2007年01月04日

ホワイトカラー・イグゼンプションに関するメモ

まぁ雑談レベルなんですが、ちょっと仕事に出かける前にメモ書き。

今の労働関係の法律というのは多くの企業で有名無実化しているわけで、サービス残業とかは全然普通に行われていて、それは労働組合が強くてもなくならないわけです。ある電気系大企業とか、毎月200時間の残業なんて普通にやっているらしい。僕が三菱総研にいたときも周りでは毎月200時間残業の人とかいたけど、彼らは一応楽しくてやっていたわけで、しかも多くの人はちゃんと残業代をもらっていた。まぁ、サービス残業を選択している人ももちろんいましたけど。

今、大企業で残業している人たちは「やりたくないけど仕方なく」みたいな色が濃いみたい。なんでサービス残業がなくならないかって、それは雇用者と労働者のパワーバランスがどうしても雇用者寄りで、ひとことで言えば雇用者の方が強者だからでしょう。

今も昔も労働者は自分たちの力を強化する方向でこれまで頑張っていると思うんだけど、おかげで、自己を主張できる人間にとっては雇用環境だけは理想的なものを目指すことができるようになったわけですが、それが理想的な労働環境かと言えばそうでもないわけです。自己主張・自己実現できる人間であっても、上司との軋轢とか、自己を主張できない人間との軋轢とか、色々あるわけですね。

それから、一部の人間の権利は労働者の強権化によって担保されているわけですが、そのデメリットというのは実はその他の人間に対して発生しているわけです。どういうことかというと、労働者の権利が強すぎるがために雇用者側は雇用に対してものすごく慎重になる。おかげで正社員はどんどん減ってきて、派遣社員とかを利用するケースが増えてきているわけです。労働者の権利が強くなることがすなわち万人にとって好環境につながる、というわけではないんですね。

今の労使関係というのは、レベルは違うかもしれないけれど、「そっちが核武装(労働者の権力強化)するならこっちは経済封鎖(雇用の制限)」みたいなのと似た様なものかな、と。

「ルールがあるのにそれを守らない奴がいるというのなら、それを守らせるべきだ(=サービス残業根絶)」というのは正論なんですが、正論であると同時にこれは強者の理論で、ルールは弱者に対しては得てして適用されないものだと思います。で、こうした状況というのはもう何十年も続いていて、全く改善される様子がない。また、変に労働者の権利が強くなってしまっていて、逆に雇用環境が硬直化してしまい、転職もし難いし、失業したときのリスクも高いという社会になってしまってもいる。結果として、弱気な労働者にとってはどんどん働きにくい世の中になってきているんじゃないかな、と思います。もうそろそろ、「ルールを守らせること」を諦めちゃっても良いんじゃないかなぁ、と思うわけです。

経営サイドは「雇用するかどうか」の意思決定権を持っていて、これは最後(最初?)の切り札でもあるわけです。これに対応して労働者はどんどん権利を強めているわけですが、結果として一部の大企業社員や公務員と、それ以外の人たちとの格差は拡大する一方。だから、正社員になるハードルはどんどん高くなっています。僕とかも今は経営者ですが、労働者の権利があまりにも強いので、どうしたって採用に当たっては慎重になります。

もうそろそろ、終身雇用も、年功序列も、全部やめちゃいましょうよ、という社会になっても良いんじゃないかなぁと思うわけで、そういう意味ではホワイトカラー・イグゼンプションというのは是非導入した方が良いと思うわけですね。退職金制度とかも要らないよなぁ。

「え?経営者さん、そんなこと言っちゃって良いんですか?辞めちゃいますよ?」と言える様な状況こそが労働者にとっては理想的な社会だと思うのだけれど、そうではないのかなぁ。

ただね、こういう変革を進めたときにとばっちりがどこに行くかと言うと、能力のない人なんですね。今までの社会はとりあえず大企業に入って、あとは言われるがままに働いていればそれなり偉くなれて、それなりに給料をもらえちゃった。だから、大企業に入りやすい良い大学に入るのが一番、みたいな世の中だったわけですが、そうじゃなくなったとき、折角良い大学に入ったのにそこがゴールだと思って遊んでいたら「えぇ!こんなはずじゃなかったのに」みたいなことになりかねない。まぁ、こっちの方が正常だとは思うんだけど(笑)。

僕が役人やっていたときも、大企業のバカ課長とかが「これまで日本は役所と大企業の護送船団でやってきてうまくいったんだから、これからもよろしくお願いします」と恥ずかしいとも思わずに喋っていたわけですが、いい加減そういう社会を改めていかないと、米国だけじゃなくて東アジアからも属国扱いされちゃう世の中になっちゃうんじゃないかな。ホワイトカラー・イグゼンプションは日本という島国の内部的な問題として捉えると「やめておいたほうが良い」となるのは明白で、グローバリゼーションの中で日本の立ち位置をどこに定めるのか、ということを考えなくちゃならないと思ってます。

野球やサッカーで日本のチームが欧米のチームの下部組織となっている現状をビジネスでも展開するんですか?というだけのこと。「有能な人間に日本を引っ張ってもらい、有能ではない人間は有能な人間のサポートをする世の中」を目指すのか、「有能な人間は十分な評価をしてもらえず、どんどん海外に流出していってしまう世の中」を目指すのか、「もうわが道を行く、で海外の動向など無視して今までの社会主義国家を継続する」のか、という分かれ道にいるわけで、僕はビジネスに関しては1番最初の奴が良いんじゃないかなぁと思うんですけどね。

#この点、米国は便利ですよね。宗教が国家のバックボーンにあるので。「貧乏ではあっても、きちんと仕事があって、毎日ご飯が食べられて、神様に感謝できる。あなたはなんて幸せなんでしょうね」と言われれば、「そうなのかぁ」と納得できるので。日本にはそれがないから、「あなたは有能ではないので、有能な人の手足となって頑張ってください」と言われちゃうと「ええええぇぇぇぇ!!」みたいなことになっちゃう。

ただ、ホワイトカラー・イグゼンプションが「???」と思うことは、対象者を年収で決めていること。ホワイトカラーは、年収で○か×かが決まることじゃないよなぁ。仕事に対する裁量があるかないか、でしょ。

あ、このブログをずーーっと読んでいる人はもちろんわかっていると思いますが、僕は格差拡大上等、という立場ですので、念のため。

#不人気の安部に代わって小泉氏に再登板していただき、「ホワイトカラー・イグゼンプションをどうするか」で解散・総選挙やってくれないかな(笑)。

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この記事へのコメント
こんな法案が通ったら「残業代がなくなる〜、大変だ〜」
と騒いでいる人たちは、ホワイトカラー…対象には当てはまらない
と高をくくっていてはヤバいんでしょうか。
Posted by ポコ・ア・ポコ at 2007年01月05日 14:11
うーーーん、どうなんですかね?まぁ、年収400万円とかで区別するんだと、「あれれ?」ってことになるかもしれませんが(^^; ちなみに僕は就職初年度でも400万円超えていたと思います。

僕みたいに会社を辞めなれている人間からすると、「環境が悪くなったら辞めて次の会社に行けば良いじゃん。良い会社がなければ自分で作っちゃえば良いじゃん」ということになるわけですが(笑)

人材が流動化してくれるとベンチャー企業は非常にありがたいわけで、中小企業が活性化すれば日本も多少は良くなるんじゃないかと思うんですけどねぇ。
Posted by buu* at 2007年01月05日 14:43
追記。

まぁ、少なくともこの法律に反対している人は、うちの会社で働くのは無理ですね。そもそもそういう人たちはうちの会社なんか、就職先の候補にすることなんか毛の先ほども考えないでしょうけれど(^^;

僕は前の会社で社長をやっていたときも、「うちの会社はいつつぶれてもおかしくない。そのときはみんな自分のことで手一杯だから、君の面倒を見ることはできない。自力で次の仕事を見つける能力がないのなら無理だから、うちに来るのはやめたほうが良い」と面接で言っていたわけですが、結果、僕が社長の間に研究職は一人も採用しませんでした(笑)
Posted by buu* at 2007年01月05日 14:47
年収600万円程度以上の人間全員を対象にすればいいと思う。
そうすると圧倒的な数の人達には、無関係なことだから、
声高に反対する人も少ないと思う。

それに、年収の高い人たちを狙い撃ちにすれば、格差是正にもなるから、
一石二鳥。
どうでしょう?
Posted by bou at 2007年01月06日 13:23
>どうでしょう?

どうでしょうと言われても(^^;

金額で定義するのが変なのは本文で書いたとおり。僕は格差是正も不要だと思っているので、狙い撃ち云々も「はあ」という感じ。

問題なのは成果・貢献と給料のリンケージが取れていないことです。これは中小企業にとっては特に死活問題。
Posted by buu* at 2007年01月08日 09:57