2008年01月01日

ブログでバイオ37回「大学と、大学の先生は、本当にちゃんとした教育をしているのか?」

先日、「社会の変質に対応できない日本の学生達」という記事を書いたときに少し触れたのだが、「5号館のつぶやき」さんが「もちろん借りたものは返さなければならないのですが」というエントリーで書いていた

日本政府さま、「奨学金」を返してもらうために、「奨学生」だった人にまずワーキングプアにならなくてすむような職を与えてください。


というコメントはどうにも違和感がありまくりだった。その違和感がどこに起因するのか整理がつかないうちにブログで取り上げてみたわけだが、それに対して5号館のつぶやきさんは

まあ、今の学生や大学院生がみんなブウさんのように、賢く強いのであれば何も問題は起こらないなのだとは思いますが、どうしてそうなっていないのかということに関して、彼らを育てている「日本株式会社」の方針が間違っているのではないかというのが、「真逆なスタンス」から見えることなのではあります。


とコメントしてくれた。要するに「今の大学生は賢くありません。(彼らが賢くないのは彼らが悪いのではなく、)彼らを育てている社会が間違っているのだから、社会が彼らを助けなくてはならない」というスタンスである。あまりにも的が外れた意見なので、正直「はぁ?」という感じだったのだが、このコメントのおかげでもやもやしていたものが一気に晴れた。なるほど、「5号館のつぶやき」さんのコメントにことごとく違和感を覚えるのはその立ち位置の違いからではない。違和感の原因は、「5号館のつぶやき」さんが大学、および大学の教育者の責任から完全に乖離しているからである。

#「日本株式会社」の言葉の定義によってはニュアンスが変わる可能性もあります。

「5号館のつぶやき」さんは大学に所属している方であるらしい(伝聞)から、目の前にいる賢くない大学生達をなんとかしたい、と思っているのかもしれないが、僕には賢くない大学生を賢くないまま就職を世話してやることが大学関係者の務めであるとはとても思えない。やるべきことは、学生に「きちんと努力すること、勉強すること」を教え、社会のニーズに適合する人材とすることのはずである。こういう風に書くと大学を就職予備校として位置づけているように取られる危険性も存在するが、もちろん言いたいことはそういうことではない。あくまでも「社会に適合できるだけの基礎的な能力をつけさせる」ということである。そして、これこそが高校や大学における高等教育の役割だと思うのだが、「5号館のつぶやき」さんの主張はその視点が完全に欠落している(故意なのか、過失なのかは不明)。

僕は「5号館のつぶやき」さんがどういう立ち位置で大学にいるのか知らないのでなんともいえないのだけれど、もし事務職員としてではなく教員として大学に所属しているのであれば、「じゃぁ、あなたは何をやっているのですか?馬鹿な大学生をそのまま放置して卒業させ、『この可哀想な人たちを何とかしてあげてください』とブログでアピールするだけなのですか?」と言いたいところである。文科省や政治家に向けて(多分)無駄な意見表明を続けるくらいなら(これは実質的には困った大学生のガス抜きにしかならない)、生徒に向かって何かをした方が生産的ではないですか?とも思う。もちろん八方手を尽くしてその挙句、「もう大学としてやれることはこれで一杯一杯です。あとは国が何とかしてください」ということなのかもしれないのだが、果たして本当にそうだろうか。「5号館のつぶやき」さんは少なくとも努力しているのかもしれないが、ではそれが大学教育者のマジョリティであるかと言えば、決してそんなことはないと思う。

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僕は教職を取ったこともないし、教育の理論もわからない。そんな状態でも一応教壇に立ち、少ないながらも大学で学生達に勉強を教えている。生徒達は偏差値で言えば決して高くないし、やる気のある学生も少ない。そんな中で教えるのはとてもストレスのあることなのだが、それでもやりがいを感じている。どこにやりがいがあるのか。

例えば今年度、僕の「バイオベンチャー」という授業を申告した学生は6人だった。そのうち、授業に来たのはわずかに2人である。そんな中で1コマ90分、15コマの授業をしたわけだが、僕が教えているものは「バイオベンチャー」という非常に難解なものである。この科目は生物学を専門にしている学生に教えるのでも難しいものだが、バイオ(生化学)も知らない、ベンチャーも知らない、という白紙の状態からバイオベンチャーとはいかなるものかを教えなくてはならないわけで、正直、自分でも気が遠くなるような仕事である。しかし、今回の集中講義では、3日間の間に、彼ら2人のうちの1人は見ていて明らかに授業における目つきが変わってきていた。「この授業は面白いな」と感じてもらえていることが、教壇にいてもわかるのである。こうした教育の面白さ、やりがいがあるから、僕は「もう来なくて良いよ」と言われるまでは今の講義を続けるつもりでいるし、どこかから頼まれればそれも引き受けるつもりでいる(まぁ、オファーはないでしょうけど)。

そして、授業の中で同時に一つ感じたことがある。それは今僕が教えている大学に限らず、世の中の多くの大学生、大卒生と話をしていて感じることでもあるのだが、「大学の教師は一体何を教えているのか」という疑問だ。今の大学生達は、ほとんどが「考えるトレーニング」を積んでいない。単に知識を詰め込まれているだけに見える。場合によっては、その知識の詰め込みすらやっていない。要は「何もやっていない」ように見える。

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僕が今回の授業でやったことはたった三つである。

一つ目は、最初に授業の目的を明確化したこと。「あなた達はなぜこの授業を取ったのですか?」と質問して、「単位が取りやすそうだから」「将来BVで働きたいから」「将来BVに投資して儲けたいから」「一般教養として」「なんとなく」「魔が差した」などの選択肢の中から選ばせた。彼らは「単位が欲しかったから」「なんとなく面白そうだったから」と答えたわけだけど、それでは困る。なので、その時点で僕は「大学と言うのは単位を配る場ではない。単位はあくまでも目印である。教師はあなた達に知識を与え、考える能力をつけさせ、社会に出たときにそれを競争する道具として使えるようにする役割を持っている。あなた達の立場はお客さんであり、お金を払ってそうした能力をつけさせてもらう権利を持っている。だから、あなた達はきちんとこの授業を通じて、知識と、考える習慣を身に付けてもらいたい。このうち、知識は今の世の中ならインターネットを探せばどこにでも転がっているものである。だから、どこにその知識が蓄積されているかを知っていて、その情報へのアクセス手段を身に付けていれば問題ない。しかし、「考えること」は違う。これは一度身に付ければ、生きていることそのものが全て訓練につながるが、そういう意識がなければ漫然と生きてしまい、貴重な機会を失うことになる。人生の初期の段階で「考えること」を身に付けた人とそうでない人の間には将来非常に大きな差が生じる。だから、この授業は「考えること」の訓練だと思って欲しい、と伝えた。

二つ目は、実際の授業において、一方的に知識を与えるのではなく、実際に考え、それを表現する機会を頻繁に与えたこと。「バイオって何ですか?」「生物の定義ってなんですか?」「ロボットと生物の違いって何ですか?」「身のまわりでバイオテクノロジーを利用しているものには何がありますか?」「遺伝とは何ですか?」「ゲノムとは何ですか?」「遺伝子とは何ですか?」「株式会社とは何ですか?」「資本金って何ですか?」「株って何ですか?」「会社って誰のものですか?」「会社の価値って何で決まりますか?」「株式会社の社長って何ですか?」。こうした基本的なことについて一つ一つ時間をとって考えさせ、それぞれについて全員に意見を聞き、そしてそれぞれについて回答を評価した。これによって、考える癖をつけさせ、自分の考えを頭でまとめさせ、それを表明する癖をつけさせ、さらに人の意見を聞かせることによって自分の意見との違いを意識させた。

そして三つ目。「遺伝子組換え食品への対応はどうすべきか」「食の安全はどこまで確保されるべきか」「AIDSへの世界的対応は適切か」といった、正解のない問題を与え、これについての意見を表明させた。そして、スタンスを表明させ、その理由を述べさせた上で、「じゃぁ、もしあなたが逆の立場だとしたら、どういう理由でそれを主張しますか?」と課題を出した。これは二の発展であるが、発想を強制的に変換させたのである。これによって、物事を客観的に見るためには何が必要か、人の立場からものをみるということはどういうことか、というのを体感させた。

やっとことはたったのこれだけだが、彼らのうちの一人(三年生)は途中から目を輝かせながら授業を聞き、授業に参加し、そして授業を要求した。

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そして、授業の最後に伝えたのは、次のような趣旨のことである。

「勉強というのはものすごく個人的なものです。また、大学の授業というのは、皆さんお金を払って聞いています。ですから、単位というのは、本来、教師が出すものではなく、生徒の皆さんが納得したときに受け取るものです。「お金を払って、その分の知識を得ることができた」という印みたいなものですね。

僕の授業は、形式的には僕の知識を皆さんに伝えるだけのものです。バイオとは何か、ベンチャーとは何か、そしてバイオベンチャーとは何か、という知識です。15コマの授業では、その全部を伝えることは無理ですが、おおよその地図のようなものは提示しました。これから、もし興味があれば自分で調べることができるはずです。また、何かわからないことがあれば、こんな時代ですから、インターネットで僕に質問してくれればいつでも答えます。

皆さんはバイオについても、ベンチャーについてもまったく白紙でした。だから、途中で一回でも授業を抜けてしまった人は、満足が行くだけの知識を得られなかったと思います。でも、それは最初に言っていますから、自己責任です。知識を得る機会を損失してしまい、そしてこれから先もその機会はないわけですが、これも最初に言ったとおりです。残念でした。抜けちゃった知識は、もし必要なら、友達に聞くなり、自分で調べるなりして補完してください。

そういうわけで、僕としては点数なんてなんでも良いし、興味もありません。たとえば皆さんが勝手に希望の点数を書いてくれればそれでオッケーだったりもするのですが、まぁ、大学の方としてもそれじゃぁ困るでしょうから、基本的に出席点で点数をつけます。テストは面倒だからやりません。僕がしゃべったことは全部大事です。だから、その内容に軽重をつけることもしないし、ピックアップして理解度をはかるようなこともしません。また、授業の内容はもちろん興味がないなら全部不要な話です。生きていくうえで必須のものではないですから、忘れてしまってもかまいません。

課題は、レポートを出しておきます。ただし、レポートは出しても出さなくても点数は一緒です。レポートを出すのは自由。内容は、今回の授業についてサマリーをまとめる、ということにしましょう。話を聞いて、なんとなくわかった気になるのは良くあることです。でも、それを文字にしようと思うと意外と難しかったりします。知識を頭の中で整理して、それを文字にしてみる、という作業は多分皆さんにとって役に立つはずです。だから、もし今回の授業の内容をきちんと自分のものにしたいと思う人がいたら、その作業をやって、提出してみてください。その内容はもちろんチェックしますし、何か間違っていることがあれば、チェックしてお知らせします。

大事なことは、「考える癖をつけること」と、「情報がどこにあるのかを知っていること」です。知識をただ単に与えられ、それを覚えるだけならパソコンで十分。正しいか正しくないかではなく、とにかく自分で「考えること」と、どこにアクセスすれば欲しい情報があるのかを知っていることが大事なわけです。考えることというのは僕の授業でたびたび皆さんに課題として出しましたね。「南アフリカや東南アジアにおいてエイズで死ぬ人がたくさんいる一方で、治療薬関連の特許で大もうけしている人がいる。このことをどう思いますか?」なんていうのはその一例ですが、こんなのに模範解答はありません。ですが、このことについて真剣に考えて、自分の意見をまとめたり、人の意見に耳を傾けてみることはものすごく大事なことです。また、今回の授業では、ネットを使って実際にいろいろな情報を調べました。その調べ方も大きなノウハウです。僕の調査方法を皆さんは実際に目で見ていたわけで、これについても今後の人生で大きなヒントになるかもしれません。ならないかも知れませんが。

まぁ、何はともあれ、今回の授業で何かひとつでも持ち帰っていただければ、僕はそれで満足です」

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勉強、特に高校や大学の勉強と言うのは誰かのためにやるのではなく、本来自分のためにやることである。少なくとも義務教育ではないのだから、「国に言われたからやっている」のではない。ここで、「自分の」目的は人それぞれだろう。就職に有利だからかも知れないし、お金が稼げるからかも知れないし、自分の知的好奇心を満たすためかも知れない。その目的が何であれ、義務教育以降の勉強は人のためにやることではない。そして、大学は、人のためにやる勉強、人に言われたからやる勉強をするために通う場所ではない。こんな簡単なことをなぜか今の大学生の多くは知らない。それは大学、および大学の教師の責任だと思う。

確かに、バブルの頃は違ったと思う。人に言われたから大学に通い、そしてそこを卒業するだけで安泰な人生のレールに乗ることができた。だから、今の学生達は20年前の学生に比較したら気の毒でもある。しかし、30歳を超えてから突然競争社会に放り出されて呆然とするよりはずっと恵まれているとも言える。早く気がついて、早く対応した学生から順番に勝ち組になるチャンスを得られるのが今の学生でもある。

いや、大学生の質がどうとか、今と昔の大学生の比較が主題ではない。言いたいことは、大学と、大学の先生は、本当にちゃんとした教育をしているのか?ということである。教室にいる人数が多ければ教育の密度は変わってしまうから、僕のようなスタイルで授業をできるような科目ばかりではないことは十分承知しているが、一方で知識だけを押し売りするようなスタイル以外でも授業ができる科目もたくさんあるはずである。そもそも、まず最初の段階として「すぐに忘れてしまうような知識を頭に詰め込んで試験で合格点を取り、それを続けて大学を卒業しても何の役にも立たない」ということをきちんと教えないでどうする。

ストライヤーやらセルやらを片手に、付箋を貼ってあるところを順番に学生に読ませて「ここが大事ですよ。試験に出しますからね」なんていう授業をやってんじゃないでしょうね?ということだ。「おいおい、大学でそんな小学校みたいなことから始めなくちゃいけないのか?」という声も聞こえてきそうだが、僕はそこから始めなくちゃいけないと思う。冒頭の「5号館のつぶやき」さんはそのエントリーの中で

「奨学金」を借りてまで高等教育を受けた人


に対して仕事を与えてくれと書いているが、その高等教育を受けた人たちの質が低いから問題なわけで、その質が低いのは直接的には国の責任ではなく、現場における教育の質が低いからでしょう?ということである。

#僕の授業がちゃんとしている保証はもちろんないんですけどね。

##ちなみに僕は稲田祐二さん(元東工大、現桐蔭学園横浜大学)を教師としてとても尊敬しております。稲田さんの授業は僕の人生を変えてくれました。

###文科省が大学の教育について、シラバスはもちろん、実際の授業現場にまで踏み込んで詳細な干渉をしているというのであればまた話は別です。が、僕は今まで大学で講師をやってきて、その種の干渉を受けたことはないです。

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『大学と、大学の先生は、本当にちゃんとした教育をしているのか?』(http://app.blog.livedoor.jp/buu2/tb.cgi/50475616)ということなのですが、これは確かに疑問に思います。現状の大学、大学院修士課程でも、教育というよりは放任、適当に年限が来たら卒業させているだ...
大学院は教育機関なのか【実験的 WEB 追想録】at 2008年01月09日 12:59
「WEB2.0(っていうんですか?)ITベンチャーの社長のブログ」の 「ブログでバイオ37回「大学と、大学の先生は、本当にちゃんとした教育をしているのか?」」を読んで。 大学院教官として感じるところを書きたい。 私は、大学院生のみを相手にしているので 多少の違い....
大学院教育【研究者のぼやき】at 2008年01月11日 17:20
現在 ポスドクをしてる人は、 なぜ、その研究室にいるんですか? 立派な研究室にいるのなら、結構です。
ポスドク問題 その2 (ブログでバイオ第38回)【研究者のぼやき】at 2008年01月21日 05:27
この記事へのコメント
 TBありがとうございました。おっしゃりたいことは良くわかりましたが、中学・高校(あるいは小学校)で身につけるべき「基礎力」を大学で付けさせよとおっしゃっていることだと思います。小中高の教育に手を付けずに大学でそれをやれとおっしゃっているのだとしたら、文科省と同じです。ましてや、大学院生になってからやれと言っても・・・・。まあ、大学に来る前にそれが身に付いていないのだから、大学を出る前にそれを身につけられたら遅すぎはしないのかもしれませんが、すでに冷えている鉄を打つのはガラスをダイアモンドに変えるよりも難しいことだと思います。
 それが可能だと思えるような学生に出会うことないわけではありませんが、彼らは私に会って変わったわけではなく、最初から基礎ができたいたのだと思うことにしています。
Posted by 5号館のつぶやき at 2008年01月07日 19:05
 ちょっと話は変わりますが、大量の知識を投入するというところ以外は、ブウさんの講義は私のスタイルに極めて良く似ているのでビックリしました(笑)。
Posted by 5号館のつぶやき at 2008年01月07日 19:05
>小中高の教育に手を付けずに大学でそれをやれ

僕は初等教育をする立場ではないですし、文科省に口出しする立場でもありません。僕の目の前にいる学生が能力が不足しているのだから、それを補ってやるのが僕の仕事だと思っています。少なくとも、「これは僕の仕事ではない。誰か、しかるべき人がやってください」と投げ出すような真似は、プロとして恥ずかしいのでやりません。ましてや、「責任は国にあるのだから、馬鹿のまま就職の世話をしてやってください」などとは口が裂けても言いません。
Posted by buu* at 2008年01月07日 19:37
buuさん、いくらあの人に言っても無駄ですよ。

口当たりのいい多数受けすることのみを書いてるブログで、自分では何も考えてませんから。故に論理的な反論は、彼にはできません。
こんな風な自分で考えることが出来ない人も、長年旧帝大の教官が務まります。だから、当然「考えることを学生に教育する」こともできないのです。
これが、残念ながら「競争から降りた大学教官」の今の実態です。
Posted by ななし at 2008年01月07日 21:54
はじめまして。記事を興味津々に読ませて頂いています。

buu*さんの講義スタイルから、学生を真剣に考える優秀な教師と見受けます。
一方で多くの大学生に失望されたためか、記事の行間から気が立っているように感じます。
仮に全ての学生がbuu*さんの理想のように、思考力と学識をつけて、大学(院)教育を終えたとして、能力にあった就職やポスドク等の問題は、依然として現実にあるのではないでしょうか。「5号館のつぶやき」さんの考えの重点はそこにあるのではないでしょうか。
Posted by 岡目 at 2008年01月07日 22:31
(承前)
>「これは僕の仕事ではない。誰か、しかるべき人がやってください」と投げ出すような真似は、
>「責任は国にあるのだから、馬鹿のまま就職の世話をしてやってください」などとは口が裂けても言いません。

私も「5号館のつぶやき」さんの関連記事をひと通り読みましたが、ご認識された上記2行のような印象を得られませんでした。

多分「5号館のつぶやき」さんもそのような意思は無いと思いますが、ネットにおいての記事や文字を介しての誤解が日常のように多くありますので、ご確認をされてはいかがでしょうか。
Posted by 岡目 at 2008年01月07日 22:33
 大学にどのくらいの数の先生がいらっしゃるかわかりませんが、ブウさんのおっしゃる以上のことをやっておられる先生もたくさんいます。もちろん、全然やっていない先生もたくさんいます。ブウさんが何をご覧になったのか知りませんが、大学で何もやっていないというのはどこからの情報ですか?
Posted by 5号館のつぶやき at 2008年01月07日 22:38
>ななしさま

はて、今のところ、僕にはまだそこまで見極めることはできません。ただ、何かと言うと国に頼る奴にろくな奴はいないという経験則はあるのですが(笑)

>岡目さま
>大学生に失望されたためか

あ、いえいえ、これはパーソナリティです(笑)このブログを色々読めばわかりますが(^^;

>依然として現実にあるのでは

全ての学生が身に付けるのであれば、当然のことながら競争がありますから、問題は残ります。しかし、それは僕は「問題である」とは認識しません。また、「全ての学生が身に付けられる」とも思っていません。ちなみに僕は僕が設定したハードルをクリアしない学生には単位は出しません。昨年度は全員不可にしました。これはある意味、自分の敗北も意味するわけですが。

(続く)
Posted by buu* at 2008年01月08日 00:40
(つづき)

>ご認識された上記2行のような印象を得られませんでした。

この部分は、こちらの記事で引用した部分と、それに連なるコメントに対してのコメントです。

http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50474016.html

>5号館のつぶやきさま
>大学で何もやっていないというのはどこからの情報ですか?

はて?「大学で何もやっていない」などということはどこに書いてありますか?

ただ、結果論として、大学を卒業したはずの人間、もしくは大学に在籍している人間がこの手のトレーニングをほとんど経験しておらず、少なくとも企業では全く使い物にならないというのは何度も目の当たりにしています。
Posted by buu* at 2008年01月08日 00:46
本内容とは異なるのですが、buuさんなりの視点で以下の記事に対して何時か論じてもらえませんでしょうか。
私自身とは全く立場が異なるが 状況を解っている方の
意見を聞いてみたく思っています。

2008年 1月7日 日本経済新聞 29面
総合科学技術会議議員 相澤 益男氏
「大学院 量より質を」

当ブログのファンとしての お願いです。
その他のファンの方も 一読してみてください。
Posted by ななし at 2008年01月08日 05:10
私は幸いにして、元木先生の講義を聞いたことがあります。豊富なボキャブラリーと適切でわかりやすい比喩(これが一番の特色です)、そして教室の隅々まで目を配りつつ、生徒が座る椅子に腰掛けて漫談のようにしゃべる講義はとてもわかりやすく、楽しいものでした。残念ながら一日だけの講義でしたが、あれだったら朝一でも毎週出席します。

>ブウさんのおっしゃる以上のことをやっておられる先生もたくさんいます。

正直なところ、これはかなり疑問です。先生の授業は今の大学において「学生に聞かせ、理解させる」という意味ではトップクラスの講義だと思います。もちろん、私は自分の大学の授業しか受けたことはないので、比較対照は自分の大学だけですが(一応なんちゃって東大生です)。5号館さんの授業を受けていないので比較できないのが残念です。
Posted by 現役学生 at 2008年01月08日 09:02
>ななしさま
>以下の記事に対して何時か論じてもらえませんでしょうか。

すいません、日経、取ってないので読めないです。ネットで記事を検索してみれば良いのですが、今、遅めの正月休みで外に出てしまっていて、詳細な検索ができません。明日の夜に会社に戻るので、戻り次第記事を探してみます。ただ、この手の投稿って無料サイトにはアップされないことが多いんですよね。

まぁ、相澤さんですから、「量を増やすんじゃなくて、もっと多様性を増すとか、コミュニケーション能力をアップさせるとか、そういったアプローチをすべし」ということなんじゃないかと推測はしますが。

>現役学生さま

東大か、政策大学院大学か、GLOCOMか、科学技術館か、場所は相当限られますが、楽しんでいただけたなら幸いです。もう二度と聞く機会はないと思いますが(笑)

#東大だったら、オフレコ山盛りの授業でスイマセン。
Posted by buu* at 2008年01月08日 22:34
やっぱり、新聞記事はアップされていませんでした。それで、フラフラ探してみたら、こんなエントリーを発見。

http://junjikido.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_55d2.html

記事の引用だけじゃなくて、独自の解説もたっぷり書いてあって、中身も面白いのでなんだかこれで十分じゃないの、という感じです(笑)

でもまぁ、このエントリーの要点を参考にして簡単に書くと、

1.現在は「量」を育ててふるいにかけて質を担保している状態。その際の競争が妥当かどうかは不明だが、そういうやり方もありだと思う。ただし、もしこのやり方を続けるなら、競争で負けた人は酷い目にあいますよ、ということは周知しておくのが親切というもの。

つづく
Posted by buu* at 2008年01月09日 23:41
2.学生が単なる労働力になっているというのは以前も今も同じ。分子生物学の特色については随分前にここに書いたのだけれど

http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50339828.html

結局どうしたって労働力が必要な分野なので、仕方ないところもあると思う。僕はその労働力になるのが嫌で辞めたくち。こんな状態は修士にでもなれば誰でもわかることで、それが嫌なら辞めれば良いんじゃないかなと思う。

3.大学の教育機能の強化はそのとおり。そして、そのためには教員を充実させる必要がある。研究の片手間で仕方なく教えている状態でまともな学生が育つわけがない。

4.いっそのこと、パーマネントなんて全部やめちゃえ。「安定して初めて安心して研究が出来る」とか、甘えたこと言ってるなよ(笑)。
Posted by buu* at 2008年01月09日 23:42
僕は資本主義原理主義、自由競争原理主義者なので、多数のポスドクを確保して、その中から優秀な人間だけを選ぶというやり方もありだと思っています。プロ野球選手と一緒ですね。メジャーで大活躍して何十億ももらう人がいる一方で、期待されながらも数年で解雇されてしまう人もいるわけですから、アカデミックな世界が同じでも別に構わないんじゃないかと思います。

ただ、何にしても大前提として、大学、大学院ではまともな教育をきちんとしておく必要があります。そして、それこそが、日本で一番遅れているところなんじゃないかな、と思います。

僕の場合、一応やや閉鎖空間ではありますが、僕の授業概要を公開しています。ニーズがあるなら、テキストもシラバスも、もっとオープンなところで公開しても構いません。大したものじゃないですけどね(笑)。

この件についてはコメント欄じゃなくて、ちゃんとしたエントリーでそのうち書きます。
Posted by buu* at 2008年01月09日 23:53
ありがとう ございました。

城戸 淳二先生のブログも 読みました。
「大学院ではまともな教育」とともに、しっかりした大学院入試も必要だと 私は思っています。
当方も そのうち自分の意見を ブログとして(歯に衣着せぬ書き方で)書いてみようと思います。

再度 記事にされることを楽しみにしておきます。
Posted by ななし at 2008年01月10日 17:59
以前よりご講義を一度お聞きいたしたく思っていました。公開可能でありましたら是非ともご一読させていただきたくお願い申し上げます。
5号館様はおそらく旧帝大の教官とお伺いいたしますが、私はそれらの大学からはちょっとマイナーな大学出身でした。しかし教官らは常に我々にその現実を突きつけ、OBを呼んで「成功するためには何が必要か」等の講義を設けたりして意識改革に努めていました。結果、私の同期で私以外の人間(再生医療とかに現を抜かす者以外)は皆、いわゆる「勝ち組」として活躍しています。皆(教員も学生も含めて)プライドや負けん気はあったと思いますが、それでも厳しい現実を突きつけ(られる)ることで「備え」が身についたのかも。「ちゃんとした大学教育」は大事ですが、危機意識を与えるだけでも変われると思われます。問題は大学側のプライド(優秀なはずの学生に「おまえらはやばい」とはなかなか言い辛い・・・)かなっと。
Posted by 舛田 健 at 2008年01月11日 06:15
>しっかりした大学院入試も必要

僕は市場原理主義者なので、入り口規制はそれほど厳格にやらなくても良いんじゃないかと思っています。その代わり、出口規制はしっかりすべきだと思います。ちゃんとした素養を身に付けていないなら卒業させるべきではない。そして、その「ちゃんとした素養」というのには、「博士として食べていくための能力」を全て含みます。「博士課程ではそれが身につかないのでCOEプログラムで補完しよう」なんていうのは「はぁ?」という感じです。

労働力が欲しい研究サイドのニーズはわかりますが、ただただ研究の手伝いだけをやらせていたらそれはドクターではなくドカターの養成です(笑)。

「入るのは楽だよ、でも、出るのは大変だし、出たからって就職が担保されるわけじゃない。だから、出たときに困らないような教育をあなた達も大学に要求しなさい」ぐらいが、個人的には理想的なスタイルだと思っています。
Posted by buu* at 2008年01月11日 09:58
>是非ともご一読させていただきたくお願い申し上げます。

あとで、パワーポイントをそのまま、あるいはテキストデータに変換して、どこかにアップしてみます。ただ、それは本当に骨格だけで、図表も何もないものです。実際の授業はそれをベースに、僕が勝手にしゃべり、勝手に板書し、ネットで検索しながら進めています。だから、「え?これだけ??」という感じかも知れません。シナリオが重要なのではなく、どう演出するか、そして、どうアドリブを効かせるかが重要だと思っています。聞く側は生き物ですから、その表情を見て、臨機応変に内容は変えなくてはなりません。眠そうだったら質問、回答フェイズを増やすし、飽きてきてるな、と思ったら脱線して雑談する。このあたりの呼吸が非常に大事だと思います。授業といえども、キャッチボールですから。
Posted by buu* at 2008年01月11日 10:09
>危機意識を与えるだけでも変われると思われます

そう思います。

ただ、僕の場合は非常勤講師だし、3年生に集中講義で教えるだけの立場なので、危機意識ではなく、考えることの重要性を教えています。いつもそばにいて相談に乗れるならともかく、短期間にちょっと来て「お前らやばいぞ」とだけ言い残してどこかに行ってしまうのは気が引けます。
Posted by buu* at 2008年01月11日 10:11