2009年08月18日

ちゃんと伝える

c5736dba.jpegガンで入院している父親のお見舞いに行っているうちに、自分もガンであることが判明。場合によっては、父親よりも自分の方が先に死ぬかもしれない。

ものすごく面白そうな設定だ。

「これは面白いに違いない」と期待して観にいったのだけれど、実際は、「あれ?」という感じ。設定は凄く面白い。そして、色々な技巧も盛り込んでいる。でも、観終わって感じるのは「面白そうだったのに・・・」という失望。

何しろ、色々と不自然なことが多すぎる。デートの当日に電話で待ち合わせの相談をするとか、景色について語るときに「美しい」と文語的な表現をするとか(「あそこってきれいだよね」とか、「あの景色はすばらしいよね」とは言うけれど、「あの景色は美しいよね」とは普通言わなくない?少なくとも、男はこういう台詞を日常会話で言わないと思う)、病室が大部屋なのに同部屋の客(患者)が誰もいないとか、焼き場の予約が午後遅い時間だとか(1時間遅れただけでもう夕方って、こういう時間設定は普通なくない?)、凄い近所なのに夜に彼女を家まで送らず、途中でさようならするとか、細かいところで突っ込みどころが満載。そして、それらに目をつぶったとしても、致命的なのは主人公の病状に全く切迫感がないこと。末期の胃がんだというのにはくわけでもない。やせるわけでもない。普通に生活して、凄い勢いでダッシュしたり。ガンを感じさせるのは唯一食欲がないことだけ。これでは全然説得力がない。

「親父よりオレが先に死ぬのは親不孝だ。親父、先に死んでくれ」

この痛切なメッセージは非常に心に響くのだが、それが映画の中では全く生かされない。あれ?どうしてこうなっちゃったの?これで良いの?

この映画は構造的に凝ったところがあって、主人公の状況が変わったあとについて、同じシーンを重複して見せている。観る側が事実を知る前と知ったあとで、同じシーンを違ったかたちで受け止めて欲しい、ということなんだろうけれど、残念ながら、事実を知る前と知ったあとで、受ける印象はほとんど変わらない。それは、役者のせいではないと思う。多分、演出のせい。そして、同じシーンを二度観ることを強要されるのはちょっと苦痛。同じ映像でも、受け取り方が全く違う、というのなら見事な演出と言えるのだけれど、「全然一緒じゃーん」という印象なので、策士策におぼれる、という感じになってしまった。

泣かせるシーンがいくつか配置されているのだけれど、そのたびにわざわざ笑いで逃げているのもどうなんだろう。監督の照れ隠しなのかも知れないが、「ちょっと、ここでそのシーンは不要なんじゃないの?」と思わないでもない。

せみの抜け殻、キンチョール、釣り、サッカーといったアイテムも必然性が感じられないものばかり。

そしてラスト。「ちゃんと伝えなくちゃ」という父親の思いはなんだったのか。それが全然伝わってこない。焼き場に行く途中でわざわざ死体を連れ出す行為。ヒロインは「そういう行動に出たのもなんとなくわかった」と言っていたけれど、こちらは全然わからない。

言葉が足りないのか、表現が稚拙なのか、あるいは観る側の感受性が足りないのか、そのあたりはなんとも言えないのだけれど、とにかく「ちゃんと伝える」というタイトルが皮肉に見えるほど、伝わってこない映画だった。

いい素材をたっぷりと使って、「さぁ、どうぞ!」と出された期待十分のお皿だったのに、食べてみたらぼやけた味の料理だった、みたいな、そんな映画。観ても何の価値もない「山形スクリーム」とは全然違うのだけれど、山形スクリームが「さぁ、笑ってください」という映画だったのに全然笑えなかったのと同様、「さぁ、泣いてください」という映画なのに、全然泣けない映画だった。観ることが時間の無駄だとは言わない。ある程度の価値がある映画だとは思う。でも、評価は☆半分が良いところ。そして、その☆は伊藤歩さんにプレゼントしたもの。

個人的に思うのは、主人公とか、彼女とかじゃなくて、きちんと描かなくちゃいけないのはお母さんでしょ、ということ。

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