2008年04月08日

「目的は手段を正当化しない」という事例

白熱電球の生産中止要請へ=経産省

この事務次官が馬鹿というのはこっちでも書いたのだけれど、なんかどうにもずれている。

いや、もちろん、省エネや環境対策が不要というのではない。是非色々やるべきだと思うし、消費者も考えるべきだ。しかし、基本は「あくまでも消費者の自主性と選択に任されるべきだ」というところにある。

省エネに優れた電球型蛍光灯の普及拡大を目指すため、白熱電球の生産を2012年までに原則中止するよう電気器具メーカーに要請する方針を明らかにした。


これはどういうことかといえば、「日本の国民は馬鹿だから、選択肢をなくしてしまうのが手っ取り早い」ということだ。確かに店頭に商品がなくなってしまえば、誰も買うことが出来なくなる。白熱電球を日本から根絶してしまおうとするならこれが手っ取り早い。手っ取り早いのは確かだが、それはあまりにも国民と市場経済を馬鹿にしていないか?

もし本当に有用性があるのであれば、各メーカーはその普及のために努力をするはずだ。今は白熱電球の20倍もする電球型蛍光灯の低廉化のために知恵を絞るはずである。ところが、「白熱電球は廃止!」などとしてしまえば、メーカーの低廉化に対するモチベーションは大きく下がってしまう。寿命は6倍、価格は20倍というのなら、本来は価格を1/3程度まで下げる努力が必要なはずなのに。

本当に地球環境のことを考えるのなら、やるべきことは電球型蛍光灯が地球環境に対してどういう貢献をするのかをきちんと国民に啓蒙することである。加えて、電気代がどの程度違っていて、製造にかかる環境負荷がどのくらいで、廃品の環境負荷がどのくらいで、結局のところ初期コスト(製品価格)と運用コスト(電気代)と廃品回収コストをトータルするとどちらがどの程度有利なのかといった情報提供も必要だろう。その結果、多くの国民が電球型蛍光灯を選択し、その延長線上に白熱電球の市場からの退場があるのならそれは歓迎すべきことだと思う。しかし、行政的に「白熱電球を廃止せよ」と指示を出すことには、「馬鹿な国民は馬鹿なままでも結構。馬鹿でも地球環境に貢献できるように、選択肢をなくしてしまえ」という、一種の傲慢さが見て取れる。

「この間の『会社は株主だけものか?』という講演の議事録を見ても明らかなようにお前は馬鹿なんだから、余計なことするなよ(笑)」と思ってしまう。

なんか、電球型蛍光灯分野でいち早く市場を押さえた大企業がこの事務次官のところに行って、「是非、電球型蛍光灯の普及を図りましょう。サミットに向けてもアピールできますよ。そのためにはまず白熱電球の根絶が一番ですよ。白熱電球なんて、店頭価格で一個50円なんで全然儲からないんですよ。電球型蛍光灯のラインはもう作っちゃったのに、価格は1000円以上と高いし、スイッチを入れてもすぐに明るくならないし、調光もできないし、色の見え方も平坦だしで、イマイチ売れないんですよね。やっぱ、国家として規制が必要でしょう。日本はこれまで護送船団でやってきたんですから、是非よろしくお願いします。電球型蛍光灯がスタンダードになればうちの会社も安泰です」なぁんて話をしたんじゃねぇか?と疑いたくなるような話だ。

#いや、太字のところはあくまでもこれは想像ですよ。僕が役人をやっていたときにそんな話があったかもしれないしなかったかもしれませんが、守秘義務があるから書けないような気もするし書いちゃっても良い気もしますが、あくまでもフィクションですからそのあたりよろしくお願いいたします。

ま、何が言いたいかといえば、「うるせぇ馬鹿、なるようになるんだから放っとけ」ってことです、はい。実際のところ、僕は電気が専門じゃないので、この業界のことは知らんのですが(^^;

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この記事へのコメント
中国から輸入されるだけじゃないの?(もしくはベトナム)
Posted by e- at 2008年04月09日 08:51
日本での販売権を商社が持とうが、メーカーが持とうが、別になんでも良いです。安くて品質の高いものが自由競争で供給されるなら文句ない。
Posted by buu* at 2008年04月09日 18:21