2009年05月06日

追悼 夕刊フジBLOG

夕刊フジBLOGが3月末で終了していた。

新聞社初のブログサイト「夕刊フジBLOG」が更新終了するワケ

「あれ?そうなんだ。もしかして、2008年の3月だったりしないよね?」などと思い、何度か日付を確かめてしまった。間違っていたら恥ずかしいからね(笑)

夕刊フジBLOGには何度もトラックバックさせてもらった。それは、頻繁に誤植をやらかしてくれたからである。「こんな誤植ハケーン」みたいなのりで、誤植を見つけてはこのブログで取り上げて、トラックバックしていた。面白かったのは、きちんと夕刊フジBLOGからメッセージが届いたこと。「面目ない」みたいなコメントが僕のブログに書き込まれるたびに、心の中でクスリと笑ったものである。そのやりとりは「誤植」という一種の揚げ足取りを介していたから、夕刊フジBLOGにとってはあまり快いものではなかったかもしれないのだが、僕の中では実は結構夕刊フジという媒体の評価が上がっていた。なぜなら、彼らのコミュニケーションのやり方が非常に適切だったからだ。ブログを通じた閲覧者とのコミュニケーションというのは彼らにとっても未知のものだったはずだが、彼らが実際に行ったそれは、僕が著名人のブログ運営を手伝うときの一つのお手本となった。それは、「なるほど、こういう対応は誰も不快にさせないな」と、僕自身が感じたからである。

そんな夕刊フジBLOGとの誤植を介したコミュニケーションも、最近はすっかりご無沙汰になっていた。僕自身が以前ほど誤植発見に熱心ではなくなったということが最大のものなのだけれど、彼らが発信するニュースが僕の中でどこかに埋没してしまっていたのも間違いがない。それは、多くのマスコミがブログを利用して情報発信するようになってきたことと無縁ではない。夕刊フジの前に道はなかったけれど、彼らが通った後には太い道が出来上がり、そしてそこを多くの後続が利用したことにより、彼らの存在感は徐々に希薄になってしまったのだろう。

夕刊フジBLOGの最後の記事では、終了の理由を次のように書いている。

そうした時代にあって、「新聞社初のブログサイト」という看板にはもはや新規性はなく、夕刊フジも「次」のステージに進むべきだと考えたのが更新終了の理由の1つです。


これは正しくもあり、また正確ではないとも言えるような気がする。実際のところ、「なぜ辞めるのか」といえば、アクセス数が落ちてきたということに尽きるのだと推測する。もちろん、アクセス数が落ちたのは「新規性がなくなった」という部分が大きいのだから、この記述は間違ってはいない。新規性がなくなった、独自性がなくなった、多くの後続が現れ、結果としてその中に埋没した、ということなんだと思う。それは決して恥ずかしいことではない。

広告収益モデルを狙い、無料で記事を掲載してきた新聞社サイトが軒並み苦しい経営を強いられるなか、夕刊フジBLOGは紙とネットを利用した、従来にない試みにチャレンジするべく、しばし現状を静観しようと思います。


とあるのだから、再び新しいチャレンジを始めることを楽しみにしていたいと思う。今、ライブログでは企業と一般ブロガーをつなげる新しい仕組みを開発中なのだが、このシステムなどももしかしたら夕刊フジBLOGのような媒体にはフィットするかも知れない。まだシステムはテスト段階なのだけれど、一度ラフな感じでディスカッションしてみるのも面白いかもしれない。

一つだけ残念なことは、

1人でも多くの方に「夕刊フジBLOG」の記憶をとどめていただければ、編集者としてこれに勝る喜びはありません。


としている一方で、

誠に勝手ながら2009年3月末日をもってBLOGの更新を終了いたしました。
また2009年6月末日をもって本BLOGの運営を終了させていただきます。


としている点だ。更新の終了と別の形で運営の終了を宣言している以上、コンテンツを全て削除してしまうという意味なんだと思う。テキストデータ自体はそれほど大容量だとも思えないので、できればコンテンツはそのままに残しておいて欲しいと思うのだが・・・・。まぁ、お金を払うのは僕たちではないのだから、これまた仕方がないところである。

ぶっちゃけ、夕刊フジBLOGが始まるまで、僕にとってはゲンダイとフジの違いは良くわからなかった。でも、今はその違いがわかる。

僕は自分のブログでときどきマスコミ批判を繰り広げるし、その批判は夕刊フジにも当てはまるかも知れない。中には「え?」と思ってしまうような記事もあった形跡がある。しかし、それでも、僕は夕刊フジBLOGは良いサイトだったと思うし、また担当者の人は良い人だったと思う(それが誰なのか、一人なのかすらわからないのだけれど)。

当サイトを「夕刊フジ」で検索した結果
夕刊フジBLOGさんから最初にコメントをもらったエントリー

人の一生を最初から最後までウォッチできる機会はあまりないのだけれど、このサイトはその誕生から終了までを見届けることができた。そして、それが残したものもしっかりと認識できる。最後の記事に誤植があれば最高だったのだけれど、残念ながら見つけることができなかった。

また会える日を楽しみにしたいと思います。そのとき、何か一緒に新しい仕掛けを提供できるなら素晴らしい。

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