2007年09月03日

サウス・バウンド

サウスバウンド 上 (1) (角川文庫 お 56-1)

サウスバウンド 下 (3) (角川文庫 お 56-2)

相変わらず埼玉と東京と横浜を行ったり来たりしているので、電車に乗っている時間がそこそこある。DSばっかりやっていたのだけれど、最近ちょっと読書欲が出てきたのでとりあえず奥田英朗の「サウス・バウンド」を読んでみた。

まず読んで思ったのは、中島みゆきの新譜(といっても、今となってはもう半年ぐらい前なわけだけど)を聞いたとき、もっと具体的には「宙船」を聞いたときと同じような感想なのだけれど、「この本を読んでも、共感できる日本人というのは実はほんのわずかだよな」ということ。作者はラスト近くで主人公に次のように語らせている。
警察や企業に楯突く一人の男を、痛快に感じ、面白がりはするものの、我が身に置き換えたりはしない。テレビの前の大人たちは、一度も戦ったことがないし、この先も戦う気はない。戦う人間を、安全な場所から見物し、したり顔で論評する。そして最後には冷笑する。それが父以外の、大多数の大人だ。


この言葉はこの本を読む読者自身にも向けられている。でも、多くの読者はそのあたりの皮肉にはあんまり気がつかないんだろう。あぁ、面白い本を読んだな、でおしまい。

僕は中島みゆきの新譜が出たときはその歌についてブログで全曲感想を書こうと思っていたのだけれど、この間の『ララバイSINGER』ではそれを見送った。なぜかといえば、「宙船」がたとえ高校野球の行進曲になろうとも、
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


という歌詞を、自分で漕いで行く立場で歌うことができる人間、自分の我が身に置き換えることのできる人間がどの程度いるのか、甚だ疑問だと思ったからである。「メロディが好き」「歌詞が好き」と、この曲を評価する人の考えはいくつかあると思うのだけれど、「一人で自分で自分の道を進んで行ける人間」がその中にどの程度いるのかといえば、僕はほとんどいないと思っている。そういう中で、この曲を論評しても意味がないよな、と思ったわけだ。

冒頭に書いたように、同じようなことをこの本を読んだあとにも感じた。しかしまぁ、こち亀の両さんや、ゴルゴ13に自分を置き換える人はいないわけで、その程度のものかもね、とも思う。

以下、いくつか「!」と思ったフレーズ。

嫉妬深くて極端な同質社会である日本には、誰かに犠牲になっていただいても、嫉妬しきれない、手の届かない存在が必要だと思います。それが皇室です。


日本の学校って人それぞれっていう考え方が通用しないから、やりにくくって


おれは、あんたらみたいな運動屋にはもうシンパシーを抱いていない。左翼運動が先細りして、活路を見出したのが環境と人権だ。つまり運動のための運動だ。ポスト冷戦以降、アメリカが必死になって敵を探しているのと同じ構造だろう


もしも疑問に感じたり、これはおかしいと思うようなことがあったら、それを忘れないでいてください。そして、大人になったとき、自分の頭で判断し、正義の側につける人間になってください


人の物を盗まない、騙さない、嫉妬しない、威張らない、悪に加担しない、そういうの、すべて守ってきたつもり。唯一常識から外れたことがあるとしたら、それは、世間と合わせなかったってことだけでしょう


これらのせりふを、さまざまな登場人物にさらっと言わせているところが楽しい(上の引用は同一人物が語っているものが一組だけあるけれど)。

ところで、この本は第一部と第二部がほぼ完全に独立した別の話になっている。第一部では親父はただのぐうたらで、主人公の学校生活が中心で進んでいく。一方の第二部は親父は北の国からの五郎さんみたいな感じでかなりの働き者になる。話も大人の世界がかなりの割合を占める。どちらが楽しいかと言われると主人公がご飯ばかり食べている前者だが、台詞に赤線を引いたのは後編の方が多い。

個人的なこの本の評価は☆3つ。それにしても奥田氏の書く文章のリズムが好きだ。こういう相性の良さを感じる作家はあまり見つけられない(東野圭吾、宮部みゆき、夏目漱石、宮本輝、野田秀樹、村上春樹、殊能将之、真保裕一くらい?)なので、これからもがんばって欲しい。

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