2007年05月17日

今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について

今日の朝日新聞の15面、オピニオンの「私の視点 ワイド」に中村桂子さんのオピニオンが掲載された。非常に良い文章なのだが、なぜかasahi.comでこの記事を見つけることができない。なので、まず簡単に要約を載せる。

生命科学分野では近年、多額の費用と多数の人材を必要とする大型プロジェクトが実施されるようになってきた。これらのプロジェクトの成果は国民全てにとって重要である。
さて、最近発表された二つのプロジェクトを比較することによって日本の問題を指摘したい。
米国ではヒトゲノム解析をがん理解の第一歩と位置づけ、がんに関する遺伝子をすべてリストアップ、徹底的に調べ上げることによって、2005年には今後のがん研究には100を越えるタイプの研究が必要だとわかった。今後3年間に合計1億ドルを投入し、代表的ながん3種類について研究を進め、もし有用性が見極められなければプロジェクトを停止することとした。
一方、日本では3千種類のたんぱく質の構造と機能を研究する「タンパク3000」が2002年に始まった。たんぱく質の研究は確かに必要だが、具体的な目的、なぜ3000種なのか、どんなたんぱく質を調べるのかについての科学的検討のないまま始められ、5年間で578億円という巨額の費用を使って昨年度終了した。高価な機械を大量設置し、3000という数はこなしたが、薬品産業や医療に結びつく成果は出ていない。「明らかにされた基本構造は全体の5%だった」「重要な膜タンパクがほとんど扱われていない」などの評価がプロジェクト後に発表されたが、これは開始前や中途に検討すべきだ。
米国では必要性や実現可能性を検討するが、日本ではそれらなしにいきなり大型プロジェクトが開始され、評価が生かされずに次に進んでいく。
税金の投入や成果も問題だが、そこに大勢の若者が投入されることも気になる。これでは科学の本質を深く考える科学者が育たない。学問と社会の行く末を見つめ、難しさにたじろぎ、悩みながらも重要な課題に挑戦するのが科学者である。
プロジェクトの必要性は認めるが、本来研究は個人的なものであることを忘れてはならない。このままでは10年先が怖い。
(以上、僕が勝手に要約)

さて、このオピニオンは非常に重要な指摘だと思うのだけれど、一般の人がこれを読んでもピンとこない部分が多々あると思う。実際に理研(文科省ライフ課所掌)でタンパク3000を指揮した横山さんと仕事をし、それのカウンターパートである経産省バイオ課でも働いてきた立場から、もうちょっとわかりやすく、かつ詳細に書いてみたい。

中村桂子さん(バイオ関係には中村さんが色々と登場するので、フルネーム)の指摘はいくつかあるのだけれど、それを理解するにあたっては、日本でどういう流れでこの手の大型プロジェクトが設置されるのかを知っておく必要がある。今は総合科学技術会議などが設置されて若干の変更はあるものの、基本的な流れはこんな感じである。

まず、文科省ライフ課、経産省バイオ課などの担当課長補佐、あるいは係長レベルの人間が日ごろから感じている問題意識などをもとに勉強会を開く。この際、自分達が所掌している組織へのヒアリングなども実施するし、また逆に予算が欲しい研究者が研究テーマを持ち込んでくることもある。文科省の場合は東大などの大学や、理研の主任研究員などが中心である。また経産省の場合は文科省に距離の近い教授と対立している教授、あるいはもともと経産省と距離の近い教授などが話を持ち込むケースと、産総研などの経産省が所掌している研究者が中心となる。中には東大医科学研究所の中村祐輔さんのように、文科省では経産省の悪口を言い、経産省では文科省の悪口を言いながら双方から予算をゲットするような世渡り上手も存在するが、基本的には予算を取る立場の研究者は文科省系、経産省系のどちらかにわかれる。余談だが、予算の規模は文科省の方が圧倒的に大きい。また、これらの生物系の部署には理研、産総研からそれぞれ研究者が出向してきており、本省とのパイプ役を務めている。

こうして日頃から中央省庁の役人は「自分のテリトリーの中」から情報を収集している。そして、春の終わりぐらいから「予算取り」の準備を始める。そうやって収集してきた情報をいかに予算につなげるかが彼らの腕の見せ所になるわけだ。予算を取ってくることによって彼らの省内での評価は上がっていくわけだが、その額は大きいほうが良いし、また継続玉ではなく新規玉が高く評価される。今は予算の上限が財務省からかなり厳しく提示されるため、それにあわせてまずそれぞれ省内で調整を行い「今期はコレで行く」と判断することになるが、これを最終的に決めるのは役人であって科学者ではない。そうした意思決定のフェイズを僕は直接見たことがないのだけれど、中村桂子さんが指摘するような「必要性や実現可能性」を専門家がオープンな状況下で実施しているとは考え難い。

さて、僕は経産省では本省で予算を申請する立場にいたが、文科省においてはその下の特殊法人(当時)、理研で働いていた。理研には文科省からどういう要請が来るかと言うと、「これこれこのぐらいの額を財務省に申請できるような玉を揃えてくれ」という内容である。これにあわせて、理研の事務方は申請資料を作ることになるが、その時期には事務方は理研の主任研究員と毎日のように企画を練り、文科省の要望にあわせていくことになる。理研の事務方はあくまでも主任研究員の代理人のような立場なのだが、最近は研究員もすっかりメジャーになったので、横山さん(タンパク3000)、林崎さん(マウスcDNAエンサイクロペディア)などは代理人を通すのが面倒になると直接ライフ課に行ってしまうこともあるようだ。予算申請は文科省、理研事務方、理研研究者の三者による共同作業ということになる。

中村桂子さんの書いている「多額の費用と多数の人材を必要とする大型プロジェクト」は大抵の場合、まず研究者から提案が行われる。それらを見比べて、どれにするかを決めるのが役人である。その際重要なのは、「他省庁のやっていることと重複がないこと」である。例えば一時期、文科省はマウスのcDNAライブラリー、経産省はヒトのcDNAライブラリーを大型プロジェクトで実施した。「あっちがネズミならこっちはヒトだ」というマインドである。

#もちろんこれ自体は全く問題がないが、そこからどういうリザルトが生み出されたのか、ということになると議論は途端に尻すぼみになる。

省内の調整が済むと、その企画は省から出て財務省へと持ち込まれる。僕もバイオの人材育成の予算取りのリーダーとして財務省にでかけて説明をしているのだが、相手は財務の専門家であって、サイエンスのプロではない。なので、素人でもわかるような資料を作成して、「日本にとっていかにこのプロジェクトが重要なのか」を説明する。この説明の後、財務省の中でどういう検討が行われるのか、これまたこちらにはブラックボックスなのだが、このフェイズでも恐らく専門家がオープンな状況下で検討しているわけではないだろう。最終的に財務省がオッケーとなったところで折衝は終了である。

ここまでの説明の中で何度か「専門家が検討しているわけではないと思う」と書いたが、「専門家がきちんと検討する」という部分をしっかりとさせるために設置されたのが総合科学技術会議だったはずである。しかし、どうも見ている限りではワークしている感じではない。それは中村桂子さんが「今の日本のプロジェクトは駄目だ」と指摘していることからも窺い知ることができる。

以上の流れを物凄く乱暴にまとめると、

1.政治力のある科学者が「この研究が必要です」と役所に陳情に行く
2.それをもとに、役人が勉強して、資料をつくる(場合によっては研究者がつくる)
3.財務省に説明する
4.財務省がオッケーと言ったら予算化され、プロジェクトが実施できる

という感じで、マネージャークラスの研究者になると、メインの仕事は研究ではなく、いかにして予算を取ってくるか、になる。今のバイオ研究はどれもこれも大規模プロジェクト化しているので、研究者の評価も政治力に密接に関係している。そして、このフローの中に「中立な専門家が俯瞰的に判断するフェイズが存在しない」という点に問題はある。

また、日本においては予算を取ってくる段階ではそこそこにきちんとした検討を行っていると思うのだが、それを執行する段階以降については検討が非常に甘い。そもそも一度取ってきた予算は全て使い切るのが研究者の役割なので、途中で駄目だとわかろうが何しようが、とにかく全部使い切る。これは年度末に一所懸命必要のない道路工事をやるのとなんら変わりがない。文科省や経産省の役人からすれば「予算は取ってきたんだから、それを全部使い切るのが研究者の役目だ」ということになる。なぜそうなるかって、節約しても何も良いことがないからだ。お金が残れば、財務省に対して「あそこの申請はずさんだ。お金がない今の時期に必要のない費用を計上した」と判断されかねない客観的な事実を提供してしまうことになる。

これは日本のシステムの構造的な欠陥であり、これまでもこれを指摘した人は山ほどいるはずなのだが、なぜか全く改善されない。予算を立てるのは良いが、それを執行する段階においては「いかに節約するか」が重要で、節約することによって評価があがるという評価システムが必要である。

とはいえ、今はそういうシステムがないので仕方がない。もらったお金は全て使う、これが日本の常識である。留意点がこれしかないので、成果がどうなのか、ということは基本的に眼中にない。もちろん一部のマスコミやウェブサイトで「あれは費用対効果が見合っていないのではないか」と指摘されることはあるだろうが、それがその後に何らかの影響を及ぼすことはほとんどない。マネージャークラスの研究者はお金を取れるプロジェクトを企画立案するのが仕事、各省はそれをベースに予算申請を行うのが仕事、財務省はそれらを俯瞰して調整するのが仕事、であって、本気で成果を検討することもなければ、成果を次の予算申請にフィードバックすることもない。要は、みんながみんな、食べたら食べっぱなし、後片付けのことは知りません、という感じである。

中村桂子さんの言うことは全てもっともで、僕としてはほぼ全面的に賛同するのだが、ではどうしたら良いのか、ということになると日本の社会システムの根幹にも関わることで、その改革は容易ではない。そもそも、それを改革するために設置されたはずの総合科学技術会議が実質的に機能していないのだから、その難しさは想像に難くない。

中村桂子さんはさらに人材の育成についても危惧を述べている。これも全くの正論だと思う。かく言う僕自身も元々バイオの研究者を目指した人間だった。80年代の生命科学の世界は多くの発明や発見が行われ、非常に刺激的だった。しかし、それが労働力やお金の大量投入大量消費の世界に変わってしまい、評価されるのは予算を取ってくる先生だけ、という状況になってしまい、僕にとってのアカデミックな生命科学の世界は途端に色あせてしまった。上の人間(もちろん全てではない。大学院のときの指導教官の西川一八さん(現岐阜大教授)などは完全な例外)が自分に求めているのがアイデアではなく労働力であるということがわかってしまったからである。
#このあたりのことについてはこちらもどうぞ

ただ、この件についていえばプロジェクトリーダー格の研究者も頭を悩ませている点だと思う。例えばタンパク3000が終了した際、プロジェクトリーダーの横山さんは、当然それまで一緒に研究してきた研究者達を食べさせていけるような新規玉を用意しようと努力しただろうし、終了とともにその後の進路が不透明になってしまった研究者達に対しては彼なりに心を痛めたんだと思う(横山さんとはもう何年も話をしていないけれど、彼の人柄から勝手に想像)。大型プロジェクトのリーダーは大勢の研究者を抱える株式会社の社長のような立場であり、それはそれで、社員たちを食べさせていくためにマラソンを続けなくてはならないのである。

#これはまたどこかで近いうちに触れるつもりだけれど、この若手人材の浪費の背景には、日本に実質的に有効な宗教が存在しないことが大きな影響を及ぼしていると思う。

さて、中村桂子さんがなぜ新聞にこのオピニオンを載せたのか。これまで書いてきたように、この問題は普通の生活者が考え方を変えることによって改善されることではない。変えることができるのは政治家と役人である。中村桂子さんは新聞にオピニオンを載せることによって国民の意識を変え、その代表である政治家に問題提起したいのだろう。その声が国民に、そして政治家に届くのか。個人的には非常に懐疑的なのだが、そんな状況でも情報を発信し続けている中村桂子さんは素晴らしいと思う。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/buu2/50339835
この記事へのトラックバック
この間の中村桂子さんの「タンパク3000」批判について書かれた ブログの一例. 今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について(WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログ) 個人的にこちらのブログの筆者に共感すること,多々あります. オフラ...
中村桂子さんの「私の視点」は何を目的にして書かれたのか【科学コミュニケーションブログ】at 2007年05月20日 07:00
 先週17日の朝日新聞の朝刊で、中村桂子さんが昨年終了した「タンパク3000」という大型プロジェクトに対してかなり激しい批判的意見を寄せておられてびっくりしたのですが、Science Communication BlogでK_Tachibana さんが「中村桂子さんの「私の視点」は何を目的に...
バイオ系の大型予算の決まり方【5号館のつぶやき】at 2007年05月21日 21:36
この3月で終了した文科省の「タンパク3000」プロジェクトを 中村桂子(敬称略、以下他の人も同様)が朝日新聞で批判してから いくつかのブログで取り上げられたりして話題になっているようだ。 自分はタンパク3000からの金を研究費としても賃金としても その他いかなる形...
タンパク3000の徒花の陰に隠れて【地獄のハイウェイ】at 2007年05月25日 21:52
中村桂子(事業仕分け人・JT生命誌研究館長)の意見@毎日新聞12/4の記事、インタビュー<<急接近>に共感した。 ネットに記事が見あたらないのでここに引用する(全文)。 ??事業仕分けで、科学技術予算にも大なたが振るわれました。 ◆私は日本の予算作りのシス...
仕分け人・中村桂子の意見に共感【試稿錯誤】at 2009年12月04日 11:37
この記事へのコメント
現在の「科学技術」予算付けの仕組みをこれほど明確に丁寧に解説されたものを読んだことはありません。丁寧に長文を書いてくださってありがとうございます。上記URLの日記に書きましたが、目的指向型の研究に予算を集中させることによって、かえって学問分野を荒廃させ、元木さんのような有能な人物が分野を去ることになるとは皮肉なものです。
Posted by nq at 2007年05月20日 11:18
この記事は読んでいなかったのですが、素晴らしいですね。中村桂子さんは最近は当たり障りのないことしか言わなくなっていたのかと思ってたら、そうではなかった。
Posted by おじさん at 2007年05月20日 18:05
>nqさま

>予算付けの仕組みをこれほど明確に丁寧に解説されたものを読んだことはありません。

そうかもしれませんね。大企業の課長クラスや、大学の先生たちはもちろんこのあたりの仕組みは十分知っているのですが。

>有能な人物

別に有能ではないです(笑)


>おじさんさま

>そうではなかった。

中村さんももうそこそこの年齢ではありますが、これからも頑張っていただきたいと思っています。
Posted by buu* at 2007年05月20日 22:43
大型プロジェクトが終わってから批判する中村桂子さんもなんとも。
結局のところ、役所が元凶なんですね。だとすると、中村さんの批判の対象は、お役所の担当者とも取れるわけです。
実際のところ、課長・課長代理さん達は、どうされているのでしょうか。担当者転勤で責任者をうやむやにしてしまっているのでしょうか?そちらのほうに興味を持ちました。
Posted by とおりすがり at 2007年05月23日 20:09
>終わってから批判

終わる前から委員会とかでは批判していたのかもしれませんけどね。そのあたりはわからないので。

>担当者転勤で責任者をうやむやにしてしまっているのでしょうか?

通常担当者は2年で異動になりますから、責任の追及なんていうのはないんじゃないですかね?プロジェクトが終了したときには跡形もないので。各大型プロジェクトの実施時の原課担当課長補佐、課長、財務省担当主計官あたりをリストアップして、成果の評価や現在の職とかをマトリックスにしたら面白いかもしれませんね。
Posted by buu* at 2007年05月24日 01:06
こういう大型プロジェクトのあおりを受けているのが、大学の教育予算です。どこかにお金を使うと、どこかを減らす。大学をつぶして、理研や産総研をどんどん規模拡大し、予算浪費している訳です。役人はプロジェクトを立ち上げれば、手柄になるし、大学をつぶすのも多分、評価されているのでしょう。
Posted by 税金 at 2007年05月24日 08:18
元木様

 「私の視点」への御意見ありがとうございました。細かなプロセスを書いていただきそこが問題と思いました。またいろいろお教え下さい。1200字しかないので、細かいことが書けなかったのですが、要は、“プロジェクト”は目的が明確であり(必要性)、しかも科学としての必然性があるものでなければいけないと思うということが言いたかったのです。
 
Posted by 中村桂子 at 2007年05月24日 16:44
そもそもヒトゲノム解析は、1986年のダルベコによる“がんを知り、その知識を治療につなげるにはどうしても必要”という提案から始まりました。ですから解析が終った後にやるべきは、その成果を“がん研究”(これは予防、診断、治療を含む)につなげるにはどうするかというテーマになるわけです。そこで“遺伝子とがん”について徹底的に調べ・・・以降は新聞に書いたようになっています。この間のプロセスが透明で、科学として納得ができ、使うお金も妥当であり、プロジェクトとはこのように進めるべきものであるということを教えられるものになっています。科学として連続性があり、そこに関わっている人々がその分野について最もふさわしいと思われる専門家であり、その判断が開いた形で行なわれているからです。なぜ日本ではこれができないのか。私の最大の問いはこれです。
Posted by 中村桂子 at 2007年05月24日 16:45
 もう一つ、米国と日本のプロジェクト推進の過程を見て感じるのは、米国ではこれだけ難しいテーマが解決可能だろうか、これだけの資金をかけてそれに見合う成果が出るだろうかという問いが常にあるということです。くじけそうになるけれど挑戦しなければならないという気持が見えるのです。一方日本の場合は“これで何でもできる”という言い方しかありません。たとえばオーダーメイド医療がそうです。途中のプロセスは何も見せずにSNIPsを解析すれば、すべての病気に個人対応ができるかのように言う。これは科学ではありません。米国が“がん研究”で示しているようなプロセスを考えなければ、研究ではないと思うのに、なぜ一流の研究者にそんなことができるのか。それが私のもう一つの問いです。
Posted by 中村桂子 at 2007年05月24日 16:45
 以上二つ、プロジェクトと言えども“科学”であることを忘れないで欲しいと思うのです。大量のデータを出せば答が出るという意見があります。和田昭允先生がデータドリブン生物学だとおっしゃいます。確かに今の科学は大量のデータが必要です。これについても米国のプロジェクトの中に答が書いてあります。“どうしても大量のデータを出さなければならない。しかし、山のようにデータがあるだけでは意味がない。発がんのメカニズムがわかってもそれが治療につながらなければ価値がないのだ。” とにかく日本のプロジェクト関係者はこの米国のプロジェクトの立て方に学んで欲しいと思います。

中村桂子
Posted by 中村桂子 at 2007年05月24日 16:45
中村桂子+仕分け、をキーワードに検索してやってきました。中村さんご本人のコメントがあろうとは。しかも、2年以上前の記事。。。

今朝の毎日新聞、中村さんの<インタビュー急接近> 「事業仕分けで科学技術予算を削った理由は」『学界も変わらなければ』に、深く共感しまいた。


>これは日本のシステムの構造的な欠陥であり、これまでもこれを指摘した人は山ほどいるはずなのだが、なぜか全く改善されない。

本当に<公の場で>指摘した人がいるのでしょうか。大いに疑問です。組織内でグツグツ不平不満を言ってもなにもなりません。

中村さんは、インタビュアの質問「ノーベル賞受賞者をはじめ批判もありますが」につぎのように答えています。
「科学技術の重要性を否定した仕分け人はいません。大事なのだから、もっと有効に限られたお金を使おうという努力です。そうそうたる学者や学長が、頭ごなしに「科学技術の大事さがわかっていない」とおっしゃる姿には違和感を覚えました。お金でなく、研究の魅力を語り、それへの共感を基本に、この国の学問を育てようという提案をしてほしかったです」と、正論を述べている。仕分け結果に対して<頭ごなしに>学長やノーベル賞受賞者が批判し、ノーベル賞受賞者に至っては圧力団体の如く官邸に乗り込む。コレを見た若者は何と思うのでしょうか?土建屋でもやらない破廉恥さです。
Posted by 古井戸 at 2009年12月04日 08:02
> 本当に<公の場で>指摘した人がいるのでしょうか。大いに疑問です。組織内でグツグツ不平不満を言ってもなにもなりません。

これはそこそこ批判されていると思います。テレビの討論会とかでも言及しているケースがあるような気がします。

> ノーベル賞受賞者に至っては圧力団体の如く官邸に乗り込む。コレを見た若者は何と思うのでしょうか?土建屋でもやらない破廉恥さです。

「あぁ、看板って大事なんだな」と思うでしょうね。ノーベル賞科学者が本来向かうべき方向は役人とか政治家じゃなくて、一般の生活者や子供達なんじゃないかな、と思うのですが(まぁ、それじゃぁ時間が足りないときは仕方ないんですが、基本は)。日本では予算獲得のツールに過ぎないという印象があります。そうじゃない人もいるんでしょうが。
Posted by buu* at 2009年12月04日 10:28