2011年02月08日

ヒマラヤン食堂

カレー通の友達がオススメするお店がすぐそばにあるというので、友人家族などと連れ立って食べに行ってみた。

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正直、僕はカレーの経験値が低すぎて、どこが良くてどこがだめなのか、まだきちんと判断ができない。特にインド系はわからない。朝霞だと、良く行っていたのがチャンドニーというお店なんだけれど、インド、ネパール方面の人に食べさせるとチャンドニーはもう二度と行かないレベルらしい。そして、そういう人たちも、ここは褒めるらしい。

そして、彼らが一番重視するのはナンらしい。ナンを焼く釜がちゃんとあるかどうか、これが非常に重要なようだ。日本人からすると、ご飯と味噌汁がきちんとしているかどうか、という感じだろうか。それで、チャンドニーは、自前で釜を持っていないらしい。この店はちゃんと釜がある。

今日は仕事の話とか、先日受けた講義の話などをしながらの食事だったので、きちんと味を見ながらの食事ではなかった。なので、あ、美味しいね、ぐらいの感想。次に行くときは、ひとりで行ってみようと思う。

店名 ヒマラヤン食堂
住所 朝霞市三原1-18-25
TEL 048-468-3101
営業時間 11:00~23:00
定休日 無休  

2011年02月07日

クーポン出している飲食店なんて行きたくない!

友達と飲み屋の相談をしていたら、「○○でどうですか?」って言われた。そのあたりのお店は月曜日が休みなことが多いので、大丈夫かなー、って思ってググッてみたら、大量のクーポン関連の記事が。しかも、もう販売してない。クーポンは5割引ぐらい。まわりの人達が5割引で食べているのに、自分だけ正規料金って、納得行かない。自分が情報弱者だったのはその通りだけど。

もう販売していないクーポンにアクセス出来ちゃうシステムって、どうなの?なんでこんなの使っているの?凄くイメージ悪いよ。  

どうぶつしょうぎ こどもたいかい

13日、13時から「どうぶつしょうぎ こどもたいかい」をApple Store GINZAで実施します。

どうぶつしょうぎ こどもたいかい(PDF)

この大会は、小学校低学年以下の子供たちにどうぶつしょうぎで遊んでもらおうという主旨で実施します。大会は家族対抗の対戦トーナメントと、「らいおん・はんと」の得点競争を行います。らいおん・はんとは会場にいればどなたでも参加可能ですが、家族対抗戦は事前の登録が必要になっています。登録の締切りは明日となっていますので、参加希望の方はメール、あるいはFAXでお申し込みください。  
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芦田さん(@jai_an)の「授業法と評価法 『学校』における教育目標とは何か」を聴いて

先日予告したとおり、芦田さんの「授業法と評価法 『学校』における教育目標とは何か」を聴いてきた。「先生のための学校」ということで、もうちょっと各論(今回の場合はコマシラバス)中心の話になるのかな、と思っていたら、一般論が中心だったので、僕としては逆にありがたかった。後半がコマシラバス中心の話になるのがわかっていたので、途中の質問時間でクリアにしておきたいところをきちんと質問できたのもナイス。これは事前にきちんと資料を見せてくれていたおかげ。物凄く細かいところに配慮が行き届いていて(気が付かない人は気が付かないだろうけど)、超一流の講演だった。内容以前の、その姿勢もすごく勉強になった。そのうち資料はネットにアップされると思うけれど、キー・センテンスを書きつつ、ところどころに雑感をつらつらと。

あ、まず最初にキーワード。

メリトクラシー:実力主義、業績主義、学歴主義。自由平等主義の教育版。
ハイパーメリトクラシー:過剰なメリトクラシー。人間力、コミュニケーション能力、自己表現力、個性・自主性など。


○学校改革は徹底的にやる必要があるが、面倒だからみんなやりたがらない。
○グランドデザインとしてのキャリア教育が必要。
○実際に家を建てたことがなくても建てることができるようにするのがカリキュラム。
○大学が体たらくなので専門学校には大きなチャンスがあるのに、資格教育に走ってチャンスを潰している。
 →でも、全ての専門学校がきちんとやり始めたら、結局偏差値重視に戻るかも?
○「学問のすゝめ」は学歴主義。
 →ふむ。同意するのだけれど、その福沢諭吉さんのお膝元の慶應義塾が身分主義・階級主義なのはなぜ(笑)?
○学歴主義と身分主義・階級主義は対語。
 →なるほど。なんとなく理解していたけれど、こうやってはっきり明示されると「おお!」という感じ。「学歴社会」というキーワードのイメージが悪いのは、「学歴」が≒大学入試の成績になってしまっていることなのかな。それが固定化しちゃう。本当なら、あとから逆転できるはずなのに。ただ、その逆転の手法が現状少ないのは事実。
○主要5教科主義は努力主義。体育、音楽、美術などは努力ではどうにもならない。
 →これもなるほど、な感じ。
○点数で比較できるようにするのが試験。
○実力主義、家族主義は両方存在することが大事。
 →なるほど。
○学校は最後のセーフティネットである。学生を見放してはならない。
 →これまた、なるほど、という感じ。いや、なるほどというより、「そうか!」だな。僕もついつい「親が馬鹿だから」とか言いたくなる。この視点は発明というか、言われなければ気が付かなかった。
○文体評価がない。やれば良いのに。
 →確かに。伊坂幸太郎と宮部みゆきの文章を並べて、「どちらが良い文章か」とかやったら良いのに(もちろん、宮部>伊坂)。
○親子関係は社会ではない。
 →これも「そうか!」。
○親から離れる場所が学校。
○政治家は票をどれだけ取ったか、頭をどれだけ下げたか、お金がどれだけあるかのとても卑しい人種。典型的なメリトクラシー。
○1日の試験で人間が試されるのが大学受験の価値。内申書などを参考にすると、監視される期間が長期化する。
 →確かに一発逆転が可能なシステム。
○有名私立高校、大学は、身分差別がある。欧米と同じ。
 →「ソーシャル・ネットワーク」もそういう映画だった。
○良い試験は採点コストが安く、受験者には長い思考を要求する。
 →マークシートは必ずしも悪くないんだなぁ。というか、むしろ高度なのか。そういう試験がきちんと設計できるなら。手間がかかるから良い評価ができる、と考えていた。スイッチが切り替わった。
○「学び合い」によって空洞化しつつある教育。
 →学び合いなんてあるんだ。あとで調べてみよう。
○意欲があれば良いというわけでもない。馬鹿ほど意欲があるもの。
 →勤勉な馬鹿ほど始末に終えないものはない。
○今の教育は「馬鹿でも間抜けでも個性」と肯定してしまう。
○「褒めて伸ばす」と言うが、馬鹿を褒めてどうする。
 →全くそのとおりですな。馬鹿は叩かないと。
○教育が荒廃している理由は、過剰なサービス社会化。保護者を怒らせないことが教員の使命になっている。
○学校教育は何かの役に立つ必要はない。社会の要求と独立しているのがメリット。
○「生涯教育」で教わるのは手段。何の役に立つのか、によって受講するかどうかをきめる。その点が学校教育と異なる。
 →なるほど。ただ、そうなると理系大学院の教育の位置づけが難しい。
○学校で教育して、一番優秀な奴が社会のリーダーになる。これが日本型。
 →役割分担は大事。誰でもリーダーになれるわけじゃない。
○昔の貧農は、子供をたくさん生んだ。その中に優秀な奴が一人いると、そいつにお金をかけて、貧困層からの脱出を図った。これができるのが日本。
 →大学受験に家柄は関係ないものねぇ。
○家庭の出自、社会的なニーズから隔離されているからこそ学校。
 →有名私立高校とかはちょっと事情が異なるわけですな。
○年をとると「必要」と「利害」に縛られる。それらからフリーなのが学生。
○家族と学校に保護された学生時代にしか、「事柄」に集中できないし、「事柄」にルールがあることを感得できない。
 →小さい頃に音楽をやっていないと絶対音感がつかないのと同じか。
○凄い先生、凄い奴にどれだけ出会っているかが大事。専門学校では出会うことができなくて気の毒。
 →確かに、こういう部分はある。良い大学のほうが出会える確度が高いはず。
○時代の流れが速い今、基礎力としての教養、思考力の養成が重要。
○キャリアコンサルタントはキャリア形成に失敗した奴がやっている。
 →確かに。
○ちゃんと勉強してない奴は検索エンジンとウィキペディアの使い方が上手。
○評価を第三者化することが大事。
 →これだ!これ!!!!もうこれを再認識できただけで5000円の価値があった。
○授業の評価は出席率や満足度で測ることができる。しかし、これらは教師の人柄に規定されてしまうことが多い。
○学校で身につけたものが、どんな外部指標と結びつくかが大事。



以下、僕の質問に対して。

○理系の大学、大学院は職業教育である。
○理系大学生は大学、大学院で大した勉強をしていないから、学部の入学試験の成績(学歴)で判断される。
○大学、大学院の教育の審査は出口評価、それも第三者化された評価によって為されるべき。文科省は手を付けつつある。
○大学院生やポスドクが余るのは指導教官の責任。教授は学生を他の場所に追い出すか、あるいは自分の研究室を継がせる力がないなら、研究室を持つべきではない。
 →やっぱりそうか。
○出口評価を第三者化する。評価者には授業を見せない。
 →理系の場合、仕事のないポスドクがたくさんいるよね。評価者候補だな。



このあたりまでが一般論。このあとからは専門学校における各論。



○オープンキャンパスは入学希望者をチェックする場所。入学させたら学校に責任が生じる。
○授業の評価が「声が小さい」「板書がヘタ」といった視点になる。
○標準偏差を見ることによってある程度までテストの質をチェックできる。
○専門学校の目標は就職目標。就職目標は高くなくてはだめ。
○単位をくれるのが良い教官ではない。
○シラバスは学校の差別化に使いにくい。コマシラバスは差別化可能。
 →僕が経産省時代に作った「スキル・スタンダード」は「シラバスの目標」のはず。理系大学院にもスキル・スタンダードが必要なのか。ただ、役所に任せても難しそう。
○教育Good Practiceは全然ダメなものになってしまった。
○教育GPの初期の目的は特色のある大学だった。「フランスの哲学について学びたければ○○大学」といったもの。しかし、それを作るためにはフランス哲学以外の哲学者を切る必要がある。それができなくて、骨抜きのGPになった。
 →でも、となりの大学はドイツの哲学になるはずだよね・・・・
○就職率はぎりぎりじゃなくて、GW明けなどの早い段階で比較しないと。
○選択授業はおかしい。全部パッケージ化して、その専門性、安定性によって出口のクオリティをコントロールするのが筋。
○目標の提示と試験のない授業法研究には意味が無い。
○小学校は上位接続(大学)との関係が希薄なため、第三者評価が難しい。
○出口目標、授業目標、入り口管理が必要。そして、そのポリシーメイクは出口目標の設定から実施される必要がある。
 →理系大学、大学院には出口目標がないよね。
○学び合いも場合によってはありうる。大前提として、まず教育によるINPUTが必須。
○教育による良質なINPUTがある場合、学生の自主的な動きが可能になる。それによって、INPUTのさらなる質的向上が可能になる。
○専門学校は企業が必要としている専門能力を身につけるところなので、成績が良い奴が良い会社に就職するのが当たり前。専門学校生に対して「人柄が」とか言う会社は専門学校生の就職先としては相応しくない。
 →なるほど。
○大学の就職センターは全く意味が無い。なぜなら、就職センターはカリキュラムを理解していないから。これはハイパーメリトクラシー。就職センター機能を充実させればさせるほど、教務が弱体化する。
○就職に当たっては、学校で何を勉強したかではなく、どういうバイトを通じてどういう社会的スキルを身につけているのかが大事になっている。つまり、企業はバイトで身につけたハイパーメリトクラシーを高く評価している。
○試験の成績データにおいて、最低点数を上昇させるのはカリキュラム。
○教員は、たとえ三流の学校であっても一流を目指す必要がある。三流なのはあくまでも結果。
○試験で落第者を出さないカリキュラムが必要。
○国語算数理科社会の偏差値で勝負するのではない。専門学校は別の基軸で勝負する。偏差値40以下でも、うちの学校からはいい会社に就職する若者がいっぱいいる。
○入学時の偏差値で負けていても、出口で勝てば良い。
 →大学も同じだよね。
○出口は企業。そこで評価されることが大事で、学歴は本来関係ない。そこから逃げる奴らが「コミュニケーション能力」に走る。
 →確かに。
○いつも大きな目標を立て、そしてそれを共有することが大事。
○専門学校は一流と三流を逆転させる機能を持っている。
○今の専門学校のほとんどは、駄目な先生が、生徒に駄目な資格を取れるように教育している。
○役に立たない資格が多いから、資格を生徒に要求する会社は駄目。
○人柄も同様。
○「技術力がある」「世界レベルの技術を身につけようという上昇志向」「金融に関する知識」などを高く評価してくれる会社が専門学校にとって良い就職先。
○内部における反省が大事。これがないと外部介入が起きる。
 →個人でも、組織でも、自己省察は大事。再確認。



まとめ
僕は今、理系大学、大学院の学生がなぜ就職難なのかについて考えている。色々考えてきて、その上で今日の講演の内容と僕の考えの整合性がどうなっているのかチェックしたかった。それで、わかったことは、僕の考えていることはそう的が外れているわけではない、ということ。理系の大学、大学院が企業への職業教育的色彩を濃く持つ以上、それらから輩出される人材のスキルというのはある程度明確にされているべきだし、それがきちんと身についているかどうかは第三者による審査が必要だ。

「大学院博士課程を終了した人材が当然身につけているべき能力」を文科省が明示しないのであれば、民間企業でそれをやってしまったらどうか。そこで設定された「能力」は当然多くの評価者から審査される必要があるけれど、もしその妥当性が認められ、また、その会社がその能力基準に対して個別の学生がどの程度まで到達しているのかを明示できるとすれば、その評価はTOEICや学部学歴よりもずっと信頼度の高い指標となる可能性がある。では、誰がその「能力」を設定し、誰が個別の学生の到達度を審査するのか。そういえば、日本には優秀なのに仕事のない博士がたくさん余っているんだったっけ。このスキル・スタンダードは一度作ったらオシマイ、ではないことも自明。ということは、ある程度継続的に雇用を創出していくこともできるはず。基準は「チェック」と「バージョンアップ」が必須。

「評価」を難しくするのは、システム構築に注力していないから。良い評価システムが構築されていれば、個別の評価は簡単になる。記述試験よりもマークシートによる評価のほうが高度だということ。このあたりも確認・共有化しておく必要がある。

なんか、もう少しな感じだ。  
Posted by buu2 at 00:36Comments(0)TrackBack(2)日記││編集

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2011年02月06日

町田家

名称:町田家
種類:横浜
場所:新宿
評価:1/CBC
2011.2.2
コメント:横浜あたりにある家系の一部でときどき見かけるグリーンの看板。でも、系列店というわけではないのか?良くわかりません。

まず、家系を名乗るにしてはスープがめちゃくちゃ違和感がある。というのも、家系、横浜ラーメンと言うよりもずっと東京豚骨に近いから。鶏のベースが殆ど感じられず、豚骨一辺倒に感じられる。これは、何の事前情報もなく食べさせられたら家系とは思わない。普通に東京とんこつ。また、その豚骨もかなり薄目で今一歩。おろし生姜でアレンジを試みたけど失敗した。

麺は太目の多加水麺。質は悪くないけれど、麺方が相当にいい加減で麺がかたまりになっている。これまたややがっかり。

チャーシューは非常に不味いので、論評に値しない。最近は家系でハズレに当たることは随分と減ったのだけれど、この店は正真正銘のはずれ。

またつまらないものを食ってしまった。

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店名 町田家 新宿南口店 (まちだや)
TEL 03-3353-3145
住所 東京都新宿区新宿4-1-20
営業時間 [月~土] 11:00~22:00 [日・祝] 11:00~20:00
定休日 無休  

2011年02月05日

今日観た駄目なコンサート

今日、都内某所でコンサートを観てきた。本人たちの名誉もあるので僕にしては珍しく、「G」というグループにしておく。ギター2名とパーカッション1名の構成で、基本的にインストゥルメンタルである。全部で15曲程度を演奏したのだけれど、ほとんど心に残らないコンサートだった。

では、何が駄目だったのか。演奏が下手だったのではない。むしろ、上手すぎるくらいに上手だ。でも、駄目。なぜか。Gは、自分たちがインストゥルメンタルを演奏している弱点を全く認識していないのである。

一般の人が、ギターで何かのメロディを聴いたとき、何を考えるだろう。まず最初に考えることは、多分「これは何の音楽だろう」ということだ。過去に自分が聴いたことがあるメロディラインに照らし合わせて、それが聴いたことがあるものなのかどうかをチェックする。それが例えば中島みゆきのわかれうたであれば、メロディに合わせて頭の中で「途に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」と、歌詞をなぞることになる。ところが、全く聴いたことのないメロディだった場合にどうなるのか。個人個人がそれぞれに考えるのだろうが、僕の場合は残念ながら考えるのは仕事のことである。多くの観客は僕のように仕事のことなどは考えないかも知れないが、それぞれが何を考えるのか、規定することはできない。これは、演者としては最悪の事態だと思う。

だから、僕なら多分、曲の前に何かしら、聴く人たちが頭の中でイメージしやすいことを、全ての曲の前にしゃべると思う。「この曲は、白馬の冬をイメージした曲です。皆さんは冬の白馬に行ったことがありますか?白馬の冬は、毎日がほとんど雪です。多くのスキーヤーは、『また雪か』と思いながら、スキーの支度をして、出かけていきます。そして、一日中太陽が出ることはありません。疲れて、雪まみれになって帰ってきます。ところが、2週間に一度くらい、真っ青に晴れ渡る日があるんです。夜のうちに降り積もった雪で、ゲレンデはお化粧をしたようにまっさらです。そして、蒸気が凍って、朝日の中で空気がキラキラしているんですね。僕たちは、この景色を観るために、毎年白馬に出かけていくんです。そんな、毎年楽しみにしている景色、だけど、3年に一度ぐらいしか巡り会えない景色に出会ったときに作ったのがこの曲です。聴いてください」ぐらいのことはしゃべるだろう。これによって、聴く人はかなりのところまで、その曲でイメージすべき情景が浮かんでくるはずだ。場合によってはスライドを上映したりする手もあるとは思う。でも、そこまで個人のイメージを規定する必要はないだろう。言葉でも、十分に表現が可能なはずだ。イメージと結びついたメロディはきちんと記憶に残る。

ところが、今日のコンサートでは、「この曲は、骨折して入院しているベッドの上で書きました」である。これは、聴く側を全く無視したMCである。もちろん、聴衆がアーティストに対して非常に好意的だったり、そのアーティストのコンサートの常連だったりすれば話は別かも知れない。しかし、実際にはそうではない。そして、全ての曲には歌詞が付属していないのだ。これでは、途に倒れている女性をイメージしたら良いのか、瞳が濡れている女性をイメージしたら良いのか、お前を嫁に貰う前に御託を並べているのか、ギンギラギンにさりげないのか、さっぱりわからない。そして、何もないところで何かをイメージするというのはとても困難な作業なのだ。だから、僕の場合は仕事のことを考えてしまった。

また、今日のコンサートでは、なぜか一曲一曲終わるごとに、ひとりのアーティストが一所懸命他の二人のアーティストの名前を絶叫していた。これも意味不明である。アーティスト紹介などは、途中で一回やれば十分だ。そんな絶叫よりももっと聞きたいことがあるのに、その話は全く聞かせてもらえない。これでは、演奏技術がどんなに素晴らしくても台無しである。

ひとことで表現すると、聴衆不在の自己満足型コンサートなのである。一番気持ちがいいのは演奏しているアーティスト自身だ。もしかしたら、「これを聞けば、誰でも全てが理解できるはず」と考えているのかも知れない。しかし、残念ながらそうではない。だから、決して小さくない音量の中でも、多くの人が船を漕いでいるありさまである。

日頃からちゃんとしたアーティストのコンサートばかり聴いているので、コンサートは楽しくてあたりまえだし、誰でも楽しいコンサートができるものだと勘違いしているのだけれど、たまに駄目なコンサートを観ると、あぁ、決してそんなことはないんだな、と気付かされる。

歌詞があるコンサートに比較して、インストゥルメンタルのコンサートは格段に難しいはずだ。だからこそ、アーティストには高い能力が要求される。ところが、今日のアーティストは、歌詞があるコンサートのアーティストよりもさらに表現力が低かった。これでは、お客さんを呼ぶのは難しい。初めて聴いたお客さんは「もういいや」と思うだろうし、CDを買って家で聴こうとも思わないだろう。

でも、多分このアーティストは、次も同じようなコンサートをやるんだと思う。なぜなら、彼らにとって悪いのは、彼らの音楽を理解出来ない聴衆だからである。  
Posted by buu2 at 00:18Comments(2)TrackBack(0)音楽││編集

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2011年02月04日

理研SNS(笑)でKYな俺の邪悪な日記

理研SNS(笑)にせっかく入れてもらったので、色々書いているんだけど、みんな遠巻きに見ているだけで絡んでくれなくて猛烈に寂しいです。

これじゃぁ、週末には辞めちゃうかも知れません。

他人の書き込みを晒すわけにいかないので、自分のだけ書いてみます。まず、僕のプロフ写真。

simeitehai


やっぱり一番最初に目が行くところだから、インパクトがないとね。

それで、「こいつ誰よ」って思われたときに読むのがプロフィール。こんな感じで書いてみました。

理研の理事の公募に応募して書類選考で落とされた元木です。

詳細はここ(笑)
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50996943.html

理研辞めた後、経産省バイオ課で課長補佐やっていたので、一部の研究者から「スパイだ」と言われていました。今ももちろん経産省とのパイプはあります。だから、僕に何か言うと経産省に筒抜けです。要注意です。

あと、僕と友だちっていうだけで組織から後ろ指を指される可能性があります。「あいつ、元木と友達なんだってよ。ヒソヒソヒソ・・・・」みたいな。だから、僕と友達になるのは自己責任でよろしくお願いいたします。

「もっと詳しく知りたいわ!(はーと)」という方は、グーグルで「元木一朗」をご検索ください。同姓同名が日本にはいないので、すぐに見つかるはずです。


このリンク先のコメント欄には「あんたが応募した理事の公募は出来レースなんじゃないの?」というのが書いてある毒入り(笑)。相撲協会みたいに色々メールを調べてもらうと楽しいかも???あ、両方とも管轄は文科省ですね。お疲れ様です。高木義明文部科学大臣さーん、読んでますかー?あ、読んでませんね(笑)。

続いて、僕の日記。

小心者なので、キョロキョロしてます。

何をしたら良いのかわからないので、まずはふらふらしてみたいと思います。誰か知り合いいるかなー、と思って「堤」って入れてみたらいなかった(笑)。


友達がふたりに増えた!!

勇気ある友達のみなさん、こんにちは。

文科省に「異端者」のフラッグが立ちます。

今日思ったこと。意外と早く自動ログアウトが働くということ。まるで銀行のサイトみたいです。PC共用が一般的な理研ならでは、ということでしょうか。

安全を見込んで利用者の利便性を落とす、典型的な事例と言えましょう。米国の自己責任主義の対角をなす運営姿勢で、さすがは役所直下の組織、という感じです。

いえ、批判ではなく、あくまでも現状分析です。


コミュニティに入らないとつまらないな!!

と思う。

何かないかなーと思ったけれど、探してもピンとくるものがない。仕方がないから、自分でつくろうと思うけれど、ニーズがないものを作っても仕方がない。そこで相談です。次のうち、あったら良いな、と思うコミュニティはどれでしょう?

理研カーリング部
氷上のチェスと言われるとか、言われないとか。東京でもできますが、リンクがデコボコでチェスになんかなりません。あれじゃぁ、全面バンカーでゴルフをやっているようなもの。本気でカーリングやりたいなら、軽井沢へGO!!5日もシートに立てば、ナショナルチームとの対戦だって夢じゃないです。ゲームはボーリングとビリヤードとお掃除を足したような感じ?さぁ、あなたの頭脳で、ソチ五輪を目指しましょう!!

ラーメン評論家と行く和光市周辺ラーメン行脚
元ラーメン四天王が和光市周辺のラーメン屋を片っぱしから紹介します。っていうか、一緒に食べに行こうぜ。和光市には良い店ないけれど、東上線池袋―川越市間や笹目通りまで守備範囲を広げれば色いろあるんだぜ。「おれ、ちょっとラーメンは詳しいよ」とかいう自称ラーメン通、集まれ!!!

毎日酒場
金曜酒場って、まだあるんですか?知りませんけど。なんで金曜なの?もう毎日だって良いじゃん。せっかく成増から和光市にA-Oneが出てきてくれたんだから、毎日飲もうぜ。え?A-Oneはもう飽きた?ぜいたくだな、おい。じゃぁ、備中屋!あるいは東武練馬のとっておきの店。え?どこか?そんなの教えてあげないよ。まずは「一緒に飲ませてください」ってメールちょうだい。まずはそれからだ。

外人交流
もうさ、日本人同士で飲み会とか、アホかって感じだよね。やっぱ、これからは外人と交流だよ。あ、すいません、文科省的には「外国人」じゃないとだめですか?まぁ、いーや、怒られたら変更しよう。それで、理研は筋の良い外人がたくさんいるんだから、もう毎日が英語の勉強になるわけです。飲み会はもちろん全部日本語禁止。え?みんな日本語出来るって?そんなのカンケーねぇ!共通語は英語だ!コミュの中も英語だ!もしくはドイツ語。日本語だけはだめ。


テンション低くないか???

やった!友達が3人に増えた!!!

ところで、みんなテンション低くない?おい、お前ら!SNSやってて楽しいか????

テンション高めようぜ!!きいてる?あんだーすたーん?


さぁさぁ、理研の関係者の皆さん、楽しくやろうぜ!

って、もうすぐアカウント削除されちゃうかも知れないけど(笑)。  

明後日、芦田さん(@jai_an)の講演に行ってくる

今、僕が本業とは別のところでつらつら考えているのは、日本の大学院の改革。なぁんて、天下国家を高いところから語るのは正直あんまり趣味ではないのだけれど、税金から給料をいただいて理研や経産省で経験を積ませていただいた立場としては、その経験をきちんと社会にフィードバックするのが自分の責任だと思っているから。僕がそうやって税金で勉強したのは日本のバイオテクノロジー政策についてで、その現状は大学院の改革とはどうしても切り離せない。

僕がまず思うのは、日本の大学院は、どこまで行っても米国型にはなれないということ。これはつまりはインテルやバルサ、あるいは米国のメジャーリーグのような、世界の頂点、みんなの目標には成り得ない、ということ。長友を輩出したFC東京や、メジャーへの踏み台にされる日本の球団に価値がないのか、といえば、決してそんなことはない。イタリアの内部を見たって、ビッグクラブ以外は選手を育成して、踏み台にされつつも次の選手を探してくることによって存在意義をアピールし、地元に愛され、そしてときどき何かの間違いで優勝争いに顔を出すようなチームが存在する。要は、役割分担なのだ。

では、日本の大学院は何をすべきか。やはり、人材育成なんだと思う。企業で必要とされる人材、米国に留学して成果主義の中で戦っていく人材、日本の研究を下支えする人材、ニーズはある程度多岐に渡るけれど、いずれも「大学教授の言いなりになって労働力を提供する」という今の大学院の状況では育成が不可能な人材だ。この点を改善せずに、「大学院の学生と企業の採用のニーズのミスマッチ」の解消はあり得ない。あり得ないのに大学院は相変わらず同じことをやっていて、もちろん大学院が生み出す人材の受け皿は全然なくて、「どうすんだ、こいつら(博士、ポスドク)」みたいになって右往左往している。

そのあたりの僕の問題意識は先日こっちに書いたんだけど、

博士と企業のミスマッチの解決が困難な理由

このあたりの整理に何か良いアイデアが得られるかも(あるいは、「もうそんなの意味ないから考えなくても良いよ」ということになるかも知れないけれど)と思い、土曜日に芦田宏直さんの講義を聞きに行ってみる。

やはり、教育の素人は教育のプロに話を聞くのが第一歩。このところ大学・大学院関連のエントリーを書いていたのは事前に自分の頭の中を整理するのが目的。頭の中身をきちんと文書化してみるというのは、僕の場合は結構大事だったりする。

あ、全然関係ないけれど、今月中に『Twitter後のネット社会』(仮題)という本を出す予定です。人助けだと思って買ってください。よろしくお願い致します。  
Posted by buu2 at 15:32Comments(2)TrackBack(0)日記││編集

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ソーシャル・ネットワーク

ef156279.jpgもう公開から随分と経ってしまって、「今頃かよ」という感じなんだけれど、観てきた。率直に言ってしまうと、自分の周りで普通に起きていることがそのまま映像化されているような感じで、新しい何かとか、驚きとか、そういうものは特になかった。

自分の興味のあるところにだけ一所懸命になる奴、ビジネスの巨大化についていけず、ついつい保守的になる奴、最先端に目をつけるんだけれど、身から出た錆でどうにも波に乗り切れない奴、旧態依然とした慣習に縛られている奴、どれもこれも、僕の周りでは全然珍しくない。まぁ、業界が同じだから当たり前か。裏話みたいなもので何か面白いエピソードがあるのかと期待したのに何もなくて肩透かし。この映画みたいなことはITベンチャーに入れば全然普通だから、体験したかったらITベンチャーに入れば良いと思う。

広告モデルがクールじゃない、というところに早い段階で目をつけたところだけは素晴らしい感じだけれど、それにしたって今では常識だしねぇ。それが証拠に、僕の会社で実施しているサービスにはどれひとつと言って広告モデルなんかないし。

ただ、映画としてはそこそこに良く出来ていたと思う。最大の勝因は、エリカちゃんが可愛いってことだと思う。

割と平板な映画なので、これがどうしてゴールデン・グローブ賞なのかとか、アカデミー賞に最有力なのかとか、個人的には良くわからない。これに比較したらトイ・ストーリー3とかの方がずっと感動作だと思う。一体どのあたりが評価されているんだろう???

評価は☆1つ半。  
Posted by buu2 at 02:13Comments(0)TrackBack(0)映画2011││編集

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2011年02月03日

理研SNS(笑)

既報のとおり、理研が内部者限定SNSを作ったってことで招待状が来ていたから招待に乗ってみたら、「OBはまずこっちで登録してね」みたいな感じで身分調査が行われたらしい。それで、申し込みしてからずっとうんともすんとも言ってこないので、「僕はブログで理研についても平気であーだこーだ書いているので、危険分子としてはねられたかな」と思っていたら、さっき、登録完了メールが到着した。ということで、早速ログインして、プロフィールを次のように書いておいた。

理研の理事の公募に応募して書類選考で落とされた元木です。

詳細はここ(笑)
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50996943.html

理研辞めた後、経産省バイオ課で課長補佐やっていたので、一部の研究者から「スパイだ」と言われていました。今ももちろん経産省とのパイプはあります。だから、僕に何か言うと経産省に筒抜けです。要注意です。

あと、僕と友だちっていうだけで組織から後ろ指を指される可能性があります。「あいつ、元木と友達なんだってよ。ヒソヒソヒソ・・・・」みたいな。だから、僕と友達になるのは自己責任でよろしくお願いいたします。


さぁ、理研の関係者の皆さん、どんどん友達になろうぜ!フレンド申請、どんどんしてね。英語でもフラ語でもロシア語でもドイツ語でも20までなら数を数えられるから問題ない!!

よろしくお願い致します。友達が少なくて寂しいです。  

公的研究機関のテクニカルスタッフの給与はどうやって決まるか

ちょっとツイッターでバイオ系研究機関のテクニカルスタッフの扱いについて話が出たので、参考までに僕が関わった事例を書いておく。

僕は三菱総研から理化学研究所へ出向していたことがあるのだけれど、このとき、一番最初にやったのが「ゲノム科学総合研究センター」(現在の理研横浜研究所)の組織規程を作ること。理研和光本所の文書課の人たちに手伝ってもらって、このセンターの組織規程を作った。僕は当時まだ30前半ぐらいのペーペーだったから、やったのはほとんどが調整と作業。何か頭を使って考え出す、ということは基本的になかった。つまり、クリエイティブな仕事ではなかった。参考資料として、ゲノムセンターの開設のちょっと前に脳科学総合研究センターができていたので、その組織規程を使うことが多かった。

それで、その組織規程を作っていく中で、職員の給与も規定することになったのだけれど(どうでも良いけど、規程と規定は用法が違うので要注意。まぁ、最近は卵と卵子を混同している専門家もいるので、やれやれな感じだけれど)、それがどうやって決まったかというと、全部主任研究員の一存だった。事務方の窓口だった僕が「どうしましょうか」と問い合せて、主任研究員(当時の肩書きはゲノムセンターのプロジェクトリーダーだったのかな?)から返事をもらう、という手順。その際、テクニカルスタッフの採用条件が非常に劣悪だったので、当時の事務方のトップだったゲノム科学総合研究センター研究推進室の室長は、「これはちょっと酷いんじゃないかなぁ、本当にこれで良いの?」と主任研究員に一度差し戻したんだけれど、「いや、これで良い」ということで条件が決まった。

今はどうなのか知らないけれど、理研の組織はプロパーや文科省からの天下り、現役出向を中心とした事務方ラインと、主任研究員によって組織された主任会(大学で言えば教授会になるのかなぁ)ラインの二つのラインが併存していた。主任会の権力は理研においては絶大で、主任研究員たちの発言というのはほとんど何でも通ってしまう状態だったので、基本的に事務方からは異議を唱えることはほとんどなかった。僕のような役人経験者からすると、理研の主任会のように、組織規程には全く名前が出てこないにも関わらず実質的に発言力を持つ組織というのは物凄く筋悪だと思う(なぜなら、責任の所在が明確にならないから)のだが、文科省とかは黙認していて、当時から「変なの」と感じていた。

#今も主任会ってあるんですかね?まぁ、なくなる理由がないものね。

実質的には主任研究員がお金を取ってくるし、テクニカルスタッフの採用も主任研究員主導だし、まぁ、そんなもんかな、とも思うのだけれど、理研の場合は研究費用はほとんどが税金である。税金で運用されている組織は民間企業とは違うわけで、同時に世間一般の相場をある程度リードする役割も持っているはず。多分理研にはそんな意識はないんだと思うのだけれど、研究者とテクニカルスタッフの格差が必要以上に拡大している現状を考えると、もうちょっと自分たちの役割というものを考えてみても良いんじゃないの?と思う。主任研究員がどうやってテクニカルスタッフの給与水準を考えたのか、その根拠は全然わからないけれど、基本的には数名の主任研究員の「エイヤ」で決まっていることは間違いがないので、第三者による客観的な検討があっても良いんじゃないかと思う。その検討にあたっては、「生物系の研究施設におけるテクニカルスタッフの重要性」とか、「ポスドクの受け皿としてのテクニカルスタッフ」という視点が必須である。

#余談だけれど、榊さんはテクニカルスタッフを大事にしていた印象がある。

理研は自称「研究者の楽園」だけれど、まだ「科学者のお手本」にはなっていないと思う。

ちなみに僕はバイオベンチャーの社長を一年間だけやったことがあるけれど、その時には会社のテクニカルスタッフについては給与的に物凄く厚遇した。  
Posted by buu2 at 13:20Comments(0)TrackBack(1)バイオ││編集

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カーリングのピンズ

先日、軽井沢国際カーリング選手権大会についてちょっと紹介したけれど、カーリングの試合では、対戦に先立ってピンズの交換が行われるのが通例。まさに、日本インターネットピンクラブの面目躍如という場面なわけです。僕達からは僕がデザインしたピンをプレゼントしたんですが、相手チームからいただいたピンを紹介しておきます。相手チームとの記念写真付きで。

チームフジヤマのピン

fujiq


チームフジヤマのみなさん。ちなみに僕たちはユニフォームがないので、僕はスキーウェア(笑)。

DSCN3103


USAチームのピン

usa


USAチームのみなさん。

CIMG0405


ちなみにUSAチームは一次リーグを6勝1敗で2位通過。決勝トーナメント初戦で日本代表に負けて(え?)、3位決定戦で中国に勝利。3位で大会を終了しました。  
Posted by buu2 at 12:12Comments(0)TrackBack(0)ピンズ││編集

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2011年02月02日

ようやく動かぬ証拠

やってる、やってる、と言われ続けて、でも証拠がなかった大相撲の八百長にようやく証拠が出てきたそうで。

元小結と現役十両4人、八百長関与か メール通り勝敗決まる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110202-00000546-san-soci

元・春日錦ら4人関与か…八百長相撲疑いメール
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110202-00000500-yom-soci

大相撲も、プロレスと一緒だよなぁ。本気で八百長をなしにしようと思うなら、取り組みの発表は当日の直前に発表とかにしないと駄目なんじゃないのかな?

実態調査もやる気を出せば芋づるでどんどん見つけられそうだけれど、相撲協会はそこまでやる気、ないだろうし。

ただ、真剣勝負じゃないものを毎日テレビで放送する必要はないよね。もう、テレビ中継は辞めたらどうなんだろう。これでも中継するっていうなら、NHKには受信料を払いたくない。

「八百長の大相撲を中継するなら受信料を払いません」運動とか、どうかね?  
Posted by buu2 at 15:12Comments(0)TrackBack(0)ニュース││編集

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キック・アス

andy


空も飛べず、超能力もなく、身体能力が抜群でもないオタク学生がヒーローに目覚めて酷い目に遭う話。なんだけれど、米国でこんな話をマジメに映画化してしまうと結構面白くなっちゃうから不思議。何しろ、ポイントになる2人の女の子がそれぞれに可愛いのが最大のポイントかもしれない。

ストーリーに特段のひねりがあるわけでもなく、割と淡々とストーリーが進んで行くので、ネットとかで抜群に評価が高い理由は良くわからない。特に後半はちょっと失速ぶりが著しい。何故かって、アクションがシリアスになりすぎて、ミンディの可愛さ、ギャップが控えめになってしまうから。007みたいなのりで、子どもっぽいオシャレさでずーーーーっと徹頭徹尾押してくれたらもっと楽しめたと思う。

悪者がばさばさ切り捨てられて行く様は先日のマチェーテの様でもあるけれど、笑ってしまう様な切り捨て具合は、マチェーテの方が上手である。でも、マチェーテにはミンディはいなかったからなぁ。彼女の魅力だけに支えられていると言っても過言ではないわけで、彼女の見た目と中身のギャップを楽しめるかどうかで作品の評価は大きく変わると思う。その意味では「同情するなら金をくれ」に似ているかもしれない。

僕としては、ファンタスティック・フォーとかに比較したらずっと面白いけれど、アイアンマンよりは下かなぁというレベル。

これまたデートに使えるかと言うとやや微妙であり、鑑賞後に絶賛するとロリコンと思われてしまうリスクが付きまとう。まぁ、ハーマイオニーも昔はロリ系だったけどね。

続編を作るなら急がないと!!!評価は☆2つ。  
Posted by buu2 at 01:50Comments(8)TrackBack(0)映画2011││編集

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冷たい熱帯魚

nettaigyo


なんか、勢いで声かけちゃったけど、冷静になってみるとあんまりピンとこないし、やっぱ、付き合うほどじゃないな、って思っている彼女との初デートに断然オススメ。隣のカップルの男が謝ってた。お前、調査力不足、って思った。

とにかくひどい暴力描写なので、最初のうちは「え?」とか思っているんだけど、すぐに受け取り方が変わってしまい、ここは笑うところじゃないよな、という場面で場内爆笑になるという、妙な映画。序盤からの導入が非常に面白くて、女優のコスチュームもサービス満点なので観ていて楽しいのは間違いない。序盤は。泥レス、ただし、良く観ると泥じゃなくて血、みたいなスプラッター調になる中盤以降はかなり緊張しながらの鑑賞になるので、正直疲れる。

エンターテイメントとしてありだと思うけれど、じゃぁ、何が言いたかったの?となると、良くわからない。事実に基いている、ということで、ノンフィクションはフィクションよりずっとかっとんでいるってことなのかなぁ。それとも、観る側にずーーーっと緊張感を与え続けるのが意図だったんだろうか。うーーーーん、監督さんの意図は良く解らない。

ここまでやっちゃって、どうやって風呂敷を畳むのかなぁと思って観ていたけれど意外と無理なく畳んだいたのは流石に園監督という感じ。

生理的に受け付けない人は全くダメだと思うし、そういう人は決して少なくないと思う。あと、頑張って観ても、「だから何?」という感じもあって、映画に何か教育的なものを求めるクチにはお勧めしない。精神的に思いっきり不愉快な思いをすることによって、何かを得られるタイプにはお勧め。僕はそういうタイプではないので、苦笑するだけだったけれど、駄作でもないし、お金の無駄でもなかった。ただ、もう一回観るかと言われれば、多分観ない。

一番思ったのは、この映画に出た女優さんは3人とも偉い、ってこと。すげえ疲弊したと思う。特に村田愛子役の人。

DVDよりは、映画館でみんなで観た方が良いと思う。ただし、デートでの鑑賞は自己責任で。評価は☆2つ。

ちなみにベースになっている事件はこちら。

埼玉愛犬家連続殺人事件  
Posted by buu2 at 01:26Comments(2)TrackBack(0)映画2011││編集

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博士と企業のミスマッチの解決が困難な理由

なんか、大学院生と企業のニーズのミスマッチみたいな話があるけれど、その議論自体がどうもピンと来ない。改善の提案サイドも、それをダメだと言うサイドも、気持ちはわかるんだけど、このままやっていても平行線だろうなぁ、と感じる。

参考資料:“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申

「博士がバカセで使い物にならないんだよ」というのが最近のコンセンサスなんだけれど、博士が使い物にならないと言っても、全部が全部という話じゃない。これは経産省大学課の委託で大学院の実態調査をやったシンクタンクの主任研究員にヒアリングして聞き出したことなんだけれど、まず、使い物にならない博士には二つの種類がある。一つ目は非一流大学の博士。東大、京大に学部から進学している博士はほぼ問題がない。学歴ロンダリングしている博士とか、駅弁大学の博士は確かに使い物にならないケースが多い。次に、数学と生物の専攻の博士。これが使い物にならないケースは非常に多いとのこと。逆にいえば、東大、京大に学部から進学している生物、数学以外の博士はきちんと使い物になるし、就職だってそれ程厳しくはないそうだ。もちろん「東大だって就職に困っている」などと例外を指摘する人はいるだろうが、一般論としてはすっと頭に入ってくる内容だ。

学歴ロンダリングの博士達、通称ロンダー達が就職が厳しいのはある意味当たり前で、要は学歴はロンダリングできても、頭の中身まではそう簡単にロンダリングできないと言うことだ。つきつめれば、定員割れを防ぐ為になんでもかんでも入学させてしまう大学側にも問題があるし、それを良しとしたとしても、一定の能力を身につけていないにも関わらず学位を出してしまうことにも大きな問題がある。これを換言すれば、博士という資格を持っていると、どんな能力があるのか、きちんと社会で共有できていないことが問題なのである。また、大学ごとにも違いがあるはずなのに、それが明示されていない。例えば東大の博士と京大の博士ではどう違うのか(あるいは同じなのか)、きちんと返答できる人はほとんどいないのではないか?また、僕は修士しか修了していないけれど、博士が盲信していた複数の論文のおかしなところを指摘して、実験を再構築し、社員にその実験をやらせて、特許を取った研究が全て間違いだったことを指摘したことがある。その意味では(修士修了の学歴しか持たない)僕のほうが普通の博士よりもずっと能力が高いんじゃないかと思ってしまう。博士たちは、一体どのあたりが僕より優れているのだろう?誰か、説明できるのだろうか。そういった「博士ならではの能力」をきちんと提示できないから、結果として、一般の人(会社を含む)は「博士とは学部以降5年程度大学院で勉強して、論文の一つも書いた人」ぐらいの価値しか見出せないことになる。その5年間に大した価値がないからこそ、ロンダリングにも価値がないことになる。みんな、大学院で何をやったのかには興味もないし、期待もしていない。大事なのは、大学入試でどういう成績だったのか、になってしまうのだ。つまり、出身大学にしか価値を見いださないのである。

では、生物と数学の博士はなぜ使えないのか。僕が知っている例でまず数学科を考えてみる。東工大の場合、150人ぐらいの理学部定員の中で、数学科は20人程度。それでも定員割れする様なマニアックな学科で、そこに入学するのはかなりの変わり者だった。変人の僕から見ても変わり者なのだから、やはり彼らは変わり者なんだと思う。それも、とびっきりの。だから、社会に適合できない可能性も高そうだ。これは非常に感覚的な評価で、信ぴょう性のかけらもないのだけれど、残念ながら僕には数学科系の人材についてはこの程度の見識しかない。

一方で生物系の人材は山ほど見てきているのだが、彼らについて言えることは、研究人材としてやっていけるほどのことを、多くの人がやってきていないということだ。でも、これは彼らが悪いんじゃない。構造的な話である。何故なら、生物という分野は独創性よりも忍耐とか努力とかを求められる、頭よりも忍耐力や体力を求められる分野だからだ。

参考資料:分子生物学の閉塞感(もう10年も前に書いたことだけど)

分子生物学では、頭で考える人材はあまり必要ではなく、その手足となって働く労働力が大量に求められる。トップと末端の間には無数の壁があって、長友のようにいきなり世界のトップに躍り出るのはかなり難しい。そして、一度トップになってしまえば、既得権者の椅子は非常に居心地が良いので、なかなかそこを譲らない。おかげで、下働きをするように飼い慣らされた従順な博士が大量生産される。この人達が企業で必要とされないのは当たり前である。

じゃぁ、この状態は改善できるのか。一つの方策は、大学の教育人材の流動化である。研究費当たりの研究成果を厳密に定義し、それに満たない場合はどんどんご退場いただく。それから、外部資金の確保。お金があれば、下らない力仕事はどんどん外注すれば良い。その為のお金をどんどん外部からとってくれば良いのだ。ただ、これでも限界はある。昨日紹介した様に、誰かがやらなくてはならない力仕事が大量にあるのがこの分野なのだ。むしろ、頭はそれほどいらないのである。あくまでも一般論ではあるけれど。だから、この分野の人間が「仕事がない」と嘆くのはちょっとおかしくもある。知的な仕事などないのが当たり前なのだ。あと、わざわざ「知的な仕事」と断ったことからも判るように、仕事が全くないわけでもない。つまらない土木仕事なら、それこそたくさんあるはずだ。ただ、問題は、そのつまらない土木仕事では大した給料が得られないということである。実際にはこれらの仕事は楽しいわけでもなく、キャリアアップにもつながらないので、給与的には一番高く評価されるべき仕事である。ところが、日本人はこの手の仕事に給料を払いたがらない。以前、理研の研究スタッフの給料の基準を決めるのを見たことがあるが、これらのスタッフの給料は一番安かった。税金で運用している組織としては、改善の必要があるところだと思う。

#ただ、そうは言っても、その給与で人が集まってしまうのであれば仕方ないんだけれど・・・・。

(理想的には)テクニカルスタッフの待遇は改善されるべき、その上で、生物分野においては、研究者になれる確率は低く、多くの場合でテクニカルスタッフどまりである事を理解すべきだ。そんなのは嫌だ、というなら、この分野に進むべきじゃない。

ちなみに、ときどき「これからはともかく、もういる人をどうするんだ」という話が出てくるんだけど、生物がこういう分野になったのはここ10年ぐらいの話じゃなくて、少なくとも1990年ぐらいにはこうなっていたと思う。それに気が付かなかったのは単に本人がオッチョコチョイだっただけで、それを「問題だから国が何とかしてやれ」とか言っているのは甘ったれが過ぎると僕は思う。だって、僕が学生の時だって「博士に行ったらつぶしがきかなくなる」というのは学生間の共通認識だったもの。その後にポスドク1万人計画とかもあったけれど、「ポスドク1万人計画があるから、博士の就職は良くなる」という話は聞いたことがなかったし、要はレースの参加者を増やしただけのことで、入賞者の数は決まっているのだから、これまでとりこぼしていた少数の優秀な人間をより確度高く回収できるようになっただけのことだ。競争は逆に厳しくなったはずで、だからこそ基礎科学のレベルアップが期待されるのである。数を増やしただけで全体が底上げするならそんなおめでたいことはないが、「東大のレベルをアップさせるために定員を倍増しちゃおう」なんていう話に現実味がない(やれば逆に平均値としての全体のレベルは下がる)ことは馬鹿だってわかる。

「文句を言われない様に、そもそもの入り口の蛇口を閉めちゃえよ」という意見もあるのだけれど、僕はそういう「規制」には反対の立場である。「楽じゃないよ、大変だよ、セーフティネットもないよ、でもそれを理解した上でやるのはあんたの勝手だから頑張んなさい」というのが文明人だと、僕は思う。そして、今の時代はそのあたりの情報はかなり行き渡っていると思う。ただ、研究者としての能力がかなり早い時期に確定してしまい、大器晩成ということがあまりないのであるなら、早い時期に蛇口を閉める、つまり、定員を減らしてしまうというのもひとつの手ではある。

ただ、それにしても、だ。今のままでは、大学院がちゃんとした教育をしているのか、その評価すら出来ない。何故なら、「うちの大学院を出た場合、これができる様になります」というものが(多分)明示されていないからだ。もしそれがあって、その大学院の修了者がそのスペックを満たしていないなら「これはおかしい」という評価も可能になる。でも、その基準がないから、評価すらできないのである。評価の為には、基準の提示が必要なんじゃないだろうか?

先日、武田薬品が「新卒採用に当たってはTOEIC760以上」みたいなことを表明した。僕の周りではこれに対する意見は不評が多かったんだけれど、これなんかは大学側が学生に関するスペックを提示しないから、企業側から要求したに過ぎない。その基準としてTOEICが適切かどうか、760なんて低すぎるだろ、せめて900ぐらいにしろよ、という議論は確かにあるんだけれど、760だけど英語が出来ないケースはあっても、英語がすげぇできるのにTOEICやらせたら600点でした、みたいなことはないはずで、スクリーニング材料としては一定の成果を出すと僕は思う。これは一例だけど、採用する企業は、そういう目に見える何かが欲しいんだと思う。それがないから、大学入試で判断しちゃうんじゃないかな。大学入試は、ある意味で公平に全ての高校生等を評価しているわけで、企業がそこに頼るのも仕方のない部分があると思う。

じゃぁ、そのままで良いんですか?ということになるわけだ。大学院が「うちの博士は優秀なんだから、ちゃんと採用してくれ」と企業にアピールしたいなら、学位を出すにあたっての「基準」と、それに沿った「評価」は必須だと思う。また、学位を出す基準は、本来は個別の研究とは別の尺度ではかる必要があると思う。「なぜ景気が良くならないのですか。それを検証するための手法を提示しなさい」みたいな問題を与えられたときに、どう回答するかなんじゃないだろうか。少なくとも、企業は採用にあたって、そういう能力評価を欲しがっていると思う。だって、何の研究をやっていたかなんて、ピンポイントな話には興味ないでしょ。大学院でやっていた研究を企業で継続する、未来永劫それを続けていく、というのなら話は別だけれど、(それが良いか、悪いかは別にして)終身雇用、年功序列をベースとした企業風土の中では、研究テーマよりも、研究能力なんだと思う。

では、研究能力はどうやって表現されるのか。それが適切かどうかは置いておいて、例えば「うちの学位はNature、Science、Cellに掲載されないと出しません」みたいな、結果からお迎えに行くのはあり得ると思う。でも、それにしても本人の能力なのか、周りの協力なのかは判断が難しい。やっぱり、「うちの大学院はこれこれこういう方針で、こういう能力を身につけさせます」といった方針の提示が必須なんじゃないだろうか。大学の研究室は、個別の研究をやりたい教授と、研究者になるための教育を受けたい学生が共存している。そのミスマッチに目をつぶっている限り、大学院と企業のミスマッチは解消されないと思う。でも、教授と学生のミスマッチを解消するのにはかなりの努力が必要だ。なぜなら、多くの教授たちは教育のプロではないからである。  

2011年02月01日

feed meterでランキングされてなんか少し嬉しい

このブログには、右下にいくつかのブログランキング系ブログツールがはってあるのだけれど、このうち、「feed meter」というのはずーーーーっと昔から載せてあって、でも、一度もランキングに掲載されたことがなかった。このランキング、ベスト300までしか掲載されないのがまず厳しい。ランキングのための要素は色々あるみたいだけれど、個人的には一番精度が高いように感じられて、なんとなく気になる。僕のブログはいつも300位に入るか入らないか、ぐらいの順位で、ときどき300位のブログよりも点数が高いのに掲載されなかったりして、「なんか知らないけど、嫌われている」って思っていた(笑)。でも、今、ちょっと見てみたら293位にランキングされている。良くわかんないけど、ちょっと嬉しい。ということで、満足した。

feed


ちなみに僕のブログの人気度は2.0。ちなみにトップは「GOING MY WAY」(人気度6.6)で、二番目はホリエモン(人気度6.5)。「あたしのブログの人気度はどのくらい?」というのはここで調べられます。

feed meter  

長友、すげぇな

徐々にステップアップ、とか言っていると、気がついたときにはもう引退とかになっているから、チャンスは一瞬なんだよね。今、24歳。ビッグクラブに行くにはぎりぎりの年齢かも知れない。

長友 インテルに電撃移籍!3日にもデビューへ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110201-00000020-spn-socc

それにしてもインテルか。今年はちょっと調子が悪いけれど(変わったことと言えば監督がモリーニョからレオナルドに変わったことぐらい(間にベニテスを挟んでいるけれど))、ジュリオ・セーザル、コルドバ、サネッティ、スタンコビッチ、エトオ、スナイデル、マイコン、カンビアッソ、ミリート、マテラッツィと、そうそうたるメンツが並んでいる。ローマに移籍した中田以来のビッグクラブ入りだが、当時のローマは今のインテルほどの強さはなかった。アジア人としては、朴智星以来の正真正銘ビッグクラブ入りになる。ダービッツのような、スタミナ、闘争心、粘りのある守備、そして効果的な攻撃参加で活躍して欲しい。

今、セリエAってどこで放送してるんだ?スカパーかな?WOWOWじゃないよね?  
Posted by buu2 at 11:15Comments(0)TrackBack(0)サッカー││編集

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せっかくだから、僕の学部のときについて書いておく

昨日、スキー部の後輩のお通夜の帰りにつらつら大学時代のことを思い出した。せっかくだから、ここに書いておく。

僕は大学時代、一番一所懸命やったのは部活だった。2年生の途中まではグータラ部員だったけれど、スキーの技術が岡部哲也氏の登場で大きく変わり、何やら色々と楽しい時期だった。それから、麻雀。もう、週末はほとんど麻雀だった。今は武田薬品に行ってブイブイ言わせている藤沢朋行君と一緒に週末のほとんどの時間を大岡山の「順風」で麻雀して生活していた。そうは言っても、全然勉強していなかったわけでもなく、どちらかと言えば当時の大学生の中でもかなり勉強していた部類だったと思う。というのは、それまで化学の枠組みの中で斜陽を味わっていた生化学関連の研究者達が、ようやく陽の目を見た時期だったからなんだと思う。僕は新設された「理学部生命理学科」の一期生となって、学科に所属したのだけれど、教授たちの多くはやる気満々で、そして、それまで物理と化学しか勉強してこなかった僕にとって、当時の分子生物学はめちゃくちゃ楽しい学問だった。そういうわけで、僕はスキーと、麻雀と、読書と、バイトと、そして勉強が生活のほとんど、という暮らしをしていた。

そうこうするうちの自然に4年生になって、研究室に所属することになったのだが、僕の希望は当時軽部研にいたスキー部先輩の横山憲二さん(今は産総研にいるのかな?)に薦められた渡辺公綱さんの研究室だった。ところが、所属を決めるときのじゃんけんで負けてしまい、僕は物理化学系の研究室に所属することになった。その部屋は希望でもなんでもなかったので、じゃぁ、そこで1年間勉強して、あとはどこかマスコミでも就職するかな、と思っていたのだけれど、なぜかそこで大学内のお家騒動みたいなものに巻き込まれてしまい、色々あった挙句に僕は希望通り、渡辺研に配属となった。

当時の渡辺研はまだ東工大に来たばかりで、助教授は不在、助手が上田卓也さん(今、東大かな?)という布陣。学生もそこそこにいて、他に理科大とかから外研生も来ていて、大所帯だった。僕はそこに急遽配属になったのだけれど、ちょうどそのとき、Candida cylindraceaという酵母が通常の遺伝暗号に従わない、という発見があって、上田さんはその研究をやりたがっていた。そこに僕がふらふらっと入っていったので、「じゃぁ、元木はこの酵母を培養してくれ」ということになった。培養がどれだけ大変なのかわからなかったけれど、了解した僕は、そのとき、渡辺さんと上田さんに次のようなお願いをした。

「これからずっと、土日も要らないので、毎日研究室に来ます。そのかわり、来年の1月のインカレと、3月のスキーの大会には出させて欲しい」

僕にとっては学生生活で最後のインカレと東京地区国公立、東日本国公立の3つの大会は、スキー部人生の集大成でもあって、それらの大会でそれなりの成績を出すことがひとつの目標でもあったわけだ。

そして、そのとき、酵母の培養要員が欲しかった上田さんの要望に、僕の提示した条件がフィットした。ということで、めでたく交渉は成立。じゃぁ、元木は毎日研究室に来て、酵母を培養して、一日も早く目的とする酵母のtRNAを精製してくれ、ということになった。その酵母は8時間ごとに培養液の透明度を計測する必要があって、以後、僕は毎日8時間おきに大学に行って(自転車で30分程度だった)、培養を続けた。培養をしている以外の時間はほとんど何もやれることがなかったので、テニスのサーブだけは非常に上達した。そして、雨が降れば読書。合間合間に家庭教師のバイト。そうやって、僕はずーーーーーっと毎日酵母の培養だけをやった。そして、それを通じて、「あぁ、生化学の実際って、凄くつまんないんだな」と感じるようになった。ワトソンとクリックによる革命的な発見があって、以後、長足の進歩を遂げた分子生物学は、僕が研究室に入ったあたりがバブルの最後の時期と一致するような感じだったんだと思う。それでもまだT7の系が構築されたり、PCR法が開発されたりと、面白い話はちょろちょろあったのだけれど、あれもやろうぜ、これもやろうぜ、という感じではなくなっていた。そして、秋になった頃、「この調子で培養していては、一年間で目的とする酵母は集まらない」ということがわかった。だけど、僕は別にそれほど大した問題ではなかった。あぁ、じゃぁ、僕の卒研は、酵母の培養をしました、以上、で終了かな、ぐらいに考えていた。しかし、上田さんは早く実験をして、早く論文にしたかったらしく、秋も大分深まった頃に、「大岡山の山中研(今は福森研?)に馬鹿でかい培養槽があって、500リッターの規模で培養ができるらしい」という話を聞きつけてきた。それまで僕がやっていたのは、2週間で10リッターの規模だったから、100週分を一気にできる勘定だ。正直、「それならなんで早くそれをやらなかったの?」という気分だったけれど、一日3回研究室に通うのにもさすがに辟易としていたので、「やれやれ、やっと開放される」ということになった。そして、そのイッパツ解決の培養をやって、「これでもう十分」という量の酵母が得られたときは、すでにスキーシーズン真っ只中だったわけである。そして、得られた酵母からtRNAを抽出して、問題となっているセリンとチロシンに対応しているtRNAの配列を決めましょう、ということになったのだが、その作業は築地のがんセンターの口野さんに教えてもらう必要があって、そこに出かけていってやり方を教わったのは、当時の渡辺研のドクターだった横川隆さん(現在岐阜大)だった。僕はがんセンターには一度も行くことがなく、結局横川さんが全てのシーケンスを決めたのだけれど、それは、「こんな大事な研究を技術のない学部生にやらせておくのはリスクが大きすぎる」ってことなんだろうと僕は思っていた。実際のところはどうだったのか知らないけれど、当時渡辺研のエースだった横川さんが、僕が9ヶ月かけて集めた酵母で実験して、論文にすることには何の異論もなかった。是非、いい結果を出してください。僕はスキーの合宿に行きます、という感じ。

ということで、僕の卒業研究は、実質的にはCandida cylindraceaの培養だけで終了した。でもまぁ、その後、僕が培養した酵母でこんな論文とかも出ているし、

Serine tRNA complementary to the nonuniversal serine codon CUG in Candida cylindracea

(さっき、CandidaとMotokiでぐぐったら引っかかってきた。素晴らしい)

それを使って実験をした鈴木勉君とかはその後RNA界で色々と成果を上げたらしく、僕が経産省にいたときに何度か役所で会ったこともある。皆さんが偉くなってくれて、僕の培養も無駄にはならなかったということ。

ちなみに僕は渡辺公綱さんから「あいつは手抜きをする奴だ」とレッテルを貼られ(なぜなら、僕は雪が降ってから、約束通りスキーの合宿に行ってしまったのだ)、翌年からは新しく助教授として渡辺研に参加した西川一八助教授の部屋に移動になった。つまりは厄介払いされたわけで、一年間、文字通り雨の日も、雪の日も、暑い日も、寒い日も、毎日8時間おきに培養したCandida君の実験はついぞ一度もやらなかったことになる(笑)。まぁ、渡辺さんからすれば「手抜き」なのかも知れない。でもさ、毎日8時間おきって、言うのは簡単だけれど、連続しての睡眠時間は6時間以上取れないし、一日たりとも休めないから旅行にだって行けないし、飲み会とかだって限定的になるし、実際にやったら生活はボロボロだよ。でも、僕は約束は守った。約束を守って「手抜き」と言うなら、それはそれでひとつの見識である。

僕はこうやって、学部の4年生(5回生)を終了した。卒論はA4で5枚程度だったか。なぜなら、Candida君の培養方法と、どのくらいの収量が見込めるのか、といった実績ぐらいしか書くことがなかったからである。その論文(とも言えないが(笑))がどこに行ったのかすら僕は知らない。確か鈴木くんに渡したと思うけれど、大したものじゃないからどうせどっかで捨てられちゃったんだと思う。あと、残ったものといえば、僕が培養したそこそこ大量のCandida酵母君と、東日本国公立大学スキー大会回転競技6位の賞状だったのである。

西川さんとは今も年賀状のやりとりをしている。もうあと2年で定年、みたいなことが今年の年賀状には書いてあった。渡辺さんは産総研お台場のなんとかセンターのセンター長とかをやっていて(今もやっているのかも知れないけれど)、僕が役人の時にも何度か会ったことがある。「君も偉くなったねぇ」とか言っていたけれど、ちょっと後輩にあたる上村さん(現在は経産省から長崎県へ出向中)のことは「上村さん」と呼んでいたのに、僕のことは「君」だったから、「あぁ、もうすっかり忘れてんのね」と、心の底でちょっと笑ってしまった。

こうやって振り返ってみても、僕が4年生のときにやったことって、全く研究とは言えないものなんだよね。でも、誰かがやらなくちゃいけなかったことでしょ?なんとかっていうリソースセンターで凍結保存されていた種菌を起こすところから始めて、大量培養までで約9ヶ月。「こんなの、卒論になんかならないよ」っていう意見もあるかも知れないけれど、もし僕が培養しなかったら、横川さんや鈴木くんのペーパーは書けなかったわけで。いや、彼らに対して何か含むところがあるわけじゃないよ?彼らはそこそこの論文に、培養しただけの僕の名前を載せてくれているし、ね。逆にありがたい話。それはそれとして、当時の大学にはこういう雑用をする役割は学部生しかいなかったわけで(今はどうなのか、知らないけれど)、そういう時代だったんだよな、と思う次第。

ということで、元木一朗君の学部の話でした。  
Posted by buu2 at 01:48Comments(2)TrackBack(0)日記││編集

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