2008年06月27日

将棋の棋譜の著作権について(勉強中につき、メモ書き)

知識としての情報は、実際にそれを使ってみたり、あるいは思考実験をしてみることによってより明確化される。今、僕は著作権の勉強をやっているのだけれど、これについてもいくつか個別具体的に考えてみると、それが明確化されると思う。つまり、著作権に関する知識をベースにした「実験」である。今、たまたま「将棋の棋譜」という実験材料を某所で与えられたので、これについて考えてみる。参考書としては以前このブログで取り上げた「著作権法」を利用する。以後、「著作権法」と記述した場合には全て同書を指すものとして解釈して欲しい。

将棋の棋譜の著作権については随分と昔から議論が続いている。おおよその結論は「棋譜には著作権はない」というものに収束しているのだが、実際には裁判所が判断を下したわけではないので、「かなりの確率で棋譜に著作権はない」というところである。にも関わらず、日本の社会の一部では棋譜にあたかも著作権が存在するかのような対応が見られ、それを取り巻く将棋ファンの中にも混乱が生じているところがあるように見受けられる。

著作権法は時代の流れにあわせて徐々にその姿を変えてきていて、『(著作権法は)昔建てた温泉旅館に建て増しを重ねたようなもので、迷路のようになっていて、火事が起きたらみんな死ぬ。』(「著作権法」の著者、中山信弘氏の講演での発言)といった状態になっている。著作権法で守られている著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」だが、「著作権法」においても「思想、感情を正面から具体的・積極的に定義することは困難」と記述されており、同書の中でも「思想・感情の範囲から漏れるものを検討する」ことによって著作物の定義をしている。こうした状況にあって、棋譜が著作権の対象となるかどうか、僕の考えをざっと書くと以下のようになる(当然のことながら「著作権法」をいろいろと参考にしている)。

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1.所有権の有無
棋譜という「情報」には所有権は存在しない。所有権が存在するかどうかは、それを占有できるかどうかが重要で、それによって使用の独占性、権利の円満性が確保される。棋譜という「情報」には所有権がないのだから、もし棋譜の権利を保護するならあくまでも著作権になる。

2.著作権の有無
次に棋譜に著作権が存在するかどうか、だが、著作権とは、基本的には「その著作物はその人しか為しえない」という性質が重要である。たとえば、原爆はアインシュタインがいなくてもいつかは発明されただろうが、「時代」という曲は中島みゆきという人間がいなければ未来永劫存在しなかった。著作権が扱うのは後者だが、では、棋譜はどうなのか。一般的な解釈は、「羽生と森内がいなくても、いつかは同じ局面が現れるはず」というものである。また、著作権は「事実それ自体は対象としない」というスタンスがある。事実自体に独占を認める(すなわち、思想・感情ではないものに独占を認める)と、表現の自由や学問の自由に対する重大な弊害になりうる。「羽生と森内が指した棋譜」というのはあくまでも事実だから、これに独占を認めることは考えにくい。もし認められれば、「この棋譜は羽生と森内が著作者で、その権利は将棋連盟が保有しているから、他のものは指してはならない」ということになる。なお、チェスでは著作権は存在しないという結論になっている。また、もし将棋の棋譜に著作権を認めるのであれば、それはプロ・アマ関係なく権利が発生することになるから、棋士であってもアマの著作権を侵害することはできなくなる。現実的には、このような事態にはなっていない。
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そもそも、著作権はなぜ保護されなければならないのか。著作権法はなぜ必要なのか、というのが大きな問題である。「著作権法」においては、その存在理由として「創作へのインセンティヴ」を挙げている。模倣がはびこれば情報創作への意欲が減退し、情報の過小生産が懸念されることから、法的保護が必要になったということだ。この視点から棋譜を扱ってみると、「棋譜に著作権がなかったら棋士たちは将棋を指さないのか、新しい工夫をしないのか」という疑問に答える必要が出てくる。結論はもちろん「ノー」である。著作権のある、なし、は、棋士のインセンティヴには関与していない。

ただ、「著作権法」においてはこのような「創作あるいは伝達へのインセンティヴ」という観点のほかに、「自然権的アプローチ」についても説明がある(14ページ)。ただ、その自然権的アプローチに関する評価は留保されており、本書全体を通しては著者はそのアプローチに対して否定的であると感じた。また、僕自身も著者のスタンスとほぼ同じところに立っている。

さて、こうした感じで「棋譜には著作権はないでしょう」というのが一般的な解釈なのだが、では日本将棋連盟はどういうスタンスなのか、ということである。もし連盟が「いや、そんなことはない。棋譜には著作権があるんだ」と主張し、本気で棋譜の著作性について白黒はっきりさせたい、ということであれば、裁判で決める必要がある。しかし、将棋連盟がそんな裁判をやるとは思えない。なぜなら、上述のように棋譜の著作権というのは認められない公算が高く、その上で、裁判で「棋譜には著作権が存在しない」という「まっとうな」判断がなされれば、自分たちの立場がまずくなるだけだからだ。今でも、名目は不明なものの、棋譜を販売することによって相当額の収入が将棋連盟にはもたらされているはずで、できれば棋譜の著作権というのは「限りなく白に近い」グレーの状態で放置しておきたいというのが将棋連盟の立場だろう。

では、そういった玉虫色の状況が将棋界にとってプラスなのか、マイナスなのか、ということになる。もちろん、棋士や将棋連盟にとってはプラスである。法的裏づけは何もないにも関わらず、それによって一定の収益が上がっているのだから不満があるわけがない。では、これが新聞社などのメディアにとってはどうなのか、ということになるが、これはこれでプラスになっているのだろう。例えば朝日新聞が名人戦の報道をするとき、その詳細な棋譜情報が日経新聞や読売新聞に掲載されることはない。これは新聞各社が棲み分けいる証左だろうし、そうした慣例を良しとするのももちろんありだ。新聞はテレビ放送のように規制、保護されている公共メディアではないから、そこの中でどのような判断があろうと勝手だし、また、どういう名目であれ、将棋連盟にお金を払うのも勝手である。しかし、そこで問題になるのは一般の将棋ファンであり、インターネットを代表とする新しいメディアである。

例えば僕の会社では将棋SNSというものを運営している。このSNSでは棋譜をアップロードして、それを鑑賞することができるというのがミクシィとの最大の差別化のポイントである。折角そういうポイントがあるので、先日の名人戦では、第6局が終局し、羽生三冠が名人位を獲得した一分後に速報としてその棋譜をアップした。名人戦には有料の速報サイトがあるが、そのサイトとのタイムラグは恐らくほとんどなかったはずである。僕が参考にした情報源は一般サイトと2ちゃんねるの二つで、両方の情報を総合して信頼に足ると判断したのでその情報を速報として流した。有料サイトからの情報は直接的には利用していないので、特にやましいところはない。情報が違法性が高いものだというのならそれはそれで問題なのだが、その情報を流用するにあたって特に法的な問題があるとも思えない。そういうわけで、確信犯的な行動である。

こういう行動に対して、恐らく棋士や新聞等の既存メディアは否定的だと思う。また、一般のファンの中にも、既存のスキームを無視した、いわば市場破壊的な行動として眉をひそめている人が多数いると思う。

しかし、問題の根底がどこにあるのかといえば、それは日本将棋連盟自体が棋譜の著作権についての権利をしっかりとした法的検討もなしに(あるいはしているのかも知れないが、その根拠等を読んだことがない)、一部において自らの権利を主張していることである。

僕が調べた限りでは、次の事例において日本将棋連盟は棋譜の著作権が連盟、またはスポンサーに帰属すると主張している。

大和証券杯ネット将棋公式ホームページ 利用規約

1. 本サイト上のコンテンツ(棋譜、文章、画像、情報もしくはソフトウェア等を含みます)(以下、本コンテンツといいます)は、すべて連盟あるいはスポンサーの著作物です。
2. 利用者が、本利用規約に違反し、本コンテンツを改変、複製、頒布、送信、表示、実行、出版、使用許諾、移転、譲渡することおよび派生的な著作物を作成することは禁止されています。これらは、法律によって固く禁じられ、違反者は民事上または刑事上の責任を追及されるおそれがあります。
3. 連盟は、利用者に、本利用規約に従い個人的な目的だけに本コンテンツを使用することを許諾します。
4. 利用者は、連盟が特別に承認した場合を除き、本サイトを通じて知り得た情報を複製、販売、出版その他いかなる方法においても利用することはできません。


この記述の問題点は、大きくは次の二つになる。

1.棋譜を連盟あるいはスポンサーの著作物であるとしている点
2.棋譜に関して改変、複製、頒布、送信、表示、実行、出版、使用許諾、移転、譲渡することおよび派生的な著作物を作成することが法律によって固く禁じられているとしている点

棋譜の著作権がもし存在するとしても、著作者は契約で変更することができないので、著作者はあくまでも原始的取得者(将棋の場合はおそらくその将棋を指した棋士二人)となる。事後的に著作権が原始的取得者から日本将棋連盟あるいはスポンサーに対して移転すると解釈することは可能だが、著作者の人格権については引き続き原始取得者に残るはずだ。ただ、著作権法には職務著作について例外が規定されていて、この要件を満たしていれば連盟あるいはスポンサーが著作者となることも可能である。その要件を満たしているかは日本将棋連盟と棋士との契約によるのだが、要件とは「使用者の発意」「使用者の業務に従事する者」「職務上作成されたもの」「使用者の名義」「契約、勤務規則その他別段の定め」で、外野から見る限りでも「使用者の名義」の点が成立しないと思われる。なお、「使用者の名義」が要件とされる理由は、使用者の名義の下に公表し、使用者がその著作物について社会的責任を負い、また社会的信頼を得ることができるからと説明されている。もちろん、棋譜は棋士の名前で公表されている。

ただ、何しろそもそも棋譜の著作権の成立自体が限りなく困難と考えられる中において、あえて著作権について言及するのであれば、日本将棋連盟は棋譜の著作権に対する考え方をきちんと明確にすべきである。そして、それをしていないことが末端の混乱につながっている。

日本のようなムラ社会では、「まぁまぁ、良いじゃないですか。今までどおり仲良くやっていきましょうよ」というスタンスももちろんありだが、それならこの利用規約に見られるような主張はすべきではないし、逆にそういった主張を展開するのであれば、当然のことながら棋譜に対する見解を明確にすべきである。少なくとも、大和証券杯の利用規約の中でこっそりと主張するような性質のものではない。

日本将棋連盟が公益法人という錦の御旗を掲げて将棋の普及に努めるのであれば、優れた棋譜を積極的に公表するとともに、それが将棋ファンの間で自由闊達に議論され、評価されることこそを歓迎すべきだと思う。

余談
揚げ足を取るようだけれど、毎日新聞のサイトにこんな記述があります。
私たちは利害やメンツを超えて、日々研さんを積む棋士の心意気に応え、こん身の一手に沸くファンの皆様とともに、日本の将棋文化を守り伝える一翼を担っていきたい。

出典:記者の目:名人戦 初の毎日・朝日共催=徳増信哉

7つある棋戦の中で唯一有料ネット配信をしている名人戦の主催紙、毎日新聞の記者が記名記事で書いているところが興味深いですね。

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