ま、もともと僕は規制緩和を進めたいタイプの人間だから、僕の意見にはきっと偏りがあるんだろう。だから、この意見もマイノリティかもしれない。それを最初に書いておく。
さて、昨日、こんな記事が掲載された。
こんにゃくゼリー:死亡幼児は兵庫県の男児 安全性問う声
今日の新聞にも、似たような記事がいくつかあった。朝日新聞などは「メーカーは責任を回避していてけしからん。現行法では規制できない。これは縦割り行政のせいだ。早く消費者庁を作って対応すべし」みたいな論調である(読む人が違えば受ける印象は違うかもしれないけれど、僕はこう読みました)。
死亡した幼児(1歳10ヶ月)は非常に気の毒だと思うが、この事故、責任はどこにあるって、メーカーではなく、そんな小さな子供にこんにゃくゼリーを食べさせた人間にあるに決まっていると思う。わざわざご丁寧に凍らせたものを食べさせたというのだから、責任がどこにあるのかは明らかではないのか。
「こんにゃくゼリーの安全性を問う声が高まるのは必至」などと新聞は煽っているが、製品の販売停止などにつながるようなら本末転倒といわざるを得ない。
たとえば、普通に売っている包丁。これを人間に向けて刺したら、大変なことになることは一定の年齢以上になれば誰でも知っている。そして、その年齢に達していない子供には包丁を渡さないほうが良い事も知っている。だから、包丁は販売が中止されない。大事なことは、「包丁は使い方によっては危険であること」を、みんなが共有していることである。
包丁はいくらけが人が出てもニュースにもならないし、包丁を使った事件が起きても「包丁を禁止しましょう」という話にはならない。なぜかといえば、包丁は生活になくてはならないものだということをみんなが共有しているからである。ここでも「共有」がキーワードだ。
ところが、こんにゃくゼリーは生活の必需品ではない。もしこれがなくなったとしても、「残念だな」と思う人はいても、生活が一変してしまう人はそれほどいないだろう。だから、安易に「販売を禁止してしまえ」という意見が出ても不思議ではない。しかし、このゼリーを生産して食べている人間は間違いなく存在する。その人たちは、おそらく「落ち込んでいるこんにゃくの消費をどうやって増やしたら良いのか」と知恵を絞り、この商品を開発したんだと思う。僕はかつて富山県の水産業の振興策というのを受注し、コンサルテーションしたことがある。直接のクライアントは富山県だったが、その先にあるのは日々の暮らしで苦労している漁民の人たちだった。そして、彼らの生活がどうやったらもっと豊かになるのかを考えた。その中には、「新商品の開発」というものも含まれていた。生活に困っている漁民の人たちの一緒になって知恵を絞り、「これはどうだ」「あれはどうだ」などと製品の候補を考えたのである。ひとつの製品に含まれている「思い」というものが、多岐にわたっていることに一般の消費者は気がつかない。その先には色々な人たちの生活がかかっているのである。こんにゃくゼリーひとつ取っても、それで生活している人がたくさんいることは想像に難くない。つまり、「生活に必須ではないから」などと安易に考えるべきものではないのだ。目の前で死んでいった子供に同情したくなる気持ちはわかるが、きちんとした分析もなしに感情的に動くのは愚かである。
そもそも、こんにゃくゼリーの死亡事故はこれまでに17件である。17人の死者が出ていることは決して無視できない事実だが、では、毎正月、餅を喉に詰まらせて死ぬ人がどのくらいいるのか、ということになる。
#不思議なことにもちを喉に詰まらせて死んだ事故についてのデータがネット上にほとんどない。新聞記事レベルでは「○○人が救急車で運ばれ、○人死亡」ぐらいで、統計データが見当たらないのである。
何か政治的な圧力が感じられないでもないのだが、とりあえず見つけてきた古いデータによると、1996年には一ヶ月間に200人以上が餅を喉に詰まらせて死んでいるようだ。
死とシルバーデータ(1)
資料の出典は「『厚生の指標』96.12」
こんにゃくゼリーがだめなら、餅なんか即座に販売中止である。こちらの方が100倍ぐらい危険なのだから。しかし、「餅の販売を規制しよう」という議論を僕は見たことがない。「これまで長い間の歴史があって、日本人に親しみがあるから」というのが根底にあるのだろう。餅を販売中止にするなどということは最初から想定外なのだ。そして、多くの人が「餅による死亡事故」についてどう思うかといえば、「餅を喉に詰まらせるのは、食べた方に責任がある」「運が悪かった」ということである。
#正確に分析するなら、消費量と死亡事故の関係を分析し、危険度を考える必要がある。しかし、この事案はそこまでやる必要があるか疑問である。
国民生活センターがこの件について販売規制の検討を求めるのは一向に構わないし、そうやって問題提起して、それに対応して政府が検討することは合意形成の手段として必要だと思うのだが、その結論が「販売規制」などとなるのであればまったくのお門違いである。やるべきことは、「こんにゃくゼリーは幼児やお年寄りには危険である」ということを周知徹底することである(実際にはもうこうした手段は講じられているのだが)。そして、さらに重要なことは、「現状の対処でもすでに十分な可能性もあるし、また、さらに徹底した周知をしても、死亡事故は減少しない可能性がある」ということを認識し、共有することにある。なぜなら、今でも毎年正月になると餅を喉に詰まらせて死亡する事故がなくならないからだ。「注意すれば事故は完璧になくすことができる」わけではない。日本人の中には、「注意していれば事故は絶対に防げる。そうした努力をすべきだ」と考える人もいるかもしれないが、そこは費用対効果の問題もあるし、「自由」とのトレードオフの問題もある。規制というのは常に自由と緊張関係にある。
こうした中で、野田聖子消費者行政担当相はこんにゃくゼリーの販売禁止措置を働きかけるかどうか検討しているらしい。
こんにゃく入りゼリー販売禁止要請を検討…野田聖子氏
ま、検討するのは悪いことではない。ただし、結論が「販売禁止」などとなれば「お前は馬鹿か?」ということになる。言っちゃ悪いが、結論が決まっているのだから(ただし、常識的には、だが)、それについてわざわざ検討する必要もないと思うのだけれど、そこはポピュリズムが進行している日本だから、「一応検討していますよ」というポーズが「こんにゃくゼリー規制推進派」に対して必要なのかも知れない。
何しろ、規制が増えるということは役人の権限が拡大するということ。そして、一度拡大した権限を縮小するにはものすごく大きなエネルギーが必要になる。日本人は安易に「規制しろ」と言うが、それが自分たちの首を絞めていることに気がつくべきだ。朝日新聞などは「さっさと消費者庁を作ってバンバン規制しちゃおうぜ」みたいな考え方なのかも知れないけれど、そんな社会主義社会を作って嬉しいのかと疑問に思う。ま、嬉しいのかも知れませんね、朝日新聞は。僕は気持ち悪いけどね。
追記:この件について書いているブログをいくつか紹介しておく。
こんにゃくゼリーで死者
こんにゃくゼリーは危険!
こんにゃく入りゼリー販売禁止要請を検討…野田聖子氏
こんにゃくゼリー叩きは馬鹿親の八つ当たり
こんにゃくゼリーよりお餅の方が危険では
さらに余談ですけど、このブログには「馬鹿に関する備忘録」というカテゴリがあって、その中には野田聖子氏に関するエントリーもあります。