2008年06月03日

西の魔女が死んだ

3efa52fb.jpgオンライン試写会で12000人の大盤振る舞い。さぞ自信満々なんだろうなぁ、と思いつつ観たわけだが、正直眠くなった。

「お前はこういう映画の良さがわからないのか」と馬鹿にされそうだが、そもそもこういう景色とか、自然とか、こういう暮らしに普通に触れている人間にとっては懐かしいものでもなんでもない。冒頭、登坂車線を登っていくシーンは、それに続く山がなぜか八ヶ岳ではなかったけれど、清里の元有料道路の清里大橋から清里に登っていくところのようだし、そのあとで出てくる景色も野辺山、清里界隈の景色、植生に良く似ている。そういうところに頻繁にでかけて、そういうところで暮らしている人たちと普通に交流している人間にとっては、まず懐かしさのようなものがない。

そもそも自分には中学生の女の子の気持ちと言うのがきちんと理解できないので、感情移入できない部分もある。こういった展開なら、魔女の宅急便とかの方が楽しめると思うのだが、もしかしたら女性にはこういうのが受けるのかもしれない。スローライフ的な生活はここ数年の流行だとは思うし、世の中的には肯定的に受け入れられやすいところもあると思うが、それを映画にしても変化がなくて退屈なだけだ。

おばあさん役のサチさんは非常に良い味を出していたと思うのだけれど、子役の高橋真悠の演技はイマイチ。って、子役にケチをつけるのも日本ではタブーっぽいところがあるけれど、実際、日本人の子役にはこれまでも非常に上手な役者(例えば中嶋朋子とか)がいたので、そういった役者に比べてしまうとなんだかなぁ、という感じ。おばあさんと孫が喧嘩をするあたりも、「多感で潔癖な少女」というのを表現したかったのだろうけれど、その原因となっている事象についての説明が不十分で、「それで、結局なんだったの?」と思ってしまう。制作サイドとしては「細かいところはどうでも良いんです。それよりも、喧嘩をしたという事実が重要なんです」ってことなのかも知れないのだけれど、あんな感じだったらまいの反応はしごくまっとう。また、二年後のシーンでまいは成長しているところを見せるわけだけど、なぜ成長したのかも良くわからない。他にも、郵便屋さんが物語の中でどういう役割を果たしているのかが良くわからないとか、消化不良、必然性が感じられないパーツが多い。原作そのままに映像化したということかもしれないけれど、もしそうなら映画にする意義がわからない。

ネットで観ちゃうと、もう十分という感じで、ちょっと映画館で観る気にはならない。なんというか、「ほら、良い映画でしょう?泣いてください」という制作サイドの押し付けがあからさまで、逆にしらけてしまう。こういう映画をネットで12000人にただで見せちゃったら、その分収益が減っちゃうんじゃないかと思うのだけれど、日本人は律儀なので、「ただで観せてもらったから」と良い評価をするのかもしれない。そうすればそれを読んだ人が劇場に足を運ぶので、元は取れるのかもしれない。が、「評価はどの程度ですか?」と聞かれれば、☆半分が良いところ。

映像で観るよりも文章で読んだほうがイメージが膨らむ、そんな作品だと思う。

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   ★★★☆☆  祖母との交流を通じ少女が成長する物語。  中学生のまい(高橋真悠)は登校拒否になり、 山の中の一軒家に住む祖母(サチ・パーカー)と暮らすことになる。 祖母はイギリス人で、教師をしていた祖父と結婚、 祖父が死に、一人娘(りょう)が嫁いでからは...
映画「西の魔女が死んだ」(2008年、日)【富久亭日乗】at 2008年06月12日 08:05