2007年03月17日

運営10年でたった1軒だけの13点満点の店「一本気」

チャーシューそば池袋から東武東上線に乗って約20分、朝霞台という駅がある。駅前には多くのマンションが並ぶが、駅から歩いて数分のところには果樹園があり、畑がある。決して都会とはいえないこの街に、常に行列が絶えない一軒のラーメン屋がある。しかし、行列が絶えないといっても、新宿の武蔵のように何十人もの行列が発生してしまうわけではない。コンスタントに5〜15名程度の行列である。そして、お店は早いときは13:30ぐらいには閉店してしまう。昼間だけのラーメン屋である。それが「支那そば一本気」、魔人ブウ*のラーメンデータベース設立以来最初にして唯一の13点満点の店である。

このお店が開店したのは2000年の冬だったのか。僕のラーメンデータベースに最初に現れたときの評価はこんな感じになっている。
評価:7/ABA

コメント:スープは鶏ガラベースの醤油味。魚系のダシを適度に効かせた東京西部系。で、素材こだわり主張系、かつ脱化学調味料ということで、最近のはやりのタイプ。味自体は悪くないが、化学調味料を使わないせいで味がぼけているのを塩分で補っている印象。スープだけ飲むといささかしょっぱい。麺はやや細めで、弱く縮れたもの。スープの絡みが今一つだが、スープ自体がかなり濃い味付けなので、それほど気にはならない。コシは徐々に失われていくが、食べ初めの頃がやや固めなので、十分合格点。A評価はやや甘め。チャーシューも味付けがやや濃い目だが、スープとのバランスが取れているし、かなり高品質。ちなみに塩味スープも出しているが、こちらだと薄味で、油が多いため、味が一層ぼけてしまっている。麺へのスープの絡みの悪さも顕在化してしまい、やや甘めで評価しても5/BBA。


会社の近所ということもあり、この店にラーメンを食べに行く機会は決して少なくなかった。その間、お店では様々な試行錯誤を続けていた。縮れ麺とストレート麺を交互に試し、そのあとは希望によって両方の麺から選ぶことができるようになったこともある。また、店主が店頭から姿を消してしまったこともある。後に聞いたところによると、この場所では思ったとおりのスープを取ることができず、やむなく店主が秋田に行き、そこでスープを取っていたらしい。店主が作ったスープを凍結して朝霞のお店まで宅配し、それを解凍して利用していたそうだ。醤油と塩だけだったメニューに味噌ラーメンを追加したこともある。

そうした様々な工夫の末に、一本気のラーメンは徐々にその完成度を増していった。そして、5年後の2005年2月には次のような評価に書き換えられている。
評価:10/AAA

コメント:長い間満点をつけるのに慎重になっていたわけだが、クオリティコントロールもしっかりしてきているし、旧タイプの麺を選択できるようになるなど(開店直後はストレート、今はデフォルトで縮れ麺)、選択の幅が広がった。また味噌野菜のっけそばも味噌好きには是非お勧めしたい一品。ということで、めでたく10点満点の名店の仲間入り。


秋田比内鶏の系統の鶏をベースにした非常に高品質のラーメンへと進化したのである。味噌、塩はやや見劣りがするものの、ほぼ全てのメニューで弱点のないものをだす、完成度の高い店に成長したのである。しかし、その年の冬にこの店は大きな転機を迎える。「支那そば一本気」は閉店してしまったのである。そのとき、店頭に貼られた貼り紙は下記の通り。
お客様各位
お客様には、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。この度、何度も今までの味を提供で切るよう努力して来ましたが、化学調味料を使わないラーメンが不可能となって来ました。
もともと料理人(和・洋)の為妥協できる性格でないので、ラーメンは終了させて頂きます。
新たに安心・安全をモットーにしためし家・一本気として営業させて頂きます。


この店の歴史は水との戦いでもあった。埼玉県界隈の水は決してラーメンに向いているとは言えないそうで、お店には大きな浄水器を設置しているのだが、それでもなかなか思ったとおりのスープができなかったらしい。ポイントになっているのは、この地域の水が水系の水と井戸系の水のブレンドであること。この配合具合が変わってしまうと、ラーメンのスープに大きな影響を及ぼしてしまう。そして、この配合具合が頻繁に変わることが、常に店主を悩ませることになった。一度、ある書籍の特集で僕がこのお店を紹介したときに色々と話をさせていただいたことがあるのだが、そのときも水の悩みを打ち明けられた。そして、その戦いの結末はラーメン屋としては最悪の形となってあらわれてしまった。水との戦いを続ける中で、それまで使っていた鶏が安定供給されなくなってしまい、とうとう理想とする味が実現できなくなってしまったのである。

しかし、元々が素晴らしい料理人の店である。新しくオープンした定食屋、「めし家一本気」は多彩なメニューの全てにおいて素晴らしい味を提供し、瞬く間に地元に愛されるお店となった。一つ一つの品は高いとは言わないまでも、決して安いとは言えない。ほとんどのメニューが900円前後で、最も安いものでも800円程度はしてしまう。しかし、ラーメン屋同様に時々行列ができるまでの店になってしまった。ラーメン好きとしてはややさびしいところはあるものの、一方でいつ行ってもその日の気分で一番食べたいものを食べられる定食屋になったことは、近所で働いている人間としてはありがたかった。ラーメン屋時代は、非常に高く評価はしていたものの、一ヶ月に一度行けば多いという程度の訪問頻度だったのだが、定食屋になってからは週に2回程度は通うようになり、ほとんど社員食堂のような位置づけになったのである。美味しいラーメンの店からいきつけの定食屋へと、僕の中での一本気は大きく変わった。

この店に再び転機が訪れたのは2006年の夏である。めし家一本気が昼限定で再びラーメンを始めることになったのだ。以前利用していた比内鶏を香鶏(ウコッケイの系統らしい)に変更し、塩、醤油、およびつけ麺の店としての再登場である。表向き「もうだめだ」と表明しておきながら、裏では「なんとかまたラーメンを」とさまざまな研究を積み重ねていたのだろう。そして、その研究熱心で高い理想を掲げる店主が「これならいける」と判断したラーメンが美味しくないはずがない。新装オープンしたそのスープを飲んで僕は愕然とした。以前のスープも素晴らしかったが、今度のスープはさらにその上を行く味だったからだ。比内鶏というスペードのエースを手放したことによって、このお店はもっと素晴らしいジョーカーを手にしたのかもしれない。

スープは全ての素材が丼の中で見事に調和している。とがっている部分がないのに高い次元で融合したそのスープは、そのバランスの良さで突出した個性を表現している。「当店はサンマを使っています」「当店はアゴダシです」「当店はダブルスープです」などと、さまざまな工夫を売りにしている店は少なくない。しかし、ここはそうした変化球が売りではない。ど真ん中の直球、それでいて素晴らしい豪速球だ。以前は豚系の脂で味がぼけている印象があったのだが、新しいラーメンにはそうしたマイナスポイントが全く見当たらない。トンコツトリガラブレンドのスープとしては完璧にして日本最高の出来だと思う。そして驚くことに、美味しいのは醤油ラーメンだけではない。以前のこの店の塩ラーメンは醤油に比較するとやや見劣りがする部分があったのだが、再開後は全く遜色がない。醤油も塩も、どちらも超一級品である。

麺はやや細めの縮れ麺。以前はストレート麺も出していたのだが、今は縮れ麺一本に絞られている。この麺には一切の雑味がなく、それでいて麺自体の味が楽しめる。そしてその品質をさらに上質に演出するスープが非常に良く絡む。麺とスープの調和をこれ以上実現しているラーメンにも会ったことがない。さらに、味だけではなく、適度に縮れた麺が口の中で程よい食感を与えてくれる。

加えて、チャーシューやつみれ、玉子といったラーメンの脇役達にも手抜きがない。ひとつひとつの具に丁寧な仕事がされていて、どこからどう見ても一切の弱点がないのである。

そしてもうひとつ忘れてはならないのがつけ麺である。僕は色々なところで「つけ麺は食べ物として決定的かつ構造的な弱点がある食べ物で、ほとんどの店がその弱点を克服できないでいる」と書いてきた。それは、食べているうちに薄くなってきてしまうつけダレに問題がある。人間の味覚は徐々に慣れが出てくるので、同じ味のものを食べていてもだんだんと刺激が少なくなってくる。ところがつけ麺の場合はこうした生理的反応に加えて、スープそのものが麺についている水分によって徐々に薄くなってしまう。こうした構造的欠陥を持った食べ物を上手に食べさせることは非常に難しい。この弱点を補う手段として一つ考えられるのは、多少薄くなってもそれほど影響がないくらいに濃いスープを出す、というものだ。実際にそういう手段を講じているケースは存在していて、それなりに評価できる場合もある。ところが、この店のつけ麺はそうした工夫は一切ない。しかし、それでも麺を最後まできちんと美味しく食べることができるのである。これは「つけ麺」という食べものに対する僕の考えを変えさせるものだった。

この店のラーメン、つけ麺には一切の死角がない。完全無欠のラーメンで、「魔人ブウ*のラーメンデータベース」運営10年間において唯一の満点の店として、胸を張って紹介することが出来る。しかし、お店としての「支那そば一本気」には大きな弱点がある。そして、その弱点はこの店のラーメンを食べたいと思っている多くの人にとって決して無視できない問題でもある。それは、「臨時閉店」が非常に多いことである。決して店主が怠けているわけではない。それどころか、開店時間ぎりぎりまでシャッターの向こうで努力しているはずである。それでも、開店予定時間を少し過ぎた頃に「今日は申し訳ありません」とお店の人が頭を下げに出てくることが少なくない。そこに並んでいた人たちはお店の人が配るチャーシューの切れ端を手に、「さて、じゃぁどこで食べようか」と散り散りになっていく。いわゆる「チャーシューの日」である。

「スープの出来が悪いときは休み」というお店として有名なところに「元祖一条流がんこ」がある。この店の店主と以前話をしたときに「スープの出来が悪くて休むことって滅多にないですよね」と質問したところ「本当にどうしようもないときは休みにするけど、なんだかんだで頑張ってごまかす」という主旨の話をされたことがある。スープの出来が悪いときは休み、という店は決して珍しくはないと思うのだが、しょっちゅうスープの出来が悪い店というのはあまりない。ところが、一本気はかなりの頻度で「チャーシューの日」になる。きちんとカウントしたわけではないが、ひどいときは一週間続けて休みだったりするので、開店確率は50%程度だろう。

また、昼の営業は一応15時までとなっているのだが、スープが切れてしまうと閉店してしまう。この時間は作られたスープとお客さんの量によってまちまちだが、早いときは13:30ぐらいには閉店となってしまう。

この店のお客さんの多くは近所に住んでいたり、近所で働いている人たちである。だから、「あぁ、今日はチャーシューの日ですか、残念」で済むのだが、わざわざ1時間以上をかけてラーメンを食べに来てもお休みというのではしゃれにならない。しかし、この店がこの場所に存在して、水との戦いを続けざるを得ない限り、この状態は改善されないのだろう。結果として、遠くからのお客さんにとっては非常に敷居が高く、何十人もの行列ができたりはしない店である。そして、近所の人達にはとても愛される店となっている。

ここまでが、この店の過去と現在である。そして、将来についても少しだけ書いておこうと思う。この名店は、実は4月15日をもって閉店となる。今店を構えている建物が4月一杯で取り壊しになるとのことで、退去せざるを得ないそうだ。店主は現在、次なる場を探しつつ、新しいお店の構想を描いている。場所が決まったところで店の概要も確定するようだ。その店が定食屋になるのか、ラーメン屋になるのか、あるいは居酒屋になるのか。今の時点ではまったくわからない。

店主が最も気にしているのはやはり水である。少なくとも、埼玉の水は本当にこだわったラーメンを作るには向いていない。良い水を確保できる場所として現在候補に挙がっているのは武蔵野方面と神奈川県東部とのことである。

何にしても、この店の素晴らしいラーメンは、この場所でしか食べることができない。朝霞に存在する、僕が食べてきたラーメンの中で最高と評価する一品が食べられるのは、あと約一ヶ月である。「魔人ブウ*のラーメンデータベース」を参考にしてきた皆さんには、是非閉店前にこの店のラーメンを食べておいて欲しいと思う。

一本気
朝霞市三原1−19−5
048-467-5171 
月曜日 
11:30〜15:00 
食べログ版レビュー(写真、地図等あります)

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