2007年08月26日

勝負に関する報道

谷(旧姓田村)亮子氏が日本の柔道人気をかなりの部分まで支えていたことは否定しないのだけれど、彼女がやや衰えを見せた今も、新聞の見出しは「谷、破れる」というトーンである。挙句、谷を破った福見友子選手が9月の世界選手権(リオデジャネイロ)代表に選出されなかったりまですると、クェスチョンマークが頭の周りをぐるぐるまわりだすどころの騒ぎではない。

昨日は、ビーチバレーの報道でこんな見出しである。

「浅尾、西堀組は3位 優勝は楠原、佐伯組=ビーチバレー・マーメイドカップ」
出典はこちら

ビーチバレーも浅尾氏とセットになって売り出されているところを見るとそもそもは電通あたりがビーチバレーと浅尾氏に目をつけたところからスタートしているのかな、と思わないでもないし、だから民放の特集番組などで浅尾氏の特集をやったりするのは一向に構わないのだけれど、報道として優勝者よりも敗者が前に出る報道と言うのはいかがなものか。並列に報じるのであれば、あくまでも

「優勝は楠原、佐伯組=ビーチバレー・マーメイドカップ 浅尾、西堀組は3位」

であるべきだ。

似たようなケースとして以前将棋の里見女流を取り上げたこともあるのだけれど(参考:「レディースオープントーナメント決勝」「やっぱりね」)この国のメディアは勝負をする人間への敬意よりも、読者・視聴者に受けることを最重視するようだ。

いや、例えば高校野球のように、敗者はそこでサヨウナラ、勝者は後日また対戦、ということであれば、敗者にスポットライトを当てるのは構わないし、そうあったほうがメディアの姿勢として正しいのかも知れない。しかし、柔道で谷氏に注目すること、ビーチバレーで浅尾氏に注目すること、将棋で里見氏に注目することはそういったスタンスとは全く異なる。親団体としてもそうやって個に注目が集まることの延長線上に自分たちの組織の地位向上があると思って歓迎しているところもあるのだろうが、勝負をしている人間が勝利した背後にある努力を考えれば、報道はあくまでも勝者に焦点を合わせるべきだと思う。

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