2008年10月20日

面白い記事

こういう風にやっちゃうと頭が悪く見える、という典型例。折角だから全文転載。

コンパス:先月下旬、夏休みを取って韓国に出向いた… /滋賀
 先月下旬、夏休みを取って韓国に出向いた。ソウルの地下鉄に乗ると、大声で女性用のストッキングなどを売り歩く男性らがいて、とてもにぎやか。寝入った2歳の息子を抱いて乗車すると、席を譲ってくれる男性がいて、さりげない心遣いに感心させられた。

 車内では、若者からお年寄りまで携帯電話でおしゃべりしていた。日本には静かに乗車するよう努める暗黙のルールのようなものがあり、電車内で通話すると、他の乗客の冷たい視線を浴びるが、韓国の習慣では問題がない様子。日本でも「せっかく外出時に重宝する道具なのだから、思う存分、通話してもいいのでは」と思った。

 電車内の怪しげな物売りもたくましくて、見習いたいくらいだ。ただ、ドアの前であぐらをかいて地べたに座り込む高校生の姿は、日本の若者と同じで、みっともない。【近藤修史】

毎日新聞 2008年10月18日 地方版


出典:コンパス:先月下旬、夏休みを取って韓国に出向いた… /滋賀

全てを台無しにしているのは「ただ、ドアの前であぐらをかいて地べたに座り込む高校生の姿は、日本の若者と同じで、みっともない。」という部分。それまでは「韓国の地下鉄はすばらしい。私の考えにぴったりだ」という感じで来ていて、「あぁ、この人は韓国に移住したら幸せなんだろうな」と微笑ましく思う内容。ところが最後に例外を入れてしまったために、「なぁんだ、自分の好き嫌いを主張しているだけだったのか」となってしまう。そもそも、最後の文章、要らないでしょう。そりゃ、「韓国マンセー」って思われるのもなんだから、ちょっと反例も入れておこうかな、と思うのはありだと思うんだけれど、それが「座り込む高校生」っていうんじゃ、「ケータイは○で座り込むのは×という基準はお前の主観だろ」ってなっちゃう。

そうか、何が駄目って、にぎやかは○だけど座り込むのはみっともないという記者の主観の垂れ流しだからか。「韓国行ってきました。韓国は車内に物売りがいて、ケータイもオッケー。おかげで凄くにぎやか。高校生は地べたに座り込んでいて、まるでお花見みたい!」みたいな客観的な記事なら良かったんだな、うん。

あ、でもそれじゃぁ、突っ込みどころがなくてつまらないか(笑)。

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この記事へのコメント
高度な文化を享受するためには、高度な知恵とセンスが必要なんだってことがわからないんでしょうね。自己をただ解放するだけ。社会に対してただ権利を要求するだけ。間が抜けていると言っていいと思います。
Posted by Sazanami at 2008年10月20日 12:51