2011年04月30日

倒産目前の日本国にやって欲しいふたつの事業

僕は政府は小さくて良いと思っている人間で、役所も縮小できるところはどんどん民営化していけば良いと思っている。でも、国がやっていかなくちゃいけないこともあって、それは例えば立法とその維持、裁判、通貨の維持、不経済独占の解消、競争の明確化、国防、外交、治安維持、統計整備、税金の徴収あたりは今後もきちんと国がやって行くべきところだろう。そして、それ以外は極力縮小の方向が、目指すべきだと思う。

ただ、今やっていないことで、新しくやって欲しいことがふたつだけある。それは、背番号による国民情報の管理と、電子貨幣の整備だ。

国民総背番号制はなぜか反対が多いけれど、そんなに隠しておきたいことがあるのだろうか。情報のセキュリティさえきちんとできるのであれば(と簡単に書いたが、これが一番のネックであることは間違いがない)、こんなに労力が減ることはない。確かに会計士とか、税理士とか、既得権者の皆さんは困るかも知れない。でも、もうこんなことに時間とお金をかけているのは勿体無くて仕方がない。国民の健康データも統計データも、背番号を振るだけで全て解決する。選挙の投票だって、投票率100%が実現可能だ。震災に乗じて、といったら言葉は悪いが、さっさと導入したら良いと思う。

しかし、僕が個人的にもっと期待するのは電子マネーの整備である。それも、少額決済に対応できるものだ。例えば、僕のブログの記事。これ、一本読むのに10円だとする。大体、今のPVが3000〜5000ぐらいである。有料化したときに閲覧数が1%まで低下したとしても、一日に300〜500円の収入が得られる。消費税は5%のままでも、国に入る税収はぐっと増えるはずだ。しかも、この課金は海外からのアクセスにも適用が可能である。というか、TPPみたいな枠組みを使って、国際的なものにしてしまっても良い。とにかく、少額のお金をネットでやり取りできるようにして欲しい。いや、今でもペイパルみたいなものを使えば、比較的安価に少額のお金をやりとりはできる。でも、参加している人が少ない。みんながほぼほぼ等しく参加していて、気軽にちょいちょいって決済できるような電子マネーシステムが欲しい。そのためにはある程度の信頼性がないと困る。システムがダウンしても困るし、セキュリティがきちんとしていなくても困る。後々税務署とかから睨まれる可能性もあるから、それならいっそのこと、国営でどうか、と。ばーーーんと日本の国営事業としてぶちあげて、さっさとシステムを構築、国民総背番号制とセットにしちゃえば、物凄く便利になると思うんだよな・・・・。少額の取引だって、あちこちで行われれば馬鹿にならない。5%の消費税だって、物凄く儲かると思うんだけれど。

#ただ、利用料の設定とかの運用面は物凄くガチガチに防御しておく必要があるけれど。「お金ないから、利用料10%にしちゃおうぜ」とか、「私の選挙公約は利用料の永久無料化です」とか出てくるとややこしいから。あと、お金は強制チャージじゃなくて、希望額だけを入れておくという感じ。詐欺対策とかも必要だろうな・・・・そしてもちろん利用は任意。強制という形ではなく。

情報の一元管理と、マイクロペイメント。いわば、「国民総背番号制」と「電子日本銀行」。情報が流通するようになったのに、その規格化、および貨幣経済との分断が市場経済発展のネックになっていると思うんだよな。

駄目ですかね?こんなこと、きっとこれまでも色々な人が考えているはずだよね。何が問題なんだろう。  

Posted by buu2 at 22:36Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

共産党のブレない追求っぷりはさすが

外部電源喪失 地震が原因

1から10のうち、正しいのは2つか3つ(社民党は0か、百歩譲って0)なので、政権どころか自治体の首長になっただけでも(東京の西のほうとか、ときどき間違ってそういうことが起きる)数年間取り返しがつかないほどのダメージを与えてしまう共産党だけど、この間の津波のリスクに関する指摘といい、これと良い、グッジョブという感じ。こういうところが社民党とはひと味違う。

それにしても、「津波は関係ありませんでした」って、はぁ?という感じだな(笑)。それでさ、こういうのを隠していたことって言うのは、罪にならないんですかね?責任、追求できないんだろうか。追求できないなら、とりあえずは隠すよね。だって、公表しても良いことないし、バレたって別に何もないんだから。

とりあえず、こういうことはぜーんぶどこかにメモしておいて、間違って東電に税金投入とか言う話になったら額に入れて送りつけてやる必要がありそうですな。

検索用タグ:東電の悪事  

原発消極派による「低線量被曝の健康被害」に対する代表的主張

結局、低線量被曝の健康被害については「諸説あります」ということのようで、原発推進派の「累計100ミリシーベルトからは健康被害を否定出来ない」というのと、原発消極派の「累計1ミリシーベルト以下では健康被害は指摘できない」の2つぐらいがコンセンサスなんだと思う。つまり、1ミリシーベルト未満なら許容範囲、100ミリシーベルト以上だと許容できない、の2つについては議論の必要がなさそう。

そんな中で、消極派の代表的なレポートがこれ。

低レベル被ばく影響に関する最近の報告(第106回原子力安全問題ゼミ、2009.3.6、今中哲二、PDF)

わかりやすく良くまとまっていると思う。ただ、内容の信頼性については諸説あるんだと思う。たとえばこの文書の中では「直線・しきい値なしモデル」を「合理的で最もタフなモデル」としているけれど、昨日の朝生では「直線・しきい値なしモデルは一般的に否定されている」とのコメントがあって、どちらが本当なのか、僕のような素人には良くわからない。わかりやすいのと、正しいのは全く別の評価基準なので、そこを混同しないようにしないと(わかりやすいと、ついつい正しいと認識しがち)。

それで、このレポートの一番興味深いのがこのスウェーデンの調査。

スウェーデン汚染地域でのガン増加
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セシウム汚染でガン発生率がアップするというもの。これをそのまま今の日本に適用するとどうなるのかな。あとでちょっと調べてみますかね。

疫学って、コントロール(対照)が取りにくいから、凄く難しい学問なんだよね。例えば「ビタミンAの摂取の影響について」とか言ったって、ビタミンAの摂取量を完全に制御するのは物凄く難しいし、しかもそれを長期間にわたって調査するのは物凄い労力を要するわけです。あるいは、放射能が降りました、といっても、その結果、がんの死亡率がどうなるのかっていうのはサーベイが凄く難しい。「放射能が降った」っていう情報をもとに、みんなが病院に行って、そのおかげでたくさんのがんが早期発見されて、治療したおかげで死亡率は減っちゃった、とか。あるいはがんの罹患率も、調査をしっかりやったおかげで発見率が上がっちゃったとか。環境要因によって「現状」(=コントロール(対照))が大きく変わってしまうので、特定の事象の影響が調べにくいわけです。その点で言えば「放射能の影響って良くわからなかったけれど、あとになってみるとこんな傾向があるよね」という、先のスウェーデンの例なんかはなかなか良いデータなんじゃないかな、と思うのですが。

#ちなみに今の日本は低線量被曝の疫学調査の格好の実験場。こんな状況になることは滅多にないので、国際的な資金をバンバン入れて、どんどんデータを集めるべき。20年もしたら、有名学術雑誌にたくさん「Fukushima」という文字が並ぶでしょう。  

小佐古参与の告発から垣間見えるダメな政治家による政治主導の恐怖

NHKは油断しているとときどきグッジョブなパンチを繰り出すので侮れない。小佐古官房参与の辞任会見資料の全文です。

NHK「かぶん」ブログ「官房参与が辞任・記者会見資料を全文掲載します

もう、ポイント満載なので全部読んで、という感じだけれど、例によって「えー、面倒だよ」という人(でも、そういう人は政府にコロッとダマされるわけで、何度も痛い目にあっているはず。手間を惜しむのは良くないよ。どうせ連休中なんでしょ?)のために以下、ポイント。

原子力災害対策は法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本であるにも関わらず、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見える。
 
原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織であるが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けられた。

住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない

公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない

甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきであるが、現状なされていない。

文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきであるが、現状なされていない。

文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがある

「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスを官邸と行政機関がとっているように見える。

放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要がある。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じる。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思う。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきである。

行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになるが、それをやっている。

福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されているが、これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いである。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考える。

国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。これは、国際関係軽視、IAEA軽視である。

核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと連携強化を図る必要があるが、官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。


いや、良いね。何が良いって、「政治主導に見えるようにしたい」菅内閣の実情が垣間見えること。菅直人君の言う「政治主導」っていうのは、政治家が勝手に決めたやり方で進める、「政治家が正義だ」政治なんだね。それで、法律とか、国際関係とか無視して、「よーし、これでやっちゃおう」って。しばらくするとそれじゃマズかったということがわかるわけで、慌てて「修正っ!修正〜」の号令(笑)。銀英伝でラインハルトに馬鹿にされ、ヤンに「やれやれ」と呆れられちゃう自由惑星同盟の皆さんにそっくりです。

小佐古さんは「たとえば」ってことで代表事例を挙げているけれど、たとえばなんて出し惜しみしないで、もう全部洗いだしていただきたい。国会に呼んでぜーんぶ告発してもらおうよ。

特に僕が気になっていたのは「いつまで非常時なんだよ!」ということで、その点で「2、3日あるいはせいぜい1、2週間ぐらい」と提示してもらったのは非常にナイス。今のままじゃ、2年後も非常時とか言い出しかねないからね。言葉は定義が重要。そこをなぁなぁにしないのが良い官僚なんだけれど、「政治主導に見えるようにしたい」菅内閣はそういうセンスがないからね。

それで、菅直人君のコメント。

「場当たり的ではない」=辞任の小佐古氏に反論―菅首相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110430-00000040-jij-pol

さて、「場当たり的」という言葉の定義から始めましょうか(笑)。

#でも、その前に小学校だけはなんとかした方が良い。  

2011年04月29日

今日の夕景

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1960年代と同水準(爆笑)

テレビとかを見ていると印象操作を企図したグラフによくぶち当たる。「全然違うじゃん」みたいな話を巧妙に我田引水していくのだけれど、もちろん今回の原発事故でも同じようなインチキが行われている。例えばさっきリリースされたこの記事。

1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし」 東京の放射性物質降下量
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110428/trd11042823060023-n1.htm

記事の主旨は、「結構たくさん降ったけれど、1960年代の核実験時代と同レベルだから問題ないですよ」という感じ。どれどれ、と思ってデータを見てみると、掲示されているのはこのグラフ。

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単位面積(平方メートル)あたりの放射性物質の降下量(ベクレル)のグラフなんだけれど、右の方に今回の福島の事故のプロットがある。それで、1960年頃と一緒じゃん、と。ずいずいずいっと、福島のプロットから左を見ていくと、確かに1960年頃のプロットの近く・・・・。でも、そこからさらにずいずいずいっと左に目を移すと、あれ?このグラフ、片対数じゃん。一見同じくらいに見えるけれど、じゃぁ実数はいくつなの?ということで、これを見る限りでは多分1960年頃のセシウムの降下量は一ヶ月に大体40ベクレル/平方メートル、最大で800ベクレル/平方メートル(1963年頃?に1度だけ)。で、今回の数値は、最大のところだけ見ると多分3000〜4000ベクレル/平方メートル。二回目はがくんと落ちているけれど、それは当たり前。だって、原発がドカーンって爆発したのは3月だから。26日以降はおとなしくしているので、そりゃ3月と4月じゃ全然様相が異なる。ということで、今回は3月で見てみよう・・・・・。

全然違うじゃねぇか(笑)。

ここで使っているのは片対数グラフという奴で、普通は1メモリで1増えるところ、1メモリで10倍になるというもの。だから、数字を見ると1→10→100→1000と増えていく。片対数グラフというのはデータの分布が広い場合に採用する、やや特殊なもの。

ここ30年ぐらいは放射性物質の降下量は0.1ベクレル/平方メートルぐらいだったわけで、それが突然3000とか、4000とか、要は数万倍になってしまったわけで、片対数グラフでその推移を検討するのはそれほど間違ってはいない。ただし、健康被害については別だ。だって、2シーベルトの被曝では致死率5%だけれど、10シーベルトなら致死率は100%なんだもん。つまり、被曝量が5倍になったら、致死率は20倍、しかも、全員死んじゃうんだから、もうこれ以上はないレベルになっちゃう。放射線の被曝は、この位の倍数でも大幅に変わる可能性があるということ。そして、今回は1960年代の降下量の「最大値」の5倍くらいなわけだ。確かにグラフ上では「似たような数値なのかな」と見えるけれど、実際の数値は全然違う。今回の数値が1960年代の降下量よりも下に収まっているなら確かにこのグラフでも構わないけれど、今回は「1960年代における最大値」の5倍程度になっているので、全く不適切である。

よくもまぁ、こんなインチキなデータの提示のやりかたをするよなぁ、と感心してしまう。ということで、ちょっと僕がグラフを作りなおしてあげよう。あ、確かに降下物のグラフを見ると1960年前後には確かに単発で800ぐらいのデータが「1つ」あるんだけれど、平均すると40ぐらい(笑)。だから、今回は40で作ってみました。別に他意はないので、ここを800にしても良いんだけれど、それは科学的じゃないので(笑)、今回はおおよその平均を取ってみました(ちなみに目測です)。じゃーん、こんな感じ。

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もう、笑っちゃうよね。今回以外はx軸にべったりと張り付いちゃって見えないじゃん。これで「1960年代と一緒」って・・・・。具体的に言うと、10階建てのマンション(1960年)と富士山(今年の3月)ぐらい差があるんですけど・・・。でもね、グラフはちゃんと目の前に提示されているんですよ。見る側が注意深くないだけ。きちんと見れば騙されないんです。「ただちに影響が出るわけではない」というのと、からくりは一緒。あとになって、「だって、同じって言ったじゃん!」と文句を言っても、「それは私の個人的な見解。大体グラフはちゃんと提示してあったでしょう?」と返されるのがオチです。目の前にグラフがあるんだから、ちゃんと見てね(はーと)。

えっと、それで、こういうのを難しい言葉で、へそでお茶がわくっていうんでしたっけ?国民をばかにするのも大概にしておけよ?

#あわせて読みたい
かなり感覚的に計算したら、30年後には毎年500人がんで死ぬ勘定」  

2011年04月28日

年金を払わないことの意味

こんなニュースがあって。

初の60%割れの公算=10年度の国民年金納付率―厚労省

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110428-00000126-jij-pol

年金未納問題は世代間格差の象徴みたいなもので、要は国の信用度がどんどん下がってきているということ。

統計は地域別で見せているけれど、年代別じゃなくちゃ意味無いじゃんね。っていうことで、こちらに年代別の資料。最新版じゃないけれど。

国民年金納付率59.98% 2009年度ついに60%割れに至る

はい、当たり前ですが、まじめに払っているのはお年寄りばかりです。

★2009年度国民年金1号被保険者の納付率。
・20歳〜24歳=49%(マイナス2.4%)
・25歳〜29歳=47.1%(マイナス2.3%)
・30歳〜34歳=51.7%(マイナス2.2%)
・35歳〜39歳=56.5%(マイナス1.3%)
・40歳〜44歳=57.7%(マイナス1.6%)
・45歳〜49歳=62.3%(マイナス2.3%)
・50歳〜54歳=66.6%(マイナス1.7%)
・55歳〜59歳=73.3%(マイナス1.8%)


年寄りたちは、「ちゃんと払わないと大損するよ」って言っているけれど、そりゃ当たり前。皆さんはお金をもらえる立場ですから。年金がもらえる年齢まで生きているかどうかもわからず、未納者が増えてカッコが悪くなったら勝手に(申請がないのに)免除者にしちゃって(俺も免除者にしてくれ)、7兆円近くを年金給付以外の用途に利用し、おまけに年金記録がなくなっちゃうとかいい加減な運用していて、さらには給付年齢がどんどん上がっていくんだから、こんなの、払うほうが馬鹿という話もある。この数字は猶予者が分母から抜いてあるから(だから分母を小さくするために、申請もないのに親切に免除者にしちゃうんだけど。免除者にして欲しい人はたくさんいると思う)、実際の未納者(払っていない人)はもっとずっと多いはず。

そもそも、年金制度ってなんだろう、と考えてみる。多分、物価の上昇率を抱え込むための先人の知恵なんだろう。たとえば、20代の人が5万円を積み立てたとする。50年後は多分物価が変動していて、5万円の価値がどのくらいになっているかわからない。なので、その5万円は今、老人たちに5万円として使ってもらおう。そして、50年後には、50年前の5万円と等価なお金を給付しよう、ということ。その金額が10万円なのか、20万円なのかはわからないけれど、今で言えば5万円あればお米が150キロぐらい買えると思うので、50年後にもそのくらいのお米が買えるだけ給付されれば文句はないはずだ。物凄くざっくりと考えてみたけれど。

さて、この考え方には目に見えない前提がいくつかある。まず一つ目。寿命が延びないこと。寿命が延びてしまうと、給付するお金が増えてしまう。二つ目。人口の変動がないこと。人口が増えていく分には全く問題ないが、問題は人口が減少傾向になったとき。給付のための原資を稼ぐ人数が減ってしまったら、一人当たりの負担は大きくなる。ところが、現状は前提が二つとも崩れている。だから、状況は悪化する一方だ。対策として「足りないお金は国から援助しよう」ということになるわけだが、それだって原資は税金。その税金は元を正せば国民の経済活動から一定額を集めているわけで、社会の負担が大きくなってしまうことには変わりがない。三つ目。終身雇用の人が圧倒的多数。つまり、とりっぱぐれが少ない、ということ。結婚せず、子供を持たず、そして定職につかないフリーターがたくさんいる、という状況は全く想定していない。

状況を改善するためには方法はぱっと思いつくもので3つ。一つ目は、寿命を短くすること。原発から放射能をばらまくなんて言うのは結構良い作戦だったりする。二つ目は人口を増やすこと。だから少子化対策なんてことをやっているわけだけれど、社会がこんな状態で子どもが増えるわけがない。僕の周りの若い人(30代以下)では、比較的恵まれている環境の、ただし少数の人は子沢山、一方で生活に汲々としている人は共働きだったり、そもそも結婚していなかったりしていて、こちらのほうがマジョリティ。出生率がアップする理由は見当たらない。三つ目は経済活動を活性化すること。年金の納付額が増えないなら、他のお金、つまり税金を増やそう、ということになるのだけれど、残念ながら経済の状態も見通しが暗い。

じゃぁ、貯金で、とか思うわけだけれど、するとここで「物価の上昇」という壁が現れる。そもそも、この壁をクリアするためのアイデアが「年金」だったのだ。じゃぁ、どうするのか、ということになる。これだ!と思いついたものの代表例が株での運用。東電の株とかだ。普通に考えれば東電とか、NTTとか、JRとか、JTの株は鉄板。これが大きく値崩れするはずがない、というのが普通の見方だ。ところが、今回はそれが崩れた。原発事故で東電の株が大きく崩れてしまい、「えええっ!」と思ったのは、多分貯金のつもりで東電の株を買っていた皆さんだろう。世の中、「ゼッタイ」はない。そんな中でも比較的信頼できたのが「年金」なのである。堂々巡りだ。

貯金して老後に備えるのも難しい、かといって年金はどんどん状況が悪くなる、でも、平均寿命は順調に延びていて、今では60歳で定年になってもあと10年ぐらいは健康なまま、その後は色々不具合が出てくるけれど、それでも男性で約10年、女性で約15年は生きてしまうのである。ことここに至り、40代以上の人間が言えることはせいぜい「年金はきちんと納めましょう」ぐらいだ。

ただ、どうなんだろうね。20代、30代にとっての10万円と、70代にとっての10万円って、等価なんだろうか。70代になっても、そんなにあれがやりたい、これがやりたいって、あるのかな。せいぜい医療費ぐらいなんじゃないかな、とも思う。一方で、20代、30代は、持っているお金も少ないわけで、そこから一定額を年金として納入しなくちゃならないのは結構辛い。お金の価値というのは客観的には同じだけれど、一人の人間のライフサイクルを俯瞰して見てみると、常に一定ではないと思う。してみると、若い人達が年金を払わないというのは一つの選択肢足りうると思う。もしかしたら、津波で関係資料が全部流されちゃうかもしれないんだし。

国民総背番号ならそんなこともないんだろうけれど。

良い会社に就職していると「年金を払わない」という選択肢は存在しないわけで、実は「年金を払わない」というのは弱者の切り札でもあると思う。そして、弱者が年金を払わないおかげで、サラリーマンの皆さんの負担額はどんどん増えていくわけだ。サラリーマンは税金と一緒で、未納できないからね。サラリーマンとしちゃぁ、というか、ちゃんと年金を払っている人から見たら未納者は敵だから、僕みたいに「払わないのも当然といえば当然」って言わない。でも、「払ったほうが良い。年金は損しないよ。逆に、払わないと大損」と言いつつ、「本当は俺も払いたくないなぁ」と思っているんじゃないだろうか。年金がなくても、本当に困れば生活保護があるしね。

ちょっと考察が足りないので、GW中にでもまた考えてみようかな。今のところの僕の考えは、「若い人達が年金を払わないのは、世代間格差に対する有効な抵抗策のひとつかも知れない」ということ。  

え?この状況で東電って、社員にボーナス出すの?

東電報酬カットに海江田「足りない!」…歳費ももっと削れよ

 一方、東電社員のこの夏のボーナス支給額を1カ月分とすることで労使が妥結したことが分かった。平均支給額(組合員平均38・2歳)は交渉ベースの40万1000円とみられる。同社の昨夏の平均支給額は83万6000円のため、半額以下となる見込みだ。


あほか。ボーナスにまわすお金があるなら全額赤十字に寄付しろよ。経営も馬鹿なら組合も馬鹿ということですね。  

どうぶつしょうぎ 新デザイン募集!

Apple端末で展開しているどうぶつしょうぎアプリには、「きせかえどうぶつしょうぎ」という機能が追加されています(Android版はまだ対応しておりません)。

この「きせかえどうぶつしょうぎ」は、好きなデザインで遊んじゃおう、というもの。今のところ、通常デザイン、副将軍デザイン、3月以前に購入された方はさらにオリジナルデザインの3通りで遊ぶことができます。

そして、これから、新しいデザインをどんどん増やしていきたいと思っています。そこで、皆さんからのデザインを募集してみたいと思います。優秀なデザインは、弊社で無料でアプリに搭載させていただきます。必要な絵は、盤面1枚、キャラクター5種類の合計6点です。音声を添付していただければ、音声も追加可能です(キャラクターがらいおん、ぞう、きりん、ひよこ、にわとりの5種類であれば、現在の音声データをそのまま使うことも可能です。コマの種類は既存のキャラクターに限定されません(副将軍将棋は「爺」「角」「助」「八」「忍」の5種類)。

たとえば、

震災復興将棋
「ほや」「かき」「わかめ」「さんま」「きんかさば」

水族館将棋
「シャチ」「イルカ」「マグロ」「カニ」「イソギンチャク」

なんかが思いつきますし、他にも動物園ご当地版とか、恐竜将棋とか、色々考えられると思います。「こんなの、描けます」という方は、このエントリーへのコメントでも、メール(info@liblog.co.jp)でも、ツイッター(@Amidalachan)でも、なんでも良いので、アクセスしていただければ幸いです。

個人的にはこれとか、作ってみたいんですよね・・・・。

妻の小言。「問題

本人のブログはこちらですが、どうやら5月は対局がない様子。ちょこちょこっと、是非ひとつ(笑)。

女流王位戦開幕。

タイトルは、「りゅうおうしょうぎ」ぐらいで。  
Posted by buu2 at 19:34Comments(0)TrackBack(0)将棋││編集

空想官邸ドラマ「輸送機を飛ばせ!」

なんというか、変なニュースだよね。

東電社長・自衛隊機利用問題 枝野氏らが責任転嫁
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/504320/

普通に考えて、どんな非常時だとしても民間人が自分で自衛隊に頼み込んで輸送機が飛ぶとは思えない。誰かが政治的な圧力をかけたはず。政治的な圧力なしに輸送機が飛んじゃったら、そっちの方が大問題だ。じゃぁ、誰が圧力をかけたのか。そんなの、可能性があるのは防衛省の長官か、総理大臣ぐらいしかいないでしょ。ということで、以下、僕の読みスジをドラマ化してみました。


菅直人(ぶち切れて)「何やってんだ、馬鹿!原子炉が今にも吹っ飛びそうだって時に大阪だとっ?早くすっ飛んでこい!」
枝野(困惑して)「いや、しかし、総理、今、東名高速は通行止めで、特別に差配したとしても、高速道路までが大渋滞ですよ」
菅直人「俺はすっ飛んで来いって言ってんだ。すっ飛ぶとは、文字通り飛んで来ることだっ」
枝野「では、JALの朝一を手配します」
菅直人「おせぇよ。原子炉がメルトダウンしたらどうすんだ!俺が陣頭指揮を取っていたら、俺の責任になるだろっ!東電の社長が最前線に立たないで誰が立つんだ。一刻の猶予もないっ。北沢はまだか?自衛隊は使えんのか?(沖田艦長がドリルミサイルを撃ち込まれたときのトーンで)」
枝野「北沢さんには今連絡つきません。誰か、防衛省の人間が官邸にいないかな?」
海江田「あ、さっき丸防いましたよ。彼に頼みましょう。携帯、わかります」
枝野(電話をして)「あ、至急なんだけれど、ちょっと輸送機を一機、小牧から入間に飛ばせないかな。東電の社長を運びたいんだ。今、陸路全部ダメだし、緊急なんだよ。原子炉関連で。そう、福島。そう、総理も知っているから。北沢さんにはあとで僕からも伝えておくから大丈夫だ、問題ない」
枝野(電話を切って)「問題ないみたいです」
菅直人(ぶち切れ気味で)「当たり前だ!国家の一大事なんだ。自衛隊が動かないでどうする。俺は原子力には強いんだ!」

飛行機が飛んだ頃・・・・場面変わって防衛省

幕僚長「北沢長官、先ほど、官邸のオーダーがあってC130が小牧を飛び立ちました」
北沢「おいおい、ちょっと待ってくれよ。聞いてないよ(ダチョウ倶楽部調)。俺が知らないところで輸送機が飛んだなんてことになったら、内閣持たないよ。あっちには石破さんもいるんだよ?」
幕僚長「しかし、総理の要望でしたので」
北沢「いやいや、ダメ、ゼッタイ!(覚せい剤禁止な感じで)。今どこ飛んでんの!(ブライト調で)」
幕僚長「飛んだばかりなので、まだ浜名湖のあたりかと」
北沢「呼び戻せ。あと、この件は極秘で頼むよ。何を言われるかわかったもんじゃない」
幕僚長「わかりました」
北沢(電話をして)「あ、枝野さん?勘弁してくれよ。俺のクビが飛ぶんだよ。え?そりゃわかるけどさ、自衛隊は指揮命令系統が一番重要なんだよ。俺が知らないところでC130が民間人を載せて飛んじゃったなんてマスコミにバレたらどうすんだよ。いや、口止めしたってさ、ウィキリークスとかに載ったら、俺の政治生命終わりなんだから」

場面戻って首相官邸

枝野(申し訳なさそうに)「総理、C130、マズイってことで、小牧に引き返しました」
菅直人(ぶち切れて)「じゃぁ、誰が現場の指揮を取るんだよっ!!」
枝野「副社長が東京にいるようです。副社長にやってもらいましょう」
菅直人「社長がいないことはどう説明するんだっ!」
枝野「体調不良ってことで、しばらく病院に入ってもらいましょう。どうせ、会長だろうが、社長だろうが、副社長だろうが、誰がやっても一緒です。偉い人は原子炉なんか分かっていませんから(ジオングの整備士調で)」

#本エントリー中の固有名詞や役職は空想のもので、実在する人物とは一切関係ございません。  

2011年04月27日

まずは論文からあたってみよう

被ばく100ミリシーベルトまでは影響なし
 箱崎氏によると、広島と長崎で原爆に被爆した人への追跡調査の結果、約100ミリシーベルトの放射線量に被ばくした人の発がんリスクの増加率は、10歳男性が2.1%、10歳女性が2.2%、50歳男性が0.3%、50歳女性が0.4%だった。一方、肥満の発がんリスクの増加率は20-60%で、箱崎氏は「100ミリシーベルト(以下の放射線量)であれば、たばこや肥満などの方が発がんリスクは高い」と指摘した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110426-00000014-cbn-soci

箱崎幸也さんの論文一覧

PubMed

はて。

CiNii

さて。  

第二回 どうぶつしょうぎ こどもたいかい

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5月7日13時より、Apple Store銀座で「どうぶつしょうぎアプリ」のイベントを開催します。前回同様、小学校3年生以下のお友達を含む家族によるトーナメント(事前登録が必要です)と、どなたでも参加できる「らいおん・はんとコンテスト」を実施します。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

会場:Apple Store銀座

日時:5月7日 13時〜(15時終了予定)

参加費:無料

申し込み:家族対抗トーナメントには事前の申し込みをお願いいたします。応募は必要事項を記入の上、FAX、またはe-mailでお願いします。
FAX:048-462-6959
e-mail:info@liblog.co.jp
必要事項:代表者氏名、電話番号またはe-mailアドレス、チーム名、チーム構成(大人_名、子供_名、最低年齢_歳)

備考:家族チームは実際の家族である必要はありません。特に、東北地方太平洋沖地震で被災されたお友達には是非ご参加いただければと思います。  
Posted by buu2 at 14:05Comments(0)TrackBack(0)将棋││編集

万能こし器

昨日、料理の本をつらつらと見ていたら、カツオのだしを取るときに万能こし器を使うと良いと書いてある。そういやぁ、僕はいつもザルにキッチンタオルをろ紙がわりにして置いて、おたまですくってかつおぶしを取り除いている。この作業、何が面倒くさいかって、鍋がふたつ必要なことなんだよね。洗うのが面倒じゃん。ということで、なんか心をひかれた万能こし器。良し、本が売れたらこれを買おう、と心に決めた。

ところで、万能こし器って、どんなのだろう。何に使えるんだろう。何しろ万能だ。万能と言われてすぐに思い出すのは鉄腕アトム。さて、一体どんな姿形なのかと思い、わくわくしてぐーぐる様で画像検索してみた。こ、これか・・・・。

貝印 万能こし DZ-5826

えっと・・・・これ、うちにあります。我が家では、味噌汁の味噌を溶くときにだけ使ってました。ごめんね、万能君。僕は君のこと、万能こし器じゃなくて、味噌っかすこし器だと思っていました。姿形から勝手に名前をつけてしまうのは(例えば西山参事官を「ヅラ」と名づけたりすること)良くないですね。本質を見失います。そうか、コイツは万能だったのか。今日から、かつおぶしでダシを取るときは味噌っかすこし器改め、万能君を使うことにしたいと思います。

それにしても、今まで味噌っかすをこすことにしか用途がないように見えていた万能くんが、突然何にでも使えるように見えてきました。アイデアも膨らみます。「これ、ホットケーキを作るときにこれで一度こしておけば、だまになっている粉がなくなるよね」とか。本当に先入観というものは恐ろしいものです。

そうか、全てのものが万能だと思えば、他にも用途が思いつくのか!

でも、ここでふと思い当たりました。結局、鍋はふたつ必要なんだな。  
Posted by buu2 at 10:49Comments(2)TrackBack(0)料理││編集

2011年04月26日

大震災以後の頻出イディオムを勉強しよう(18禁)

注意:一部成人向けコンテンツ(テキスト)が含まれますので、未成年の方はご遠慮下さい。


さて、大震災以後、色々な楽しいイディオムが登場していますので、いくつか勉強しておきましょう。


決して〇〇していないと断定して申し上げているわけではない

出典:「炉心の状態が確認できないが、決して溶融していないと断定して申し上げているわけではない」(東京電力松本純一原子力・立地本部長代理)

活用例:
その1「約束の時間に私が現場にいたかどうかは確認できませんが、決して約束を忘れてすっぽかしたわけではないと断定して申し上げているわけではありません」
その2「確かに不明になった公金1000万円がありますが、決して私が使い込んだわけではないと断定して申し上げているわけではありません」


ただちに影響がでない

出典:「今回の摂取規制は、今そういったものを食に供したとしても、ただちにも出ないし、将来にわたっても影響が出ない、いう範囲の数値が観測されている・・・」(枝野官房長官)

活用例:「血圧が高めですから、塩分は控えてください」「いや、でもしょっぱいものが好きなんですよ」「でも、健康のためには塩分は・・・」「じゃぁ、今日から寿司を食べる時も餃子を食べる時も醤油は抜き?味噌汁は味噌抜き?」「いや、まあ、減塩醤油とか、減塩味噌とか」「普通のじゃダメなの?別にそれだってただちに血圧があがるわけじゃないでしょ?」


なんらかの○○的事象があったと報告された

出典:「すでに報道もされているとおり福島第1原発において、原子炉そのものであるということは今のところ確認されていないが、なんらかの爆発的事象があったと報告された。」(枝野官房長官)

活用例:
その1「御巣鷹山の尾根において、なんらかの墜落的事象があったと報告された。」
その2「月面基地グラナダにおいて、なんらかのコロニー落とし的な事象があったと報告された。」
その3「読売ジャイアンツの新人ピッチャーと日テレアナウンサーの、なんらかのお泊りデート的な事象があったと報告された。」


爆破弁

出典:「20分ほど前ですね。1時間20分ほど前に行った福島第一原発でのガスを抜くような作業で、激しくこのように」「それで圧力が0.75メガパスカルから0.55メガパスカルまで、0.2メガパスカル、2気圧ぐらい、このためにどーんと下がったわけです」「あくまでもこれは、爆破弁というものを使った、ひとつの作業であり、圧力を下げるためのひとつの作業だったということですか?」「はい」(有冨正憲教授(東京工業大原子炉工学研究所所長))

活用例:「中出ししちゃだめって言ったじゃん!」「いや、爆破弁を使った爆発的な事象で、このためにいわゆる性欲がどーーーんと下がったわけです」「あくまでも中出しは、爆破弁を使ったひとつの作業ということですか?」「はい」「安全性には問題はないのですか?」「ただちに影響がでることはありません。ただ、念のため2、3ヶ月ほど注意深く様子を見てください」


ぽぽぽぽーーーーん

出典:ACジャパン CM あいさつの魔法

活用例:
その1 例えば北斗百烈拳
hokuto


その2 MMRの皆さんも
nandatte5
  

追悼きせかえどうぶつ

数々の名作(ただし自称)を送り出してきたYouTubeアカウント、「kisekaedoubutsu」がアカウントを停止されましたので、謹んでご報告させていただきます。

youtubefreeza


youtubefreeza2


南無阿弥陀仏。合掌。










合掌、おなおりください。  

2011年04月25日

今日の夕景

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東洋経済「「風評被害」の元凶は誰か」

今週号(2011.4.30-5.7)の26ページ、27ページに「「風評被害」の元凶は誰か 政府の情報開示法は誤り」という記事がのってます。「君たち(執筆者)、僕のブログを読んでるな?」という内容だけど(笑)、僕のブログを時々しか読んでない人は買って読んでみたら良いと思う。

以下、同記事のまとめ部分のまとめ。

徹底した情報開示で市場機能を回復させろ。放射能汚染地域の生鮮食品はロットごとに汚染の水準を示せ。消費者は汚染の水準を見て購入しろ。汚染があっても基準を下回るものについては相応の安い価格がつく。これは風評による安値ではなく、市場が評価した正当な値段だ。基準を上回るものと、基準内であっても汚染で価格が下落したものは、その損害を東電が補償しろ。


ほぼ全部、このブログに書いてあることだな(笑)。これを策定した人は東大教授、早大教授、慶大教授、阪大名誉教授、ICU教授だって。ま、僕には看板がないからね。僕の代わりに皆に言ってくれてありがとうございました。  
Posted by buu2 at 16:50Comments(0)TrackBack(0)読書││編集

アボカドの木、大丈夫か?

震災でもなんとか生き延びた我が家のアボカドの木がちょっとおかしい。

過去の記録
アボカドの芽(2010.7.5)
我が家のアボカドのその後 100727(2010.7.28)
COOLPIX P6000快気祝い(2010.8.8)
アボカドとウツボカズラ(2010.8.15)
我が家のアボカド(2010.9.5)

今日はこんな感じ。

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いや、でかくなったのは良いんだけれど、先っぽが気になる。

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なんか、3つか4つに枝分かれしそうな勢い。思い当たることといえば、地震で倒れて割れた焼酎漬けになってしまったことを気の毒に思い、ハイポネックス入りの水をあげるようにしたこと。栄養、多すぎたかな(汗)?

馬鹿でかくなっちゃったらどうしよう????  
Posted by buu2 at 14:24Comments(2)TrackBack(0)日記││編集

不謹慎かも知れませんが

「不謹慎かも知れませんが」は、大震災以後、頻繁に見かけるイディオムである。

今、グーグルで「不謹慎かも知れませんが」を調べると283万件も見つかる。「元木一朗」が8万3千件だから、1「不謹慎かも知れませんが」は34「元木一朗」である。しかも、この「不謹慎かも知れませんが」はここ一ヶ月ぐらいに大量供給されたのだ。「元木一朗」なんて、もう40年も前に供給されている。そのくらいに「不謹慎かも知れませんが」は一時期に大量供給されている。あたかもここ一ヶ月ぐらいの日本列島の地震のようである。

僕はこの「不謹慎かも知れませんが」という言葉が大嫌いなので、今までの人生で一度しか使ったことがない。

現場→不謹慎かも知れませんが牛乳を買い溜めしました

なぜなら、「不謹慎」か「不謹慎じゃないか」は、その発言者に何の変化も生じさせず、どちらであったとしてもそいつは「不謹慎かも知れませんが」以下の言葉を発するのだ。

「不謹慎かも知れませんが、私は就職が決まってうれしいです」
「不謹慎かも知れませんが、今日は中日が勝ってうれしいです」
「不謹慎かも知れませんが、明日は天気がよさそうです」
「不謹慎かも知れませんが、夕立なのでちょっと洗濯物を取り込みます」
「不謹慎かも知れませんが、今日から始まるドラマが楽しみです」
「不謹慎かも知れませんが、今日、サミットはポイント5倍です。ただし午前中だけ」
「不謹慎かも知れませんが、舌平目の煮つけを作っていたら焦がしちゃって腹が立つ」
「不謹慎かも知れませんが、来月結婚します」
「不謹慎かも知れませんが、坊やだからさ」
「不謹慎かもしれませんが、支持政党がないなら明日は公明党に投票してください」
「不謹慎かも知れませんが、ポポポポーン」
「不謹慎かも知れませんが、鶴と亀がいて全部で4匹、足が10本なら、鶴は3匹です」
「不謹慎かも知れませんが、フォースの加護のあらんことを」


まぁ、何でもいいのだけれど、要は、不謹慎か不謹慎じゃないかは関係ないのだ。よく、ネットで訃報に接した奴がツイッターで「合掌」とか書いているけれど、「うそつけ、お前。タイピングしていてどうやって合掌するんだよ、ばーか。百歩譲って、合唱だろうがよ。そもそも、合掌などは本人と故人の間の個人的行動であって、ネットで開陳する(人に見せる、アピールする)ような話じゃないんじゃねぇの?」と思う、あれと一緒だ。見えないと思っていい加減なこと言いやがって、という感じである。賭けてもいいが、こいつらはパソコンの前で合掌なんかしていない。自称合掌屋である(天津飯さんみたいに手が4本あるとか、足でキーボードを打つ人とかはいるかもしれないが)。

「不謹慎かも知れませんが」は、原子炉の中の放射能物質とともに地中深くに葬り去るべきなのである。この際だから言っておくが、「不謹慎かも知れませんが」と枕詞を書いている段階で、そいつの発言ではなく、そいつの存在が不謹慎なのだ。

#長文失礼しました。
#不適切でしたら削除してください。  

現時点では許せることは赤いことだけ

国産災害ロボット急きょ改造、福島原発投入へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110424-00000518-yom-sci

ロボットっていうから、ガンダムみたいなのか、アトムみたいなのか、百歩譲ってロボコンかな?と思っていたらこれかよ。

saigai

(出典:読売新聞)

読売新聞の記者の目には「戦車のような姿」に映るらしいが、僕にはローラスルーゴーゴーにしか見えないよ。



ただまぁ、赤いところは評価する。

念のため、自衛隊の戦車はこんな感じ。2010年に制式化された最新鋭戦車。



カッチョいい。ダメな点は、赤くないことぐらいかな?  
Posted by buu2 at 03:14Comments(2)TrackBack(0)ニュース││編集

2011年04月24日

今日の夕景

夕立雲の合間に見える夕日。

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振り返ると後ろには虹。

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虹が大きくなって。

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太陽は沈むところ。

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福島県のお父さん、お母さんへ

最初に言っておきますが、僕の専門は分子生物学。放射線も、疫学も素人です。そんな僕ですが、地震後、僕なりに色々と勉強してみました。その内容を、なるべく数字を使わずに、感覚的に書きます。科学とか、わからなくても大丈夫です。テーマは、子供と放射線についてです。

今、福島県の原発のそばは放射能に汚染されています。その度合は、日本がほとんど経験したことのないレベルです。どんな影響が出るのか、今はまださっぱりわかりません。それがわかるのは、30年後ぐらいです。それから、影響はあくまでも統計データとして数字で出てきます。「私のがんの原因はあの時の福島第一原発のせい」とかは、わかりません。多分、30年経って、科学技術が物凄く発展しても、わからないんじゃないかと思います。

さて、そんな状態で、今、大人も子供も被曝しています。毎日、福島にいるだけで被曝しています。でも、大人は基本的に大丈夫です。今までも散々被曝してきているし、もうその数字がちょっとぐらい増えても大して変わりはないです。どうせみんなあと20年、30年でがんになるのだし、そんなに神経質になっても仕方ありません。でも、子供は違います。では、子供にはどんな影響があるでしょうか。

まず一つ目は、がんになったりする可能性がアップしそうです。もうすでに飯舘村にいると2年間で100人にひとりががんになるという数字が出されたりもしています。数字にしたら1%かも知れません。でも、その1%はがんになって治療が必要になり、その後の人生は大きく変わります。

次に、不妊や障害児が生まれる可能性があります。実は、このリスクはそれほど大きくはありません。もともと不妊だったり、障害児が生まれたりするリスクを人間は持っています。そして、その数字が大きく変わることはないんだと思います。ですが、ここまでは理屈です。一定の割合で生まれる障害児が運悪く生まれてしまったら、周りの人はどう思うでしょうか。親であれば「あぁ、あのとき避難させておけば良かった」と思うでしょう。配偶者の親戚は「だから福島の人との結婚なんかしなければよかったのに」と思うかも知れません。そういった思いは、事実の相関(放射線被曝と、障害児が生まれたこと)とは全く無関係です。こうしたわだかまりは、必ず家族関係に何らかの影響を及ぼします。何か悪いことが起きたとき、おそらく「あの時、避難しなかったから」と後悔することになります。

全ては確率の話です。でも、がんになってしまう人、障害児が生まれてしまう人にとっては、それが全てです。1%は、実際にがんになった人にとってはその瞬間から100%になるのです。

今被曝することは、子供たちの将来に必ず影響を及ぼします。それは「がんになる」とか、「障害児が生まれる」とか、そういう具体的な影響だけではありません。「あのとき被曝しちゃったから、子どもができないかも知れない」「あのとき被曝したせいでがんになりやすいかも知れない」「結婚するときに相手の親に嫌がらちゃうかも知れない」・・・・そういう、心の部分もたくさんあります。

政府は、心のことに責任を取ってくれません。もしがんになったとしても、原発事故との因果関係も証明できません。結局、子供たちの将来は、お父さん、お母さんが守るしかないのです。福島にいるだけで、確実に子供たちの可能性が狭まります。可能なら、なるべく早く、福島から子供たちを避難させるべきだと思います。  
Posted by buu2 at 16:27Comments(0)TrackBack(0)日記││編集

どんな審査をするつもりなのか、目が離せない

記者会見、25日から一本化=東電、保安院など−福島第1原発事故

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011042300256

保安院は生意気にも「メディアにふさわしい方に聞いていただきたいと考えている」そうで、参加の可否は保安院が審査するそうです(笑)。

誰が認められて、誰が認められなかったかは当然国民にもわかりますから、保安院がどんな立派な審査をするのか、きちんと監視してあげましょう。衆人環視とはまさにこのこと(笑)。

「メディアにふさわしい方に聞いていただきたいと考えている」って、聞いているのは全国民(いや、全世界か)だって、わかってんのかね。わかってねぇんだろうなぁ。  

2011年04月23日

うちの会社のリソースを使ってできそうなこと

協力者、アイデア、募集いたします。何かあれば、お気軽にアクセスをお願いいたします。

1.どうぶつしょうぎアプリ
概要:iPad、iPhone、iPod touchのアプリ。「きせかえどうぶつしょうぎ」の導入により、新しいデザインを設定できる。まだ事例はないものの、新デザインをアイテム課金して販売することも可能なはず。

その1 被災地応援スキンの製作と販売
被災地を応援するデザインのスキンを製作する。キャラクターはカキ、ホヤ、さんま、金華さば、わかめ、まがりねぎ、せりといった被災地の名産物。スキンはちょっと高めの有料販売として、売上金を寄付にまわす(Apple社の取り扱い手数料は3割)。あるいはiPadやiPod touchといったゲーム端末を購入し、被災した子供たちにプレゼントする。
問題点→誰がデザインする?プレゼントしても、被災地では使えないかも?リアル盤をプレゼントする?なるべく不便な、遊びのないところから?

その2 イベント開催
Apple Store仙台が再開した際、銀座で実施しているようなイベントを開催する。あるいは避難所で、子供たちとゲーム。
問題点→iPadやiPod touchの確保。リアル盤がないと、引き続き楽しむことができない?(でも、自作すれば、ね)

2.ヘアカットjp
概要:美容室向けのiPadを利用した簡易アルバムシステム。最大のウリはシャッターを押すだけで自動的にデータベースに写真が送信されるという点。SDカードや画像管理ソフトを介さないので、お手軽。しかも、ほぼリアルタイム。

その1 導入支援
被災地の美容室に導入費無料で導入する。まずは仙台など、復旧が進んできている地域から。
問題点→導入スタッフが確保できないので、二週間に一度など、ある程度案件をまとめてもらう必要がある。費用はお客様一回あたり100円の利用料のみ。

その2 避難所アルバムに転用
避難所バージョンを設定。避難所で写真を撮影すると、それが自動的にアルバムにアップロードされる(シャッターを押すだけであとは全部自動でアップロードされる)。被災者の親戚や家族などが閲覧できる。
問題点→プライバシーは?公開範囲は要検討。PCも最低1台は必要(iTunesがないとiPadが利用できない)。  
Posted by buu2 at 20:18Comments(2)TrackBack(0)社長││編集

雨上がりの空に

よーく見ないと見つけられない虹。

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この天気、この時間なら、この方向に虹がかかっていても不思議じゃない、と思うから見つけられる。

科学がほんのちょっとだけ役に立つ場面。お金にはならないけれど、ちょっとだけ心が豊かになる。そのことまでは否定しないのだよ。  
Posted by buu2 at 16:33Comments(0)TrackBack(0)││編集

誰が壁で、誰が卵で、そして自分は

「壁と卵」(原文は英語):村上春樹

今日、僕は小説家としてエルサレムに来た。小説家とは、うそをつくプロだ。

もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではない。政治家が嘘をつくのは誰でも知っている。外交官や軍の人も、中古車のセールスマンや肉屋、そして建築業者のように、場合によっては嘘の一種を述べる。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違う。小説家は嘘をついても不道徳だと批判されることがない。実際、大きくて、上手で、巧妙な嘘であればあるほど、小説家は公衆や批評家たちに賞賛される。なぜだろうか?

僕の答えはこうだ。つまり、上手な嘘をつくことによって、言い換えれば、真実が浮き彫りになるような虚構を作り上げることによって、小説家は真実を新しい場所に持ち出し、新しい光で照らすことができる。大抵の場合、元の形から、そこに含まれる真実を把握したり、それを正しく表現したりするのはほぼ不可能である。そういうわけで、僕たちは真実が隠されている場所からそれ誘い出し、フィクションという場所に置き換え、そして小説という形に姿を変えることによって、その尻尾を捕まえようとする。これを達成するために、僕たち小説家はまず、自分たちの中のどこに真実が存在しているかを明確化する必要がある。これは良い嘘をつくための重要な資質だ。

しかし、今日、僕は嘘をつくという意図がない。僕はできる限り正直になる。僕が嘘をつかない日は、年に幾日もない。今日は、そんな日のうちのひとつだ。

だから、今日は僕に正直に語らせて欲しい。かなりの数の人が、エルサレム賞を受賞するためにここへ来ることに反対した。中には、もし僕がここに来るなら、僕の本を買うことをボイコットするように扇動するとまで言ってきた。

この理由はもちろん、ガザで続いていた激しい戦闘です。国連は、1000人以上の市民が封鎖されたガザの街で命を落としたと報告した。彼らの多くは、武装していない市民、子供や老人だ。

受賞の知らせを受けて、僕は何度も、自問自答した。こんなときにイスラエルに行くべきかどうか、この文学賞を受賞することが適切かどうか、僕が紛争のどちらか片方を支持したと思われてしまうのではないか、僕が圧倒的な軍事力を行使する国の政策を支持したと思われてしまうのではないか、と。もちろん僕はそんな風に受け取られたくはない。僕はどんな戦争であっても支持しないし、どんな国であっても支援しない。そしてもちろん、僕の本がボイコットされるのを見たいわけでもない。

しかし、色々と注意深く考えたのち、僕はここに来る事にした。その理由のひとつは、あまりにも多くの人が、僕にそうすることを辞めるようにアドバイスしたからだ。多分、多くのほかの小説家と同じように、僕は天邪鬼なところがある。もし人々が僕に対して次のように言ったら、あるいは警告したら、「そこへは行くな」「そんなことはするな」、僕はそこに行きたくなるし、やりたくなる。これは僕の性格だし、皆さんも、「小説家だから」と思うかも知れない。小説家は特殊な人種だ。小説家は自分の目で見たことがないもの、自分の手で触れたことがないものは信用しない。

そういうわけで、僕は今ここにいる。僕は立ち止まるのではなく、ここへ来ることを選んだ。目をつぶることではなく、見ることを選んだ。黙り込むのではなく、あなたたちに語りかけることを選んだ。

僕はここに政治的なメッセージを届けに来たのではない。ものの良し悪しについて判断することはもちろん小説家にとって最も重要な義務ではあるけれど。

それらの判断をどうやって伝えるか、その方法の選択はそれぞれの書き手にゆだねられている。僕は、それを奇妙で非現実的な小説の中に盛り込むことが好きだ。そういうわけで、僕は今日、ここで直接政治的なメッセージを述べるためにここに立っているのではない。

しかし、非常に個人的なメッセージを述べることを許して欲しい。これは僕がいつも小説を書くときに心に留めていることだ。僕は、それを紙に書いて壁に貼っていたりはしない。むしろ、心の中の壁に刻み込んである。それはこんなことだ。

高い、固い壁と、それに立ち向かって壊れてしまう卵があるなら、僕はいつも卵の側に身を置く。

壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていたとしても、僕は卵の側に立つ。誰か他の人が、何が正しくて、何が間違っているかを決めなければならないなら、多分、時間や歴史がそれを決めてくれる。どんな理由があったとしても、もし壁の側に立っている小説を書くような小説家がいたとしたら、その作品にはどんな価値があるのか。

この暗喩にはどんな意味があるのか。いくつかの場面において、それはあまりに単純で明確だ。爆撃機や戦車やロケットや白リン弾がその高い、固い壁だ。卵は武装していない市民で、それらによって壊され、焼かれ、撃たれる。これは暗喩のひとつだ。

しかし、これがすべてではない。もっと深い意味がある。こう考えて欲しい。僕たちはみんな多かれ少なかれ、卵のようなものだ。僕たちはみんな独自性があって、かけがえのない魂をもろい殻の中に押し込めている。僕も、あなたたちもそれぞれみんなが。そして、僕たちはみんな、程度の差こそあれ、高く固い壁の前に立っている。その壁は名前を持っている。それは「システム」である。システムは僕たちを守ることになっている。しかし、時々システムはそれ自身の命を持ち、僕たちを殺し始め、そして僕たちの殺し合いの原因となる。冷たく、効率的に、そして組織的に。

僕はたった一つの理由で小説を書いている。それは、一つ一つの魂を掬い上げ、光を当てるためだ。小説の目的は警告を鳴らし、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣に絡めとり、それを落ちぶれさせようとするのを防ぐために、光を当て続けることだ。僕は、小説を書くことによって、それぞれの固有の魂のかけがえのなさを明確にしていくことに挑戦し続けることこそが、小説家の仕事だと信じている。生と死に関する小説、愛に関する小説、人々を泣かせたり、恐怖に震えさせたり、大笑いさせたりするような小説によって。そういうわけで、僕たち小説家は、毎日毎日、真剣に、虚構を作り上げている。

僕の父は昨年90歳でこの世を去った。彼は元教師で、その後は時々僧侶の仕事をしていた。彼は大学院にいたとき、徴兵されて戦うために中国に送られた。終戦後に生まれた僕は、毎朝朝食の前に、長い間、深い思いをこめて、家の中にある仏壇で祈っているのを見ていた。あるとき、僕は彼になぜそうするのかを尋ねた。そして彼は、戦争で死んでいった人のために祈っていると答えた。

彼は、戦争で死んでいったすべての人のために祈っていた。味方と敵と、両方分け隔てなく。彼が仏壇の前に座っている背中をじっと見ていると、僕は彼のまわりに死の影が漂っているのを感じたようだった。

僕の父が死んで、彼とともに彼自身の思い出も失われ、僕はもうその思い出を知ることができない。しかし、彼の周りに潜んでいた死の存在感は、僕の思い出の中に存在し続けている。それは彼から引き出すことができたわずかなもののひとつであり、そして最も大事なもののひとつだ。

今日、僕が皆さんに伝えたいことはたった一つだ。僕たちはみんな、国籍や、人種や、宗教といった分類以前に一人の人間であり、システムと呼ばれる固い壁の前に立ち尽くす、脆い卵だということだ。どこから見ても、僕たちに勝ち目はない。壁はあまりにも高く、強く、そしてあまりにも冷たい。もしわずかでも勝ち目があるとすれば、それは僕たちが自分たちや他者の魂の独自性やかけがえのなさを信じることと、お互いの魂が触れ合うことによって生じる温かさによってのみもたらされる。

このことをちょっとだけでも考えてみて欲しい。僕たちはそれぞれ、実体のある、生きた魂を持っている。システムはそれを持ち合わせない。僕たちは、システムが僕たちを食い物にするのを許してはならない。システムが独自の生命を持つことを許してはならない。システムが僕たちを作ったのではない。僕たちがシステムを作ったのだ。

これが、僕が皆さんに言わなくてはならないすべてである。

僕はエルサレム賞を受賞できたことにとても感謝しています。僕の本が世界中の多くの地域の人々に読まれていることに感謝しています。そして、今日、ここで、皆さんの前でスピーチする機会を持てたことに感謝しています。

(訳、元木一朗、初出:「村上春樹スピーチ全文」)

#ちなみに、村上春樹氏本人による全訳が下記に掲載されています。

村上春樹 雑文集

以下、原文

Always on the side of the egg
By Haruki Murakami
Tags: Israel News, Haruki Murakami

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.

Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.

So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.

The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.

Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.

It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.

He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.

That is all I have to say to you.

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

出典:Always on the side of the egg  
Posted by buu2 at 14:02Comments(2)TrackBack(0)日記││編集

アウトレイジ

アウトレイジ [DVD]

正直に書くと、ビートたけし監督の映画を最初から最後まできっちり観たのは初めて。途中まで観てやめちゃったことはある。今回は、5本借りてきたDVDの一本。しかも、期限日当日の夜だ。なぜなら、全然期待していなかったから。ざーーーっと早送りして、返却してこようかな、ぐらいに思っていた。でも、最初の15分で猛反省。面白いじゃないか、これ!

終わってみて、あぁ、映画というのはこういうジャンルがあるんだな、と思った。何か特別な教訓があるわけじゃない。淡々と悪いヤツラの話が続いていく。もう、見ているそばから「こいつら、しょうもねぇなぁ」と苦笑してしまう。いや、ほとんど苦笑し続けてしまう。そして、それなりに広げた風呂敷をたたんでおしまい。特に後になにか残るわけじゃない。つい最近、これに似た映画を見たな、と思い返すと、「冷たい熱帯魚」だ。こういうジャンルを何というのか知らないけれど、僕の頭の中では同じインデックスシールが貼られた。

暴力描写が苦手だったら駄目だと思う。何か教訓を語ってほしい人にも無理。でも、悪いヤツラの、どこまでも悪い描写を見て「しょーがねぇーなぁー」と笑える人には結構オススメ。僕自身は自分から進んで見たいと思うジャンルではないのだけれど、これはこれで十分に面白いと思う。飲み会で、「あの映画、見た?酷い映画なんだけどさぁ・・・」と語りたくなるような、そんな映画。

どうでも良いけど出てくる拳銃出てくる拳銃みんな馬鹿でかい(笑)。あと、ビートたけし監督って、物凄く技巧的というか、監督っぽい演出が好きな人なんだね。中華料理屋の店内からの撮影とか。こんなに技工を盛り込む人だとは思わなかった。

評価は☆2つ半。面白かった。  
Posted by buu2 at 00:43Comments(0)TrackBack(0)映画2010││編集

2011年04月22日

ラーメンK

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名称:ラーメンK
種類:独自
場所:みずほ台
評価:6/BAB
2011.4.19
コメント:命の恩人の店である。知人のラーメンサイトでみずほ台のこの店のことを知った。みずほ台には僕が日本一と評価している一本気があるので、よっぽどのことがない限りは他の店に行くことはないのだけれど、どうもなんか怪しい気配がする。それで、なんとなく出かけたのが3月11日だったのだ。そして、店に向かう途中で地震が起きた。そのまま店まで行ったけれど、停電もあってお店は復活せず、仕方無しに家に戻ったのだが、すると家の中は大惨事となっていたわけである。

さて、そんな恩人の店ではあるけれど、以後、なかなか行く機会がなく、ようやくトレーニングの帰りに行くことができた。二郎系なのかな、と思っていたらさにあらず。鶏白湯の濃厚タイプで、池袋のまるきゅうの濃厚タイプがやや近い感じだ。これが、結構、なかなかいけている。ただ、ちょっと塩気が強い(僕が食べたのは塩ラーメン)。

麺は自家製麺ということで、注文するとその場で機械が切り始める。この麺、食感がソウメンみたいでかなりつるつる。ココがちょっと問題で、スープの絡みがイマイチ。スープが絡まないから、塩分を強めにせざるを得ないのだろう。自家製麺をその場でカットするのは別に悪くないけれど、ちょっと改善が必要だと思う。

チャーシューはロースとバラ肉が両方入っていたんだけれど、ロースは美味しかった。一方でバラ肉はイマイチ。同じ豚を使っているんだろうけれど、これならバラ肉はない方が良いと思う。

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ということで、思ったよりもずっと良い感じの店だった。あと、こういうことって滅多に感じないんだけれど、この店は店主のまじめな人柄が物凄く伝わってくる店だった。店内は清潔だし、雰囲気が良い。厨房も整理が行き届いている。店はそれほど大きくないのに駐車場はたっぷりある。ラーメンも真面目な感じが伝わってくる。こういう店は応援したくなる。場所が悪くていかにも苦戦しそうだけれど、頑張って欲しい。次は醤油を食べてみよう。

店名 自家製麺 ラーメンK
TEL 049-253-2555
住所 埼玉県富士見市東みずほ台2-10-26 GSハイツ1 1F
営業時間 11:30〜22:30
定休日 無休  

落ちこぼれ向け特別補講「サイエンス・コミュニケーションに求められるもの」

先日、芸術家の卵(絵画系の芸大生)と飲み会をやった。早い話が合コンだ。でも、話の内容は結構まじめ。「興味のないひとにどうやって作品を観てもらうか」とか、「村上隆さんは芸術をきちんとビジネスにしていて凄い」という話をしてきた。

この間のエントリーについても意見を聞いてみようかな、と思って、「科学って面白い?」と聞くと、「全然面白くないし、興味もありません」と。そうでしょうとも(笑)。続けて、今度は総統閣下シリーズの「買い占めするならカネ送れ」を見せてあげたら大受け。その上で、「こういう感じでサイエンスを語られたらどう?」と聞いたら、「見たい、見たい」との返事。嘘じゃないよ。思ったとおりの返事が来て嬉しくなった(笑)。


要は、世の中なんてこんなもの、ということ。ブログの記事には立花さん(以前からサイエンスコミュニケーション的な活動を個人的に支援している人で、僕も前から良く知っている)がコメント欄で「でも、頑張っている人もいます」的な主旨のことを書いていたけれど、それは論点がずれてるんだよね。やっている人がいる、とか、頑張っている、とかが問題じゃない。活動として成功しているか、成果を挙げているか、役に立っているか、生活者のニーズに適合しているか、ということ。僕は成功していないと思っている。それだけのことなの。成功している、うまく行っていると思っているならそれまで。引き続きがんばってください。僕はどうでも良い。ただ、つまんないことに税金を使ってくれるな、とは思う。やるならボランティア(笑)とか、民間資金で是非やっていただきたい。日本にはお金がないんだから、迷惑はかけんなよ、と。

さて、件のエントリー、「これまで誰も書かなかった「サイエンス・コミュニケーションに求められるもの」」は、僕にしては物凄く親切に、まとめまで書いてあげた。非常に分かりやすいから、一々追加の説明も必要ないでしょ。と、言いつつ、もう一度親切に言葉を変えてあげているんだけどね、この文章は(笑)。

新潟とか、いくつかの地方大学の似非科学否定クラスターの研究者達がはてブを付けているけれど、こいつらについては、以前大御所が飲み会で言っていた「あいつらは一人ひとりでは何の役にも立たないけれど、数だけはいるんですよ。そして、似非科学の否定には結構数が大事なんです。だから、馬鹿だとは思っているけれど、一応表面上良い関係を保つことにしています」っていうのがもう的のど真ん中を射ているわけで、でも僕はそいつらと仲良くする気はさらさらない。30前後になっても研究とゲームとネットサーフばかりやっていて、10年後は何をやっているのか楽しみですねぇ、という感じだ。こちらも、要は、どうでも良い。

直後に書いたバイオ市場25兆円の話も同じ。僕は事実をきちんと把握して、分析して、「このままではだめですよ」と発言した。僕は政治家でもなければ役人でもない。為政者じゃないんだから、これ以上はどうにもならない。でも、とにかく5年前に、大臣たちがいる(実際には大臣の代理だったかも知れないけれど)オフィシャルな場で、「このままではダメです」と警告をしてあげた。全ての日本人で、僕だけだよ、僕が知る限り、きちんと無理だって発言したのは。感じていたのはもちろん僕だけじゃないよ?っていうか、バイオの関係者はほとんど「こりゃぁ無理だろうな」って思っていたはず。でも、それを黙っているのが日本の社会なんだよ。「放射線レベルが非常に高くなっていました(←過去形なのが重要)。ごめんなさい」「販売できないはずの野菜が流通に乗っちゃってました(←過去形なのが重要)。一週間前から分かっていました。ごめんなさい」って、今だってこんなニュースばかりじゃん。「バイオバブルがはじけました」っていう日本総研の人の話はそのとおり。でも、大勢のみんなは、バブルだってわかっていて、見ないふりをしたんだよ。今わかった話じゃない。何故見て見ぬ振りをしたのかって?その方が予算が取れるからでしょ。その方が業界にお金が落ちる。先がどうなるかが問題じゃない。自分たちの業界に税金が投入されることが重要だったんだよ。行政の市場予測って何のためにあると思っている?あれは、財務省に説明するための道具なんだよ。「三菱総研が25兆円と予測しています」って、でも、その数字を考えたのは経産省だし、BT戦略会議のバイオテクノロジー戦略大綱策定に当たって指示を出したのは内閣府だ。業界はお役所に頭を下げて、「その調子でどんどん予算を取ってきてください」って、御輿を担ぐ。そして、ガケから落っこちるって分かっているのにアクセルを踏み続けた。さすがにここ数年、25兆円の数字を出す人はほとんどいなくなったけれど、おかげでガケから落っこちた人たちがたくさんいるわけだ。

#落っこちた人たちの多くも僕から見たらタックスイーターだけれど、とにかく僕達は「税金がどういう仕組みで再配分されているのか」をきちんと見ていく必要がある。有効に活用されているかチェックする必要がある。ただ、それはそれ。ちょっと本筋から離れるから、もとに戻す。

ダメな奴にダメって言わない、うまくいきそうにないことをその通り言わない、失敗しているのにそれを認めない、予測なんてでっち上げだったのに見て見ぬふりをする。これが日本の国民性ってやつなんでしょ。

だから、科学が「面白いんだ!」「大事なんだ!」っていう奴らは、そのまま頑張れば良い。それが心地良いなら、そのままでどうぞ。僕は僕で、僕の中の正義に従うだけです。つまんないんだ、大事じゃないんだ、っていうのが認識できたとしたら、「じゃぁ、なんで科学を教えなくちゃならないんだ?」ってことになる。学者が増えたほうが数撃てるようになるから?科学技術系の予算が増えるから?両方ともありそうだけれど、基本的には「教えたいから」なんじゃないの?でも、教えられる側は別に興味がないんだよ。ここまで認識できて初めて、スタート地点に立てる。科学は面白くないし、科学は大事じゃない。でも、それがエンターテイメントのフォーマットに乗るなら楽しんでもらえる。もし話を聞いてもらいたいなら、理解してもらいたいなら、その工夫をしたら良いんじゃないの?ということ。そして、これはマーケティング手法の話。もちろん、エンターテイメント以外のアプローチだってあるはず(おっぱいだって可能性のひとつ)。あくまでも、僕の提案がエンターテイメントっていうだけのことだ。

百歩譲って、科学が面白くて、大事だったとしても、だからってそれが売れるとは限らない。良いものが売れるんじゃない。上手にマーケティングしたものが売れるんです。

モノを売ったことのない理系の学生には難しすぎますかね?これがわかっていれば、就職活動だって楽勝なはずなんだけれど(就職活動は自分を企業に売り込むマーケティング活動)。いや、もちろん、付け焼刃じゃだめなんだけれどね。2年ぐらいをかけてじっくり考えなくちゃだから、就職活動は。

ということで、もう一度まとめてあげよう。

1.科学は大事でも、面白くもないことを認識すべき
2.サイエンス・コミュニケーションしたいのは、研究者サイドの都合
3.つまらないものを受け取ってもらうには、付加価値をつける必要がある(美味しくない生野菜にドレッシングをかけるようなもの)

#納得しない奴はどうでも良い。じゃぁ、サイエンス・コミュニケーションでちゃんとメシを食っているタックスイーターじゃない奴を見せてみろ、ということ。

#ニューヨークとワシントンにある二つの自然史博物館には興味があって、自腹で(←はい、今、大事なことを書きましたよ。役所のお金で視察に行ったりする奴とは一緒にしないでね)両方共観てきたけれど、確かによくできている。そして、人気があるのもわかる。また、そのコンセプトを真似して日本に導入しているところがいくつかあるのも知っている。お手本にするのは良いけれど、あのコンセプトが真の成功を収めるためには、ハレの場(博物館)の整備だけじゃダメだよね。

#ちなみに科学はカネにはなると思うよ。でも、カネにする奴らには、別にサイエンスコミュニケーションなんていう啓蒙活動は不要だと思う。

#もう、ほんとに税金泥棒、税金乞食って嫌だよね。でも、震災のおかげで彼らへの税金供給はかなり絞られるでしょ。兵糧攻めで絶滅して欲しい。世間のチェックも厳しくなってほしい。
  
Posted by buu2 at 16:26Comments(4)TrackBack(0)バイオ││編集

Twitter後のネット社会 番外編 その4 ツイッターでの議論はソーシャルリンチにつながります(草稿)

今、ちょこっとネットウォッチしていた。まず、Aさんが、「うーーーん、ややこしいことになったなぁ」と書いている。どうやら彼は被災地支援のウェブサービスを作っているらしい。「BさんとCさんがケンカするなら、僕は手を引きます」と言っているようだ。続いてBさんを見てみる。「やるべきことをやるよりも、やるべきじゃないことをやらない方が良いこともある」って言っている。その通り。

正確な引用は下記
今僕たちに何ができるかよりも、今僕たちは何をしない方がいいかを考える方が良いこともあると思う


すぐに事例は思いつくよね。放射能差別はしない方が良い。電気を無駄遣いするナイターはやめた方が良い。デマかも知れない情報は安易にバケツリレーしない方が良い。

するとそこに無関係の中学教師が絡んできている(笑)。僕の経験からすると、中学教師とかはたいていは馬鹿だ(笑)。いや、もちろん良い先生もいると思うのだけれど、僕の知る限りはほとんど馬鹿。もっと言ってしまうと、「センセイ」と呼ばれている人は大抵馬鹿。なので、こいつもどうしようもない。何の生産性もなく、横からちゃちゃを入れているだけ。「あぁ、やっぱりセンセイと呼ばれている奴は馬鹿だな」と僕の自説を補強した上で、次に移る。

ケンカ相手のCさん。あぁ、なるほど、やっていることは全く正しいけれど、世の中を客観的に見ることができないタイプ。「俺、こんな事やっちゃってカッコイイでしょ?」と、そこに溺れている(笑)。自己顕示欲が強い人ってこうなるよね。誰に似ているかなぁーって思い出してみると、中谷彰宏さんだ!みんなでCM作ったはずなのに、「あれも、これも、俺が作ったから!」っていうタイプ。だから、Cさんのサービスにも「俺のツイッター」「俺のブログ」みたいなリンクがてんこ盛り(笑)。で、Cさんは自分がカッコイイことが大事なので、技術的なリスクや運用上のリスクは比較的どうでも良い。ところが、全体を取りまとめているAさんや、技術面をサポートしているBさんはそれでは困る。表面上の旗頭はCさんだ。ということで、BさんとCさんがケンカをして、Aさんがストレスをためている、という状態。

そして僕は、「まぁ、僕はツイッター上で眺めているだけだから、正確なところはわからないよね」と思っている。でも、少なくとも僕はAさんは昔からスジが通ったことを言っていると思っているし(面識はないけれど、ツイッターでフォローはしている)、今回も正しいと思う。

Cさんは、中谷タイプというか、政治家タイプ(つまり、手柄は全部俺のもの、俺ってカッコイイ、っていうタイプ)なので個人的には嫌い(笑)。だけれど、やっていることの理念は間違っちゃいないと思う。でも、使い方が酷いんだよな、技術の。ウェブにしても、ツイッターにしても、何にしても、「俺は正しい」って上に、ツールの使い方だけは知っているから始末に終えない。「一番面倒なのは勤勉な馬鹿」という言葉があるけれど、「道具を手にした正義」も結構面倒くさい(笑)。結果として、その正しさの押し売りになっている。理念は正しいのに、表現方法やツールの使い方がダメなので理念が実現しなくなりつつある。そもそも、内部調整をツイッターでやって、第三者がクビを突っ込んで来たら「そうでしょ?そうでしょ?俺って正しいでしょ?俺ってカッコイイよね!だから、AとBは俺に従え」っていうのは相当にズレている。

AさんもBさんもサイトの意義は認めているのだけれど・・・どこが共有化されていないかといえば、「Cさんがカッコイイ」っていうことについてなんだよね、あたりまえだけれど(笑)。Cさんがキムタクだったら、みんなが「キムタクだから仕方ねぇ」って思うんだけどね。「被災地を支援しよう」が唯一の目的であるAさん、Bさんと、「被災地を支援している俺ってカッコイイ」と思っているCさんとの温度差が、ネットツールを使うことによって顕在化してしまったようだ。いや、あくまでも僕にはそう見える、っていうだけだけど。

結論。ツイッターはプッシュツールなので、節度ある利用を心がけましょう。第三者を巻き込むのも簡単ですが、内部調整はメールがオススメです(笑)。

以上、「Twitter後のネット社会 番外編 その4」のための草稿でした。いや、最近色々なことを同時並行させているので、思いついたときに書いておかないと忘れてしまうのです。  

ぼくのエリ 200歳の少女

ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]

なんか、静かで芸術的な雰囲気と、美少年と美少女、そして吸血鬼のホラーの取り合わせが物凄く微妙な作品。見事に融合しているという感じではなく、メロンと生ハムみたいな(僕は、それぞれを別々に食べたほうが美味しいと思う)。

だけど、つまらないかといえば全然そんなことはない。静かな中にもメリハリがあり、ラブストーリーの中に喜びがあり、不老不死の吸血鬼と、それに仕える普通の人間の悲しい関係を描き出している。

ただし、この映画は大きな、とても大きな問題を抱えている。それを知らないと、映画は全くと言っていいほど違うものになってしまう。そこについては超ネタバレなので、追記に書く。映画自体の評価は「ぼかされてしまった大きな問題」をネグレクトして、☆2つ。  続きを読む
Posted by buu2 at 03:00Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

2011年04月21日

放射能差別に総統閣下がお怒りです



関連ニュース:
福島ナンバー拒否、教室で陰口…風評被害に苦悩
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000520-yom-soci

女性の母乳から放射性ヨウ素…千葉、茨城で
http://www.sanspo.com/shakai/news/110421/sha1104210504009-n1.htm

本動画は「ヒトラー 〜最期の12日間〜」(2004年、ドイツ/イタリア)の1シーンを転用しております。「ヒトラー 〜最期の12日間〜」につきましてはこちらにレビューを載せました。

ヒトラー 〜最期の12日間〜

この映画はTSUTAYAでも置いてあると思いますが、もし「欲しい!」という方がいたら、こちらでどうぞ。

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以下、宣伝
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売り場はこちら→Twitter後のネット社会
買い方はこちら→アゴラブックスで「Twitter後のネット社会」を買う! 〜楽天編〜
aftertwitter


削除されちゃうので、YouTubeのコメント欄から抜粋して転載。

さすが!!です。

皆が言いたいことを代弁していてくれて気分はちょっとスッキリで­す。

そうです、もっと大人が原発と放射能のことを勉強し、未来ある子­供たちにきちんと

教えなくてはいけません。もちろん人としての常識も。常識ないク­レマーママから教育しなくてはいけないかもしれません。
tmomo0603


総統閣下の言葉がここまで重いのも、初めてだわ

「放射線について勉強する良い機会なんだ まずは大人が正確に理解しろ」そのとおりだと思う。
nitACskk


凄くそのとおりで、私達はありがたいです。色んないじめや差別、­仕打ちを毎日毎日違う話を聞いて、これからどうなるんだろう・・­・。先が見えない不安にさいなまれていた。今日この動画を見て、­ちゃんとこんな風に見てくれている人がいると知った事がとても励­みになりました。きっと、そうじゃない人も一杯いるはずだと。あ­りがとうございます。
kiokunomorinokobito
  

2011年04月20日

バイオバブルの崩壊

ポスドク問題とは、バイオバブル崩壊の結果である  井上晃宏(医師)

この記事は普通に良い指摘をしているので、一読しておいた方が良い。ただ、僕のブログを昔から読んでいる人にとっては新しいことは何一つ書いてないかも知れない。でも、復習や確認は大事だし、暗黙知をテキスト化しておくことはそれはそれで重要である。

バイオ系の博士が余っているのは確かだし、それがバブルのはじけたせいであることも間違いがない。僕が知っている範囲で言えばバイオバブルの一翼を担ったのは「2010年の時点でバイオ市場25兆円」という目標、予測であり、もうちょっと古くを言えば、それまで冷や飯を食べ続けていた生化学系の教授たちの頑張りの結果でもある。

バイオ市場25兆円についてはこちら参照
2010年のバイオ市場規模の持つ意味(2年前に書いて忘れてた)

僕は第4回ぐらいのライフサイエンスサミット(2004年だったはず)ですでに「2010年で25兆円は無理」と指摘した(どこかに議事録があるはず)のだけれど、最終的には2010年のニューバイオ市場は4兆円ぐらいだったようだ(非公式データで、入手元は明かせないけれど、近々統計データとして出るはず)。

結局のところ、25兆円という数字は経産省にとっても、文科省にとっても便利な数字だったわけで、これによって予算が確保され、その結果、人材が育成され、そして今になって、21兆円分の誤算が「余剰博士」という形で残っていることになる。

例えば、なんでズブズブの分子生物学系の人間だった僕がITベンチャーの社長をやっているのか、ネット・マーケティングの本を書いているのか、そのあたりを良く考える必要がある。僕はトップダウンで物事を決めていくのが嫌いな人間だから、「ライフサイエンス系の学部、大学院は閉めるべきです」という意見にはすぐに首肯しない。しないけれど、「学位をとったけれど、どうにもなりません。どうしよう」という人間が量産されてしまうよりは、確かにその方が良いかな、と思う。

バイオ系博士については「全く就職がないということではありません」といったところが、最近流行りのトーンで説明したものだろう。それでも進学するのは勝手(=自己責任)だよなぁ、とは思うのだけれど、そうとばかりも言い切れないのかな。旧帝、及び東工大などの一部の大学以外では、バイオ系博士のお先は真っ暗だと思う。この間も、東大の博士から「なんで駅弁大学の博士なんかになるんだか、意味不明ですよ。学部が東大じゃないっていうだけでも就職が困難だっていうのに」という話を聞いたけれど、全くその通りだと思う。最低限、その研究室で博士をとった学生がその後どうなったのかぐらいの調査はやっておくべきだ。直後にどこにいったのか、ではなく、今何をやっているのか、を。

ちなみに「市場25兆円」は当初は目標値。適正な政策を講ずれば、この数字になる、というものだった(当時の経産省バイオ課長は堅尾さん)。いつの間にかそれが予測値に変わってしまったことについては上記のリンクを参照のこと。記事は2005年。良い記事だなぁ(笑)。  
Posted by buu2 at 18:17Comments(2)TrackBack(0)バイオ││編集

これまで誰も書かなかった「サイエンス・コミュニケーションに求められるもの」

サイエンス・コミュニケーターについて大事なことを書きます。

○科学は面白くない
科学は面白くありません。「ちゃんと理解できたら面白いはず」というのはあなたの思い込みです。そもそも、あなたはなぜ科学をやっているのですか?あなたが面白いと思っているからではありませんか?「私にも面白いから、他人が見ても面白いはず」は誤解です。でも、「誰にとってもつまらない」ものでもありません。中には「面白い」と思う人もいるかも知れません。そうなったらラッキーです。でも、立つべき場所は、「面白いはず」ではありません。基本的に「面白くない」です。

○科学は大事ではない
科学は大事ではありません。テレビの仕組みを知らなくてもテレビを使うことはできます。原発の仕組みを知らなくても電気を使うことはできます。「科学を理解することは大事」と思い込みたいのはわかりますが、これは間違いです。ただし、「誰にとっても不要なもの」でもありません。人によります。また、場面にもよります。立つべき場所は、基本的に「大事ではない」です。

○では、科学を理解する必要はないの?
必要不可欠ではありません。ただし、科学を理解すると生活が豊かになる可能性があります。また、「この角度で打ち上げると打球が遠くまで飛ぶ」「この握り方でボールを投げるとこんな感じで変化する」などは、科学で説明が可能です。だから、科学的なアプローチによって、より早く結論に行き着く可能性もあります。ただ、これらの多くは日常の経験を通じて身につけることができます。僕は科学的なことは理解していませんでしたが、小学生のころからカーブもフォークも投げることができました。「理解していた方が良いかもね」ぐらいのことです。あと、大学受験には役に立つかも知れません。時と場合によるわけで、少なくとも普遍的な重要事項ではありません(普遍的な重要事項とは、走行中の新幹線からは飛び降りない方が良い、とかです)。

○これまでのサイエンス・コミュニケーション
多くの場面で、サイエンス・コミュニケーションは単なる押し付け、あるいは大人の事情でした。「私のやっている研究は面白いから、みんなに理解して欲しい」(典型的な押し付け)、「反対運動が起きると面倒だから、原発の安全性について理解して欲しい」(典型的な大人の事情)といったものです。知りたくもないものを無理やり押し付けていたんですから、「サイエンス・コミュニケーション」などというアクティビティがメジャーになるわけがありません。だから、僕の「親と子のゲノム教室」もたった5000部しか売れませんでした。

○サイエンス・コミュニケーションに求められるもの
総統閣下シリーズは多いもので30万人の人が見たようです。前述の「これまでのサイエンス・コミュニケーション」との差は、有料、無料の違いではありません。お金のことに着目すると本質を見失います。要因は二つです。ひとつに、大勢の人が「シーベルトって何なの?」と思っていたから、そしてもうひとつに、大勢の人が「面白い!」と思ったからです。面白い、は、「シーベルト」についてではありません。シーベルトなど、今も、昔も、多分将来も、誰も面白いとは思っていません。あくまでも表現方法を、です。何よりも、表現方法が大事なのです。
最近、僕のブログに、「サイエンス・コミュニケーターって女性が多いですよね」というコメントがありましたが、何故かって、答えは簡単です。それは、彼女たちが可愛かったり、おっぱいぷるんぷるんだったからです。だから、発表している内容はつまらないものでも見に来る人がいました。ニーズがあったから存在できたのです。でも、彼女たちの賞味期限はとても短いです。ごくまれに吉永小百合さんのようなバケモノ(いい意味で)が誕生したりしますが、もちろんこれはレアケースです。おばさんになったり、結婚しちゃったりすると途端に価値が低下します(科学ではこれを「半減期が短い」と言います)。それが証拠に、おばさんとおじさんのサイエンス・コミュニケーターの数はそれほど違いがありません。多いのは、若い女性のサイエンス・コミュニケーターだけです。おそらく、ジャニーズの誰かがサイエンス・コミュニケーターをやれば、それもヒットするはずです。
聞き手が求めているのは「科学」ではありません(子供を連れた教育ママだけは別です)。タイムリーなネタを、可愛い子(イケメン)が、面白く表現することです。

○念のため
タイムリー、かつ面白ければ必要条件を満たしています。さらにそれが可愛くておっぱいぷるんぷるん(男の場合はイケメン)であれば理想的です。加えて水着だったりしたら満員御礼間違いなしでしょう。ただ、可愛いとかイケメンとかは才能です。ブスやブサイクは整形しないとどうにもなりません。また、あくまでも十分条件であって、必要条件ではないので安心してください。でも、僕がイベントをプロデュースするなら、コミュニケーターは可愛い子を水着で使います。

○俺は遺伝子組み換えについてコミュニケーションしたいんだけど
無理です。今、皆さんのニーズは放射能です。どんなに頑張っても遺伝子組み換えについては聞いてもらえません。あなたがもし遺伝子組み換えしか語れないコミュニケーターなら、あなたの時代が来るのを待つしかありません。もしかしたら来るかも知れないし、一生来ないかも知れません。ただ、あなたがもし、「ちょっと専門外だけれど、なぜ放射線が体に悪いのかなら、分子遺伝学的に説明できるかも」と考えることができるなら、チャンスはあります。今のキーワードは「放射能」です。

○職業としてのサイエンス・コミュニケーター
専門に特化したコミュニケーターは食べていくのが困難です。なんでも説明できるストライクゾーンの広さが要求されます。ただし、「御用コミュニケーター」の需要は引き続きあると思います。「遺伝子組み換えについて教える」「原子力の安全性について教える」「放射能ふりかけは気にする必要がないと教える」といった、メーカーサイド、行政サイドにニーズは未来永劫存在するからです。サイエンス・コミュニケーターが今よりもうちょっと有名になれば、ウィキペディアにも「御用コミュニケーター」という言葉が載るかも知れません。載ると良いですね!

○まとめ
1.科学はつまらない。
2.科学は大事ではない。
3.みんな、面白いものを見たい。
4.カワイコちゃん、おっぱいぷるんぷるん、イケメンはここでも正義。ただし、半減期が短いことに注意。
5.今なら放射能!

参考資料
急募!「まともな」サイエンス・コミュニケーター!  

ネットをふらふら

「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩

微妙な記事。内容は正しいのに、冒頭で「風評被害」についてきちんと定義せず、むしろ広義に捉えて朝日新聞の主張する「風評被害」を受け入れているように書いてしまっているのが惜しい(後半まで読むと、筆者のスタンスは必ずしもそうではないことがわかる)。「深刻な風評被害」の段落をなしにすればもっと良い記事だったのに。


「御用学者」とは誰のことか 西田亮介

別にとりたてて新しいことが書いてあるわけでもなく、どうということもない記事。なぜくだらなくなってしまったかといえば、「「御用学者」とは誰のことか」と大上段にふりかぶったくせに、最終的に著者なりの「御用学者」の定義付けが行われなかったから。「そんでもって、斑目は御用学者なのかよ?そうじゃないのかよ?」という質問に対する回答が用意されていない。

そもそも、学者の仕事とは何かって、科学的な事象や社会的な事象を観察し、自分の考察を詳らかにする人のことでしょ。考察にあたって、「このお金は役所からもらったから」とか言って内容を変えたり、都合の悪いことに言及しないのはおかしい。学者は、データに対して謙虚でなくちゃ。そうじゃない学者はクズだし、データに対して謙虚じゃない場合、その理由が自分単独のエゴなら捏造者、理由が権力者であれば御用学者、ってことだよね。  

2011年04月19日

不謹慎かも知れませんが牛乳を買い溜めしました

2bd99aee.jpgいや、だって売れ残って叩き売りされてんだもん。
  
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タイムカプセル的備忘録

大学時代からのスキー友達の女性がいる。彼女は都内で働いているのだけれど、2月末に連絡が来て、「3月にスキーに行こうと思うが、どこが良いか」ということだった。ちょうど彼女の会社が関係しているスキー大会が長野であったので、「どうせならそこに行けば?」と勧めておいた。その大会は3月9日だったので、10日に「どうだった?」と連絡すると、「仕事の都合で来週にした」との返事だった。そして地震である。20日頃に「それで、先週は行ったの?」と質問のメールを送ったけれど、返事はない。おそらく、「それどころじゃない」ということなんだろう。実は、僕が知っている限りで彼女はこれに類することを以前に一度やっている。結婚が決まって、「二次会をやるから来て下さい」と言われ、出かけて行ったらなぜかお通夜のような飲み会をやっている。どうしたのかな?と思ったら、結婚が延期になって、でもお店のキャンセルができなかったので、仲間内で飲んでいる、とのことだった。結婚の延期の原因は9.11である。海外勤務の新郎が9.11で忙しくなって、帰国できなくなったらしい。その後、婚約は解消になって、彼女はまだ独身のままである。

一方で、別のガールフレンドの話。彼女は僕のガールフレンドの中では屈指の美人さんで、頭も切れる。酒もそこそこにいけて、明るくて、いわゆる非の打ち所のない奴だ。彼女と知り合ったのは彼女が25ぐらいのときだったと思うけれど、以後、一年に2度か3度、時々飲みに行ったりする間柄だった。彼女にはずっと彼氏がいたけれど(同じ彼氏ではない)、彼女は「30までお互いが独身だったら結婚しようと話している友達がいる」と言っていた。ふうん、と思っていたのだけれど、去年の後半だったか、「30になったので、結婚することにした」と連絡が来た。式は来年の2月頃、相手は例の婚約者(?)とのことだった。そして今年の3月に、「そういえば、今週末、嫁に行きます。二次会を東京でやるけれど、来ませんか?」というメールが来た。さすがに「今週末」でホイホイ出かけていけるほど暇な生活をしているわけでもなく、「残念だけど調整がつかないから、あとで個人的にお祝いするよ」と返事をしておいた。式は、3月の5日だったか、6日だったか。後日彼女に「写真を見せろ」とメールしたら、「浦安の結婚式場だったので、今、バタバタしていて(多分液状化騒ぎの影響だろう)写真が手元に届かない」とのことだった。結婚式が一週間遅かったら、今頃どうなっていたことやら。でも、結果論として、彼女は何も問題なく結婚式を挙げることができた。そして、多分何度人生をやり直しても、やはり震災の前に結婚式を挙げるのだろう。これは運ではない。

さて、前者と後者、どちらが良いのか、ということである。「明日でも良いことは、今日やらない」と、「今日やれることは今日のうちにやっておく」の二つの生き方である。ぱっと聞けば、普通は後者を選択するだろう。だけど、よーく考えて見れば、一概に後者とも言い切れない。たとえば、前者は離婚の危険性はないけれど、後者にはある。離婚しないで済んだから良かったね、ということになるのかも知れない。人生は終わってみなければわからない。

この前者と後者は、別の言い方をすれば保守と革新でもある。失敗をおそれ、現状の維持を目指すか、失敗を恐れず革新を目指すか。そうやって言葉を変えると、実は多くの日本人が潜在的に前者なのだろう(意識的か、無意識的かは別として)。

話は変わるけれど、先日、ネットで「ここへ来て、手のひらを返したように菅内閣を批判する奴らがいるが、お前らが投票したから菅内閣なんだろう。おれは民主党には投票していない。民主党に投票した奴らは反省すべきだ」という意見を見かけたが、これなどは典型的な馬鹿だと思う。なぜなら、今の東電の社長が「黒ひげ危機一発ゲーム」よろしく、単に運が悪かったのと同じで、たまたま政権にいたときに未曾有の危機に瀕しただけのことなのだ。多分、自民党内閣であっても同じ質の(同じ内容ではない)危機に瀕したはずである。なぜなら、政権が誰であれ、津波は起きて、原子炉の電源は全て失われていたはずだからである。そして、「対応が良ければこんなにひどい事にはならなかったはず」というのもちょっと違うと僕は思う。おそらく、だけれど、今回の事故の主たる原因は、長く続いていた原子力村の支配構造にある。その村民たちは、東電、保安院、経産省、安全委員会、政治家、学者といった面々で、東電の社長や内閣総理大臣とは異なり、こちらは長い時間かけてつくりあげられ、そして地震がなければこれからもずっと安泰なはずの組織だった。原因が総理大臣の資質とは無関係なのだから、事故はやはり起きたはずなのだ。そういう意味では、菅総理大臣は東電社長と同様、運がない。そして、これを以て民主党という選択をした国民を避難するのも間違いである。なぜなら、選挙にあたって、こんな災害を誰も想定していなかったからである。民主党を選択した革新派の人々を、現状を以て「お前らのせいだ」と論ずる保守派は我田引水も甚だしい。保守は単に運が良かっただけだ。

ただ、今は違う。地震から一ヶ月以上が経過し、災害は徐々に天災から人災に変わりつつある。そこで徐々にクローズアップされてきているのが、政府与党の、主として情報公開関連の拙策である。昨日も、「浪江町は放射能がこんなに強いです。退避したほうが良いです」みたいな話があったけれど、こんなことは昨日、今日わかったことではない。なぜなら、3月21日以降、主だった放射能の供給は行われていないのだ。つまり、その日以降(あるいは、大気中の線源が落ち着いた25日以降、データはこちら参照)、状況は全く変わっていない。政府は一ヶ月、浪江町を放置したのである。その間に被曝した総量は多いところで30ミリシーベルトを超えているそうだ。すでに浪江町では発がんリスクが3%アップしているのである。

政府の情報発信が稚拙だという指摘は、これだけにとどまらない。小さいところで言えば先日僕が指摘した「PDF問題」まであるし、東電の英語サイトの充実っぷりとか、小さいところから大きいところまで多岐に渡る。そして、この対応の悪さが国民の不信感を煽り、風評被害を発生させ、国際的な信用の低下を招いている。

僕は、国民の「民主党」という選択を、今でも正しかったと思っている。それはなぜか。政権与党の経験のある政党が自民党だけ、という状態は明らかにいびつだからである。経験のない政党がまともな政策を打ち出せるわけがない。良く笑いの種にされるマニュフェストに幸福実現党のマニュフェストがある。その内容は本当に素晴らしいものだ。ただし、実現の可能性は非常に低い。極端にいってしまえば、「税金は撤廃、公務員はすべて廃止、年金は完全支給、皆保険の負担率は10%に引き下げ」みたいなことが実現できるわけがない。現実とのすり合わせが必須なのだ。しかし、政権与党になってみなければ、何ができて、何ができないかはわからないままになる。民主党政権になる前は、「やったことのある自民党」と、「やったことのないその他の野党」しか存在しなかったのである(細かい例外はあるけれど)。特に二大政党制を目指すなら、この状況は早急に解消する必要があった。できれば、平時に。今になって思えば、政権交代があと4年早ければ、という感じである。しかし、ここでたら、ればを言ってもどうしようもない。保守派が今になって「民主党に投票した奴らが馬鹿だから」というのが全く的はずれなのと同様、「政権交代がもう少し早ければ」というのも意味がない。地震は起きてしまい、政権は民主党なのだ。

しかし、広がりつつある人災についてはなるべく小さくしたい。今のままの民主党では、この流れにストップはかからない。それから、ひとつ重要な点は、「政権がただ自民党に代わっただけでは何の解決にもならない」ということである。「適切な災害対策ができる」という視点は、「民主党か、自民党か」という対立構造とは全く異なる。それがわかっているから、何もできないと自覚している谷垣自民党総裁は全く動き出そうとしない。火の中の栗を拾いたくないのは当たり前だ。今求められているのは、真の意味での民主政治への脱却なのである。官主導でもなく、民意を無視した政治家の主導でもない。世の中に沢山転がっている小さな力を上手に集めてきて利用する政治だ。官僚と、そこにつながる御用学者、政治家が密室で決めて、大衆を導くこれまでの「官僚主義」とは違う。実際、僕が見てきた役所には、「国民は馬鹿だ。俺こそが正しいのだから、俺が導く」というタイプの役人がそこそこの頻度で見受けられた。しかし、若手を中心に、「国民の代表として、国民の利益代表としてどうしていったら良いのか」を真剣に考えようとしている官僚たちもたくさんいる。そして、「国のために少しでも協力したい」と考え、工夫し、行動している人たちもたくさんいる。評論家だって、もちろん役に立つ。池田信夫さんやら、上杉隆さんやら、色々な人が色々な立場で主義主張を繰り広げてくれているわけで、彼らだって「議論したいからちょっと来てくれ」と、公開の討論の場を用意すれば来てくれるはずである。「原発は廃止すべし」「じゃぁ、電力不足はどうする」「ガマンしろ」「我慢していたら経済が滞る」「国債を発行しろ」「それは負担の先送りだ」・・・・いくらでも、結論が出るまでやってみれば良い。ただ、単に主張を押し売りするだけなら、「○○をよろしくお願いいたします」と連呼するだけの迷惑な選挙カーと一緒だ。きちんと議論を整理して、結論に誘導する必要がある。評論は評論で良いのだが、今は行動プランまで行き着かないと意味がない。議論を透明化し、その上でみんなで考え、結論を出せば良い。

役者は揃いつつある。それをサポートする技術的なバックグラウンドも整備されつつある。あと必要なのは、国民の力を信じて、それを上手に利用していこうと考えるリーダーの登場なのだと思う。それはおそらく菅直人ではない。谷垣禎一でもない。小沢一郎でもない。選挙で当選したらあとは自分で決める、というタイプの政治家ではないのだ。しかし、原口一博とか、河野太郎がこういう資質を持っていたとして、彼らがリーダーになれる制度を日本は持っていない。折角保守主流の日本で改革の一歩を踏み出して、さぁ政界再編、新しく、世代間格差の是正に向けた動きを創りだしていこう、という大事なときに天災に見舞われて、ピンチが続いている。

3−0で負けている9回の裏、ツーアウト満塁。打順はピッチャー。期待できる代打が何人かいる。ところが監督がベンチ裏に引っ込んで采配を振るわない。監督候補はいるのに、彼らはネット裏で観戦している。彼らがベンチに入る方法はない。

このままではゲームセットだ。

でもまぁ、それでも良いのか。石原都知事に投票するような人、公務員、大企業の社員(特に管理職以上)といった人たちは、ゲームセットでもそれほど困らないし、そういう層がこの国では過半数を超えているのだから。とばっちりは、岩手、宮城、福島、茨城あたりを中心とした被災者と、若者に行く。30年後に「東北、関東でがんの発生率がアップしています。これは福島原発の放射能漏れの影響と思われます。ただ、2015年以後にそれらの地方にお住まいの方にはただちに影響が出ることはありませんので、ご安心ください」というニュースが流れるのだろう。

とりあえず今できることは、「こうするべきだ」という意見を残しておくこと。またどこかで原発が吹っ飛ぶかも知れず、奇跡的に政界が再編されるかも知れない。そのときに慌てて考えをまとめるよりは、今のうちに書いておいたほうが良い。  
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2011年04月18日

浪江町は3年後にはがん患者倍増

浪江町3地点、避難基準超える=放射線推計20〜34ミリシーベルト・福島原発事故
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011041800410&rel=y&g=soc

ひどいね、これ。一年後の積算被爆量が314ミリシーベルトって、3年後にはほぼ1シーベルトじゃん。例の、100ミリシーベルトで発がん10%アップ説を信じるなら、3年後には浪江町のがん患者は倍増。6年後には2シーベルト被爆で致死率5%ってこと?

まぁ、ただちに、じゃないし、全員、でもないけどさ。  
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いわしの生姜煮

夜中のスーパーは危険だ。

ついつい、「半額」シールの貼ってある生鮮食料品を買ってしまう。今日はいわし。

ということで、いわしのしょうが煮を作ってみた。

材料:
いわし2匹
しょうが半分
煮汁
 水70ml
 酒50ml
 醤油40ml
 みりん15ml
 砂糖大さじ半分

作り方:
いわしは鱗が取ってあったので、頭を落として、内蔵を取って、流水で洗って、キッチンペーパーで水気を取る。半分に切っておく。
しょうがは千切り。
鍋に煮汁の材料としょうがを入れて中火にかけ、煮立ったらいわしを並べて入れる。スプーンを使って煮汁をいわしにかけて、表面が白くなったら紙で作った落としぶたをして、鍋にふたをして、弱火で10分ほど煮る。

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おいしい。いわしが安いのは大歓迎!  
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ブログのインターフェイス変更について

先ほど、アクセス解析から閲覧者の皆様のディスプレイ環境を調査したところ、700以下の方は一人もいないことがわかりました(サンプル数9448、最低サイズが768 x 1024、170名(1.9%)、携帯やiPhone等を除く)。

この状況を鑑み、ブログの横幅を従来の665から700へと変更しました。といっても、本体部分は変わりがなく、サイドバーの幅が太くなっただけです。Firefox、IE、Safari、Chromeあたりではきちんと表示されることを確認してありますが、見にくくなっていたら申し訳ありません。

ということで、引き続き、「Return of the まにあな日記」をよろしくお願いいたします。  

政治主導にお願いしたい簡単なこと

えー、政府与党の皆様(ツイッターのアカウントがわかる@renho_shaさん、@kharaguchiさん、@fujisueさんに@を飛ばしておきます)にひとつお願いがあります。

「政治主導で原子炉を冷却してくれ」とか、「政治主導で東電を増税および国債発行なしで何とかしてくれ」とか、そんな難しいことは申しません。

ぜひ、ひとつ、各省庁から出されるデータを、PDFだけでなく、テキストデータ(たとえば表データならエクセルやCSV形式)でも提供するようにしていただけないでしょうか。

昨日、「放射能ふりかけの状況4/17版」というエントリを載せましたが、この表の元データは厚生労働省発表のものです。そして、そのデータは例によってPDFです。厚生労働省の皆さんはきっとお忙しいことと思いますので、わかりやすく、みやすいデータに加工するのはこちらでやります。ただ、その元データがPDFというのが非常に困るのです。これが表計算ソフトですぐに読み込むことができれば、色々なことが自動化でき、加工が楽になるのです。

中央で役人をやったことのある僕ですら、行政文書がPDFでばかり提供されるのは意味不明です。もちろん、最初から加工する必要のないすばらしいデータとして提供されているのであれば別ですが、今回僕が参考にしたものなど、ひどいものです。

ということで、非常に簡単なことをぜひひとつ政治主導でお願いしたいのですが、役所から提供される文書は、「PDF『と』テキスト形式(CSVとか、要はワードやエクセルで開けるもの)」にしていただけないでしょうか。もともとワードやエクセルで作っているのですから、そんなに難しいことではないと思うのです。というか、非常に簡単なことだと思うのです。

ぜひひとつ、政治主導で実現していただければと思います。それも、なるべく早く。データの加工、結構疲れるので。  

2011年04月17日

放射能ふりかけの状況4/17版

厚生労働省、データを出してくれるのは良いけど、何も加工しないでPDFでだらだら出しやがって税金の払いがいがないったらありゃしない。僕は税金もらってないんですが、頑張って厚労省の85ページもあるPDFデータから4月1日以降のデータを書きだしてみました。

結構面倒くさい。つまり、厚労省としては、「こんだけ大量にデータがあれば、面倒くさいからみんな見たりしないだろ。データは出しているんだし、「面倒だから政府の発表を信用しよう」って思ってくれたらシメシメだよな」ってことなんでしょうね。そうは問屋が卸すかよ、コンチク省、ということで、日曜日でサッカーもない俺が来ましたよ、という感じです。データ、4月11日までしかないんですね。ま、いーや。

それで、さっきも書きましたが、茨城の何市だよ、とか、スーパーで買い物するときに調べようもないので、地域は都道府県別、「えっと、シイタケはだめだけれど、ほうれん草は良いんだっけ?」って、そんなことも一々覚えてらんないから、分類は野菜、肉・卵、乳、水産物の切り分けです。3月のデータもたんまりあるけれど、過去データなんか意味ないからパス。俺達は今スーパーに並んでいる商品の放射能汚染度を知りたいんだ。あと、兵庫とか、「いくらなんでもダイジョーブでしょ?」という場所のデータもあったけれど、このあたりもパス。新潟とかも調べてみたら全部クリアなので、次にまとめるときはスルーしようと思います。あと、数字も、細かいデータを言われたってわかんないから、基準値以上▲、基準値以下▽、不検出○で表記しました。何も記号がないところはデータなしです。ということで、まとめはこちら。どん。

furikake0417


「あーーーん、参考になったよぅ」というコメントがたくさんあったら続けます。「こんなの、いらねぇよ、暇人乙」ということなら今回で終了かも(笑)。

ちなみに僕の印象。福島の野菜はやばい。茨城も不穏な感じ。埼玉もちょっといやーんな感じなので、他に選択肢があれば他県のものを買いたい。栃木が意外と平気なんですけど、ちょっとデータが少ない気もする。買ってほしけりゃもっとデータ集めてこい、と。新潟は今のところ胸をはって大丈夫。茨城の水産物は当分だめだな、こりゃ、という感じです。はい。

「基準値以下でも、できれば放射能はイヤっ!」という方は、福島、茨城、群馬、埼玉を避けましょう。「基準値以下ならもりもり食べるぞ」っていう人は、今のところ恐れるものはそれほどなさそうです。福島と茨城の野菜・水産物以外は大丈夫。

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4/18 00:15追記
GoogleDOCSでアップしておきました。

放射能ふりかけの状況

「アップデート手伝うよ!」という方、募集します(笑)。っていうか、丸投げしたいです(笑)。

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4/18 12:30追記
やったー、こうやって書いておいたら、「手伝いますー」っていう学生さんが現れた!だめもとでも書いてみるものだねー(笑)。  
Posted by buu2 at 14:33Comments(17)TrackBack(0)日記││編集

食べ続けなくても、全部ふりかけかかっていれば一緒だよな

なんか、「ほうれん草は、毎日食べ続けなければ健康には影響が出ないレベルです」とか言っているけれど、今日はほうれん草、明日はしいたけ、明後日は牛乳・・・・って、それが全部放射能ふりかけなら意味ないよな、と思った。今、厚労省のデータを見ていて。だって、福島産とか、ほとんど全部放射能ふりかけなんだもの。「あぁ、これは放射能ふりかけかかってないのね」って思うと、それは新潟(笑)。まぁ、ほとんどが基準値以下ではあるのだけれど、ね。

あとでまとめた表を出そうと思います。市町村レベルで「福島県産も○○町のしいたけなら大丈夫」とかピンポイントで分かっても意味ないから、都道府県レベル、一つでもダメだったらそれを代表、不検出、基準値以下、基準値以上で、野菜、肉・卵、乳、水産物ぐらいの切り分けで。  

孤高のメス

孤高のメス [DVD]

TSUTAYAの準新作100円に釣られてレンタル。

医療ドラマ、役者がちゃんとしている、の2点からして一定のクオリティはクリアしていると期待できた。ただ、唯一心配な点は監督の演出力。ついこの間見た「八日目の蝉」では、監督の演出力は明らかにマイナスに働いていた。だから、大丈夫かなぁ、と心配しつつ観たのだけれど・・・・

結論から言えば心配は杞憂だった。正直に言えば、ラストまで、「なんでこういう構成にしちゃったんだろう」と思っていた。映画を観ればすぐにわかることだから書いてしまえば、息子がお母さんの日記を見つけることによって始まる昔語りの体裁のことだ。でも、終わってみれば納得。例によってベタであることは否定のしようもないのだけれど、この監督はベタな演出をベタなままでやりたいのだろう。例えば運命的な出会いのバックグラウンドに「ジャジャジャジャーン」とベートーヴェンを流すとか、そういうヤツを。八日目の蝉ではその演出が鼻についたけれど、この作品ではそんなこともない。

映画のテーマは大きく分けて二つ。地域医療の荒廃と、生体肝移植(脳死問題)である。前者は引き続き大きな問題だろう。後者は現代では一定のコンセンサスが形成されていて、「そういえば、昔はねぇ」という感じである。ただ、そういった社会問題を指摘しつつも、この映画は信念を貫き通す一人の人間を描いた映画であり、また、恋愛映画でもあった。外科医当麻のような生き方は、誰もが理想とするものであると同時に、ほとんど全ての人間が諦めるものでもある。すでに諦めてしまった人にとっては、もう戻ることのできない生き方で、単に「残念でした」で終わってしまう。だから、この映画はまだきちんと理想を持っている若い人と、今も苦しみながら頑張っているごく僅かな年長者のためにあるような感じだ。そして、恋愛パート。描かれている関係は普通の恋愛ではない。しかも、片想いである。さらに言えば、結末がわかっている。それでも、そのパートは最後まで楽しめる。これは役者の力によるところが大きいと思う。

僕は医者ではないから、手術の現場にいたことはない。いや、正確には、いたことは何度もある。火傷の皮膚移植に始まり、最低でも4回は手術室に入り、そのうちの3回は全身麻酔だった。手術室に音楽が流れていることぐらいは知っているのだけれど、生体肝移植みたいな手術は見たことがない。だから、この映画がどの程度手術をリアルに再現しているのかは良くわからない。良くわからないのだけれど、生体肝移植手術が物凄く大変な大仕事であることはきちんと伝わってきた。このあたりも演出力と役者力に寄るところが大きいと思う。

分かりやすい善玉と悪玉の対立はちょっと映画を軽くしてしまったけれど、その点を割り引いたとしても、良くできた医療映画だったと思う。役者では、夏川結衣が良い。

評価は☆2つ半。  
Posted by buu2 at 03:08Comments(0)TrackBack(0)映画2010││編集

勝間さんには一生勝てない

こんな怪文書が公開されております。

原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示

もともと勝間さんってあんまり好きじゃない人なんだけれど、このお詫びを見てもやっぱり同じ印象になるんだよね。この人、要は他人の尻馬に乗るのが好きなんだよね。以前のひろゆきとの対談でもそうだし、朝生を見ていてもそうなんだけれど、オリジナルな主張があるわけじゃなくて、誰か良さそうな人、時代の波に乗っていそうな人を見つけては、その尻馬に乗りたがる(僕の勝間さんに関する記述はこちらを参照のこと)。

最初の反省については別に何もないんですよ。ただ謝っているだけ。あぁ、わかったんだ、と。問題は「もう一つの強い反省」以後。だって、この人、別に原子力政策と関係ないでしょ。役人でもないし、東電の社員でもない。その人が、なんで政府と電力会社のコンプライアンスについて言及して反省するわけ(笑)?反省と言いつつ、政府と電力会社に文句を言っているだけじゃん(笑)。そこから見えるのは、「反省はしました。ところで、私の感覚は、怒っている皆さんと同じです」って、お前、今度はこっちの尻馬に乗りに来たのかよー、節操ないなぁーという感じ(笑)。あげく、「公開提案」ってなんだよ、これ。

「もう一つの強い反省」以下は削除して、黙っていれば良いんじゃないのかな。誰もあなたの提案なんて期待していないし、ここで提案して、話を聞いてくれる人がいるの?っていうか、「東電役員総辞職」って、誰も聞いてくれないから記事に書いているんじゃないの?せめて、皆さんだけでも読んでください!って。

それで、もし後日東電の役員が総辞職したら、「私が提案したからです」って、手柄を自分のものにする作戦ですかね?

書いてある提案も上っ面だけ、かつ部分的だし(たとえば放射能汚染とかについては全く触れていない)。最後に「その実現に向けた最大限の努力を行っていきたい」って、具体的には何をするのさ。ハンストでもするんですかね?「役員の皆さん総辞職してください。保安院は解体してください。安全委員会も総辞職してください」って?笑っちゃう。マジで。

ちょっともう、完全に賞味期限が切れちゃったキャラクターって感じです。個人的には味わうところは最初から何もなかったんだけれど。いや、でもたくさん本を売ったんですよね。素晴らしい。僕も勝間さんのようになりたいので、目標にして頑張りますっ!次に書く本は「男はイケメンが勝ち!」ですかね(笑)?いや、ごめんなさい、それは僕には無理だ。だからだめなんだなー、僕は。勝間さんにはなりきれません。敗北感でいっぱいです。  

2011年04月16日

かなり感覚的に計算したら、30年後には毎年500人がんで死ぬ勘定

「良くわかんないけど、ぶっちゃけ、どんだけからヤバいの?」っていうのが多くの人の意見だと思うんですよね。このあたり、感覚的なものだから、みんなに納得してもらうのは無理なわけで、そこを無理やり(笑)考えてみます。

えっと、100ミリシーベルト被爆するとがんになる可能性が10%アップ、10ミリシーベルトでも、影響は見られる、ということなので、「じゃぁ、10ミリより少なくしようよ」というのが僕の考え。え?「何もしてなくても、年間2.4ミリシーベルト被曝しているんでしょ?4年で約10ミリじゃん」と思ったあなたはなかなか鋭い。でもね、そのおかげで僕達はがんになるんだよ。きっと、総量はなるべく少ないほうが良いはずだ。もしかしたら、毎年被曝している放射線量が0だったら、僕達の平均寿命はもっと長いかも知れないんだ。いや、きっとそうに違いない。「日頃浴びているんだから、そのくらいはオッケー」というのはちょっと話が違うはずだ。

ということで、個人的に、「生涯でエキストラ(追加、おまけ)な放射線の被曝量は10ミリシーベルト以下にしたい!」って決めました。

では、生涯で『エキストラに』(←これ大事)10ミリシーベルト被曝しないためには、どのくらいがしきい値になるでしょうか。これ、残りの人生の長さによって変わってきます。ということで、女性は寿命85歳、男性は80歳として計算してみます。

各年齢とも、男、女の順で書きます。単位はマイクロシーベルト毎時です。

60歳 0.0571 0.0457
50歳 0.0381 0.0326
40歳 0.0285 0.0254
30歳 0.0228 0.0208
20歳 0.0190 0.0176
10歳 0.0163 0.0152
 0歳 0.0143 0.0134

うわ、結構タイトじゃないですか。この数字だと、東京、だめですよ。大体、東京で原発事故前と事故後で0.04マイクロシーベルト毎時ぐらい大気放射線量が増えてます。

出典:都内の環境放射線測定結果

「いや、俺はがんの発生率が10%アップぐらいならなんでもねぇぜ」っていう人は、全年齢で大丈夫です。単純に、上の数字を10倍して、増加した放射線量と比較してください。都内なら0.04マイクロシーベルト毎時です。0歳でも0.14シーベルト毎時前後になりますから、全然問題ありません。

100ミリシーベルトでがんの発生率が10%アップだから、ざっくり計算して、10ミリシーベルトならがんの発生率は1%アップ。東京都のがんの患者数は平成18年で約3万人(東京都福祉保健局)とのことなので、今回の事故のせいで、年間300人増えることになります。いや、「CT撮ったら1回で7ミリシーベルトですよ」っていうのはわかります。でも、それは必要があってのこと。必要なければCTなんか撮らないもん。今回は、原発がぶっ壊れなければ浴びなかったはずの放射線。どうも納得行きませんね。それから、東京でこの数字だから、多分福島や茨城の人はもっと納得行かないと思いますよ。

東京都が人口1000万人なら、今回の対象地域はどんなもんだろう。試しに3000万人としてみます。これならがんの増加数は900人。原発の近所ならもっと増えるから、ざっと1000人ってことで。このうち半数が手術の甲斐なく死んでしまったとすれば、死者は500人。え?毎年500人が死ぬ勘定ですか?これって、結構な数だと思うんですが・・・・30年後くらいから、毎年500人、がん死者数が増える・・・と。あ、でも、30年経ったらセシウムの放射線量、半分ですね。でも、面倒だからいーや。とりあえず、あんまり長くいないほうがいいぞ、ということで。

「影響ない」なんてこと、ないじゃーん。あ、「ただちに」でしたね。逆に言えば、東京は20年ぐらいまでなら大丈夫です。20年住むと、7ミリシーベルトの被曝です。セーフ。ちなみにCT一回分です。


この、CT一回分っていうのが、判りやすそうで、実は罠ですよね。CTだってそこそこヤバイよ、という話であって。長生きしたければ東京に長いこといることも、CT撮ることもやめておけ(必要ないなら)、ということのようです。もちろん、茨城は東京よりヤバいし、福島はもっとヤバいはずです。

#ちなみに僕はCTを何度か撮ってます。次からMRIにしよーっと。だって、CTって、300回ぐらい連続撮影すると5%の人が死ぬんですよ。CTやべぇ(うわ、医者に怒られそうだ。もちろん、必要があるなら撮らなくちゃだめですよ!)。  
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原子力発電所の危険性を数字で考えてみる

池田信夫さんが「死者ベースで考えれば」と限定して原発は自動車より安全、と述べています。

自動車や石油火力は原発より危険である

これは確かに真実で、どこにも間違ったことが書いていないのですが、多くの人が「あれ?なんか腑に落ちないぞ?」と思っているのではないでしょうか。だって、この理屈から行くと、こんにゃくゼリーより原発の方が安全ってことになりますからね。それは「感覚」との乖離が大きいわけです。ちなみに、僕の場合は「腑に落ちない」ではなく、池田さんと僕では考え方が違うから、で片付きます。では、僕の考え方はどんな感じなのかを書いてみます。

放射線の被曝による人体への影響は、大量に被曝した場合の急性のものと、少量を被曝した場合の遅効性のものがあります。福島の原発が放射性物質をばらまいたとしても、そこで作業に当たっている人を除けば、数シーベルトを被曝するというケースは現状考えにくいので、以後、少量の被爆について考えてみます。

例えば、今後10年間ぐらいにわたり、福島原発から半径30キロぐらいの人がどの位被曝するのかを考えてみます。比較的被害が多いと言われている飯舘村の場合、事故後2週間で最高95ミリシーベルト、村役場付近で30ミリシーベルトとの調査結果が発表されています。

3月28日と29日にかけて飯舘村周辺において実施した放射線サーベイ活動の暫定報告

このデータのうち、役所周辺のデータを見ながら概算してみますと、役場付近では今後、10ミリシーベルト/35日ぐらいのペースで被曝することが予想されます(当初は半減期が短い核種の影響で単純計算ができませんが、一ヶ月後くらいからほぼ一次関数的に被曝量は増大していきます)。これは一年間で約104ミリシーベルトになります。約100ミリシーベルトの被曝量の場合、がんの発生率は10%アップするということなので、

出典:低線量被ばくの人体への影響について:近藤誠・慶応大

一年間でがんによる死者が10%増えるということになります。厚生労働省の統計では平成17年の時点でがんによる死者は32万5885人ですから、人口を1億2000万人とすれば、約0.27%ががんで死亡していることになります。福島原発周辺半径30キロ内の住民を仮に20万人とすれば、がんで死亡している人数は540人になりますから(半径50キロにすればいわき市が含まれるので、対象人口はかなり増大します)、これが10%増加すると、54人が年間新たにがんで死亡するということになります。

#この計算はかなりざっくりとしたもので、本来はもっと厳密に算出する必要がある(例えば、周辺全てが飯舘村と同じ程度に放射能汚染されているわけではない)のですが、今回は「こういう考え方もあります」という趣旨なので、厳密な計算は行いません。また、範囲を広く取った場合、そこでの被曝量は当然低下しますし、逆に対象人口は増大します。そのあたりの検討もしっかりと行う必要があります。

やや乱暴な計算で恐縮ではありますが、「放射線の被爆によって死ぬ人の数」は、あくまでも確率論です。交通事故とは異なり、目の前で事故が起きて人が死ぬ、ということにはなりませんが、「累積で100ミリシーベルト被曝した場合、がんで死ぬ人の数が10%増加する」のであれば、期待値(「暴力装置」と一緒で、「期待」とか書くと怒られそうですが、数学上の言葉です)として「これだけの人間が放射線の被爆によりがんで死ぬはずだ」と議論することは可能です。今回の場合、汚染されている地域の状況、そこにいる住民数、屋外と室内での被曝の状況など、不確定な要素が多いため、現状ではきちんとした計算ができないのですが、少なくとも「原発事故に起因する放射能漏れが原因で死んだ人はゼロだし、現状が続くのであれば今後もゼロだ」というのは正確性に欠けると思います。もちろん、池田信夫さんもこの点には気がついているはずで、だからこそ、「死亡者ベースで考えれば」と強調しているのだと思います。

さて、池田信夫さんの記事では、

タバコを1日1〜9本吸い続けることによる生涯のリスクは、3.4シーベルト。


という記述があります。汚染が深刻と言われている飯舘村においても年間被曝量は約100ミリシーベルトですから、30年飯舘村に住むと、喫煙者の生涯リスクに並ぶことになります。ここでの問題は、「タバコは個人の判断だが、放射線の被曝はそこに住んでいたことによる。そして、その判断のベースには「原発は安全」という前提があった」という点です。

#もちろん、今後については、「原発の近くに住むということは、こういうリスクを負うことだ」ということになりますし、そのそばに住むことは個人の判断ということになります。今までは「原発は安全」という前提で全てが構築されていましたが、3.11以後は、異なります。当然、原発の近所の土地の価格は3.11以前よりも安くなるでしょうし、そのそばで農家をやることは、「原発の事故によって、全てがパーになる」というリスクを負うことになります。

あと、僕は専門家ではないので確実ではないのですが、発がんリスクは、低率域においては足し算によって近似できるのではないかと思います。つまり、タバコを吸う人は、飯舘村に住むことによって、「タバコが原因のがんで死ぬリスク」が3倍になる勘定です。タバコを吸わない人は、タバコを吸っていないのに、吸っている人の倍のリスクを抱えることになります。

ただ、こうした検討をしてみても、「年間1万人弱が死亡する自動車よりは原発は安全だ」と言えます。なぜなら、このような検討でも、せいぜい年間数百人レベルの死者しかでないからです。さすがにこんにゃくゼリーよりは危険そうですが、自動車よりは安全です。ここで考えるべきは、例えば自動車は日本において8000万台(自動車1台あたりの死亡者(約5000人/年)は年間で0.0000625人/(台・年))、原発は18発電所55基という状況においての1台あたりの事故発生率かも知れません。今後、上の計算のように毎年54人が今回の事故による放射線でがんになって死亡する場合、原発1基あたりの年間死亡者数はあるいは約1人/(基・年)となり、自動車よりもはるかに危険になります。別の角度から「原発は危険」サイドに立つなら、「原発一箇所あたりの事故発生率は滅茶苦茶高い」みたいなデータ提示も可能なわけです。

まとめですが、「死亡者数で論じるなら、原発は自動車に比較してはるかに安全」というのはその通りだけれど、別の計算手法を使えば、原発は自動車よりもずっと危険とも言える、ということです。色々な可能性、色々な考え方をした上で、数字をどう扱ったら良いのかを考えるべきです。また、少なくともこれまでは「原発は事故を起こさない」というのが前提で周辺の社会システムが構築されていましたが、既存原発においては原発のリスクについて「福島と同様のことが起きたらどうするのか」を考える必要があります。さらに、今後原発を増設するのであれば、やはり同様に「原発は100%安全ではない」という前提に立って考える必要があります。

#ちなみに池田信夫さんの文章を読んで僕が考えたのは、「原発はタバコ程度の危険性」ではなく、「タバコは原発程度の危険性」ということでした(笑)。原発が危険、というベースに立っているので、「うわーー、タバコって、やべぇ」と思いました。もちろん僕は物凄い嫌煙家です。

##僕のスタンスは、「なるべく早く脱原発を実現できる(目標としては20年以内ぐらいで、数字に根拠はないですが)ような中・長期的電力政策を考える必要がある」というものです。  

2011年04月15日

アンジェラ

アンジェラ スペシャル・エディション [DVD]

Gyaoで無料で観ることができたので、パソコンで鑑賞(2011年5月10日までなので、未見の人は急げ!)。

モノクロのフランス語映画。90分とやや短めの作品だけれど、内容もライト。ただ、映像はおしゃれで楽しいし、会話も非常に楽しめる。爆笑するわけじゃないけれど、ずっと笑いっ放し。夜中の1時に観始めて、結局最後まで観てしまった。伏線になるセリフがあちこちにあって、あぁ、そういえばねぇ、みたいなのも楽しめる。短い作品だから、ざっとストーリーを理解した上でもう一度最初から観るのも良さそう。

字幕でも十分に楽しめるので、フランス語がわかったらきっともっと面白いんだと思う。そこが少し残念。あと、細かい部分ではおかしな設定が色々あって、突込みどころも色々ある。でも、そういうツッコミは、この映画の場合は野暮というもの。

詳しく書こうと思うと内容に触れざるを得ず、でもそのネタバレはあまり好ましくない。「え?」「ええ?」と思いながら観るのがこの映画の一番のポイントだと思う。

小さい画面で観たので陰影とかの細かい部分は楽しめなかった。本当なら映画館で観たかった映画。

評価は☆2つ半。  
Posted by buu2 at 22:00Comments(0)TrackBack(0)映画2005││編集

トウキョウソナタ

トウキョウソナタ [DVD]

BSでやっていたのをテレビ鑑賞。

喪失と再生、というもっともありがちなテーマを扱った作品だけれど、抜群の演出力というか、脚本力というか、ここまで面白くできるんだなぁと感心した。非現実的な描写があちこちに散りばめられているので、こういうアート重視の脚本に慣れていないとついていけない部分がありそうで、万人に勧めることができる映画ではないと思うのだけれど、演劇を見慣れている人ならすんなりと受け入れられると思う。演劇は空間的な制約と時間的な制約の中で、必然的に見る側に想像力を要求する。「あぁ、ここは、こういう風になったんだな」と解釈する必要がある。一方で映画はあとで編集すれば良いから、場所をロケによって変更することもできるし、一年間かけてそれぞれの四季で撮影したりといったことも可能だ。そういう映画のメリットをある程度放棄し、見る側に想像するのりしろを用意した作品に仕上がっている。ともするとご都合主義になってしまいそうなんだけれど、それをコミカルに、かつ象徴的に描いていて(毎日同じY字路で父親と息子が別れ、一緒になるとか)、映画の中のそこここでクスクスっと笑うことができる。

個の中でも、社会の一員としても矛盾をあちこちに抱えながら生きている父親、ストレスを抱えながらも良妻を演じている母親、それを近くで見ていて発散する場所をさがしている年の離れた兄弟、どれもが危なっかしい中でバランスを取っているのだけれど、あるとき、一斉にその振れ幅が拡大する。その起承「転」結の具合がとても良く出来ている。あの、ショッピングモールでの夫婦の遭遇シーンの素晴らしいこと。

そしてラストのドビュッシー「月の光」。みごとな起承転「結」だった。

年間70本とか映画を見ていても、知らないうちに始まっていて、知らないうちに終わっている映画がなんと多いことか。そして、そういう作品の中にチラホラと「これは面白いなぁ」という作品がある。先日の「愛のむきだし」もそう。この作品も、そんな作品のうちのひとつ。香川照之、小泉今日子というイイトコを使っておきながら、なぜ評判にならなかったんだろう。僕が知らなかっただけで、評判になっていた?いや、公務員や大企業の社員の家族だと、こういう話ってリアリティがないのかな?僕とかは、「あるある(笑)」みたいなシーンの連続だったんだけれど。

面白かった。☆3つ。  
Posted by buu2 at 11:00Comments(0)TrackBack(0)映画2008││編集

日常の食生活からの雑感

○納豆
14日になってようやく納豆を発見。一ヶ月以上かかったか。

○牛乳・ヨーグルト
同じく、14日になって、「おなかにやさしく」と「ブルガリアヨーグルト」がスーパーに帰ってきた。ただし、「おなかにやさしく」は248円の店だけ。仕方無しに248円で買ったけれど、早く198円の店にももどってきて欲しい。

○米
「ななつぼし」の炊き方を色々と変えて試してみたんだけれど、やっぱり美味しく炊けない。これはやっぱりお米のせいなんだろうな。水の増減、あとは一晩水につけてオーバーナイトしてみたりとか、やってみたんだけれど。とにかく、炊きたての時のお米の表面に水の層がないというか、キラキラした感じが全然ない。つや消しといった感じ。食感も良くない。僕の中では

あきたこまち >>>>> ななつぼし

ですな。もうななつぼしは自分では買わない。あ、ただし、僕の田舎は秋田の東能代なので、その分割り引いてよろしく。

○水
ミネラルウォーターも徐々にもどってきている感じ。お茶も。でも、品薄感はまだ残っている。

○野菜
葉物は以前よりも余っている感じ。そりゃそうだよな、放射能について何も書いてないんだもん。基準より上か下かを知りたいんじゃない。何ベクレルなのかを知りたいんだから。その情報が提供されていない野菜を買う人が少ないのは当たり前。僕も買いません。

○こんぶ
友達からいただいた昆布が良い。ダシをとったあとは1ミリ幅に切って、醤油と焼酎をまぜたつけダレに入れておく。一晩で美味しくなる。  
Posted by buu2 at 09:56Comments(2)TrackBack(0)日記││編集