2005年06月16日

人口のホメオスタシス

少子・高齢化とセットでいわれるが、この二つは「子供が少なくなって相対的に高齢者が増える」という意味以上に密接な関係があると思う。

高等生物にはホメオスタシスという機能がある。これは、内分泌系の調節作用などによって、外界の環境の変化に適応して安定した状態に保つ仕組みである。真冬のシベリアでも酷暑のサハラ砂漠でも、人間の体温は大体36度前後なわけで、この体温を保てるのはホメオスタシスのおかげである。

この例は一つの生物個体内のものであるが、同様のものは生物が形成する社会にも存在する。例えば、自然環境下では、特定の生物が爆発的に増えたとしても、やがてそれはもとのさやに収まるように変動する。バッタが大量発生すればそれを捕食する食物連鎖上位の生物数が増えるし、バッタの餌も少なくなる。これによって大量発生したバッタの数は元に戻る。

しかし、この社会的ホメオスタシスに適合しない生物があって、それが人間だと考えることができる。確かにホメオスタシスとは生物や社会の内部に自然に存在する自律的な存在で、人間は自らの意思によってこのシステムから独立できる可能性がある。食料が少なくなれば食料を増産する方法を考え出し、病気や事故による死亡率上昇があれば、それを抑えるための知恵を出す。これによって、ある程度まで社会的なホメオスタシスからの独立が可能だろう。

しかし、人間といえども過剰に増えてしまえばやはり様々な不都合が生じてくるし、それを知恵で克服していくには限界がある。実際、文化が成熟してきている先進国では自律的に人口増加に歯止めがかかっているようである。日本の場合、この国土に何らストレスなく人間が収まっていられる数は、どうやら1億前後だったようである。増えたとしてもせいぜい1億3〜4千万人程度。これ以上増えてしまうともう支えきれないのだろう。誰が意図するでもなく、自律的に日本の社会は人口減に向かって進み始めたようだ。

仮に、今の日本の人口数がこれから増減しないと仮定した場合、人間の平均寿命が延びれば自動的にそこに存在できる個体数は減少する。非常に単純化して考えれば、100人しか住めない場所に平均寿命100歳の人々は100年間に100人しか住むことができないが、平均寿命50歳なら200人が住める。日本国民の人口数が増えないのであれば、平均寿命が延びれば延びるほど生まれてくる子供の数は減少することになる。

こうした考え方が仮に正しいとすれば、国会で年金問題などが論じられるときに利用される「年金問題をうまくクリアしていくためにこういう制度にしよう。そのためには今の出生率じゃ困るから、子供を産み、育てやすい環境を作らなくてはならない」といった議論はほとんど意味をなさない。今後、人数的な「増加」は前提とできず、逆に前提とすべきは「平均寿命は今後も緩やかに伸長する」「人口は緩やかに減少するかあるいはほぼ恒常状態を保つ」の2つということになる。

この人口のホメオスタシスという考えには破綻はないと思うのだが、これを是とすると、今までに立案されてきた「発展」を前提として構築されてきた様々な政策との整合がとれなくなる。しかし、そろそろ、人口面での緩やかな減少、あるいは現状維持を前提とした議論をスタンダードとしても良い頃ではないか。今、「みんなどんどん結婚して子供を産みましょう」と掛け声をかけたとして、どの程度の人が見向きするというのか。日本で子供の出生が減少しているのは理屈ではなく、人口過剰に対する、人間という社会的生物の自律的・本能的反応ではないのか。

今のままでも日本は十分に人口過多だと思うのである。

この記事へのトラックバックURL