2007年06月21日

ブログでバイオ 第27回「バイオ人材のキャリアパスを考えるためのウェブサイト、どうでしょう?」

「ブログでバイオ」に新しい方々が次々と参入してきてくれました。そろそろ僕も書いておかないと、フォローするのが大変になりそうです(笑)。さて、それぞれのパスに応えていきたいと思います。

まず、5号館のつぶやきさんの22回「場外から乱入: 大学院生やポスドクたちは社長になりたいのか?」というエントリーについて。

ほとんどすべての大学院生・ポスドクが研究者指向である


僕はこの現状にこそ問題があると思っています。「研究者」という言葉の定義の問題もあるのですが(たとえばテクニカルスタッフは研究者なのか、といったところについて明確にしておかないと、議論が食い違う可能性があります)、研究者を「実験をやることによって食い扶持を確保する人」ぐらいに、あえて幅広く定義したとしても、この進路はあまりにも狭いと思います。

僕が学生だった頃は理科系の学生の文系就職が盛んで、僕の先輩達の中にも大学院を出て証券会社や都市銀行に就職した人がたくさんいました。その人たちが学生だった頃の知識や考え方をその後の職場で活用できたのかどうかはさっぱりわからないのですが、僕の場合は「大学院までで身につけた専門知識をきちんと活用していきたい」ということを明確にしつつ、三菱総研という文系会社に就職しました。そのときベースにあったことは、「人と同じことはやりたくない」ということでした。人と同じことをやっていれば、競争相手も増えます。自分の個性を打ち出すのも大変です。そんなところで働くよりも、自分の得意なところを活かせて、しかもライバルが少ないところ、と考えて就職活動をしました。

ちなみに三菱総研の他に就職試験を受けたのは博報堂でした。博報堂は「絶対に落ちることはない」と言われていた重役面接で落ちました。理由はわかりませんが、僕が面接で主張したことは、「もうすでに大量生産大量消費の時代は終わった。そして、その時代の負の遺産として公害が残っている。これまで大量生産大量消費を煽ってきた広告代理店は、今後、その負の遺産を回収していく義務があるはずだ。具体的には、環境問題に積極的に携わっていく必要がある。その際、僕のバイオテクノロジーに関する知識は必ず役に立つはずだ」というようなことでした。

仮にそこで博報堂に受かっていれば僕の人生は全く違ったものになっていたと思いますが、それでも何らかの「人と違った生き方」はしていたと思います。

僕が思うのは、まず「自分が思い描いているような研究者になれる可能性は非常に低い」という現実を大学生、大学院生が理解することだと思います。その上で、大学、大学院で何を身につけておかなくてはならないのか、これを考える必要があるのではないでしょうか。僕も大学の講師をしていますので、生の大学生と話をする機会がありますが、彼らを見ていて思うのは、「とても不幸な大学生活を送っている」ということです。自分が置かれている現実を全く理解しておらず、何をしたら良いのかもわかっていません。以前は「大学卒業」という看板だけで生きていける時代でしたが、今は全く違います。そういったことを大学に入学してすぐにでも教え込む必要があると思うのですが、それが実施されている印象は受けません。そして、目先が利くごくわずかの学生だけがそれに気がついて、「勝ち組」になっているわけです。

ここまでは研究者サイドからの問題を考えてみましたが、日本においては同時に人材マーケット的なスタンスからも問題があります。最初にテクニカルスタッフが研究者なのか、ということを書きましたが、僕はテクニカルスタッフというのは研究者ではないと思っています。テクニカルスタッフとはあくまでも技術者です。しかし、その技術者がいなければ研究は成り立ちません。そして、研究者がそれに時間を割いてしまったら、決定的に時間が失われます。いまや研究において一番大事なのは時間ですから、そこにお金を投入するのは当たり前です。喩えていえば「送りバントの川相に大金を払う」ということですが、こうした風土が日本にはありません。その根には「研究者はかくあるべし」というステレオタイプ的固定観念があって、それ以外は負け組、という風に考えてしまう環境があるのだと思います。

理研にいたとき、榊さん(当時プロジェクトディレクター、現在ゲノム科学総合研究センター長)は「テクニシャンがいるからこそ研究が進む」としてテクニカルスタッフを非常に高く評価していました。そして論文には大量のテクニカルスタッフと一緒に撮影した写真を掲載したりもしていました。しかし、金銭的な評価はこれとは別です。どんなに優れたテクニカルスタッフでも、金銭的には明確に研究者よりも評価が下でした。念のために言っておきますが、もちろんこれは榊さんが悪いのではありません。テクニカルスタッフとはこういうもの、という固定観念が日本には存在しているからです。それを作っているのは研究者です。

日本の公務員制度では、中央省庁でも事務官が技官に対して優位です。なぜそうなのかと言えば、ルールを事務官が作っているからです。同じように、日本では研究者が「研究者>テクニカルスタッフ」という偏見をつくりあげていると思います。なぜか。研究者を志望する大学生、大学院生には「研究者になることが勝ち組」という価値観しか与えられていないからじゃないでしょうか。本来、研究者とテクニカルスタッフというのは誰かが上下を決めるのではなく、市場が決めるべきだと思うのですが、日本ではそうなっていません。

キャリアセンターで提示しているオルターナティブは「研究の放棄」であるように思え、そのギャップの大きさが彼らを立ちすくませてしまっている


僕はキャリアセンターの提示内容を見ていないのでなんともいえないのですが、大学、大学院を出た人間の将来は決してオルターナティブなものではないと思っています。ただ、一方でオルターナティブではない選択肢を選ぶことができるのは、そういう目的意識を持って大学、大学院生活を送ってきた人間が中心だと思います。突然「え?そうだったの?」と思ってしまう人には、恐らくたくさんの選択肢は残されていないでしょう。

つづいて丸さんの23回「理系の院生のキャリアの選択肢は狭いのか?」について。

起業家であって経営者でない人はたくさんいます。


僕はバイオベンチャーの社長は二代目の雇われ社長でした。ですから、間違いなくこのときは経営者だったと思うのですが、しかし創業2年目ぐらいの会社でしたから、起業家の要素も多少あったのかな、と思います。一方で今の会社は自分で立ち上げましたから、こちらでは起業家でした。起業家でしたが、もう経営者だよな、とも思います。起業家と経営者の違いが正直僕には良くわかりません(^^;

疑問に思うのは、こういったマインド・考えかたをいつもったのか?ってことでしょう。これは小学校くらいからいろいろ刺激を受けないといけない気がしています。


刺激を受ける、受けないは良くわからないのですが、育った環境などは大きな影響を及ぼすと思います。上にも書きましたが、僕はとにかく子どもの頃から「人と違うことをしたい」と強く思う人間でした。今僕は中日ファンですが、そういう話題になると、大抵の場合、同席者は「なぜ横浜生まれ、横浜育ちの元木さんが中日ファンなんですか?」と質問します。「長くなりますけど、聞きたいですか?」と前置きして説明するのですが、ここでも一つのエピソードとして紹介しておきます。当時川崎がフランチャイズだった大洋ホエールズが横浜に本拠地を移転したとき(僕は小学生でしたが)、学校の非常に多くの人たちが横浜大洋ホエールズのファンになり、青地にWの野球帽をかぶったんです。それまで大洋のファンなんてほとんどいなかったので、担任の先生が驚いて、「みんながどこを応援しているのか、アンケートを取ってみよう」といって調べたんですね。その結果、まぁ読売と横浜大洋のファンが凄く多かったんですが、中日のファンだけが一人もいなかったんです。それで、「じゃぁ、僕が今日から中日ファンになります」と宣言して、それからは中日一筋なわけです。

僕がなぜそういう性格になったのかはわかりませんが、小学校の通信簿には常に「協調性がない」と書かれていました。まぁ、人と一緒であることを嫌がる人間ですから、協調性がないと評価されても仕方ないかも知れません。「和を以って貴しと為す」という日本1400年の基本原則からはちょっと違うベクトルで生きてきていると思います。

#別にみんなと楽しく過ごすのが嫌いというわけではないですが(笑)

僕が想像するに、多くの日本人は人と同じであることに安心するんだと思います。常に周り近所を意識し、他の人と同じ行動を取り、なるべく周囲から浮かないようにして生活しているんじゃないでしょうか。僕はそのあたりが全く逆なんですね。いかに人と違うのか。ここに自分の価値を見出したいと思って生きてきました。僕は6歳のときに父親が死んでいて、以後、母一人子一人という状態で育ってきました。一人で過ごす時間も多かったのですが、家族以外の大人たちに囲まれて暮らす時間もとても多かったのです。そういう大人に混じった生活環境の中で「自分の存在を意識してもらうには、人とは違う自分を見せなくてはならない」という考え方が徐々に形成されていったのかも知れません。

僕が起業したきっかけは「研究をもっと推進したいから」でした。


つまり、「今、目の前にある環境を良しとして、それを受け入れるだけで満足できる」のか、それとも「理想を追求して、その理想の実現のために努力する」のか、というところが、普通の研究者と丸さんの異なる部分なんでしょう。今までの日本人は、「自分で環境を作ってしまう」という選択肢の存在すら知らなかったはずです。それをやってしまった丸さんは素晴らしいと思いますが、一方で現状を見ればすでに丸さんが作った道があるわけですから、「自分で環境を作ってしまう」という選択肢があることは誰もが目にしているわけです。やれるかどうかすらわからない状況から、やってやれないことはないというのが示された状況に変わったわけで、難易度は大幅に下がっているわけです。ですから、「私もやってみよう」と思う人が出てきても良いのにな、と思います。

次に、5号館のつぶやきさんの「maruさん第23回へのコメント」というエントリーについてです。これは23回の傍流ということにしておきます。

そうした「できるヤツ」が起業しようとおもったり、社長になろうと思ったりしにくい「風土」(さまざまな環境)に問題があるのだろう


そもそも社長は会社の数だけしかいませんから、誰でもできるわけではありません。なので、たとえば教室に生徒が100人いて、その中の50人が「社長をやりたい」と言い出してしまうとそれはそれで困るのですが、確かに「社長をやりたい」と思う人は少ないのが現状でしょう。下手をしたら100人の教室で一人も手を挙げないかもしれません。しかし、現状は、自分の今後の選択肢の一つとして「社長」というものが存在していることすら認識していないんだと思います。このあたりは教育の問題でもあると思います。ただ、そういう選択肢があるということは我々がこうやってリレーエッセイを展開している中で多くの学生、研究者に提示できるはずです。また、「今後の選択肢の一つとして起業というのも考えたいのだけれど、じゃぁ、どうしたら良いんだろう」という人たちに対しても、一定の指針を示していけると思います。

大学院にはいったからといって「研究者にしかなれない体」になってしまうのではなく、さまざまなスキルを身につけ、それを活用したたくさんのキャリアがあるのだという実例が入学直後から提示されていればずいぶん状況は違ってくると思っています。


全面的に同意します。

それこそ研究しかできないスタッフが大学には多すぎて、そう簡単ではなさそうです。でも、maruさんたちを始めとした外からの力も借りて「できるヤツ博士」を作っていければいいな、と思っています。


僕もすでに「バイオベンチャー」という講義を吉備国際大学でやっていますから、それを他のところでやるのは全然構いません。テキストらしきものも存在します。まぁ、やって欲しいと考える大学があれば、ですけれど(笑)。僕が大学院などについて強く感じるのは、指導教官が学生を労働力として見ているということです。この傾向は生物学がデータドリブンと言われる学問になって以後、とても強まっていると思います。そういう状況において、貴重な労働力に余計な知恵をつけさせるようなことを大学の先生達が歓迎するのかどうか、少々疑問に思わないでもないです。

さてさて、次は「Science Communication Blog」さんの24回「理系のキャリア再考」です。

研究者としてのポストは限られる中で,研究者以外のキャリアパスとしてどのようなものが考えられるかということでさまざまな方に講演していただきました.


こういう活動は非常に有意義だと思います。できれば大学教育の早い時期にやっておくべきだと思います。僕などは研究者から見れば「途中で研究に挫折した敗北者」かも知れませんが、普通の研究者に比べればずっと楽しい人生を送っていると思います。研究者という成功キャリアパスを目指し、そこから落ちこぼれて挫折感を味わうのではなく、研究者という選択肢を捨てる、という生き方があり、そしてそれは決して不幸なものではないということをきちんと教えるべきです。

続いて、「ハーバード大学医学部留学・独立日記」さんの「理系のキャリアの選択肢が狭いことは悪いことか」というエントリーについて。これは25回にしちゃいましょう(タイトルを変更できる場合は加筆していただければ幸いです)。

理系のキャリアの選択肢が狭いことは本当に悪いことか?


学生(研究者)サイドからは選択肢が狭いことは良いことかもしれませんが(別に同意するわけではありませんが)、現実問題として社会のニーズがある以上、総体としては問題であるというのが僕の考えです。

すでに日本のバイオは「社長人材がいない」「役人に本当の専門家がいない」「弁護士や会計士に生物の専門家がいない」という状態になっていて、機能しなくなりつつあります。社長人材の枯渇は僕自身深刻な問題として頭を悩ませていますし、役人に本当の専門家がいないことについても大分前に朝日新聞に投稿しました。日本(理研)の窓口として理研の保有するマウス完全長cDNAライブラリの利用に関する交渉を行ったとき、相手のNIHは弁護士でかつ工学博士である人材を派遣してきました。日本最大の会計士事務所のある会計士は名刺に「修士」と印刷していて、あとで大笑いしてしまったことがあるのですが(僕の長い人生において、名刺に「修士」と記載している人は後にも先にもその人だけです)、これが日本の現状です。

研究者にとって良い、悪い、ではなく、社会のニーズがあるのに、それに対応できるような体制になっていないことが問題だと思います。

また、上のほうにも書きましたが、大学生、大学院生に対して「研究者になることが唯一無二の到達点である」と誤解させてしまうことによって、日本の研究環境自体が硬直化してしまっているというのが僕の考えです。本当は多様なキャリアパスがあるのに、それを知らされず、かといって研究者として生き残るには当然のように競争があり、その競争に負けてしまったポスドクたちはその夢が破れたところで途方に暮れる、というのでは困ってしまいます。そして、実際にそういう状況になりつつあるのではないでしょうか。

次に「Jun Seita's Web」さんの「ベンチャーはオルタナティブか?」というエントリー。これは26回ということで(25回同様、加筆できる場合は26回としていただければ幸いです)。

日本ではベンチャーの定義が曖昧なのではないだろうか?


役人時代の僕がこのあたりをどう定義したらよいのかを考え、統計をどうしたらいいのかを決めた張本人です。以下、簡単に書くと、日本においての「バイオ」はJISで定義されたバイオ(JIS K 3600:2000)であり、ベンチャーとは「中小企業基本法による中小企業の定義のうち、従業員数に関する条件に当てはまるもので、設立から20年未満のもの、そして研究開発、受託研究サービス、製造、先端科学関連コンサルティング等を主たる業務とするもの」というのが大枠です。欧米におけるBiotech Companies(Start Ups、Small and Medium Enterprises)とは若干異なります。

適切なプロ人材(専門バカ)を投入出来る体制がシリコンバレーの強み。


そして、それが全く出来ないことが日本のバイオの決定的な弱みなんです。

実験の技術に自信のある研究者は、研究員またはテクニシャンとして、どんどん買われて行く。
(一部こちらで改変)

こういうマーケットが日本にはあまり存在しないのではないでしょうか。

僕は経産省時代、バイオベンチャーそのものと同時にバイオクラスターについても調べていました。当時の疑問は、「日本においてはクラスター化が必要なのだろうか」ということでした。日本のような狭い国土で、また住宅供給が十分な状態であれば、例えば長浜からつくばに研究のために引っ越すというのはそれほど負担ではないし、情報交換はネットで行えば良いのだから、必ずしもクラスター化されている必要はないのではないかと考えたのです。そして、当時は僕のこの疑問に対して明確な回答を提示できる専門家はいませんでした。しかし、今になって考えてみると、やはりクラスター化は必要だと思います。なぜ必要なのか。それは、活発な人材の新陳代謝を実現するためです。当時の日本にはこの「活発な人材の新陳代謝」が存在せず、そしてそれを強く希求し、リーダーシップを取って動く人間もいませんでした。そして、そろそろそれは変えて行かなくてはならないと思います。クラスター化が必要なのではなく、クラスター化が必要とされる環境を作っていくところからはじめなくてはいけないということです。凄く大変そうですが、でもこれをやらなければ日本はもう駄目なんじゃないかと思います。

まずは大学の研究室で働くテクニシャンの給料を、そのテクニックに応じて支払える仕組みを確立する必要があると思う。ちなみにスタンフォードでは、腕のいいテクニシャンはバイオベンチャーと取り合いになるので、「好きな研究」をやっている研究者よりも断然給料がいい。


日本においてはテクニカルスタッフの立場はまだまだ低いですね。雇う側はそれで良いと思っているでしょうし、雇われる側もそれで良いと思っていると思います。

さて、レスがようやく終わりました(^^; 一連のレスをつけて感じたのは、

1.大学時代に、きちんと理系(あるいはバイオ)人材のキャリアパスについて教育する
2.特に「研究者」としてやっていける人は非常に少なく、競争が激しいという現実を理解させる
3.多様なキャリアパスを選択できるような知識を身につけられるようなカリキュラムを策定する

ぐらいが必要なんじゃないかということです。1や2については別に大学に頼る必要はないですね。WIKIなどを使ってみんなで作り上げていくという手もあると思います。もし賛同者が数名でもいて、しかも実際に手を動かすことができるということであれば、そういうサイトを作成する方向で動いてみたいと思いますが、いかがですか?

(慌てて書いたため、乱文です。徐々に直します。また、リンクやトラックバックも徐々に対応します。とにかく、どんどんパスが回っているので、さっさとアップしちゃいます(汗)こちらについてもあまりにも混沌とすると大変なので、背後で「○日ぐらいまでに記事をアップしますよー」みたいな情報交換は必要かも知れません。そういった意思表示ができるような仕組みについても考えてみたいと思います)

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「理系の大学院生は従来のアカデミア以外の職業の選択の可能性を知り、[純粋な] 研究能力だけでなく幅広いスキルを身に付けることでキャリアの選択肢の幅が広がる。」基本的にはこれは良いことであると信じられていると思うし /!
25回:理系のキャリアの選択肢が狭いことは悪いことか【ハーバード大学医学部留学・独立日記】at 2007年06月21日 12:01
この記事へのコメント
buu*さん
早速のレス、ありがとうございます。
こちらのタイトルに「第26回」を加えました。
迷惑トラックバックにも記録が残っていないので、もう一度トラックバックを送信していただけると助かります。

ピッチに複数のボールが存在している状態なので、1つのボールを順にまわす方が、結果としては有意義な意見交換になるかもしれませんね。
Posted by Jun at 2007年06月21日 12:27
私も自分のところでアップしようと準備していたら、buu2さんのアップに自分の考えがそのまま包含されてしまったので、苦笑いしております(苦笑)。書き直しできるようだったら、1、2日でアップしたい・・・なぁ
Posted by shu1 at 2007年06月21日 12:46
せっかく書いたので、やっぱりアップすることにしました。
Posted by shu1 at 2007年06月21日 13:26
「3.多様なキャリアパスを選択できるような知識を身につけられるようなカリキュラムを策定する」
 これに引っかかったのですが、苦労して時間かけてとった学位を生かして「博士として食べていく」能力を身につけるということですよね。で、それってカリキュラムとして用意できるものなのでしょうか?
 本人が自覚して研鑽をつむしかない問題のように思うのですが、具体的にどんなカリキュラムがありうるのでしょう。総理官邸のナントカ会議で思いつき放言している財界人やら有名人が言うみたいに、英語だの企業インターンだのがそうだとは思えません。
Posted by nq at 2007年06月22日 00:32
イメージしているのは大学院ではなく大学です。

内容例は、まずバイオ系の学生が将来ダブルメジャーとして選択し得る主要な職業(弁理士、弁護士、会計士、行政官、キャピタリスト、アナリスト・・・・)に関する知識。それからバイオを取り巻く内外の社会環境。さらには一般社会人として知っておくべき常識やビジネスマナーなどについての授業でしょうか。それから、実際に現場で働いているダブルメジャー人間を招いての講義と質疑応答なども効果があると思います。

要は、多様な価値観や多彩なキャリアパス、可能性を提示すると共に、それを実現するためには何が必要なのかを早い時期に学生に理解させ、研究しかできない専門馬鹿にならないようにするということです。

勉強というのは非常に個人的、かつ自主的なものなので、あくまでもきっかけを与えるだけで十分ですが。
Posted by buu* at 2007年06月22日 01:03