2007年10月28日

火星人モデルは間違っていた

「最近の若い者は」という言葉がいつの間にか自分の言葉になってしまった。

「最近の日本人は」と思うことが多々ある。先日エントリーを書いた日本の経済鎖国についての話も根っこは同じところにあるが、今の日本人のレベルは、民主国家を正常に運営するにはいささか低すぎる印象がある。

例えばつい先日の参議院議員選挙でも象徴的なことがあった。帰国以来の3年間で一度も選挙に行ってないことが衆人環視のもとで明らかになってしまった丸川珠代氏が当選してしまったことである。その間、第20回参議院議員選挙、第44回衆議院議員選挙、都知事選挙など、複数の重要な選挙があったにも関わらず、丸川氏は一度も投票に行っていなかったのである。このような候補を片山さつきは「誰にでも間違いはある」とかばったようだが、一度なら間違いでも、5回、6回と重なれば間違いではない。行き当たりばったりで立候補したのが見え見えの候補が当選してしまうというこの現実を前にすると、「結局有権者は政治のことなどは何も考えておらず、知名度とオネガイ選挙運動(名前の連呼、頭下げ、握手等々)に左右されてしまう」と思わざるを得ない。多くの国民にとって大事なことは政策論争や政治に対する姿勢ではなく、名前を聞いたことがあるかとか、お涙頂戴の演説をしたかとか(彼女は再三母子家庭で苦労したことをPRしていたけれど、本当にくだらない。こんな話に感動して投票した人がいたら笑ってしまう。あ、ちなみに僕も6歳のときに父親が白血病で病死して、母子家庭育ちですけどね。「苦労しました」なんて言いませんよ(爆))、そんなことの方がずっと重要なのに違いない。確かに苦労したかどうかは一つの指標ではあるけれども、その苦労をどうやって政治につなげるかが重要であって、今までそれを全くやってこなかった人に投票するというマインドが理解できない(あ、これも余談ですけど、僕は選挙権を持ってから以後、ほとんど全ての選挙で投票しています)。

彼女は選挙期間中、

「責任をもって現実と向き合うのなら、それは政権与党、自民党からしか出馬は考えられない」
「自民党の中でなければ絶対にできない」

などと、自民党が政権与党であることを最重視する発言を繰り返していたのだが、もし次の衆議院議員選挙で政権与党が民主党になってしまったらどうするつもりなんだろうと思わずにもいられない。まぁ、結果的に前言撤回となる可能性が高いけれども、どうでも良いか。とにかく、この参議院議員選挙の結果からも、「あぁ、日本はレベルが低い選挙をやっているんだな」というのが見て取れたわけである。

民主主義が衆愚にならないための方策のひとつが義務教育であり、この機能が損なわれてしまえば、民主国家は機能しないと言っても過言ではない。

権力を持つ人間にとってもっとも望ましい、御しやすい国民というのは、「適度に知恵があり、適度に馬鹿」な集団である。自分より知性を持った集団は権力を脅かすし、知恵のない人間は感情でのみ動き出すので、その行動を予測・制御できなくなる。国民のコントロールが非常にうまく行くと、一つの政党が半世紀もの間政権与党として君臨し続けることが可能になるのだが、当然、そのコントロールのさじ加減は難しく、ちょっとしたことでバランスが崩れてしまう。

では、今の日本はどういう状態になっているのか。僕は、日本はまともに民主主義が機能しないレベル、大衆のレベルが下の側に過剰に触れすぎて、衆愚に陥っていると思う。

衆愚の実態はどういうところで見ることができるのか。それを見る手段は色々あると思うのだが、比較的身近で、しかも現在進行形で見ることができるツールとしてミクシィを挙げることができる。ミクシィの中は、一応会員制という体裁を取っているため、参加者の多くは安心して感想やコメントを書いてしまう。パスワードによる管理がされており会員以外はアクセス不可能なところに書いた記事でも、実際にはバンバン2ちゃんねるなどに無断転載されたりしているのだけれど、多くの善良な利用者はそういった現実を知らないようである。おかげでかなりの部分まで「本音」が出てしまい、大衆の実際を把握することができる。近代化された人間には「知識」「想像力」「判断力」が要求されるというのが僕の考えなのだけれど、ミクシィの一部のコミュを観察すると、これらが失われてきていることが良くわかる。

では、なぜこうなってしまったのか。ひとつには、義務教育をコントロールする立場にある文部科学省が、「御しやすい国民にしようとして、必要以上にその知的レベルを下げてしまった」ということが挙げられる。もうひとつには、インターネットによる知識の蓄積により、「考えない人間」を量産してしまったことが挙げられる。前者についてはさすがに文科省も危機感を持ったのか、教育再生に動き出す様子なので、是非頑張って欲しいと思う。衆愚にならないための最低限のラインと言うのは知識の蓄積に伴って、間違いなくアップしている。例えば20年前にはインターネットに関する知識と言うものは必要なかったが、今はこれがプラスアルファの要素として、かつ少なくない地位を占めている。後者については我々の危機意識の問題である。普通にしていたらどんどん退化してしまうので、その現実をきちんと把握し、退化しないように意識して生活していく必要があるだろう。

梅田望夫さんあたりはネットに対して常にポジティブな立場を貫いて人気があるが、僕はそういうスタンスは取らない。ウェブ2.0は間違いなくネガティブな側面を持ち、そして、日本の衆愚化には少なからず影響を及ぼしていると思っている。

膨大な知識がグーグルとウィキペディア、各種ニュースサイト、そしてBBSに蓄えられたことにより、まず「記憶しない」人たちが増えた。教えて gooなどに頼るようになって考えなくなり、各種ブログで有名ブロガーたちが意見表明するのを読んで、自分で考えている気になるようになった。さらにはミクシィなどの掲示板に意見を書き込めるようになって、自分の意見も人に聞いてもらえるだけの価値があると勘違いするようになった。

これまでは井戸端での馬鹿ばなし、便所の落書きとして消滅していったものが、幸か不幸か、今は全て記録され、残ってしまう。それが下手に集積されると、あたかも正しい意見のように取り扱われてしまうのである。大勢の意見は大体正しい、というのは「それなりの教育を受け、それなりの知識を持ち、それなりの想像力を持ち、そしてそれなりの判断力を持つ大勢」であって、大勢=烏合の衆であっては駄目だ。

余談だが、たとえばミクシィのあるコミュでは「ミクシィは安心、安全なコミュニケーションの場です」という意見表明があって、「あぁーあ、こんなことを書いてしまって恥ずかしくないのかな」と思う。ミクシィは安心な場でもなければ安全な場でもない。そういう風に勘違いしている人が多いので、逆に言えばライオンのおりに羊を放り込んだような状態でもある。

ミクシィと2ちゃんねるの違いは何か。それは、書き手のパーソナルデータが簡単にわかってしまうという一点に尽きる。本質的な部分では、これ以外には相違点は何もない。パーソナルデータとは交友関係であり、所属しているコミュニティであり、日記であり、そして掲示板に書き込んでいる各種データである。実際には2ちゃんねるであってもそれなりの手段でそれなりに真剣に調査すればある程度までは調べがつくはずだが、それは誰にでもできることではない。そして、こういった個人識別の可能性から、ミクシィにおいては2ちゃんねるよりも「書き手の責任」を追及しやすいという特性がある。「あとで反論されたらいやだから」「あとで文句を言われたらいやだから」「あとで2ちゃんで晒されたらいやだから」といったさまざまな理由から、2ちゃんねるよりもブレーキがかかっているに過ぎない。結果として「安全、安心」に見えるが、その実まったく安全、安心な場ではないし、また楽しいコミュニケーションができるだけの場でもないのである。

「ミクシィは安心、安全な場です」などという発言は、状況を客観的に見ることができず、結果としてまったく間違った認識に到達してしまった例である。

もちろん日本国民のレベルダウンはインターネットの中だけで見られるわけではない。ニュースを見ていれば「アホか」という話が次々と飛び込んでくるし、テレビのワイドショーでコメントしているコメンテーター達も質の悪いのがたくさんいる。実生活でも同様で、今、僕は1時間ほどの移動時間にこれを書いているのだが、その最中にも事例を見つけたりする。

その1
電車内で携帯に電話がかかってきて、次の駅で降りて話を続けるところまでは正しかったのだが、ドアのまん前で話を継続し、乗り降りの邪魔になって顰蹙を買っている会社員(そこに立っていたら邪魔になるということがわからない想像力不足の事例)

その2
鎌倉の駅前の通りでノーヘルのお兄ちゃんが原チャリで蛇行運転(転んで轢かれたときに一番痛い思いをするのが誰なのかわかっていない想像力不足の事例)

その3
子供たちも少なくない数歩いている歩道でタバコを外向きで持ちながら歩行喫煙しているおじさん(その火が子供の目を直撃したらどうなるのかということがわかっていない想像力不足の事例)

さて、ここでようやくタイトルに戻るわけである。かつて、僕が子供のころに提示された火星人モデル。それは、知能だけが発達し、便利な道具に頼ることによって手足は退化し、結果的に蛸のような頭でっかちのスタイルになってしまったというものである。しかし、今の状況はまったくこれを支持しない。逆に手足に代わるだけの技術開発は出来ていないのが現状だ。もちろんこれらも数十年のうちに手足の機能を十分に代替するだろうが、それよりも、まずは頭脳の部分が全てITによって置換されてしまいそうな勢いである。まず最初に退化するのは、「頭」の部分だろう。頭でっかちと揶揄されることもあった日本人だが、世界中でまず最初に頭が小さくなるのが日本人かもしれない。ま、何にしろ、火星人モデルは間違っていたようだ。

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