2007年04月27日

プロ棋士に返信

daichan’s opinion(片上大輔棋士のブログ)の「「その後の世界」を展望してみる」というエントリーにおきまして、僕が書いた一連の将棋ネタ「将棋界の今後」を取り上げていただきました。将棋はへっぽこ、将棋界のことも大して知らない、という人間が書いた文章に対してプロ棋士が反応してくれるというのは大変光栄なことです。

さて、折角なので、前回のシリーズで書かなかったエピソードを交えてトラックバックしてみたいと思います。

これからは棋譜よりも棋士を前面に出していかないといけないのではないか。


僕がそうだよな、と思うのはこの部分です。

先日、神楽坂で音楽スタジオを経営している友人とこのテーマについて話をしました。彼は将棋については正真正銘の素人なのですが、彼の口から出てきた言葉はこんな感じのものでした。

「例えば、ドラムを叩くなんていうのはシンセサイザーに任せれば間違いなく人間より上手なんです。当たり前ですがリズム感は完璧です。最近はただ譜面どおりに叩くだけではなく、そこに個性を持たせることもできるようになってきています。厳密に言えば、これはドラムだけではなく、全ての楽器について言えることです。そんな時代になったとき、プロのアーティストはなぜ存在するのか。そのあたりに、ソフトが人間を越えた時代のプロ棋士のあり方のヒントがあるんじゃないですか」

世界は全く違うわけですが、将棋の世界と音楽の世界というのは、次のような視点で観ると非常に似通っているところがあると思います。

それを愛好している人たちがたくさんいて、その頂点のプレイを提供する人がいて、またそのプレイを楽しみにしている人も大勢いる。音楽は楽譜、将棋は将棋盤という限られた範囲の中で、様々な組み合わせで自分を表現する。そして、単に技術的な側面から見るとコンピュータの方が人間よりも上になりつつある。


コンサートに行ったとき、ステージの上には機械とコンピュータとスピーカーしかなくて、全ての演奏が自動的に行われるとしたら、そこに熱狂は生まれないと思います。何が必要なのかと言えば、そこに人間がいることです。好きなアーティストがステージに立っているということです。逆に言えば、姿、形が見えない棋士はコンピュータに近づいてしまい、魅力がなくなってしまうということでもあります。

今のトップ棋士達は、みんなそれなりに存在感があって棋風があります。僕が素人なりに受ける印象を書けば、それぞれこんな感じです。

羽生:ものの考え方の生理的な弱点を突く(裏をかく)ことが非常に上手。勝負術に長けている、という感じ。相手が戦場と思っている場所とは全く異なる場所から攻撃を仕掛けたりする。この、相手の読み筋を狂わせる戦い方がいわゆる「羽生マジック」の基礎にあるもの。短時間の将棋に強い(時間があれば、相手も読み筋を修正できることがある)。

佐藤:常識と思われているところをあえて疑ってかかる。背景に緻密な読みがあるのはもちろんだが、スタンスとして意図的に「常識を打ち破ってみたい」というものが感じられる。コンピュータが指す将棋に近いが、網羅的に調べているのではなく、「常識」とみんなが考えているところを狙っている。

渡辺:かつては緻密な事前研究をベースに得意戦法で勝ちまくるスタイルだったが、竜王になった頃から徐々にそのスタイルを変えつつある。得意だった8五戦法の凋落に呼応するような形で新しいスタイルを確立しつつあるが、まだそれが固まっていない。長時間の将棋に強い。

森内:正統派の将棋を指すが、戦法に特徴があるのではなく、特徴はその時間の使い方。どこでどう時間を使ったらよいかを考え、最適化していくことが非常に得意。長時間の将棋に強い。近年は羽生のスタイルに対して強さを発揮している。

どこでどう感じたのかを具体的に言うことはできないのですが、「なんとなくこんな感じだよな」と思うわけです。

ただ、ここでもうちょっと突っ込んで考えると、何か特定の棋譜を見させられて、それが誰と誰の勝負なのかを、そこに表現されている戦い方から特定することは僕には絶対にできません。棋譜から読み取れる棋士の個性というのは非常にぼんやりとしたものですし、また特に序盤の戦い方は誰でも真似ができるものでもあります。さらに、一つの棋譜の中で個性を発揮する場面というのは非常に限られていて、せいぜい二つか三つの場面の数手であることがほとんどです。そして、その数手の意味も専門家に指摘してもらわなければさっぱりわかりません。恐らく、僕以外の多くの人もやはり棋譜から棋士をプロファイリングすることは困難なんじゃないかな、と推測します。もちろん過去に見たことがあって、知識として頭に入っているものであれば別なのですが。

したがって、棋士に対しては「個性」が今後一層要求されてくると思いますが、それは「棋譜」という形で表現されるものとはちょっと違ってくるのではないだろうかと思うのです。棋士サイドからすれば「棋譜で個性を発揮しないでどこで発揮するのか」ということになるのかもしれませんが、それは全く受け手のことを意識していない考え方で、受け手が棋譜の個性を理解できない人がほとんどであれば、結局他のところで個性を発揮せざるを得ないわけです。これまではその個性がイコール「強さ」だったわけですが、「強さ以外で」となると、なかなか難しいわけです。

最近、若手を中心にブログで情報発信をする棋士が増えてきています。将棋界には「棋士は様々な情報を発信することによって、「人間」をみせて差別化していく必要がある」という考え方が浸透してきているのではないかと想像します。日本はまだまだ覗き見文化の国で、「他人の発信する情報は見たいけれど、自分の考え方はなるべく隠したい、発信するときは匿名でやりたい」と考える人が主流です。もちろん一般の人はこれでも構わないでしょうが、自分という人間の個性を売りにして飯の種にしていく場合にはこれでは駄目なのは自明です。

じゃぁ、人間らしさって何?という難しい話になってきてしまうのですが、そういう魅力をこれからも提供できるのかどうか、というのが「その後の世界」においての大きなテーマになると思います。ただ、どんなに個性的であっても、100人を越える棋士たちの個性を全て吟味して、面白い、面白くないについて論じることは難しいです。例えば僕の現状を例に挙げると、単に将棋の内容や解説などに触れることによって、加藤、石田、藤井、福崎、先崎、鈴木、木村、橋本、山崎、神吉、近藤、糸谷・・くらいまではなんとなくその個性を把握しているのですが、あとは正直良くわかりません。よっぽどのマニアでなければ、大勢の将棋指しの個性までを知りたいとは思わないと想像します。そういう状況にあって、インターネットを使えば自分の個性を主張できるようになったというのは大きな変化です。棋士の方々がそれを自覚しているのかどうかはわかりませんが、多くの棋士がブログを始めている背景にはこういったこともあるのではないかと想像します。そして、この傾向は今後も続いていくのではないでしょうか。ネットは将棋界という比較的閉鎖性の高い世界に風穴を開けて、社会との接点を見出していくツールとなってきていると思います。

ところで、素人なりに僕が思うことをいくつか書いてみます。

一つ目は、テレビ対局などでは途中の場面で一度時計を止めて、それぞれを別室に呼び出して、その場面での読み筋を公開してもらうなんていうのはどうでしょうか。感想戦でしか知ることができない読み筋を途中で公開してしまっても、両対局者にそれが知らされなければ一向に問題はないはずです。テレビ対局であれば、視聴者に対してこのくらいのサービスがあっても良いんじゃないかと思います。

二つ目は、将棋の対局中でももうちょっと盤外戦術があって良いのではないかということです。NHK杯のテレビ対局の最中に、「○○さん、昨日、六本木の例の店にいたでしょ」「えっ???」みたいな雑談があれば楽しいし、加藤一二三九段とかが立ち上がって相手の頭の後ろから盤面を見たりするシーンがあれば、随分と楽しみ方が変わってきます。まぁ、これは相当邪道なのでまじめな将棋ファンからは「馬鹿じゃないの」と言われてしまうかもしれないのですが。ここまでふざけた話ではなくても、世間話でも良いのですが、テレビ対局では皆さんあまりに無口だし、動きが少ないです。

両方に共通するのは、棋士が自己を表現する場は実際の盤面だけではない、ということです。

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先日、田坂さん の新刊『プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる』について書きました。 今日は、その話が、将棋の話と、つながっているのではという内容です。 この本の結論は、 「すべてのプロフェッショナルは、個人シンクタンクへと進化する。...
パーソナリティ力と将棋【即席の足跡《CURIO DAYS》】at 2007年04月29日 20:40
この記事へのコメント
素早い反応ありがとうございます。今回も読み応え十分ですね。

>自分という人間の個性を売りにして飯の種にしていく場合にはこれでは駄目なのは自明です。
この一文が目を引きました。私自身始めた時点ではそれほど意識していなかったのですが、いまはかなり意識しているつもりです。と言ってもそんなに難しくなくて、ようは普通に書いていれば自然と顔をのぞかせるものなんですね。そこに気づくのにしばらくかかりました。
自分というものをアピールするのに、ネットほど優れたツールはないですね。
Posted by daichan at 2007年05月02日 21:34
>ようは普通に書いていれば自然と顔をのぞかせるものなんですね。

そうですね。逆に何か作って見せていくのは大変だと思います。疲れちゃいますよね。

>ネットほど優れたツールはないですね。

確かにその通りだと思います。ただ、一方で、僕は最近少し気になることがあります。渡辺竜王のサイトなどで感じるのですが、ブログに連盟から圧力がかかっているのではないか、ということ。ここ数ヶ月で渡辺竜王のブログはちょっと質が変わったと思っています。気のせいだと良いのですが。
Posted by buu* at 2007年05月03日 00:59