2008年07月04日

人材関連会社の周辺で検証すべきこと

秋葉原の事件以来、人材派遣業への風当たりが強いようだ。もちろんその前からも色々とくすぶってはいたようだが、「ほらみろ」と言わんがばかりにブログなどで取り上げられているようだ。

しかし、まず秋葉原の事件と人材派遣業の業態とを直接リンクさせて考えるのはいかがなものかと思う。彼が取った行動は人間としてかなり特殊な事例であって、社会環境が同じなら第二、第三の加藤が現れるのかと言えばこれはなんともいえない。オタクだったから危なかったのか、派遣だったから追い込まれたのか、ということに置き換えることは非常に簡単だが、それは「理解できないことに対する恐怖感」を逃れるための理屈付けに過ぎず、結局のところ犯人の個人的な事情によって引き起こされたものと解釈すべきだと思う。

さて、そうした個人的な事情についての追求は裁判に任せるとして、不思議に思うのは派遣業たたきについてである。何故か派遣業に対する擁護意見と言うものをあまり読む機会がない。どちらかというと、「派遣業はピンはねしていてけしからん」とうものが目に付く。こうした世論を見ていて思うのは、「もし本当に不当だと思うなら、自分で派遣業をやれば良いじゃん」ということだ。仕事が欲しい人にとって役に立ち、そして労働力が欲しい企業にとっても役に立ち、そしてあまりピンはねしない会社をうまく立ち上げることができれば、あっという間に軌道に乗るはずである。しかし、人材紹介業、人材派遣業といった業界は本当にそんなに簡単な業界なのだろうか。

ものを売る、という商売はそれをやったことがない人が傍から見るほど簡単ではない。僕は子供のころから商店街のど真ん中で育ち、八百屋、文房具屋、靴屋、時計屋、洋品屋といったお店の人たちと非常に仲良くしてもらってきた。だから、そういった人たちが一つのトマト、一つの鉛筆を売るのにどのくらい苦労しているのかを見ている。仕入れ値200円の商品を1000円で売っていたとしても、別にぼろもうけということはない。確かに一つにつき800円の粗利が出て、それが飛ぶように売れて、商品管理をする必要が何もないならぼろもうけかもしれない。しかし、実際は店頭に商品を展示しているだけでも、商品は減価償却していく。商品が売れるためには広告費も必要だし、販売に当たっては販売員、在庫管理員、伝票処理員といった人件費も必要になる。結局売れ残ってしまえば商品価値は完全に消却してしまうので、お店は常に在庫リスクと戦わなくてはならない。加えて万引きやら、クレーマー(この場合は、商品に瑕疵がないのにいちゃもんをつけてくるようなタイプを指している)やらのリスクもある。そんなこんなを積み重ねていくと、商品を販売するというのは非常に大変なことだ。

こうしたことから類推すると、人を紹介するという仕事もやはり大変なんじゃないかと思う。僕などはバイオ関係においては以前は仕事の一環として、今はボランタリーに人材発掘や人材紹介のようなことをやっているのだけれど、これがとにかく難しい。モノを売るよりも、人材を適材適所に配置することの方が格段に困難である。なぜなら、モノは意思がないし、文句を言わないが、人材はそういうわけにはいかないからだ。モノを売るなら買い手のことだけを考えれば良いけれど、話が人材となると「買い手」と「売られ手」の両方を考えなくてはならない。

実は僕は一度、人材紹介業の世話になったことがある。もう10年も前の話だけれど、ヘッドハンティングという形で三菱総研から野村総研に転職しそうになった。そのとき、商品だった僕をヘッドハンターは野村に売り込んだわけだが、そのときの彼らの取り分は、もし話が成立したら、おおよそ400万円程度だったのだと思う。これだけの売上があがるのだから、当然彼らは一所懸命になって僕を売り込んだのだろう。話はとんとん拍子で進んで、「じゃぁ、これでほぼ結論ということで」となったところで、商品である僕が心変わりをしてしまった。このあたりの事情については全く推測の域を出ないので、ここに詳細を書くことは避けるが、話が本決まりになったところであるところから「転職するなら、野村総研ではなく、経済産業省に行きませんか。任期つきですが、キャリア待遇なので、色々と他ではできない経験を積めますよ」というオファーをもらってしまい、僕はそちらに乗ってしまったのである。転職はもちろん自由意志だから、僕が「やっぱり辞めます」と言った時点で野村への転職はおじゃんである。当然、人材紹介会社へはお金は入らない。それに至るまでの出費は全部その会社がかぶることになったのだろう。その会社にも、野村総研にも大変悪いことをしたとは思っているが、ではもしまた同じような判断を迫られたらどうするかと言えば、やはり同じ行動を取ると思う。

人材紹介、人材派遣といった業界は、こういった「商品」(=人間)の心を常に考えなくてはならず、そしてその扱いが非常に難しいことから、かなり高いリスクを負っていると思う。そして、そのリスクは広い範囲に分散させる必要がある。そのリスクはどうしても弱いところに大きな負荷となってかぶさってくるだろうが、それは構造上避けられないものでもあると思う。もちろん会社としてそうしたリスクをどうやって分散させていくかは知恵の使いどころだろうが、僕はその業界にはいないのでなんとも言えない。何しろ、「派遣業者はたくさんピンはねしやがって」という批判に対して安易に首肯する気にはなれないのである。

ただ、「儲かると思うなら自分で会社をやっちゃえば良いじゃん」という考え方にもひとつ落とし穴がある。この考え方は「日本は自由社会なんだから」という大前提があるのだけれど、もしこの業界が「自由な競争と情報の流通がない業界」だとしたら、そういう簡単な話ではなくなる。ここで考えなくてはならないのは「規制」である。

僕は労働基準法や労働契約法などについては非常に批判的な立場で、それは過去のブログの記事でも書いているけれど、要は「労働者を保護する目的で作った法律が、結果として労働者の自由を束縛し、不自由な状態にしている」ということである。同じような構造で、「労働者を保護する目的で派遣業に対して何らかの規制をしていることが、労働者にとって不利益となっている」ことも十分に考えられるのである。こうした規制があれば、新しい業者が新規参入することが難しくなり、結果的に業界は寡占が進むことになる。この業界がもしこういった新陳代謝の悪い状態になっているとすれば、自由競争が妨げられていて、労働者にとって著しく不利な状態が作られている可能性もある。

人材紹介と人材派遣は根拠法が異なっているので、規制の状態も異なっている。ざっくり調べてみたところによると、

人材紹介(職業紹介)
根拠法:職業安定法
規制の状況:職業安定法第30条〜に規定、所轄は厚生労働省

人材派遣(労働者派遣)
根拠法:労働者派遣法
規制の状況:労働者派遣法第5条〜に規定、所轄は厚生労働省

という感じで、それなりに規制されているようだ。が、この法律では具体的な条件等は記述されておらず、実際の運用については厚生労働省の担当部署に問い合わせる必要があるようである。ただ、僕自身は別に人材派遣業をやりたいとも思わないので、詳細を調べるのはやめておく。このブログを読んでいる人の中にはこのあたりをきちんと調べた人もいるかもしれないので、そのときは教えていただければ幸いである。ということで、「どうやらそれなりに規制はあるようだね」というあたりで話を先に進めたい。

今回のような事件が起きると、まず最初に起きるのが「派遣が悪い」といった指摘で、続いて起きるのが「そんな業者を放置するのが悪い」という指摘である。このあたりまではテレビのワイドショウなどが旗を振って、馬鹿なコメンテーターがしたり顔で喋るといった形で進む。そして、メディアを中心に「業者をもっと規制しろ」という話がでてくることになる。しかし、もしそれが実現すると、業界が硬直化することになってしまうのだ。その結果どうなるのかといえば、新規業者の参入が困難になり、労働者は一見守られているように見えて、実は全く逆に、自由度を失ってしまうことになる。また、規制によって結果的に守られることなる業者も、規制をクリアし続けるためのコストが発生する。このコストは誰がかぶるのかといえば、最終的には商品である労働者の給与に反映されるのである。

日本人は本当に規制が大好きだけれど、規制によって何が導かれるのかということに対しては無頓着だ。規制とは、生活者を守るものではない。正確には、短期的には守るけれど、長期的には害になるものがほとんどだ。例えば同じ労働問題に含まれるものとして最低賃金がある。今も最低賃金引き上げ云々という話が耳に入ってくるが、典型的な「先見の明がない」対策である。確かに、短期的には、今最低賃金で働いている人の賃金は多少アップするだろう。世の中の大勢の人は、「あぁ、これで低賃金で働く人が減って良かったな。これで貧困が減って良かったな」と思うのかもしれない。しかし、実際はそんなことにはならない。なぜなら、雇用主たちは、長期的には、費用対効果に見合わない高賃金労働者を解雇するだけだからである。法律が変わったからと言って、その他の状況が変わらないにも関わらず、それまで低賃金で働いていた人間を高賃金で雇うことはない。なぜなら、それは会社の利益に反するからである。

「秋葉原事件の背景には人材派遣業がある」という意見について僕はかなり懐疑的なのだけれど、その延長線上にある「人材派遣業はけしからん」という意見についても懐疑的である。ただ、それは単に業界の事情を知らないからかも知れず、きちんと検証すべきは業界の規制状況だと思う。ただし、それは「きちんと規制されているか」ではなく、「きちんと自由化されているか」である。このあたり、僕の考えは世の中の方向性とはかなり温度差があるような自覚があるのだが、実際はどうなんだろうか。

何しろ、そういった規制が及ばない範囲で何かできることはないのかな、と日ごろから考えているわけで、これについては近々、何らかの目に見える形で行動に移す予定である。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/buu2/50691154