2009年09月07日

博士課程の定員削減に関する朝日新聞の記事について

朝日新聞はなぜかこの手のニュースをネットで配信しない。「お金を払って購読してください」ということかも知れないが、何しろ不便なのは、その記事を引用しての議論がやりにくいことだ。一々記事をべた打ちするのは馬鹿らしいし、著作権上からも疑問が残る。いまや、記事はネットで議論されてナンボのもの。専門家が一方的に自説を披露し、それを大衆が一方的に読まされるだけ、という社会ではなくなったのだから、それに対応できるやり方をなんとか考えて欲しいところである。

さて、本題。今日の朝日新聞21面(教育面)に、「博士課程の定員削減 必要?」というインタビュー記事が掲載された。文科省が全国の国立大学に博士課程の定員数削減に関する要望を通知したことについて、有識者3名にインタビューしたというもの。意見を載せたのは、石弘光放送大学長(大学スキー部の後輩のパパで、結構偉い人。今は放送大学なのね)、水月昭道立命館大研究員(「高学歴ワーキングプア」の人)、北森武彦東大大学院教授の3人。とりあえず、彼らの意見をざっとまとめるとこんな感じ。

石氏
博士課程の教育の質と就職先を確保するためには定員減が必要。定員が増えれば大学院生の学力レベルが分散する。教員の数が増えないこともあって、教育が不十分になり、結果として博士の質は明らかに低下した。大学教員の需要はそれほど増えていないし、日本における博士の社会的評価は低いので、就職も困難だ。教育も就職も保証できないことは日本にとって重大な人材損失である。だから、入り口をしぼるしかない。大学や学部ごとに就職率や博士号取得までの年数、定員充足率などを考慮しつつ、全体で2〜3割程度の削減をすべきだ。
(以上、勝手に要約)

水月氏
研究環境の底上げを目的に博士を増やしたのだから、就職難などを理由にした定員削減はすべきではない。博士を増やしたおかげで研究のすそ野が広がり、論文数も増えた。競争が激しくなって、博士の質も高まった。今定員削減をすれば、この20年で作られてきた研究構造が破壊されてしまう。また、定員を削減しても、今就職難の博士に対しては何の解決にもならない。就職がないから博士を減らすというのは奇異で、就職先を増やすべき。まずは大学教員のポストを増やせ。私立大学の非常勤講師を専任化し、私学助成金を増やせ。博士の専門知識をいかす仕事を増やし、国はそういう仕事を支援しろ。もし減らすなら、政策の誤りを検証し、長期的なビジョンを示せ。
(以上、勝手に要約)

北森氏
人口に対する博士数は、スウェーデンの1/4。日本にはもっと博士が必要だ。東大の工学系博士の場合、定員充足率は2/3で、就職率は95%。必要なのに入ってこない現状があり、入学者増のための努力をしている。定員減は「博士は必要ない」という誤ったメッセージを伝えることになる。日本は資源がないのだから、問題を見出して解決する博士が欠かせない。ただ、輩出すべき博士の数と質について十分な議論がなかったのは事実で、今後2、3年でそれをやるべきだ。
(以上、勝手に要約)

それぞれに「そうだよなぁ」と思うところもあり、「それは違うんじゃないかなぁ」と思うところもあるのだけれど、そういう「ぶれ」が生じる原因として、「博士の評価」についてのコンセンサスが形成されていないことがあげられる。3氏で比較すると、石氏は「明らかに低下した」としているし、水月氏は「高まった」としている。北森氏は言及がないので不明だが、本当のところ博士の質は高いのか低いのか、最近のトレンドはどうなのか、というところについてコンセンサスが形成されていない。

じゃぁ、実際のところはどうなんだろう、ということは現場にいない僕にはわからない。身のまわりの博士達を見ていて思うことは、

1.トップレベルの博士の質はそれほど変わらない。
2.トップレベルの博士の数は同じか、やや減少傾向にある。
3.博士全体で考えると、質の平均はやや低下している。
4.駄目な博士は増えている。

ぐらいなのだが、これはあくまでも感覚的なものなので、「根拠を示せ」といわれても困る。まぁ何にしろ、博士の数は増えているわけで、質がどうなっているのかについてはきちんと検証が必要だ。文科省は博士の質を向上させるために色々な政策を打ってきているはずで、その検証手段として色々なツールとデータを持っているはずだ。それをきちんと提示して欲しいところである。

ということで、議論のベースとなるべき「博士の質の現状」に関するデータが不足しているため、具体的なことは何も言えない。調べればあるのかもしれないけれど、残念ながら僕は大学院教育の専門家ではないので、自分で調べてくるほどの熱意はない。あー、そういえば知り合いが昔経産省の大学連携課にいたから、そこからデータをもらうという手はあるかなぁ。でも、面倒だからパス。ということで、各氏のコメントについてちょろちょろと思うところを書いてみる。

石氏
博士課程の教育の質と就職先を確保するためには定員減が必要。


就職先を確保する必要はあるんだろうか?大学院としてはあるのかもしれない。大学院は大学院生が欲しい立場であって、そのためには魅力的な大学院であることをアピールする必要がある。だから、大学院が就職先を確保する必要はあるのかもしれない。が、それは個別の大学院レベルの話。国としてどうこう、社会としてどうこう、という話ではない気がする。大体、役に立たない博士を強制的に押し付けられたら民間企業はたまったものではない。役に立たない博士の受け皿として公務員を用意するのも税金の無駄遣い。やはりどちらも不適切だと思う。就職先は「博士ありき」の話ではない。

定員が増えれば大学院生の学力レベルが分散する。


定員を増やして、全員を合格させればその通り。そうならないように選抜するんじゃないのだろうか。最近の博士課程って試験はないんだろうか?

教員の数が増えないこともあって、教育が不十分になり、結果として博士の質は明らかに低下した。


博士の質に関する指摘が事実で、かつそのレベルの低い博士の就職を社会が担保しなくてはいけないというのであれば、博士の定員削減もやむを得ないと思う。

水月氏
研究環境の底上げを目的に博士を増やしたのだから、就職難などを理由にした定員削減はすべきではない。


確かに。

論文数も増えた。


これはおそらく客観的な事実であって、正しいんだと思う。

博士の質も高まった。


これは簡単に同意できない。根拠は何なんだろう。

今定員削減をすれば、この20年で作られてきた研究構造が破壊されてしまう。


構築された研究構造が適切なものなのかの議論が必要不可欠。

定員を削減しても、今就職難の博士に対しては何の解決にもならない。


その通りだが、就職難なのは今の就職難な博士の側にも問題がありすぎて、なんとも言えず。

就職先を増やすべき。


単に増やすだけなら普通の雇用対策と一緒。普通の雇用対策が進めば自動的に博士の雇用も増える。実際は、「博士が気に入って、喜んで就職するような就職先」ということ。それで、役に立たない博士を欲しがるところなんて官民含めてどこにもない。このブログで何度も書いているけれど、たとえばうちの会社などは常時人材募集をしている。博士でももちろんオッケー。ただし、博士だからと言って優遇される部分は何もない。完全実力主義で、博士の看板は何の役にも立たない。「博士」という肩書きは「○○ができる」というものを何も保証しない、何の役にも立たない看板だというのが僕の認識。そして、こういうことをストレートに表明する人はあまりいないけれど、実際には多くの人事担当者が同じことを思っていると思う。ただ、日本社会においてそういうことを表明しても大した得がないから言わないだけ。それで、「博士なんて肩書きは何の役にも立たない」ということは日本社会においては暗黙知として存在するわけだけれど、おっちょこちょいな大学院生はそれを知らずに博士課程に進学してしまったりする。そして、その暗黙知に気がついたときには手遅れ、みたいな。これはちょっと気の毒なんだけれど、まぁ、仕方がないといえば仕方がない。「博士なんだから採用しろ」じゃなくて、「博士なんですが、採用してもらえませんか?」という立場になってしまっているわけで、就職できるかどうかは、その立場を実質的な部分で受け入れることができるかどうかなんだと思う。

まずは大学教員のポストを増やせ。


誰がそいつらの給料を払うんだ(笑)

私立大学の非常勤講師を専任化し、私学助成金を増やせ。


僕も私立大学の非常勤講師だけれど、専任化なんかまっぴらごめん。僕の本業はあくまでもライブログの社長です。それで、誰かが僕に代わってバイオベンチャーを教えるなら、それはそれで結構な話。ただ、僕の場合、経産省の課長補佐という肩書きを利用して日本全国のものすごい数のバイオベンチャーを訪問し、そこの幹部に直接話を聞き、さらには実際にバイオベンチャーの社長も経験し、あるいはベンチャーキャピタルにも籍を置き、加えてシンクタンクで調査をやったこともある。僕より優秀で知識もある人は確かに山ほど存在するけれど、就職がなくて困っているような人の中に僕と同レベルの人がいるとはなかなか思えない。就職難だから、レベルは低いけれど代わって下さい、というのは変な話。

博士の専門知識をいかす仕事を増やし


これは良い事だと思うけれど、政策的にやることじゃないと思う。あくまでも民間主導での話では。

国はそういう仕事を支援しろ。


そういうスタンスが族議員を増やし、政官の癒着を作り出していく。仕事は国が支援するものじゃない。国が支援しなくちゃ成立しないような仕事は支援がとまったところで終了する。

政策の誤りを検証し、長期的なビジョンを示せ。


途中は同意できない部分が多いけれど、ここは同意。

北森氏
日本にはもっと博士が必要だ。


スウェーデンとの比較など不要。日本には役に立つ博士がもっと必要です。

東大の工学系博士の場合、定員充足率は2/3で、就職率は95%。


東大はそうなんでしょうね。その調子で頑張ってください。

定員減は「博士は必要ない」という誤ったメッセージを伝えることになる。


このあたりがどうなのかなぁ。東大の立場からの発言だから仕方ないのだけれど。必要なのは「役に立つ博士」なわけで。東大の事例を取り上げて「博士は必要だ」という不正確なメッセージを発信するのは間違っていると思う。「東大で通用するレベルの博士は就職率が95%です。だから、東大で通用するレベルの博士をもっと増やすべきです」と、正確に表現しないと。そして、この内容なら「そうかもしれないですね」と同意もできる。ただし、今回の記事は文科省が各国立大学に博士定員の削減を求める通知を出したことに対するインタビューなので、そのあたりをきちんと切り分けて欲しいところ。

問題を見出して解決する博士が欠かせない。


それはそうかも知れない。問題を見出して解決する能力がない博士の存在が問題なわけで。

輩出すべき博士の数と質について十分な議論がなかったのは事実で、今後2、3年でそれをやるべきだ。


これまたその通り。

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この記事へのコメント
結局は、大学は国の機関と言う思い込み(まぁ財源のほとんどは国からでていますが)がいけないんだと思います。何かトラブルがあるとすぐ国や政治がどうにかすべき、みたいな議論をするけれど、独立行政法人化して、毎年予算を削られている現状を認識して、もっと自分たちが生み出す社会的価値にシビアになるべきだと思います。

ただ単に優秀な学生を進学させて、良い所に就職したから我が校の教育は素晴らしい、とか言っているなら大学に存在価値はないですよ。優秀なら優秀であるほど、大学院で暇つぶしなんかしていないで、早くに社会に出てもまれた方が、将来の視野が広がると思います。博士課程に行くのはいつでも出来ますからね。

大学復活の最大のポイントは、今いる「使えない」博士(と院生)達に如何に付加価値を付けるのか、と言う一点に集約されると思います。「使えない」人材が、「無茶苦茶使える」に変わるなら、誰しも大学院教育の価値を認めることでしょう。

それが出来ないくせに、もっと金をつぎ込んで出来損ないを優遇し、それをエサに優秀な人材を引き寄せよう!なんて考える奴は誰なんでしょうね。労せず実績だけ得たい、大学教員とか文科省の人たちなんでしょうか。無駄な議論です。

今は大学の手番、自力で大勢をひっくり返せなければ縮小もやむなしと言う局面です。

Posted by ななし at 2009年09月08日 00:51
> もっと自分たちが生み出す社会的価値にシビアになるべきだと思います。

御意。

> 優秀なら優秀であるほど、大学院で暇つぶしなんかしていないで、早くに社会に出てもまれた方が、将来の視野が広がると思います。博士課程に行くのはいつでも出来ますからね。

> 大学復活の最大のポイントは、今いる「使えない」博士(と院生)達に如何に付加価値を付けるのか、と言う一点に集約されると思います。「使えない」人材が、「無茶苦茶使える」に変わるなら、誰しも大学院教育の価値を認めることでしょう。

この二つは全く当たり前でもあり、でも、大学関係者からはほとんど聞かれない話でもあります。

「大学院生が就職できない」というのは、大学院が悪いのは明白なんです。だって、企業は大学院生を採用するために存在しているのではなく、利益を増やすために存在しているんです。その企業のニーズに合う人間を輩出しているなら、就職できないなんていうことはないわけです。大学院が悪いのか、大学院生が悪いのか、社会が悪いのか、という話が時々あって、「全部悪いから皆で頑張れ」みたいな結論に落ち着きがちですが、実際には一番悪いのは大学院です。

> 誰なんでしょうね。

誰なんですかね?

> 今は大学の手番、自力で大勢をひっくり返せなければ縮小もやむなしと言う局面です。

同意。
Posted by buu* at 2009年09月08日 07:53