2005年07月31日

終戦のローレライ

終戦のローレライ (1)
ふう、ようやく読み終わった。でも、最近の僕としてはかなり短時間で読み終わった方かも。以下、超ネタバレの感想です。未読の人は要注意です。
#近日中に加筆して完全バージョンに書き直します。

亡国のイージスでは現代物を書いた福井晴敏氏であるが、今回の作品は同じ海洋戦争ものでも舞台は太平洋戦争。

序章で「彼女」を登場させて読者をひきつけるあたりからその才能はいかんなく発揮され、最期まで一気に(?)読ませるだけの筆力がある。海洋戦争ものに女性を登場させるのは相撲の土俵に女性を登場させるのと同じくらい困難なことだが、それをかなり意外な形で実現させてもいる。

この小説、当初は通常の戦争ものとして読んでいたのだが、すぐにその内容は「通常」ではなくなる。それはまず「アキラ」の世界となり、続いて「機動戦士ガンダム」となり、さらに「さらば宇宙戦艦ヤマト」となり、「復活の日」を経て最後は歴史の教科書となって終了する。

パウラの能力を開発するところはアキラの施設で子供たちに施された実験とほとんど一緒だし、フリッツとパウラの兄妹関係はシャアとセイラの関係に良く似ている。戦闘下において孤立無援の中、特攻していく姿はヤマトそのままだし、その中に登場する人物の設定は佐渡だったり徳川だったり斉藤だったりする。「復活の日」だけはアニメではなく小松左京氏の小説だが、ラストの状況はかなりダブる。

これらは意識されてのことか、無意識のうちかは不明だが、様々な既存の作品、特にアニメ作品がコラージュの様に取り込まれている気がする。

終戦のローレライ (2)
ま、そのあたりのコラージュ的な部分はともかくとして、内容はそれなりに面白いと思う。

ただ、個人的には常にマイナス部分が喉に刺さった小骨のように感じられる本だった。それは亡国のイージスの屋台骨が一つの論文であるにも関わらず、その内容がやや稚拙だったことに通じる。今回は屋台骨として一本通っているものは太平洋戦争とその後の世界の動向なので、ここが稚拙にはなりえない。何が違和感があるかというと、それを結果論的な立場にいる作者が、未来像を語る形で記述している点である。

聡明な登場人物が「このままで行けば日本は、世界はこうなるに違いない」と憂いを持つ。それがそのまま現在の社会なのである。福井氏はこの物語を通じて現在の社会を再認識し、それに対する意見を表明したかったのだろう。もちろんそれは成功している。成功しているからこそ、どうにも説教臭くてかなわないし、結果論を未来予想として記述しているところにアンフェアさを感じてしまう。国家、民族、戦争といったことについて小説を通じて語るのはもちろん構わないが、その描き方にどうも違和感を持ってしまうのだ。

具体的に言えば、文庫版第三巻372ページ(第四章)での絹見と浅倉の会話で、浅倉の述べる内容などが顕著なものである。

終戦のローレライ (3)
次に欠点を挙げさせてもらえば、浅倉の豹変ぶりに納得がいかない。それまで完全無欠な人物として描かれ、様々な死線を潜り抜けてきた勇者がこうも一気に崩れ落ちるものなのか。アナキンのダークサイドへの転身も唐突に感じたが、まだアナキンの方が納得が行く。急激な変化といえばフリッツも同様である。フリッツの生い立ちを綿密に描き、いかにフリッツが排他的であるかをこれでもかという位に描いていたから、それが余計に明確になる。作者の、日本人のメンタリティの美徳をアピールしたいという気持ちがそうさせたのかもしれないが、フリッツの心境の変化もやはり唐突な感じは拭えない。

そして、最期の終章。これもどうなんだろう。終戦からの歴史を一気になぞる形で終章は進む。最初のうちはパウラと征人の行動が色々と語られ、「なるほど、ここを読ませるために今まで長い間海戦を書いてきたのか?」と感じたのだが、途中からその内容はどんどん歴史の教科書となってしまい、パウラ達のカラーはどんどん失われてしまう。

最期のラストシーンでパウラの能力はどうなったのかなどの疑問への回答は与えられるし、そのラストシーンはそれなりに印象的ではあるのだが、それにしても事実の羅列とそれに対する作者のメッセージ色が濃すぎると思う。ただ単純に歴史をなぞり、それらを批評することはそれほど難しいことではない。どうせなら、生と死の狭間を目の当たりにしてきたパウラ達のフィルターを通した形での批評、批判があるのであればまた違った印象を持ったと思うのだけれど、そうした色彩はあまり感じられなかった(皆無ではないが)。結果として終章はかなり蛇足色の濃いものとなってしまったのが非常に残念である。

終戦のローレライ (4)
もちろんつまらない本ではないし、どちらかといえばなかなか面白い部類の本だとは思うのだが、どうにもこうにもここまで書いたようなことが気になってしまい、「海辺のカフカ」を読んだときのような爽快感が得られなかったのは確かである。

どちらかというと非常に映像にマッチする内容で、映画として楽しんだほうが良いのかも知れない。まぁ、そのうち映画も観てみよう。

でもまぁ、なんだかんだいっても「この世界の戦をあまねく鎮めるために、いまは私は魔女になる。船乗りたちに死をもたらす魔女ではなく、すべての戦に終わりを告げる終戦のローレライに……。」っていう台詞は格好良かったけどね。ということで、評価は☆2つ。

ところで謎なのは絹見がなぜ最期にああいう行動を取ったのかということ。ローレライシステムを闇に葬るということが理由であれば、全員で玉砕する必要はなかったはず。1人の女性を助けるためには大きすぎる犠牲である。白旗を振るんじゃだめだったの?

蛇足ですがDVDは8月19日発売だそうです。ローレライ スタンダード・エディション


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この記事へのコメント
 はじめまして。 TBありがとうございます。 とても読み応えのある書評で、いちいち感心しながら読ませていただきました。 せっかく一ヶ月かけて読んだのに、書きたいことが多すぎてあまり字数を割いて書かなかった自分の書評はまったくトホホ・・・です。
 おっしゃるように僕もアキラやガンダム、ヤマトを感じました。 たぶんそれらの要素は、作者福井晴敏が同世代の読者に対して意図的に埋め込んだわかりやすい記号なのだと思います。 作家が作品の読み手として同世代の人々を選んだということなのでしょう。 
 また、最初は氷のような孤高のキャラが、物語の進行と同時に人間味を獲得していくというのは福井作品のパターンですね。 「川の深さは」の保、「亡国〜」の如月、そして朝倉やフリッツ。

 今後、彼の少し毛色の違った作品も読んでみたいですね。
Posted by theshophouse at 2005年08月01日 01:44
>作家が作品の読み手として同世代の人々を選んだということなの
>でしょう。

なるほど。ぼくは単に影響を受けちゃってるのかな、と思ったのですが、まぁこのあたりは本人に聞いてみないとわからないですね。

>今後、彼の少し毛色の違った作品も読んでみたいですね。

確かに。こういうカラーからいかに脱却するか、楽しみです。それは半落ちの横山秀夫氏にも共通しますが。
Posted by buu* at 2005年08月02日 00:22