2007年06月16日

リバネス5周年パーティ

飯田橋でリバネスの5周年パーティ。

おなかを空かせて行ったのだけれど、結構おなか一杯になった。

久しぶりに会う人もいたし、毎度の人もいたし、あれ?今日はいないの?って見当たらない人もいたわけだけど、いくつかの飲み会の約束をして帰ってきた。

#今日はじゃんけんに勝って合コンの約束も取り付けたので、かなり満足である。

リバネスで働いている人たちは何が良いって、仕事を楽しんでやっていること。

この間アップしたエントリーの中で「「好きな研究をやる」というのは研究者として最大の贅沢」と書いたわけですが、それに近い贅沢がここにはあると思う。僕ももうちょっと若ければ一緒にやりたかったくらい。でもまぁ、僕らの世代には僕らの世代で良いところがあったわけで、新しい芝生が良く見えるからってそこを荒らしてしまうのは大人気ない。宮田満さんが挨拶で「5年後はもっと美味しい料理を」と言っていたし、丸さんは「次は船で」ということだったので、僕はのんびり傍観しながら、5年後の船上パーティに参加できるように健康に気を遣って暮らしていきたいと思う。

ところで、「「好きな研究をやる」というのは研究者として最大の贅沢」という認識は現場の人とは共有できているんですかね?それとも、研究者サイドとしてはそれはささやかな、最低限確保したい願いなんでしょうか。

そうだ、思い返してみると、僕が学生のときは大学にようやく生化学関係の学科ができたときで、学生はもちろんだけど、化学の中の一分野として冷や飯を喰わされてきた教授陣もやる気満々で、活気に溢れていた。研究室に所属するときも好きな部屋を選ぶことができたし、研究室は研究室で企業からの研究生もやってきたりして、当時100万円以上したマックのIIci ( ツーシーアイ )なんかを寄付してもらって大喜びしていたっけ。そんな状態でもがんの研究をやっていた堅田研が金持ちでうらやましい、なんていう話を良くしていた。こうして考えてみると、僕たちが学生のときは間違いなく良い時代だったよなぁ。

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