2007年04月17日

将棋界の今後 その9「活路はコミュニケーション要素か?」

さて、そろそろ結論である。もし日本将棋連盟が今までのやり方を踏襲していくのであれば、新しい世代にとっては住みづらい状況が続いていくと予想される。その環境は今後徐々に改善されていくだろうが、そのスピードは恐らく周辺環境の変化には追いつくことができない。一つ期待できるのは逆説的ではあるが、ソフトが人間を越えたときである。最高の棋譜を提供するという責務から解き放たれたとき、トップ棋士たちは自分たちの立ち位置を自分で考えなくてはならなくなるかもしれない。その機会をもし逸してしまうなら、日本将棋連盟は緩やかな世代交代を続けつつ、徐々に衰退していくことになるだろう。

どういう将来を選ぶのか、それを決めるのは現役の棋士たちのはずなのだが、問題はそれにいつ気がつくか、だと思う。

実は、今女流が立ち上げつつある新団体も、新しい希望となる可能性がある。今は女流の新団体という位置づけだが、新しい価値観を持つ、新しい将棋連盟として、志のある若手棋士(男性のプロ)を内部に収め、現在の日本将棋連盟に取って変わる可能性もある。新団体が急にステータスをアップさせることは考えづらいが、日本将棋連盟の凋落スピードが予想外に早ければ、その可能性もなくはない。内部から徐々に変えるよりも別組織にしてしまったほうが手っ取り早いということだ。その際、恐らく重要となるのは外部人材の登用である。将棋指し以外にも将棋に造詣の深い人間は存在する。そうした人たちをいかにして取り込んでいくかがポイントとなるはずだ。今必要なのは、将棋のプロとは別の視点で経営を考えることである。逆にそれができないのであれば、新組織も日本将棋連盟と大きく変わらない組織になるだろう。新しい価値観を持つ、若くて感受性の高い外部の血を導入できるかどうか、である。

将棋というゲームがどう変質するかはこれまで散々書いてきたのだが、そこも簡単にまとめておく。将棋はソフトが網羅的にロードマップを描いた中で人間が個性を発揮する場と変質すると思う。勝負の要素は減少し、トップは芸術的色彩を濃くし、それ以外はこれまでどおり余暇として存在することになるだろう。そして、余暇として将棋を楽しむ人口は漸減傾向が続くことになると思う。

では、将棋という文化はこのまま消え去るのみなのか。さすがに僕もそこまで悲観的な予想は立てていない。特に重視されるのは将棋が生み出す人と人とのコミュニケーションである。挨拶に始まり挨拶に終わる「道」的な要素は日本人がとても好むところであるし、実際に顔を合わせて将棋を指す楽しさはネット将棋では味わえないものである。昔からの友達と将棋を指す楽しさは、どんなにコンピュータが強くなったとしても代替はできない。そういう面が将棋に対して強く求められるようになったとき、その能力に優れる女流棋士たちの活躍の場は、大いに広がっていくのではないかと思う。

のんびり縁側に座って友達と将棋を指す。そんな休日があっても良いはずだ。

9

スーパーインデックス
コンピュータ対竜王
これまでの将棋界
今の将棋界
ソフト優位後の将棋界
将棋というゲームの変質
プロ棋士の価値
パラダイムシフト
日本将棋連盟理事会の構造的特徴
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この記事へのコメント
非常に 示唆に富む面白い記事でした。
全面賛成ではありませんが、将棋というゲームの未来を考えさせられました。
将棋は 碁にくらべて国際化が遅れているように思います。
たとえば 駒の漢字 それも 読みにくい書体で 外国人にはなじみにくい。NHKの一文字は分かりやすいが もっと 簡略化する必要があります。
現在の将棋連盟の人たちでは 改革はムリだろうと言うことは よく理解できます。
これからの続編を期待します。
Posted by F1 at 2007年05月08日 14:21