2008年05月22日

ブログでバイオ 第42回「じゃぁ、僕が博士課程に行かなかったのはなぜなのかを書いてみよう」

「幻影随想」の黒影さんが「私が博士課程に進学しなかった理由」というタイトルでパスを出してくれたので、同じように自分がなぜ博士課程に行かなかったのか、ついでなので、なぜバイオベンチャーではなくITベンチャーの社長をやっているのかを書いてみます。

まず、博士課程に行かなかった理由。

僕は修士課程にいる間に就職活動をしました。実際に動いた先は、博報堂と三菱総研でした。つまり、博士課程に行くよりも博報堂と三菱総研に行った方が面白そうだと思ったわけです。博士課程に対してどういう思いがあったのかはあとで書くこととして、まずは博報堂や三菱総研で何をやりたかったのかを書いてみます。

博報堂は、最終面接で落ちました。それまで一貫して言ってきたことは、「日本の広告会社はこれまで大量生産大量消費を煽ってきた。しかし、そろそろその責任をきちんと認識すべきときに来ている。単純に消費をするだけではなく、消費した後をどうするのかを考え、提示する必要があるし、それを踏まえたマーケティングをする必要があるはずだ。僕は、バイオテクノロジーという専門性を持っていて、それは今後のリサイクル事業に対して大きな力を発揮すると信じている。どうやって作り、どうやって売るかの、その先について、必ず貢献できるはずだ」ということです。実際僕はそういったことを博報堂でやりたいと思っていたのですが、残念ながら博報堂では最後の重役面接で落ちてしまいました(よっぽどのことがなければ落ちないといわれていたのですが、よっぽどのことがあったんでしょう(笑))。僕の第一志望は博報堂だったので、もしそこで受かっていたら、僕の人生は随分と違ったものになっていたと思います。

そして三菱総研。三菱総研では、「これからバイオの時代が必ず来る。バイオの学生は売り手市場なので、みんな製薬会社や化学会社に就職するが、他にもバイオを専攻してきた学生が活躍できる場はあると思う。製薬会社で「バイオをやってきた」、という人間は、全然普通で面白くない。逆に、バイオを専攻している人間がほとんどいない場所で自分の力を発揮したい。これまで自分がやってきた研究はあくまでも「発見」だった。神様が用意した事象を良く観察し、その裏にある真理を「発見」するために頑張ってきた。だが、自分がやりたいのは発見ではなく「発明」である。そうした場として、三菱総研は格好の場である。三菱総研の中にバイオの専門家がいることによって、今までは生み出せなかった「価値」を創出できるはずだ。特に環境問題が大きな課題となっていくこれから、バイオの仕事は必ず増えていくし、そうした社会環境の中で今からバイオの専門家を抱えていくことは重要だ。そういう時代が来たときに慌てて専門家を育成しても遅い。今のうちに僕を雇っておけば、将来必ず役に立つ」ということを言いました。

博報堂に落ちた僕は三菱総研に行ったわけですが、三菱総研においてはバイオが専門と言うのは新しすぎて、仕事がありませんでした。それでも5年ほど我慢をして割引制度の仕事とか、水産業の仕事とか、高速道路の仕事とか、リニアモーターカーの仕事とか、お門違いのことを色々続けた後、当時最も権力を持っていた副社長に直談判して、理化学研究所に出向し、ゲノム科学総合研究センターの設立の手伝いをしました。理研から戻る際、「バイオの仕事はあるのか」という話を人事や上司としたのですが、「三菱総研でバイオは難しい」ということだったので、「バイオの重要性が理解できないような会社のどこが未来派志向なものか。そんなこともわからない会社にいる意味はない」と考えて、三菱総研を退職しました。当初、野村総研への転職を考え、ほぼ本決まりになったのですが、そこであるところから「経済産業省でキャリア官僚としてバイオ政策を担当してみないか」という話をもらいました。そこで野村総研をお断りし(かなり土壇場で断ったので、以後、野村総研の人は全く口を利いてくれなくなりました。この件はこちらに全ての非があり、現在も大変申し訳なかったと思っています)、官民交流法を利用して経済産業省に行きました。経産省では2年間バイオベンチャーの支援を担当し、その後バイオベンチャーの社長を経て今はITベンチャーの社長をやっているわけです。

こういった感じで僕は研究から離れたわけですが、実際のところ、進学か就職か、という決断に際して僕に「博士課程に進んだらどうか」という話がなかったわけではありません。当時の僕の指導教官は現在岐阜大学で教授をされている西川一八先生ですが、西川さんは非常に僕の意思を尊重してくれた方で、僕が試験管を持つところから離れることに対してこっそり遺憾の意を表明することはあっても、表立って「残ったらどうだ」ということを言うことはありませんでした。僕の自由意志で好きなように進路を選んだわけですが、じゃぁ、なぜピペットマンを手放したのかと言うことになります。一言で表現すれば、「バイオの研究の質に失望したから」でしょうか。

そのあたりの話はこのあたりのエントリーで触れているのですが、

分子生物学の閉塞感

要は、「今、自分がやっていることは、土木仕事のようなことで、僕じゃなくても他の誰かがやれること」という思いが強かったんです。当時は、例えば牛の肝臓を毎週品川の屠殺場に買いに行って、それをコールドルームで処理して、そこからミトコンドリアを取り出して、そのDNAの配列を決めていく、といった作業を延々と繰り返していました。徐々にオートラの感度がアップして、作業の効率はアップしていきましたが、とにかく論文は「頑張ったで賞」という印象が強く、人がやってないものをやる、ということがアイデンティティでした。僕はもともと物理がやりたくて大学に行った人間ですが、ちょっとしたきっかけで生物学の面白さに触れて、大学時代は分子生物学を非常に良く勉強しました。分子生物学を全く知らなかった僕にとって、その分野はさまざまな楽しみを提供してくれて、常に自分の好奇心を満たしながら勉強できたんです。ところが、大学院に行ってみてわかったのは、分子生物学がそうした知的好奇心を満たしてくれるような、驚きが満ちている分野ではなくなっていたということです。お金をかけた人が成果を出す、人を投入した組織が成果を出す、時間をかけた人が成果を出す、そういう、力仕事の分野になってしまっていたんです。僕は大学院のとき(1990〜1992年)にそのことに気がついてしまい、そして、教授の道具として働くことが嫌になって(ちなみにこの教授とは西川さんではありません。僕は今でも西川さんを大変尊敬していますし、また西川さんは学生を道具として使うような人ではありませんでした。あくまでも一般論です)、博士課程に進学することを辞めました。「僕じゃない誰かが頑張ってください。僕は自分しかできなことを、別の場所でやります」というのが僕の考えでした。

黒影さんは進学しなかった理由として経済的な理由、バイオ博士の先行きの見えなさ、自分の適性というのを挙げていますが、僕の場合はその3つはどれも関係なくて、単に「バイオが面白くないから」ということになります。

莫大な予算を手に入れて、それを使って人を動かして、大量のデータを産出するということは面白そうだと思います。ただし、それはマネージャーとしてやるなら、です。ディレクターとして、あるいは召使としてそれをやるのは、僕は嫌でした。そんなことに時間を費やすのは馬鹿らしいと思ったから辞めたんです。そういう作業が必要なのもわかっていましたし、それを誰かがやらなくてはならないこともわかっていましたが、自分でそれをやるのは嫌だったんです。言葉を変えれば、おおよそのアウトラインがほとんどわかってしまい、あとはじゅうたん爆撃をするだけ、という分子生物学に対して、理論先行で証明が追いつかない物理学と同じような閉塞感を感じたということにもなります。

そういう理由で、僕は試験管やエッペンドルフチューブを手放して、コンサルティングや行政、さらにはベンチャーの社長という道に進んでいきました。そのことに対しては、現在も全く後悔はありません。バイオ自体はとても面白い分野だと思いますし、今でもときどきボランタリーに科学技術館などに行ってそこのインストラクターにバイオの講義をしたりもしています。「バイオベンチャー」などという題目で大学の講義もやっています。今でもバイオベンチャーの役員もやっています。そういえば、本も書いたりしています。僕自身はバイオが好きなんですが、でも、試験管を持つことは、もうないと思います。

国の施策がどうとか、文科省がどうとか、そういうことは関係ないんですね、僕の場合。分子生物学という学問の本質のところが、僕には合わなかったんです。でも、僕はバイオのアウトラインを理解していますし、人脈もありますし、きちんとした知識は引き出しの中になくても、どこをどう調べたら良いのかということはわかっています。また、バイオが好きだし、理研や経済産業省で勉強させて貰ったことを社会に還元していかなくてはならないとも考えています。そういえば、このリレーエッセイをやっているのもそんな理由からです。本職はITですが、バイオ関連もそこそこに時間を割いて情報発信を続けています。

さて、最後に「なぜ、今バイオベンチャーではなくITベンチャーの社長をやっているのか」ということになります。数年前にある講演会のパネルディスカッションで、バイオベンチャーとITベンチャーの違い、という内容で宮田満さんとやりあったことがあるのですが、宮田さんの主張は「バイオベンチャーは少数の、影響の大きな特許で勝負がつく。ITはそういう特許がない。特許オリエンテッド、それこそがバイオベンチャーの特徴」というものでした。それは非常に教科書的な主張で、決して間違ってはいないと思うのですが、「社長の視点」からはちょっと違う回答になります。そのあたりのことが宮田さんには理解できなかったようで、僕と宮田さんのやり取りは結局ちぐはぐなものになってしまい、有益な結論に到達することができませんでした。

では、バイオベンチャーとITベンチャーの、社長の視点からの違いとは何か。これは、双方の社長の役割を書くとはっきりしてきます。

バイオベンチャーの社長の役割(バイオベンチャーと一口に言っても色々あるので、普通の人が思い描く、医薬品開発とか、再生医療素材といった先進的分野の会社だと思ってください)とは、今あるリザルトを元に、将来の夢を描くことです。リザルトは目の前にありますが、それをベースにした夢は当然のことながらぼんやりしたものです。そのぼんやりした将来像を、なるべく現実的に、そしてなるべく美化してアピールするのがバイオベンチャーの社長の仕事です。「5年後にはこんなことができますよ」などと風呂敷を広げるわけですが、数年経つと、だんだんその像がはっきりしてきます。みんなが「なぁんだ、大したことないじゃんか」と思い始めるわけですが、それを「そうですね」などと受容してしまったら社長失格です。そこで社長がやるべきは、新しい夢を描きなおすことです。そして、株主、社員、社会、さらには自分自身にも、それを信じ込ませるのです。バイオベンチャーの社長の仕事というのは、これに尽きます。

例えば最近経営危機が報じられたオキシジェニクス。ここは人工赤血球を開発している会社です。ところが、開発や原料費に多額の費用が発生して、経営を圧迫してしまいました。治験も南アフリカなどの困窮地や戦争地域などでは可能でしょうが、日本で実施するのは絶望的です。そうこうしているうちに「iPS細胞が有望なら、人工赤血球は再生医療的手法で作ったらどうなんだ」ということになってしまい、「じゃぁ、どうしよう」というところで行き詰ってしまったのではないでしょうか。基礎技術ができあがって、「さぁ、これで人工赤血球を作りましょう」というところまでは良かったのですが、開発に手間取っている間にもっと別の夢を別の人たちが描いてしまったわけです。そして、それがそのまま経営危機につながってしまいました。

では、ITベンチャーの社長の役割はなんなのか。こちらは大きく二つに分けることができます。一つには、社員が食べていくための売上を確保すること。これはバイオベンチャーにはほとんどない視点です。なぜなら、バイオベンチャーはこのお金を直接金融という形で調達するからです。ITベンチャーの場合、売るものが手もとに存在するケースが多いので、それをどうやって売るのか、ということについて知恵を絞ることになります。そして、もう一つは、「新しい技術を開発する旗振り」です。これはバイオベンチャーの社長と似ているのですが、実は全く違います。バイオベンチャーの社長が描くものは「実現するかどうかわからない将来」ですが、ITベンチャーの場合は「実現したら面白そうなこと」です。その実現性について技術的なハードルはそれ程高くなく、問題となるのは、アイデアに対してどのくらい開発資金を投入するのか、ということになります。

バイオベンチャーとITベンチャーの違い。それは、夢を語るのか、現実を語るのか、です。僕は夢を語ることによってお金をもらうことに後ろめたさを感じてしまい、軸足をバイオからITに移しました。

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【閑話休題】ブログでバイオ最新エントリー「じゃぁ、僕が博士課程に行かなかったのはなぜなのかを書いてみよう」【Science and Communication】at 2008年05月22日 12:38