2006年07月21日

雨と夢のあとに

31122160.jpgキャラメルボックスの「雨と夢のあとに」を観てきました。

原作柳美里、すでにテレビ朝日で連続ドラマとして放送した実績があるそうだけど、両方とも未見。まったくの白紙で観ました。

キャラメルボックスでは前回の公演から「ブログライターご招待」という企画をやっていて、開演初期のまだ劇場が空いている特定の日に限り、ブログを持っていてそのレビューを書くことを条件に無料で観劇できる。今回の「雨と夢のあとに」では開幕二日目がブログライター日(つまり今日)。本当は今日は夕方に横浜で会議だったんだけど、ラッキーなことにそれがドタキャンになったので、池袋に行って来ました。

さて、このブログライターご招待、
ブログをやっている人なら、別に観た後に提灯記事を書く必要もなく、誰でも参加できて、なおかつ終演後に「うぎゃ!」という人に共同インタビューできるうえに写真も撮れちゃう、という「書き手」の気持ちに立った斬新な企画っ!!
と加藤プロデューサーも書いているくらいなので、いつものとおりばっさり評価したいところなんだけど、ちょっと今回は「うーーーーむ」という感じ。タダで観たから、というのとはちょっと違う理由で感想を書きにくい。

で、こういう場合、いつも突っ込んだ話はクローズドなところで書いたりしているんだけど、今回は「ブログライターご招待」でもあったので、追記に書くことにします。以下、ネタバレを含む感想です。キャラメルボックスの熱烈なファンの方々などは読まないことをお勧めします。決して褒めていませんので。
さて、本音トーク。

まず、ここ1年ぐらいキャラメルボックスの演劇を観てきての僕の認識は、「原作モノはイマイチ」というもの。スキップにしても、クロノスジョウンターにしても、どうも僕にはしっくりこなかった。だから、実は今回の舞台もチケットを確保していなかった。

が、「無料でどうぞ」と言われて、しかも時間があるのに観ない理由はないということで観てきた。で、結論からするとやっぱり退屈な舞台だったと思う。なぜか。どうにもメリハリがないんですね。ではそれはどうしてなのか。演劇素人なりにちょっと考えてみました。

演劇には照明やら音響やら色々な要素があるけれど、当然中心になるのは役者。その役者の技能とは大きく分けて3つになるんじゃないかと思う。それは顔の表情、体の動き、そして声。この3要素はどれも重要だけど、それが演劇に占める割合というのは観る場所によって変わってくると思う。たとえば顔の表情。これはメイクなどでわかりやすくしていても、後列になってくると見えにくくなってくる。たとえば今日僕が観た座席は19列目。舞台全体を見渡すには非常に良いポジションだけど、役者さんの表情をしっかり見ることはできない。だから、役者が表情で一生懸命メリハリをつけようとしても、それは後列までは届かない。一方で体の動きと声は観る場所によってそれほど左右されないので、今回のようなポイントで観劇するとどうしても比重がこの二つに傾く。

以前からキャラメルボックスはこれまで観てきた劇団に比較して、圧倒的に「前で観た方が楽しめる」と思ってきたのだが、今日のキャストで観てみてその原因が自分の中でははっきりしたと思う。それは、「声で演技できる役者さん」があまりいないということだ。

声の演技と言っても、声の大きさや声色など、色々なファクターがあると思うのだが、今日顕著になったのは声の大きさ。たとえば主役をやっていた福田麻由子氏。彼女はまだ小学生ということもあるし、テレビ俳優出身ということもあると思うのだけれど、とにかく声が大きいだけで一本調子。だから、聞いていて飽きてきてしまう。
#ついでに言うと、まだあと40本以上あるというんじゃ、最後まで喉がもつか心配。

この、声の大きさというのはカーリングに通じるところがあると思う。カーリングの練習をやったことのある人ならわかると思うけど、氷の上に立ってストーンを投げると、最初はまったく石が前に行かない。本来投げるべき場所の半分ぐらいまでしかいかないのだ。ところが、体の動かし方を理解してくると、今度は投げても投げてもオーバーするようになる。そこで初めて、「調節」というフェイズになる。許されているレンジの中でいかに強弱をつけるか、これがポイントになってくる。これを声に当てはめると、まず客席の最後列まで届くのは必要最低条件。そして、その上でその役者が公演期間中に喉を壊さない程度に出せる声量がマックス。このレンジの中でいかに声の大きさに変化をつけるのかがポイントになるはず。ところが、今日のキャストの中ではその変化があまり見られない人が多かったと思う。そして、その傾向がもっとも顕著なのが主役の女の子だというのは作品としてなんとも厳しい。

それから声色。今回図らずもその弱点を自ら強調してしまったのは岡内美貴子氏である。彼女は途中で性格が一変する役だったのだが、そこでは機械を利用して声色を変えていた。おかげで非常に迫力のある声になったが、どうも釈然としないところがある。こうした二重人格的な要素を舞台で非常に強烈に見せた例として「贋作 桜の森の満開の下」の毬谷友子氏の演技があるが、彼女は地の声の演技できちんと役を演じ分けていた。まぁこの手のことは得意、不得意があることなので、機械を使ったからダメと断言できるものではないのだが、劇団全体として、声色で演技できる役者さんがあまり見当たらないと思う。

キャラメルボックスで個人的に高く評価している俳優さんに大内氏(彼は声で演技ができる)と前田氏(彼女は体で演技ができるし、声もまぁまぁ)がいるのだが、二人とも今回はお休みだったのもちょっと痛い。

また、全体として非常に静かな舞台なので、変化をつけにくいというか、あまり舞台向きじゃないというのもあると思う。幽霊が現世に別れを告げて成仏するという全体のストーリーは、アルツハイマーで徐々に廃人となっていく人間を描いた「明日の記憶」に似ている部分があると思うのだが、やはりこうした「緩慢な死」というのはどうしても静かなもので、ダイナミックなストーリーになりにくい。ただ、それではあまりに抑揚がないので、怨霊化という変化をつけているのだが、今度はその場面だけが浮いてしまっている。「ちょっと退屈」と思っているところに突然ものすごい変化球を投げられる(ほとんどブラッシュボール気味)ので目は覚めるのだが、全体の中ではやや違和感があると思う。

舞台のあとのインタビューで演出の成井氏は「次々と場面が変わっていくのがうちの良さでもある」と述べていたんだけど、球数が多くても一本調子では目が慣れてくる。もうちょっと一つ一つのボールに変化があると良いのになぁと思った次第。それは特に主役の福田氏に言えることなのだが、彼女はまだまだ伸びしろのある俳優さんだから、もしかしたらこの公演の最中にも大きく成長するかもしれない。全盛期の今中慎二のように、切れのいいスピードボールとタイミングを大きくはずすスローカーブの両方を身につけたら良いのにな、と思う。

ちなみに舞台の中盤ぐらいからあちらこちらではなをすする音がしていた。花粉症の時期じゃないから、多分泣いている人がたくさんいたんだと思う。でも、僕はまったく涙腺を刺激されることはなかった。感動もなかった。冒頭のダンスシーンでも「あぁ、左前の水色の人、完全にリズムを崩しちゃったなぁ」なんて思いながら観ていたんだけど、そんなこんなでまだまだ完成度は低いと思う。評価は☆半分(3つが満点です)。

と、ここまで好き勝手に書きましたが、僕の評価はマイノリティだと思うし、小学生の子役を取り上げて弱点を指摘するのもいかがなものかと思うので、今回は僕からはどこにもトラックバックしません。

#あ、あと当然前の方で観ればまた違った感想になると思います。

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