2007年08月20日

ブログでバイオ 第32回 「変わるべきは、大学と学生(含むポスドク)」

31回のJun Seita's Webさんの「ブログでバイオ 第31回 「ポスドク問題はミクロとマクロに分けて考えるべき」」というエントリーでは簡潔に一つの考え方が示されていて、特に反論するところもありません。というか、全くその通りだと思います。

例えば僕だって、大学院出て、それなりのキャリアを積んで、現在にいたるわけだけど、別に今良い暮らしをしているわけじゃありません。だからって、「独立させた社会が悪いんだから、何とかしてください」なんて言いません。全部自己責任ですから。

僕の周りには同じように安定を捨てて苦労している人が山ほどいます。みんな生活がかかっているから、「お上が何とかしてくれるまで待ってます」なんて絶対に言いません。

で、「それはお前の周りにいる奴がデキる奴らばかりだから」と言われてしまったら、もうそこで議論は終了です。僕の周りにいるのはデキる奴らばかりで、それ以外のところにはデキない奴らが沢山いるのかもしれません。でも、そのデキない奴らが何をしているのか、残念ながら僕には見えてこないんですね。だって、デキる奴らはどんどん自分で動くから、目に入ってくるんです。結局のところ、デキるかデキないかは、自分で動けるのか動けないのか、ということではないですか?


5号館のつぶやきさんが「労働問題としてのポスドク問題」というエントリーにおいて次のようなことを書かれていますが、

博士・ポスドク全員が就職するまで、この問題は終わらないと思っています。


これを実現するための一番手っ取り早い方法は、社民党か共産党に票を入れて、日本を名実共に社会主義国家にすることだと思います。そして、かなりの確度で、そんな日本はやってこないと思います。もし職にあぶれているポスドク達が、「もしかしたら国が助けてくれるかもしれない」と思っているとしたら、まずその望みを捨てた方が良いと思います。仮に国がある程度の援助をしたとしても、それは当然ながら、デキない人たちの中にあってもデキる部類の人たちからです。

ストレートに言ってしまうと、博士である以外に何もない、ただ修士課程を修了し、後期博士課程の面接試験に受かっただけの人間かもしれない人の就職の面倒をなぜ公的に見なくてはならないのかがわかりません。もちろん博士課程に進学する際に、「就職は絶対に保障します」という約束が国との間にあったのなら話は別ですが。確かに、「博士になってもろくなことがない」ということが周知され、博士課程に進む人が少なくなる可能性は少なからずあると思います。しかし、その原因はどこにあるかって、役に立たない博士しか作ってこなかった大学に問題があるわけで、そういうところに追い込まれて初めて大学は「役に立つ博士を育成しよう」ということになるはずです。そういった、「正常かつ安定した状態」を生み出すための、今は過渡期にあるのではないですか?

現状の打破のために博士・ポスドクが認識しなくてはいけない点は次の二つだと思います。

1.博士という看板は何の役にも立たない(少なくとも運転免許ほども役には立たない)
2.国は面倒を見てくれない

その上で、自分で何とかしなくてはならないと覚悟を決めないと駄目だと思います。

国が援助すべきかどうか、という部分については、議論しても結論が出ないというか、「援助すべき」という人は一般人にそれを主張しても仕方なくて、文科省や財務省、あるいは政治家に主張すべきだよな、とも思います。もちろん、なんらかの制度的な支援はありだと思いますし(例えば、数ヶ月のインターンシップとか。これも、すでにリバネスなどではやっているわけですが)、すでに文科省は今年度の予算要求でこの手のことを計画しているようです(この手の話はかなり厚労省寄りの話で、文科省としては力を入れたいところでもあるわけです。要は予算の取り合いなので、他省庁の縄張りに入っていくような予算は大好きです。僕は経産省時代、人材育成の予算を取ってきたわけですが、これも厚労省分野の話だったので、経産省は力を入れていました)。

すでにアカデミアにいる人たちは、今の人たちが過去の自分達と同じようなことをやっているにも関わらず、自分達は普通に食べていけているのに、今の人たちは食べていけないということで、後ろめたさがあるのかもしれませんが、こういうのは時代の流れで仕方のない話です。一昔前には炭鉱夫は日本で一番お金を持っている部類の人たちでしたが、今は一番お金に困っている部類の人たちです。他にも繊維産業など、斜陽産業は枚挙に暇がありません。どうしても助けたいと思うなら、自分のポストをポスドクに明け渡せば良いわけですが、もちろん自分が可愛いでしょうからそんなことをする気もないでしょうし、別にそうすべきだとも思いません。

結局のところ、研究の場も競争の場となったわけで、しかもそれは意図的に競争原理を導入したはずです。競争によって、研究の質が高まるという判断ですね。なので、競争に負けた人は、負けたなりの生き方を見つけなくては仕方ないというのが僕の考えです。競争がイヤだ、という人ももちろんいると思いますが、残念ながら中国やロシアも含め、世界中ほとんどの国では競争を肯定する社会になっています。と、突き詰めていくと、小学校の運動会で順位をつけるのは良くないとか言い出すわけのわからない平等主義、平和主義に行き着いてしまうわけですが、残念ながら、競争を否定する考え方は、もう古い、ということだと思います。負けた人にはセーフティネット、ということでしょう。

基本的に産業界は産業界で市場原理のもと、構造改革が進むはずです。意図的に変わらなくてはならないのは、大学と、学生でしょう。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/buu2/50362499
この記事へのコメント
まあ全くその通りですが、なんというか、身も蓋もないような。。。

まあいずれにしろ、これまでどちらかと言えばネット限定だったこの問題が、テレビや新聞等のメインストリームなメディアで取り上げられ始めたので、遅まきながら大学や文科省でも、なんか始めそうな勢いですね。

学問の世界も、ベチャービジネスの世界も、仮借ないダーウィン的優勝劣敗の世界だ、という認識を大衆化した大学院生にわかってもらうのは、大変そうですね。すぐ就職するの嫌だし、大学院いけば楽して高給で就職、なんて平気で公言してますからね、近頃の子供達は。
Posted by 白紙 at 2007年08月22日 00:14
>身も蓋もないような。。。

はい。実も蓋もないんです。でも、そういう事実をきちんと理解しないことには、スタートラインに立てないと思います。日本人は駄目なものに駄目と突きつけることをためらいがちですが、現実から目をそむけて先送りし続けても解決には至りません。もうこのあたりで「駄目なんですよ」と突きつけてあげる必要があるし、物理的にも終着駅に近いと思います。

>すぐ就職するの嫌だし、大学院いけば楽して高給で就職、なんて平気で公言してますから

そういう人間を置いて、さらに学位まで与えている大学にも問題があるわけです。そんなことをやっているから、学位の価値がなくなってしまったわけで。
Posted by buu* at 2007年08月22日 01:27
リバネスがやっているインターンシップはまさにこれですね!
博士のインターンシップ。
次の33回は僕が書こうかな。しばしおまちを!
Posted by maru at 2007年08月23日 18:20
このブログの趣旨とは多少異なるかもしれませんが、少しお伺いしたい事があります。博士と一言で言っても、その能力は人によって大きく異なり、ピンからキリまで様々です。ここでの議論は主に、ピンの部類に入る人達を除いた、その他多数の博士(キリを含めた)を対象にした議論になっているように思います。日本における、能力的には「ピン」に属する博士のキャリアパスについてはどのようにお考えでしょうか?
Posted by U at 2007年09月02日 13:54
「研究の場も競争の場になった」とおっしゃられていますが、優劣を決定する客観的なルールと、そのルールに基づいて公正に評価するシステムが、競争の場には必要と思います。アカデミックでの科学研究の場合はどうでしょうか? 例えば、競争的研究費の獲得の場合、客観的なルールと公正な評価システムが存在しているのでしょうか? 研究費を出す側が、科学的なコンテンツを評価する能力を持たず、申請者の「名前」とpublication listで評価するようなシステムであれば、それは競争と言えるのでしょうか? 科学的な能力を磨くよりも、名前の通った大物研究者にすり寄ったり、不正まがいの事をしてでもpublication listの見栄えを良くする事の方が、競争を勝ち抜く上で有効だとしたら、これは公正な評価システムに基づいていると言えるのでしょうか? 科学の進歩を促進するのでしょうか?
Posted by U at 2007年09月02日 13:59
企業での研究開発の場合は、「市場主義」というルールに基づいた、比較的公正な評価システムかもしれません。しかし、開発された商品の質よりも、市場を誘導する事の方が、利益に結びつくような状況が存在する場合は、市場主義は開発された商品の質を正しく反映しないかもしれません。巷で「似非科学」といわれているような商品でも、うまく宣伝して売れてしまえば、「勝ち」ということになりかねません。抗腫瘍効果が明らかでない、「似非」抗がん剤が、製薬企業のロビー活動によりヒット商品となったことも、20年ほど前にあったと思います。このようなケースでは、「売れた」=「優れた商品」という図式は当てはまりません。
Posted by U at 2007年09月02日 14:00
第30回のコメント欄で少し話題になっていましたが、ノーベル医学生理学賞は、資本主義に役立つ(市場主義で高い評価を得た)研究に与えられるものではなく、医療や生物学の進歩に貢献した研究に与えられるものであり、そのような研究は、結果として市場で評価される商品に反映されるということではないでしょうか?

アカデミックあるいは企業の研究職でキャリアを展開しようとする、「ピン」に属する博士達にとって、彼らを評価するシステムは極めて重要と考えます。日本での研究の場においては、ある程度公正で有効な評価システムの構築が困難なのであれば、そこに競争原理は導入できないのでは、と考えます。「ピン」に属する博士達が、どんどん欧米に流出してしまうのではないかと、少々心配です。
Posted by U at 2007年09月02日 14:03
色々な立場でバイオ業界にかかわってこられたbuuさんから見て、何かご意見あれば、伺いたいと思います。

ちなみに、博士の自己責任については、まったくおっしゃられる通りと思います。国益を考えるのであれば、「キリ」の博士ではなく、「ピン」の博士に関して、国は何らかの方策を考えた方がよいように思います。
Posted by U at 2007年09月02日 14:05
>Uさま

すごい長くなったので、ブログでバイオの33回で書いておきました(^^;
Posted by buu* at 2007年09月05日 17:04