2007年08月13日

ブログでバイオ 第30回 「今の博士、これからの博士に求められるもの」

お盆ということもあってあんまりやることがないのと、昼間は暑くて全く外出する気にならないので、すばやいパス交換。

5号館のつぶやきさんの「ブログでバイオ 第29回 「博士と自己責任論」」のパスを受けます。

>リレーエッセイというものの「作法」がわからず

あぁ、作法は何もないです。気が向いた人が適当にパスを受けてブログに書く、これだけです。あと、前の記事にトラックバック、くらいでしょうか。一応僕の中でのローカルルールとして、他の人のパスが出難くなるような細かいパスつなぎはやめておく、というのがあるのですが、これもなんとなく、で、今回のように、常に守るわけではないです(^^;

>博士が余っているのは、必要以上に博士を作ったからです。

この部分は僕は微妙に違う認識でいます。必要以上に作ってしまったのは、「役に立たない博士」であるというのが僕の認識です。例えば博士の人たちはちゃんと資本主義の社会というのを理解しているのでしょうか。株式会社における株主と取締役会の関係を理解しているのでしょうか。あるいは公務員の仕事は何なのかを理解しているのでしょうか。予算の仕組みは?衆議院の役割は?中央官庁は何をやるところなのか。

これらは資本主義社会で有権者として生きている限りは知っていて当然のことです。ところが、こんなことですら知らない人が沢山います。少なくとも、僕が見てきた博士は90%、このあたりの知識を持っていませんでした。もちろん知らなくても生きていくことは可能でしょうが、「博士」に期待されているのは研究能力だけではなく、そうした一般常識も含まれているはずです。21年間も勉強しているのですから当たり前、というのが世間的な評価だと思います。

そして、それらをきちんと理解していれば、博士であるということがどういうことなのかというのも自ずからわかってくるはずです。ただ博士なだけでは意味はない、ということも当たり前の話で、人に言われて「え?そうだったの??」というのでは、こちらも「はぁ。あなたは役に立たない博士なのですね」という感じです。

ただ、大学における高等教育のカリキュラムの中でこれらの講義が欠落しているとすれば、それはサービス提供者としての大学の機能不全だと思います。そんな大学に行ってしまう方が悪い、ということかも知れません。僕は大学のカリキュラムを俯瞰的に見たことがないので、現状がどうなのかは知りませんが。

そして、こういったことをきちんと理解している博士達は、僕の周りでもしかるべきところできちんと働いています。博士の全てが余っているわけではありません。逆に、「社会が求めている博士」はまだまだ不足しているのが現状だと思います。例えば僕が理研にいたとき、事務方では常に「博士が欲しい」という話をしていました。それが人事部で現在も考えていることなのかどうかは知りませんが、理研の現在の人事部には部長を含め知り合いが数人いますので、そのうち実情を聞いてみたいと思います。

ちなみに、「社会が求める博士像」とは別に、「社会が求める分野」という切り口もあって、大学側がニーズのない分野に人材を供給してしまっているという現実もあります。これはちょっと古い資料になりますが、2005年に川合塾・三菱総合研究所が実施した「産業界ニーズと大学教育カリキュラムのミスマッチ分析」という調査が参考になると思います(お金を出したのは経済産業省大学連携推進課)。この資料を見ると、大学側がいかに産業界ニーズを踏まえた商品開発(カリキュラム開発)を実施していないかが分かります。

>博士の数が多すぎた場合、その失敗は政策を担当している政府の責任であることは自明だと思います。

政策的に煽った文科省の責任が皆無だとは言いませんし、問題が小さなことだとも思いませんが、じゃぁその解決が日本にとって非常にプライオリティの高い問題かと言われると、僕はやや疑問に思います。また、それを指摘しても、今困っている人たちを救済できる可能性は小さいと思います。

>ポスドクをすることは得か損か、などいうことを正しく判断できるような「スゴイ人」ならば

これって、「スゴイ人」ですか?「正しく」はともかくとして、おおよそのところまで考えられるのは最低限のことだと思います。

>私は、100人に1人もいるかどうかあやしいと思っています。

だとすれば、そちらの教育の方が間違っているということだと思います。100人に1人しかいないという状態は正常ではありません。少なくとも僕が大学生だったとき、僕の周りの大学生達はこの位の能力はほとんどの学生が身につけていたと思います。なぜかと言えば、みんなでこういったことを良く話し合っていたからです。当時の僕のすぐそばにいた人間達は、今は旭硝子、武田薬品、全日空、三井住友銀行、日本ガイシ、東大助教授、東工大助教授、と、みんなそれぞれの場所できちんと活躍しています。まぁ、中には僕のようにあっちでフラフラ、こっちでフラフラ、という人間もいますが、基本的に大学できちんと勉強して、将来を考え、そして今は社会に貢献しています。ただ、この中で博士後期課程まで行った人はほとんどいませんが。僕たちの当時の結論は、「博士になってもそれほど意味がない」というものでした。特にバイオ分野においてはこの性質が強いと考えていました。

>それが今の時代の学生にも適用されるというふうに思っているとしたら、現在の研究環境について無知すぎますし、知っていてそう言っているのなら詐欺的行為と言わざるを得ません。

全くその通りだと思います。

>そのことの必要性に気が付いていた人がほとんどいなかったというべきかもしれません。

しかし、僕が大学院生をやっていたころ(1990年代前半)ですら、「博士はつぶしがきかない」というのは常識でしたし、実際僕の大学(東工大)から博士課程に進む人はあまりいませんでした。それは、教授が「進学したらどうだ」と勧めても、です。僕自身も「博士課程で単に労働力として3年間を潰すのは馬鹿らしい」と考えて別の道に進みました。その後、博士の就職環境が一気に好転した、などという話は聞きません。なので、博士が大量生産されたときにそれが余るということが分からないというのは、それはそれでどうかと思います。まぁ、昔の話をほじくり返しても仕方がないのですが。

>これから博士課程に進学する人に対して「自己責任なのだから注意しなさいね」と言うのは正しいことかもしれないと思います

正しいというより、絶対に必要ですね。

>すでに博士をとってしまった人やポスドクの人に向かって「好きで進学したのだろうから、文句をいうな」という議論は必ずしも適切ではないことも多いことがわかると思います。

僕のスタンスは「文句を言うな」というよりは、「文句を言っても仕方がない」です。文科省に「お前達の責任だ」と言ったところで、政府全体がマイナスシーリングの状態で、さらに博士よりも弱者であると考えられている非正社員やフリーター、ニート対策が問題となっているのであれば、余剰博士対策に大量の資源が投入されるとは思えません(もちろん財務省の考え次第ですから、どうなるかはわかりませんが)。

じゃぁ、どうしたら良いのか。ビジネスサイドに立てば、例えば、それだけ博士が余っている、しかも博士に人脈がある、博士の気持ちも分かる、というのなら、「ドクター・バンク」みたいなものを設立して儲ければどうかと考えるわけですね。この手のヘッドハンティングは就職した人の年収の30%を受け取るのが相場ですから、年間10人も企業に紹介すれば人一人は余裕で食べていけます。「誰かやれば儲かるんじゃないの?」と思いますし、誰かやりたい人がいるなら協力は惜しみませんが、「そんな才覚はない」「協力してもらってもやっていける自信はない」というのでは、「はぁ、そうですか」としか言いようがありません。

>Winnerこそが社会のセーフティネットを作る義務を持ったエリートになってもらいたいと思います。

こういう考え方を否定する気は全然ありませんが、そういう人の登場を待っているのもどうかと思います。役所がなんとかしてくれ、勝者がなんとかしてくれ、じゃなくて、自分でなんとかしなくては、と思います。鳥かごの中の小鳥じゃないんですから、「餌をもらえませんでした。だから餓死しました」なんてことになる前に自分で何とかしなくちゃ、じゃないでしょうか。これって、強者の論理でしょうか?仮にそうだとしても、それが資本主義社会だと僕は思いますし、日本はすでにドイツ、フランス、英国などと同様、米国型の市場原理主義に舵を切りつつありますから、たとえ博士であってもその波からは逃れられないと思います。

もちろん、アイデアを出して、そうやって困っている人をなんとかしていけるような会社を作れないか、というビジネスの話であれば、「じゃぁ、協力しましょうか?」ということになるのですが、「国が何とかしろ」「金持ちが何とかしろ」では、先に弱者が行き倒れてしまうと思います。国も金持ちも、フットワークは決して軽くないですから。

とにもかくにも、日本はこれまで看板とか肩書きが大事で、それがあれば何らかの組織に所属できて、その組織の庇護があれば生活は安泰、という社会でした。何か不都合なことがあれば文句を言う、告発する、それによって組織の居心地を良くする社会で、組織から出て行く、という考え方は一般的ではありませんでした。しかし、これからは違います。何か不満があれば組織から出て行くだけですし、それで困るなら組織の側が引き止めるために対策を考えなくてはいけない。もちろん出て行く側は出て行く側で次の組織を探してくるだけの能力を常に身につけていなくてはいけないことになります。「組織に所属し、所属し続ける社会」から、「組織に参加し、組織から出て行く社会」に変容しつつあるわけです。そうしたパラダイムシフトの中で、博士(だけに限りませんが)に何が求められているかは博士自身が考えなくてはならないし、それが今となっては手遅れ、という人は、博士であることにこだわっている場合ではないと、僕は思います。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/buu2/50360861
この記事へのトラックバック
 ブログでバイオ 第30回 「今の博士、これからの博士に求められるもの」で、研究者は足りないという話が出ていますが、私も講演などでこの話をしますので、ここにまとめてみます。  図は、文部科学省の人材委員会の多様化する若手研究人材のキャリアパスについて(検
[ポスドク問題]研究者は実は不足している?【科学政策ニュースクリップ】at 2007年08月14日 07:45
現在,第30回まで進んでいました. buu*さんの書かれていること,至極正論だと感じます. 取り急ぎ,参戦しているほどの時間がないのでリンク集のみ. 第30回「今の博士、これからの博士に求められるもの」 第29回「博士と自己責任論」 第28回「学位の価値を過大評価...
帰ってきたブログでバイオ リンク集です【Science Communication Blog】at 2007年08月15日 12:37
この記事へのコメント
企業の研究所にいたものです。博士を取ったときの教育係みたいな役割もやってました。「資本主義社会の常識」と言われている件、その他をしつけるのも役目でした。

たいていの人は、そんな部分は1月もしたら「卒業」しましたよ。本当に使えるかどうかは、その人の資質次第でしたね。その資質は、博士論文の質に大体忠実に反映されてました。さらに本音いうと、卒業大学(学部のほう)のブランドと、本人の資質との相関が非常に強かったです。
Posted by ちょっとちがう気が at 2007年08月13日 15:22
>んな部分は1月もしたら「卒業」しました

本当ですか?下のエントリーにも書きましたが、
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50356373.html

日本人の95%ぐらいは資本主義社会の常識を分かっていないと思うのですが。

>本当に使えるかどうかは、その人の資質次第でしたね。

これはその通りだと思います。

>卒業大学(学部のほう)のブランドと、本人の資質との相関が非常に強かった

ここはなんともいえません。うちの会社は履歴書を要求しないので。
Posted by buu* at 2007年08月13日 15:34
>本当ですか?下のエントリーにも書きましたが、
>日本人の95%ぐらいは資本主義社会の常識を分かっていないと思うのですが。


日本人の95%がわかってない「資本主義社会の常識」、というのがあれば、それは「日本で現に行われてる資本主義」以外の何ものかの話で、博士、学卒とかの常識非常識とは別の話ですよね。

私の書いたのは、言うまでもなく「博士の教育が偏ってて、その結果博士に常識が無い」という部分は、短期のしつけですぐに「普通並みに」なった、との話です。

Posted by ちょっとちがう気が at 2007年08月13日 16:00
>博士、学卒とかの常識非常識とは別の話

いえ、そんなことはないです。上に書いたエントリーはちゃんと読んでいただけましたか?95%の日本人が分かっていない方がおかしい話で、そちらにあわせる必要は皆無です。日本が鎖国しないのであれば、米国型の市場原理主義に関する知識は絶対に必要です(賛同する、しないに関わらず)。

>「普通並みに」

「普通並み」などでは意味はないというのが僕の考えです。博士という肩書きそれ一本で食べていける人は稀で、ダブルメジャーはもちろん、一般的な常識においても高いものがないと駄目だ、ということです。「博士」という肩書きにはもうほとんど意味がないんですから。
Posted by buu* at 2007年08月13日 18:42
あ、そういう意味ですか。

>いえ、そんなことはないです。上に書いたエントリーはちゃんと読んでいただけましたか?
もちろん、読んでません。

>日本が鎖国しないのであれば、米国型の市場原理主義に関する知識は絶対に必要です
Ha.Quite a rant! ご苦労様です。
Posted by ちょっと違う気が at 2007年08月13日 18:53
諸説ごもっとも。

「博士」とは何なのか、と問われれば、分野を問わず、「物事を探求することを目的とし、基礎的な知識があり、目的のための仮説を立て、それを実証するための手法を検討し、実際にそれを行い、結果を評価し、仮説の成否を検証することができる」という人だと考えます。

こうした能力がある人であれば「なぜ自分が職にあぶれているのか」も検証できるはずです。余っている博士には、余っているだけの理由があるはずです。そういう博士を量産してしまった大学にはもちろん非がありますが、そういう大学においても間違いなく「本当の博士」は輩出されているわけで、結局のところは個人の資質に帰結されると考えます。

博士課程に行けばほぼ間違いなく学位が取れる、という現況においては、博士という肩書きにほとんど価値がないことは自明です。
Posted by angel at 2007年08月14日 04:10
この話を見て思ったことがあります。金融では、金融工学や一部の情報工学の博士は厚遇で迎えています。この分野は失礼ながら人類の英知を高めているというよりも資本主義を高める学問のような気がします。
議論が平行なのは、資本主義に役立つ学問(半導体や創薬や金融工学など)と人類の英知(素粒子の発見や人類の起源、考古学など)が一緒にかたられているのが問題だと思います。後者(英知)であれば政府や一部の金持ちが援助していくべきで資本主義の基礎などは知らなくてもいいのではないかと思います。
ただそのような人類の英知以外の研究は資本主義を導入したほうがいいし、博士もその感覚がないといけないと思います。
現在の博士課程のひとは人類の英知だと勘違いして、政府が守るべきと逃げているような気がします。
Posted by 東工大卒金融マン at 2007年08月15日 00:22
>angelさま

>博士という肩書きにほとんど価値がない

個人的には、これなんだと思っています。大した価値がない、ということを受け入れられるかどうか、ということです。大した価値がないと自覚すれば、自分を売るためにどうしたら良いかを考えることができますが、価値があると信じているうちはそこから脱することができません。

今の日本はまだ「東大卒」ぐらいは価値がある部分が少なからずありますが、少なくとも「博士」には価値がないと思います。
Posted by buu* at 2007年08月15日 01:10
>東工大卒金融マンさま

>資本主義に役立つ学問(半導体や創薬や金融工学など)と人類の英知(素粒子の発見や人類の起源、考古学など)が一緒にかたられている

うーーん、ただ、バイオに限ると、資本主義の役に立つものがノーベル賞を取る、という状態になりつつあります。まぁ、これは真理がそのままお金になってしまう、と言う事なのかも知れず、ニワトリと卵なのですが。

でも、政府に頼るのはお門違い、と言う部分についてはほぼ同意します。
Posted by buu* at 2007年08月15日 01:24
博士号に価値がないのには同意です。博士課程には「博士」の能力を引き出すチャンスはあっても、実際にそれが身に付いたことを検証するステップが含まれていません。たいていは論文を一本出せば取得することが出来ます。特に生物系では論文を出すのは「博士」の能力がなくてもできます。論文博士などは過程で教育を受けなくても、審査量を払えば取得できます。これは博士号が教育とは縁遠いものであることを端的に示しています。つまり博士号とは大学が販売する商品ですが、それがいかに無価値であるかは、ポストポスドクたちが身をもって証明しています。もはや大学院は研究成果を出す以外に存在意義はないでしょう(5号館でこれを言うといつも沈黙されてしまいますが・・・・)。
Posted by A at 2007年08月15日 11:02
それと、ポストポスドク問題の解決ですが、ポスドク以外の人間がビジネスとしてやるのがベストだと思いますね。こう言った内容ならば、NPOなどの形で法人格も取れると思いますし、何かと有利です。今の派遣業を見ると、この手の斡旋業もやり方次第ではかなり儲かると思います。別にNPOだから高給をもらってはいけないというルールはありませんし、私も自分で始めても良いかと考え始めています。ひとつ懸念される問題は、ポスドクという人種は、自分が搾取されていることには敏感で、(それが正当な額であっても)仲介料などに関してはかなり反発が予想されることでしょうか。
Posted by A at 2007年08月15日 11:02
>博士号とは大学が販売する商品ですが

全くその通りですね。

>それがいかに無価値であるか

僕もほとんど価値はないと思います。時々「この壺は良い壺ですよ」とか、「この鍋は良い鍋ですよ」とか言われて買っているのだけれど、第三者から見ると大して価値がないことがありますが、これと似ていると思います。壺などは信じれば救われることもあるかもしれませんが、博士号は信じても就職できないので救われません。

ただ、博士号に価値があるなんて、誰も言ってないような気もするのです。僕が知る限りでは「末は博士か大臣か」という言葉くらいなのですが、まさか博士と大臣が同格だと本気で考えている人はいませんよね?
Posted by buu* at 2007年08月15日 14:48
>NPOなどの形で法人格も取れると思いますし、何かと有利です。

うーーん、僕はNPOに所属したことも作ったこともないのでなんともいえないのですが、どうもNPOというスタイルが好みではないので、株式会社やLLPあたりでやるのなら協力するのですが、NPOだったらやらないかな。

>私も自分で始めても良いかと考え始めています。

おお、是非(^^

>仲介料などに関してはかなり反発が予想される

えーー、そうなんですか?全く理解できませんね(^^;

僕がちょっと懸念するのは、博士本人ではなく、周囲の影響です。折角あっ旋しても、家族や親戚から「折角博士まで取って、なぜそんなところに就職するんだ」みたいに言われる状況が容易に想像されます。
Posted by buu* at 2007年08月15日 14:54
NPOと言ったのは、政府などの助成金が獲得しやすいかなという理由だったので、特に大きなこだわりはありません。

>LLP??

と思ったので調べてみました。日本でもこの制度が導入されていたんですね。ずいぶんと日本を離れて久しいので知りませんでした。確かに、すぐに作れて法人的な課税がないのと有限責任と言うのは良さそうです。ひとつ気になるのは内部自治原則ですか。みんなが気持ち良くやっているうちは良いですが、ダメになると何も意思決定が進まないをいう泥沼になりそうなので、少人数で、目的を簡潔にはっきり設定することで意思の統一を取ると言うことが肝要かと思います。
Posted by A at 2007年08月17日 12:46
反発に関しては、一度苦しい目にあってアカデミアを諦めた人や、家族がいてとにかく仕事が欲しいという人は、企業に就職が決まると喜ぶのですが、まだ未練がある人は、求人を紹介しても、大学の準教授や教授の給料と比べて安いとか、将来の安定性が不明とか、独立したポジションでなければ興味がないなどと、とぼけたことを抜かしてくれます。

これで仲介料を30%取ると言ったら、「ふざけるな!お前は何もしていないくせに!だったらお前が就職してオレに30%払え!」とか訳の分からないことを言い出すことは請け合いです。実際仲介料無しでも何の感謝もありませんし。

結局自己分析が足りなくて、自分の適正価格を知らないだけなんだと思いますが、この手の事業をする上では、ポスドクの自己認識を促すことはかなり重要だと思います。
Posted by A at 2007年08月17日 13:01
>政府などの助成金が獲得しやすい

僕は以前補助金を配る側にいた人間なので、どうもその手のお金に頼るのが嫌いです。そういったお金に群がってくる人たちを沢山見てきているので(笑) もちろん、本当にそういうお金が必要で、それが将来の大きな発展につながるのであれば良いのですが、財団やらNPOやらというところはただ補助金を取ることが目的化している部分があると思います。

>言い出すことは請け合いです

仮定の話に仮定を積み重ねても仕方がないのですが、こんなことを言い出すようなら、「だから就職できないんだよ」ってことになりますね(^^;

「ポスドクは政策的に量産したんだから、一人残らず面倒見ろ」とかになるなら、僕もポスドクになります(笑)
Posted by buu* at 2007年08月17日 13:55