2005年06月13日

想像力が欠如している人々

どうも、最近「あぁ、この人は想像力が欠如しているのね」と思うことが多い。

先日目にしたのは日本の科学行政についての話。日本がお金をジャンジャンつぎ込まなくても、その実験は他の国がやってくれるのだから日本はそっちに任せておけば良いんじゃないか、みたいな話。どこまで本気で言っているのかわからないのだが、もし本気で言っているのであれば想像力の欠如の良い事例である。

他の国の技術開発にただ乗りできたのはもう昔の話。他国がどんどん研究を進めれば技術レベルはどんどん落ちていくし、特許も取られてしまう。財産と呼べるものは何も残らず、技術を持つ他国の言いなりになるしかなくなる。広大な土地があるとか、莫大な地下資源があるとか、そういう国なら話は別だが、そうした資源のない国では困ったことになるのは火を見るより明らか。

次に目にしたのは、ライブドアがlivedoor Blog PROを利用している人間に対して強制的にlivedoorウォレットという仕組みに取り込まれるようにしているのだが、これにあたって「便利なんだから良いじゃないか」と意見する人間。便利かどうかはその人の立ち位置による。僕自身既にYahoo!ではオークション利用のために半強制的にYahoo!ウォレットに取り込まれているわけだが、ここに取り込まれていることによって生じているメリットは何もない。逆にヤフー株式会社という一民間企業に余計な個人データを握られていることに対して不快感を持つ。もちろん便利に感じる人間もいるはずで、そういう人は登録すれば良い。しかし、一方で便利に感じない人(不便に感じる、ではない)も存在するのである。このあたり、色々な立場にいる人間に対して想像力を働かせることができないのである。

大分前になるが、煙草が大好きな知人がいた。そして彼の家のそばで原子力関連の事故が発覚した。その事故自体は大したことがなかったのだが、彼はそのことについて烈火のごとく怒った。曰く、「うちの大事な子供がいるところでこんな事故を起こされたくない」とのこと。まぁ、これはごもっともなのだが、愛煙家で煙草を手放せない彼。彼の喫煙によって回りにいる人間達はその副流煙にさらされ、結果として危害を加えられているのである。彼にしてみれば「君たちは大人だろう」ということなのかもしれないが、大人だって単独で生存しているわけではなく、当然親がいて、本人はその親の子供である。この点を指摘してやったら、以後僕には全くアクセスしてこなくなったわけだが、これなんかも想像力の欠如のなせる業である。

自分にとって便利なものは他人にとっても便利、自分にとって良いものは他人にとっても良い、と考えてしまう時点で客観性は失われ、主張の価値は激減する。あらゆる角度から様々な可能性を検討することが必要で、それには想像力が必須のはずである。この想像力が、今の日本人からは決定的に失われつつあると感じる。

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