2007年08月16日

有期雇用と無期雇用

小泉政権の後期ぐらいから、勝ち組と負け組の格差について論じられることが増えてきた。負け組と書くとピンと来ないかもしれないから、「勝ち組」と「それ以外」とした方が良いかも知れない。社民党、共産党あたりはこの格差を一所懸命論じようとしているし、最近は民主党の一部ですら格差を問題視している節があるが、格差拡大が問題視されることの方が問題だと思う。このブログでは再三書いているとおり、僕は、下に対してセーフティネットを用意することを否定しないが、上に対して仮想シーリングのようなものを設定するのはいかがなものかと考えている。そもそも、デキる奴と、デキない奴に格差があるのは当たり前である。メジャーリーグでバンバン勝ち星を挙げる人間と、日本の球団の二軍で泣かず飛ばずの人間が同じ待遇だったらそちらの方が資本主義として異常である。そもそも資本主義とは持つものと持たざるものを肯定するところから始まっているのだし、混合経済から新自由主義への舵取りが格差拡大につながるというのも前もって知られていたことのはずである。僕はバイオの人間だから、経済の話は表層的にしか理解していないが、それでもこの程度のことは理解しているつもりだ。

僕は日本の格差は大したことがないと思っているし(あくまでも上下の相対的な差について、である)、日本の場合はもっと広がっても良いとも思っているが、問題点もあると思っている。それは、多くのケースでデキる奴は過剰に権利を持っているという点である。そして、過剰な権利の代表は終身雇用である。先日の参議院議員選挙においても、正社員と非正社員の格差について論じられる機会があったようだが、年功序列を良しとし、能力主義、成果主義の導入に失敗する企業が相次ぐ日本では、格差の拡大と有期雇用・無期雇用の問題は切っても切れない関係にある。

そもそも、正社員と非正社員の違いを法律的に明確に把握している人はあまりいないようだ。先日もある社長の集まりでこういった議論をしたのだが、中には「複数の会社の正社員にはなれない」といった間違った認識の社長さんもいた。正社員と非正社員の違いは、「有期雇用か、無期雇用か」だけである。ここにスタートラインを置くと、正社員、非正社員という言葉自体が不適切な気もしてくるので、以下、有期雇用、無期雇用という言葉を使って考えてみる。

本来、組織の中での有期雇用社員と無期雇用社員の位置づけはどうあるべきか、ということをざっくり考えてみると、「普通の人は終身雇用。給料は安いけれど、一生安心して働ける」「デキる人は有期雇用。自分の力でどんどん職場を変え、自分の能力を常にアップさせるとともに実力で勝負する」となるべきではないか。リスクとバーターの高収入であれば、すんなりと受け入れられる人も多いのではないかと想像する。ところが日本では(これは日本に限らず、かも知れないが、経済の専門家ではないので不明)「デキる人は無期雇用。しかも高給」であり、「その他の人もある程度の割合は無期雇用」で、そして最近は「さらにその他の人は有期雇用。低賃金」ということになっているようだ。勝ち組はリスクもない、収入はある、既得権は手放さない、というのでは格差の固定化にもつながる。僕のスタンスは「格差はあっても構わないが、格差が固定化するのは望ましくない」というものだ。

終身雇用制のメリット、デメリットはここで改めて論じる必要もないと思うのだけれど、例えば「大学は良いところを出ていたし、就職活動の頃は優秀だったけれども、組織に在籍している間に堕落してしまい、今はお荷物」という状態になっていたとしてもクビに出来ない、しかも高給取り、という状態が発生してしまうリスク、これがデメリットの代表例だろう。僕は大企業も公務員もやったことがあるので内部からこうした事例を腐るほど見て来ている。しかし、日本の雇用習慣はこうしたデメリットを内包しつつも、安定して生涯勤務し続けることができる今の制度を支持し続けているようだ。結果として卒業大学などの「看板」が重視され、その看板が看板倒れになっていてもなかなか改善ができない状況が続いている。一部の看板(教員免許とか)については見直しが検討されつつあるようだが、既得権者が大多数を占める日本ではこうした動きは遅々としている。そして、これは雇用の流動化を阻害している大きな要因である。

本気で雇用を流動化し、社会を活性化させていくためには、「有期雇用」の質と割合を変えていくべきである。この質と割合が何を意味するかと言えば、有期雇用は高額所得者にこそ適応されるべきである、ということだ。これは数ヶ月前に議論されたホワイトカラーイグゼンプションにも通じるところがあるのだが、例えば年収1000万円を越えているような人たちは無期雇用で守られている必要は皆無である。そういった人たちは毎年(あるいは複数年で)年俸交渉を行う有期雇用で十分ではないか。

今働いている人、それも40代後半以上の人は年功序列のオイシイ部分が出てくる頃なので、こうした意見には恐らく真っ向から反対する人が多いと思うのだが、同一労働同一賃金の原則を実現するためにも必要な考え方だと思う。

まず最初に見直しが必要なのは退職金に関わる税制優遇措置である。税制調査会では平成17年ぐらいから議論されているようだが、残念ながら19年度の税制改革では先送りされてしまっているようだ。
http://www.cao.go.jp/zeicho/siryou/pdf/c4kai4-6.pdf

国の制度自体が年功序列を維持することを支持しているのでは、いつまで経っても状況は変わらない。最初の一歩はこことホワイトカラーイグゼンプションあたりじゃないかと思っている。

国の活力がなぜ失われているのか。この原因は色々あるのだと思うが、僕はその一つに、既得権者、それも少なくない数の既得権者達が組織に居座り続けている現実があると思う。これは、公務員にしても、大企業にしても、であるが、一番分かりやすいのは公務員の身分保障だろう。そのあおりを受けて次の世代の人たちが職にあぶれてしまうというのでは困った話である。組織に対して相応の貢献をしているのであれば、有期雇用であってもなんら困ることはないはずで、その結果現状よりもさらに高収入が期待できるのであれば、「本当にデキる奴」ならもろ手を挙げて喜ぶはずである。現状でも、そういった人種はもちろん存在するが、彼らは日本とは違う企業体質の外資系企業に流出しているようだ。これが日本の企業の活力低下につながらないはずがない。最も優秀な人材が海外に流出しているのは、野球やサッカーだけの話ではないのである。

もし高額所得者に対して有期雇用制度をどんどん導入した場合、企業サイドからすれば「社員の年俸が高騰して、人件費負担が深刻になったら困る」だろうし、従業員サイドからすれば「いつ首になるのかわからない状態では安心して働けない」ということになるかもしれない。昨日、桑田投手の戦力外通告のニュースが流れたが、有期雇用制度のデメリットは大リーグの球団状況を見ていれば良くわかる。球団は人件費を抑えることに一所懸命だし、選手は頻繁に首を切られ、「○○選手が今度はマイナー契約で××に移籍」みたいな話が伝わってくる。しかし、それでも秩序は間違いなく保たれているし、事業としても十分成立しているのである。また、外資系の企業においてもそれは同じである。

なぜこれができないのか。答えは簡単である。今、意思決定をするべき人たちが、こうしたシステムの中で偉くなってきた人たちではないからだ。こうしたシステムが導入されたとたんに社外に放り出されてしまうかもしれない。競争に慣れていないから、すぐに脱落して絶望してしまうかもしれない。別に今のままでもすぐに組織が駄目になるわけじゃないから、このままで良いや、ということかもしれない。確かに急性肝炎で何か処置をしないと、と言う状態ではないが、糖尿病と高血圧を併発して徐々に弱りつつある、という状態なのは間違いないと思う。

また、この有期雇用制度は公務員や大企業などの体力がある組織と、僕が経営しているような中小企業では様相が異なることになる。特にベンチャーと称される部類の会社は、どこも大きな事業リスクを抱えて経営している。そうした中で「無期雇用を増やせ」と言われても、経営者としては簡単に同意できない。人件費は企業にとって最も大きな固定費である。その時に、「給料は多く出すが、その代わりに有期雇用・能力主義で」というオファーを出せることは非常に有効である。実際、今のうちの会社はこうした形態に非常に近い。例えばライブログにおいては、「将来は全く保障できません。あなたの雇用も、仕事も保障できません。仕事は全部自分で作っていく必要があります。なので、自分で次の仕事(=職、会社)をいつでも見つけられないと困りますし、仕事を与えられるのを待っているのではなく、自分で仕事を作る能力も要求されます。その代わり、給料は普通よりかなり良いです。『この会社がいつ潰れても自分はなんとかやっていける』ということなら是非どうぞ」という姿勢を貫いている。公務員や大企業はベンチャーではないのでこうした方針を全ての社員に適用するのは無理だろうが、2種類の職制を用意することは可能だと思う。例えば国家公務員であれば、I種については全て任期制(2〜5年程度)とする、といった方策があり得ると思う。

ここら辺でまとめに入るが、まず、組織には

1.給料が高い有期雇用
2.給料は比較的安いが安定して働ける無期雇用

の二つの職制が必要ではないか、ということである。どちらを選ぶかは社員に任せれば良い。自分の能力に自信があるなら有期雇用でバリバリやれば良いし、そういった馬力がないなら、収入は決して多くないけれど、安定して暮らしていける無期雇用を選べば良い。どちらを選ぶかは個人の選択なのだから、給与に格差が生じても文句は出ないはずである。1と2の割合は組織によって異なるはずだが、例えばうちの会社などなら1を大部分にすると思う。

#実際は、僕が大学生のころは後者を期待する人は公務員になっていた。公務員の給与平均はあまり上下しないので、社会の景気に相対して比較される。今は景気が悪かったり、低賃金の人が多かったりする社会なので、相対的に公務員のステータスは高い。しかし、バブルの頃は「公務員なんて、なんでなるの?」という社会だった。

なお、二つの職制のミックスに加えて、日本においては同一労働同一賃金の徹底も必要だと思う。これは同じ組織において、課長がコピーを取ったら時給5000円で、アルバイトがコピーを取ったら1000円というのはおかしいだろう、ということである。そもそも課長はコピーなど取るべきではない。ところが、「どうせ管理職は残業がないんだから、コピーでも何でもやれ」ということになる。コピーを取るのは勝手だが、それなら給料は安くなりますよ、という姿勢がなければ、管理職には労働の負荷がかかり、アルバイト(低賃金の有期雇用者)の雇用は減少してしまう。

つまり、同一の労働を提供した場合に、有期雇用者に対しては高い給料を、無期雇用者に対しては安い給料を支払うべきだ、ということである。

これによって企業サイドは今よりも労働者に対して力を持つことになるだろうが、その対象はあくまでも「凄くデキる奴」や「結構デキる奴」である。世界的な流れを見ても有期雇用の濫用は決して好ましくないと思うのだが、弱者にばかりしわ寄せが行くのもどうかと思う。デキる奴はバリバリ頑張って、そうでない人はそれなりに頑張りましょう、ということなら、少なくとも今よりは良い社会になると思うのだが、そんなことはないのだろうか?

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この記事へのコメント
理研のフロンティアというのが出来たとき、出来る人を高給で任期5年で雇う、ということをしましたが、給料が安いけれど任期のない大学助手の口があったら優秀な人がそちらに行ってしまったのを見ました。給料増額も中途半端じゃダメで、倍以上給料を出さないと任期つきではやれないように思います。病気になったり、家族の事情でバリバリやれなくなる不安もありますし。
Posted by 元研究員 at 2007年08月18日 01:48