2009年06月19日

SNSを利用したネット会議

ライブログはSNSのビジネス利用を提案する会社なので、管理しているSNSもかなりの数になるし、自分たちで利用しているSNSも当然たくさんある。僕が仕事で利用しているものとしては、社内イントラはもちろん、お客様の問い合わせ窓口、スキー販売における会員管理などがある。また、ビジネスの場面での会議、打ち合わせの場としてテンポラリーに利用するケースもある。

さて、会議や打ち合わせの場としてのSNSの利用は、うまく行くケースとうまく行かないケースがある。では、どういう場面でうまく行かないのか。

結局のところ、「参加者が責任回避・自己保身に走った場合」に、うまくまわらなくなる。

僕はこれまで、さまざまな組織に身をおいてきたことがある。その中で一番勉強になったのは経済産業省で役人をやっていたときだが、経済産業省に入って一番驚いたことは、省内のコンセンサスなしに自分の判断で発言できる、ということだ。もちろん、最低限の意思統一はある。たとえば「日本で為された発明は無償で海外に供給されるべきだ」などという考え方は100%受け入れられないし、そうした思想をベースにした発言は許容されないだろう。ただ、これは極端な例であって、実際はこの手の思想は簡単に「これは○」「これは×」と分類できないから、判断はなかなか難しい。そうした判断は個々に任されるわけだが、それはそれとして、僕がやっていた課長補佐というポストでは、地方自治体の首長が参加するような会議、あるいは政治家へのレクなど、かなり責任の重い場面における発言であっても、何かしらの指示とか、指導というものを受けたことがなかった。つまりは自分の責任において、自分の考えを提示できたのである。僕のような自己顕示欲が強く、また自分の主義主張を正確に相手に理解して欲しいと考えるタイプの人間にとって、こんなに居心地の良い環境はなかった。今は株式会社の社長という身分だが、今の方がよっぽど制約があるくらいである。僕が同僚として見てきた中央の官僚はほとんど僕と同じように自分の考えをどんどん主張していたし、それが許容されていた。ただ、許容されていても、それを活用するかどうかは別の問題で、活用するかどうかはあくまでも個人の性格などによっていたと思う。キャリア、ノンキャリというような簡単に思いつくような分類ではない。ノンキャリの係長などでも言うべきことはどんどん発言するタイプの人間も決して珍しくはなかった。また、キャリアでも自分の意見を表明する場面は必要最小限にしようとするタイプももちろん存在した。場はフリーである、あとは個人の資質と裁量で、という状況だったということだ。僕は理研で3年弱働いた後、文部科学省のバイオ行政を熟知している人間として(いわば、スパイ(笑)?)経済産業省の課長補佐としていきなり中央官庁に入ったので、最初の外部会議のときはさすがに驚いた。何も知らされずに「ちょっと行ってきてくれ」と頼まれ、一人で参加した会議で、いきなり経済産業省の意見を求められたのである。もちろん僕も専門家としての知識があったから、その場では意見表明をしたけれど、当然のごとく「個人的な見解ではありますが」と注釈をつけての発言だった。会議から戻り、課長にその旨報告すると、「あ、そう。じゃぁ、また次もよろしく」で終了である。そのやり取りで、「あぁ、勝手に自分の考えで発言してしまって良いんだ」ということを理解し、同時に自由の大きさと責任の重さを理解した。

さて、SNSである。ライブログが設置する電子会議場は、基本的に外部からは見えない。参加者は議長からの招待状によってのみ、会議に参加できる。参加のハードルは高いが、一方で誰でもいつでも発言できるので、情報の共有性、即時性などに優れるのはもちろんだが、誰でも同じ環境でフラットに発言できるという特色がある。社長だろうが、部長だろうが、平社員だろうが、関係ない。ただし、発言はずっと残るし、後から参加した人間も遡って参照することができる。そうした、未来への責任までも持ちつつ、発言することが求められる。つまりは、経済産業省と同じように、参加者には大きな自由と重い責任が与えられることになる。いや、いつでもパソコンとインターネット環境さえあれば書き込み可能だし、書き込みは自動的に記録されてしまうので、「オフレコですが」という但し書きが不可能な分、より大きな自由度とより重い責任が存在するのかも知れない。

僕などはこうした会議場は快適以外のなにものでもないのだけれど、色々運用していると、そう感じない人もちらほら目に付く。そういう人は中間管理職、それもやや上目の人に多い印象があるのだけれど、そういう場では怖くて発言できない、というのである。SNSによる会議場設置の意図は、「どんどん発言してもらって、アイデアを出してもらって、それをみんなで検討して、少しでもいいものにしていきましょう」というポジティブなものだけれど、「余計な発言をしてあとで責任を取らされたら困る」とか、「上長の意向を確認してからでないと発言できない」というタイプの人間にとっては非常に居心地の悪いシステムに見えるようだ。

ベンチャー業界で打ち合わせをしている限りでは、もちろんほとんどの人間が攻めのタイプで、あまり防御に気を配らない。多少の失点はあったとしても、それ以上の得点があればトータルでプラスと考えるし、何より「今よりも少しでも向上しなくては」と考える。だから、SNSの会議場は円滑にまわっていく。ところが、大企業や中央以外の公務員、あるいはそれに類する組織などでは話が逆になる。つまりは、パスミスを恐れずキラーパスを狙う組織ではなく、バックラインでいつまでもパスを回していたいタイプの組織だ。以前、バイオインダストリー協会とSNSで打ち合わせを試みたことがあるのだが、そのときが典型的な事例である。今はどうなのか知らないし、2年ほど前に僕が大変お世話になった塚本氏が協会の専務理事に就任しているから、体質は随分と変わっているのかも知れないが、とにかく当時は「SNSでは記録が残ってしまうので、書き込みしにくい」などと平気で言ってくる組織だった。まぁ、生物系大企業から出向でお手伝いに来ている人が中心の組織だったから、何しろ失点しないことが重要で、得点のことなどはあまり考えていなかったのだろう。こうなってしまうと、もう全然駄目だ。

では、今の日本社会において、得点することが重要なのか、それとも失点しないことが重要なのか。このあたりは個人的には非常にはっきりしていると思っているのだけれど、実際のところ、そうでもないんだろうか。「いやぁ、SNSの会議って、凄い便利ですね。どんどんやりましょう」という意見がたくさん聞こえてくるような社会になって欲しいものである。

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