかも、かなり早い段階で告発者が誰なのか察しがついてしまう。なので、普通の医療小説と思って読むほうが良いと思う。また、姫宮は適度なスパイスになってはいたものの、伏線のまま終了してしまう。これはちょっと残念。要は、「その後を知りたかったら次の作品を読んでね」ということなんだろうけど。  
Posted by buu2 at 09:54Comments(1)TrackBack(0)読書││編集

2008年04月09日

七志 とんこつ編 渋谷店

1e964073.JPG名称:七志 とんこつ編 渋谷店
種類:横浜
場所:渋谷
評価:4/BB-
2008.4.4
コメント:このお店が横浜の綱島と青葉台に出来たのがちょうど10年ぐらい前。その頃は横浜ラーメンと熊本ラーメンのキメラのような感じで、かなり良い線いっていた。ところが、今や完全にチェーン店化してしまい、すっかり味を落としてしまった。まぁ、昔の良さも多少は残しているのだけれど、やはり色々なメニューを展開している時点でなかなか難しいと思う。

麺は太目の縮れ麺。スープの絡みは普通。コシはそこそこしっかりしているのだけれど、どうも丁寧に作っている感じが伝わってこない。

今回は坦々麺を食べてみたのだけれど、トンコツベースのスープはそれなりに美味しい。美味しいのだけれど、どうも調味料で上手に味を調えたような感じで、トンコツラーメンの荒々しさのようなものが感じられない。じゃぁ上品かと言うとそういうこともなく、こじんまりと落ち着いている感じ。

チャーシューはなかったので評価なし。  

GREEN HOUSE SDHCカード 16GB class6

3b667812.JPG今年の正月にFZ18を買ったわけだけど、使っているSDカードが256M二枚というしょぼさ。おかげですぐに一杯になっちゃう。SDカードなんてどうせ秋葉原で買えば凄く安いんだから、そろそろ何か買っちゃえ!と思って、価格コムで探して来たのがGREEN HOUSEの16G。

これを入れたら一体何枚撮れるんだろうと思ったら、なんと4000枚だって(笑)。いくらなんだってオーバースペックだったね。でもまぁ、いっか。これがアマゾンで買うと16,000円もするのに、アキバオーでは8,980円だってさ。安い!!

下に画像をはってあるのはアマゾンの高い奴です(笑)。僕にアフィリエイトでお小遣いをプレゼントしたい人はクリック!クリック!っていうか、そんなことするくらいなら、インターネットアキバオーで買って、差額は僕に何かおごってくれる方がみんなハッピーかも。

SDメモリーカード GH-SDHC16G6M

ほら、安いのはこっち↓ですよ。欲しい人がいたら、売り切れる前に急げ!!

インターネットあきばおーのSDカード  
Posted by buu2 at 15:31Comments(1)TrackBack(0)買い物││編集