注目されていたミシュラン東京が発売されて、色々インパクトがあるようだ。今日などは、朝日新聞にまで記事が掲載されている。
ミシュラン東京版発売 星150店「納得」「疑問」の声
朝日新聞らしい頭の悪さが満載の記事である。特に頭が悪いのは「実際に食べてみたけど、2人で5万円以上。普段はコンビニ弁当などを食べているので価値がわからない」というくだり。朝日新聞の社員なら30代前半でも年収1000万円はくだらないわけで、行こうと思えばすぐそばに銀座もある。そういう環境において日ごろからコンビニ弁当ばかり食って満足している奴と言うのはそもそも食に対してのこだわりがないわけで、そんな奴に1万円のフレンチと2万円以上のフレンチの違いがわかるわけがない。いつも回転寿司ばかり食ってる奴なら水谷で食べても吉野鮨で食べても両方とも絶品で、その違いなんかわかんないだろ、ということである。そんな下らない情報にこれだけの紙面(と、レポーターの食費)を割くというズレ具合が素晴らしい。
#そもそも、この部分自体が「実は勝ち組のくせに、庶民に迎合し、そのスタンスから書いたフィクション」である可能性があるとも思うのだが。
一見平等に書いているようでいて、批判的な意見ばかり掲載している点もフェアではない。
ミシュランが東京版を出したことで、一番評価されるべきことはなんなのか。それは、ミシュランと言うブランドが正式に「ここがうまい」と明示した点である。
僕がこれまで色々携わってきたラーメン界で言えば、個人の評論家で「お勧めはこの3店」とかを公式の場で言い切れる人はほとんどいない。なぜかといえば、「いや、こっちの方が美味しいでしょう」「その店はまずいでしょ」などと反論される可能性があるし、それぞれの店や料理人との仲が崩壊してしまう可能性もあるからだ。そうした反応に対して適切に対応するのはそれなりに難しく、安易に「ここが一番うまい」などと表明してしまうと、結果的に自分の評論家としてのスタンスが危うくなってしまうのである。また、評論活動で飯を食っている人間は、「この一年ではここがうまかった」と表明した時点で、もうそこからは何の情報も得られなくなってしまい、価値がなくなってしまうということもある。
#まぁ、おかげで毎年毎年「次はここが来る」だの、「今はここが注目」だのと情報を発信し続けなくてはならず、ラーメンを食いながらのマラソンは、それはそれで大変なようだが。
記事では小山薫堂さんが「インフレだ」と書いているけれど、それならあなたがその中からさらに2、3店、海外の三つ星と同等と思う店を選んで見せてよ、と思うし、友里征耶さんが「上には上がある」というのなら具体的にそれを表明したらどうかと思うし(いや、どこかで表明しているのかもしれないけれど、この記事からはわからない)、森脇慶子さんが「おいしさならもっとおいしい店がある」というのならそれを書いてみろ、と思うわけである。小山ブランド、友里ブランド、森脇ブランドの名において「こここそが東京で一番」と表明した上で批判するならなるほどとも思うのだけれど、それがないのはどうかと思う。
上に書いたけれど、「ミシュラン」というブランドのもとに「ここが三ツ星」という情報を提供することはものすごいプレッシャーがあることで、その内容の是非を素人が色々議論するのはともかく、専門家があーだこーだその内容について代案も示さずに口を出すのは、どうにも格好が悪い。
え?じゃぁ、どこが一番かって?とんかつなら山一。ラーメンなら該当店なし。東京を外していいなら、今年なら一本気かひらやま。居酒屋なら光壽。ステーキならうかい亭。いや、僕はBの線ですから(^^;
で、実はまだ実本を手に入れてません。近いうちに買いますけど。