2009年05月28日

ディア・ドクター

まずは、ネタばれなしレビュー。ネタばれ部分は追記に書きます。

昨日観た「ザ・スピリット」は映像を加工して彩度を落とした映画だったけれど、今日の映画は日本の田舎を舞台にすることによって彩度と明度を落としていた。水墨画の世界ともまた違う、日本独特の風景を映し出していて、ちょっと懐かしい感じ。

そんな田舎を舞台にした医療ドラマなのだけれど、あるターニングポイントの前と後を物語はいったりきたりする。

その「ターニングポイント」こそがネタばれなのだけれど、それ自体は僕の場合、最初の15分ぐらいで気が付いて、30分ぐらいでそれが確信に変わり、あとはその風呂敷をどう畳むのか、ということが焦点になってきた。ま、そのあたりはネタばれレビュー部分を読んでもらうとして、その、あるポイントの前と後を行ったり来たりするのが非常に演劇的で、あまり映画を観慣れていない人だとちょっと戸惑うのかも知れない。まぁ、そのあたりの組み立ては決して難しくないので、慣れてしまえばどうってこともないと思うのだけれど。さて、そういう構造の中で、「前」も「後」も短めのエピソードを断片的に盛り込んでいくことによって、物語は構築されていく。特に「前」については、最初は散漫なエピソードなのだが、それが徐々に一つに収束し、やがてこの映画のテーマが明確になるというつくり。一方で、「後」の方は収束したものを徐々に発散させていくことによってエピローグへとつなげていく。このあたりの計算された構造がなかなかに見事で、「あぁ、脚本の段階で物凄く練りこんでいるんだな」という印象を受ける。

とにかく映画のかなり初期のところでネタに気が付いてしまったため、そこからは興味は「どうやって広げた風呂敷を畳むのかな」という一点に意識が集中してしまった。なので、そこが駄目なら映画の評価も駄目になるし、そこがうまければ映画の評価は一気に高くなる。では、その畳み方はどうだったのか、ということなのだが、正直、見事だったと思う。メインのプロットは別に全然珍しいものではないのだけれど、その描き方と、ラストが良かった。

去年公開された邦画の中で高く評価したのは「百万円と苦虫女」だった。あの映画と本作の共通点は「日本の都会ではなく、田舎を描いたもの」というのはもちろんなのだが、実はもっと大きな共通点として、「比較的若い女性監督による作品」ということがある。「百万円〜」はタナダユキ氏によるものだったが、あれも脚本、監督を自ら手がけていた。本作も西川美和氏が原作、脚本、監督を手がけている。日本の女性監督というのはなかなかやるね。

ネタばれレビューを読みたい方は追記をどうぞ(ただし、ここまでのレビューで観た方が映画は楽しめると思います。事前の情報はほとんどなしで、フラットで観て欲しいです)。今年前半の邦画の中では文句なくナンバー1(洋画を入れちゃうと、やっぱり、グラントリノがねぇ(笑))で、☆3つ。
さて、ネタばれレビュー。

この映画は無資格医と村人の交流を描いたもの。映画は、資格がないことが村人の知るところになる前と後をいったりきたりすることになる。前は無資格医のとんちんかんな診察っぷりを描いているのだけれど、あとで齟齬がでないように、かつ、あまり不自然さを感じさせないような脚本にしたつもりだったのかも知れない。が、生物を専門にしていて、医薬品の開発などもやってきている人間にとっては「これはない」というようなもので、観ていてすぐに無資格医ということはわかってしまう。ただ、別にそれがわかってしまったからといって映画がつまらなくなるわけではない。そもそも、無資格医の話というのはブラック・ジャックの中にも地域医療に携わる高齢医者の話があったし(って、そもそもブラック・ジャック自身が無資格医だけれど。ちなみに漫画では、無資格医がばれたおじいさんは、そのあと医学部に入りなおしたところでその話は終わる)、映画でもあった。そのあたりを西川美和氏が全く知らなかったとは思えず、そういったシチュエーションを取り入れながら、また別のものを表現したかったのだろう。ということで、メインに配置されたネタ自体は実はそれほど大きな問題ではないと思う。

「前」については笑福亭鶴瓶のコミカルな演技が中心で、それを余貴美子、八千草薫が上手に引き立てる。正直、瑛太の演技はちょっとどうかなぁ、と思ったけれど、まぁ、全然だめ、ということもない。いくつかの分散したエピソードがやがて八千草薫のエピソードに集約され、そこに井川遥が絡んできてターニングポイントへと行き着く。無資格医は、どうしてそれまでの全てを捨てて逃げ出さなくてはならなかったのか。このあたりも、無資格医の親子関係、がん患者の親子関係あたりを対比しつつ、無理なく描かれていたと思う。

同時進行の「後」は、無資格医を追い続ける警察官の聞き込みが中心になって話が進むが、このあたりは「無資格医」に対しての複数の人間の見方、表現の仕方がそれぞれに変わっていて、このあたりは有吉佐和子の「悪女について」のような感じで一つの見所。これまた、なかなかに工夫された本だったと思う。

そして、いよいよラスト。ちょっとしたエピソード、物語にはそれほどの影響を与えないようなエピソードが挟まれたあと、そのシーンはやってくる。その場所に、その人が現れる不自然さはもちろんあるのだが、そんなこんなを全て忘れさせるような、そして、余韻を残すような終わり方。これがなかなかに見事だった。考えてみると、この終わり方も結構演劇的だったかも知れない。でも、演劇では、ラストのあの微妙な表情は、なかなか伝わらないんですよね(前の方の座席じゃないとね)。そのあたりは、やはり、映画ならでは。そういう意味で、演劇的な表現を上手に利用した、映画らしい映画だったのかも知れない。

余貴美子がねぇ、良いんです。おくりびとでも良かったけどね。

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この記事へのコメント
>日本の女性監督

荻上直子女史

『バーバー吉野』と『かもめ食堂』まではよかったのだけど…。

もたい依存をなんとかせえー!!とおじさんは言いたい。

コッポラの娘もなかなか(ry
Posted by ライトユーザー at 2009年05月28日 23:35
> 『バーバー吉野』と『かもめ食堂』まではよかったのだけど…。

かもめ食堂は良かったですね。
http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50589936.html

> コッポラの娘もなかなか(ry

ソフィアはマリー・アントワネットしか観てないんですが、あれはイマイチだったかなー。

http://blog.livedoor.jp/buu2/archives/50542955.html

まぁ、DVDで観ているので、正当な評価とはいえないのですが・・・
Posted by buu* at 2009年05月30日 13:39
>ソフィアはマリー・アントワネット

マリー・アントワネットは確かにイマイチでしたねorz
バージン・スーサイドは見る人を選ぶ映画
ラスト・トランスレーションは今までに無くデフォルメされてない等身大の日本を描いてあるので、なかなか秀逸。
Posted by ライトユーザー at 2009年05月30日 22:24
またまた失念してましたorz

バージン・スーサイド→ヴァージン・スーサイズ
ラスト・トランスレーション→ロスト・イン・トランスレーション
Posted by ライトユーザー at 2009年05月31日 04:50
> またまた失念してましたorz

ドンマイです。
Posted by buu* at 2009年06月01日 00:11