2009年05月05日

雨の夜に。

先日、忌野清志郎さんがなくなりました。

僕は彼の音楽にどっぷりと漬かったことはありません。でも、彼の音楽はもちろん聴いたことがあります。彼の音楽の特徴は、一言で言えば「ストレート」。フィクション性が希薄で、個別具体的なメッセージがストレートに存在し、そして、それを音楽に乗せている、というものだと思っています。「あぁ、こういう音楽もありなんだな」と思ったわけですが、あまりにも具体的なため、僕はそこに自分を重ねることが出来ませんでした。でも、「忌野清志郎はロックだ」と言われると、なるほどと思いました。「あいつはロックだ」と言ったときのロックとは何なのか、実はその問いに対する回答を持ち合わせていません。だから、正確には、僕の中では忌野清志郎さんの生き方は、「ロック」ではなく、あくまでも「忌野清志郎さんの生き方」なんだと思います。「ロックな生き方」はわかりませんが、「忌野清志郎の生き方」ならわかります。あんな生き方のことを、世の中では「ロック」だと言うのでしょう。

僕にとって、そういう、人の名前を冠するような生き方をした人は本当に少数です。しかし、少数ではあっても、間違いなく存在します。ほとんど真剣にその作品を聞いたことがないのに、なぜ彼が僕にとってそういう人物になったのか、実はわからなかったりします。それにしても、僕ももう人生の半分を終わっているので、これからの人生では多くの「尊敬すべき人たち」が亡くなっていくことになります。今回もその一つだったわけです。

そうやって、自分が参考にすべき人がだんだんと少なくなっていくにしたがって、強制的に、そして必然的に、自分は徐々にもらう側から与える側へと立場が変わってくるはずです。では、自分は本当に人に何かを与えることができているのか。何か与えるものを持ち合わせているのか。去ってしまった人は戻ってきません。その人が自分に残したものを、あるいは自分が自分の人生で学んだことを、僕なりのやり方で次に伝えること、これが自分の役割なのに、僕は何を渡したら良いのかすらわかっていません。仕方がないので、僕はめくらめっぽうに、色々なものを後輩たちに投げつけています。

何しろ、「忌野清志郎」という時計は止まってしまい、新しいものを生み出すことはなくなってしまいました。彼がいなくなった世界で、僕たちは忌野清志郎さんの表現者としてのDNAをどうやって受け継ぎ、どうやって伝えたら良いのかを考えなくてはなりません。でも、お手本はあるのですから、新しく作り上げるのに比べればずっと楽なはずです。偉大な先人に感謝しつつ、自分の役割について今一度しっかりと見つめなおそうと考えています。

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この記事へのコメント
晩年はCD売れなくて御苦労なさったようですよ。
かなしいですね
Posted by きど at 2009年06月10日 21:26
> 晩年はCD売れなくて御苦労なさったようですよ。
> かなしいですね

目の前に当たり前に存在していると、その価値というのはなかなか見えないものです。なくなってみないとありがたみがわからない、なくなってみてはじめて気が付く、という場面に再三出会うわけですが、何度も同じことを繰り返してしまうのがなんとも間抜けな話です。

でも、それでも少しずつは良くなっていきたいな、と思います。
Posted by buu* at 2009年06月11日 00:30