2009年09月09日

ばら撒くのが悪いのではない。ばら撒き先の決め方が悪いのだ。

池田信夫さんが

科学技術という名のバラマキ

という記事をエントリーしている。僕は大分前にこの手の予算の決まり方についてブログに書いたのだけれど、

今日の朝日新聞朝刊の中村桂子さんの「私の視点」について

以下、僕が思うこと。

自分が今ベンチャーに身をおいているから、というのももちろんあるのだけれど、ばら撒きは決して全てが悪だとは思わない。ある程度のばら撒きというのは必要だと思う。ここで言うばら撒きというのは、要は成功のための必要経費だ。百発百中で全てのプロジェクトが当たりになるわけじゃない。逆に、当たらないプロジェクトの方が多い。うちの会社だって、これまでに色々な事業をやってきたけれど、大成功を収めたものはまだ一つもない。ベンチャーはそういう「数撃つ」のが役割なので、そのリスクマネーを誰かが負担する必要がある。うちの会社などは今のところ100%自己資金だけれど、それじゃぁやりきれないところもあるはずで、社会にとって有益なアイデアをきちんと産業化へつなげていく工夫は必要だ。もちろん民間にもそういう機能は存在するけれど、国がサポートする部分ももちろん存在して良いはずである。以前から時々言及しているけれど、僕が役人だったときに僕がばら撒いたお金によって、リバネスという会社はきちんとその土台を築くことに成功した。こうしたばら撒きを批判する人はあまりいないと思う。小さい会社が国のお金で成功し、雇用を生み出し、産業を作っていくことは、何の問題もない。

日本における問題は、ほとんどのばら撒きが有効に作用していないことだ。

ばら撒きは本来、良い技術、新しいビジネスモデルをインキュベートするための資金であり、投資であるはずなのだが、日本の場合は既得権者に対する資金供給だったり、官僚と大企業や天下り財団との癒着醸成資金だったりする。これではイノベーションにつながらない。これまた大分前にこのあたりの実情を書いたけれど、

補足しておきます

役所が取って来たお金はなかなか中小企業に回らず、護送船団を標榜する大企業や財団法人に持っていかれてしまうのである。

突き詰めれば「ばら撒く先をどうやって決めるか」というところに全ての問題は収束する。このスキームさえきちんと構築できれば、ばら撒きはきちんと機能する。では、どうしたらばら撒き先を適切に決めることができるのか。当然のことながら、「誰が決めるのか」ということになる。

今の決め方はいくつかあるのだが、僕が知っている代表的なものは委員会方式だ。有識者を数名集めて構成した委員会で話し合って決める。たとえば僕が取って来たバイオ人材育成のお金(5億円ぐらいだったかなぁ?)の場合、三菱総研が事務局となり、産総研の研究者やバイオ課の課長など、5名ぐらいで構成される委員会でばら撒き先を決めた。僕は担当課長補佐だったけれど、投票などはせず、応募機関についての参考資料を作成して、それを課長に渡す、ぐらいの影響力だった。

ちなみにこのときのばら撒き先決定に当たってはちょっと面白いことがあった。課長はかなりの影響力を持っていて、ばら撒き先の決め方を提案し、その「ばら撒き先を決定する方法の案」を通した(反対意見がなかった)のだが、その決め方というのは「まず委員それぞれが一つ、「これを推薦する」というのを出しましょう。そして、それはその場で決定ということにしましょう。予算の残りについては、採用されなかった各組織の中で、どこにするかを皆で話し合いましょう」というものだった。へぇ、なんか、変わった決め方をするなぁ、と思いつつ、みんながどこを推薦するのか、興味深く見守ったのだけれど、僕が渡した資料しか参考材料のないはずの課長は、僕を含め複数の人間で評価・作成したその資料では全く評価されていない組織を推薦し、椅子から転げ落ちそうになったのを覚えている。あとから考えてみれば、このやり方によって課長は「自分の裁量で絶対に採用できる枠」を一つ確保したことになるのだが、これ以上についてはきちんと事実を把握していないので、今のところ言及しないでおく。

ま、そういう不透明な部分が介在する余地がたっぷりある委員会方式なのだけれど、決定手法としては比較的まともとも言える。では、比較的まともな方法なのになぜきちんと機能しないのか。この手法の最大の問題は、誰一人として最終的な成果について責任を負わないという点にある。これも前にどこかで書いたと思うのだけれど、役人の仕事は基本的に予算を取って来たところで終了する。まともな役人の場合、それをきちんと執行する、というところまでやるのだが、それが生み出した成果について検証するというところになるとあまり聞いたことがないし、その責任を取るというところになるとほとんど聞いたことがない。最終的な責任を誰も取らないのだから、今の委員会方式が機能しないのは当たり前だ。

してみると、「ばら撒き先をきちんと決める」には、「決めた責任を明確にする」ということが必要なのかも知れない。ただ、現実問題として、罰金制にするとか、あるいは成功報酬にするというのは難しいだろう。では、どういう方法があるのか。海外ではどうしているのか知らないが、たとえば、ある案件についてばら撒き先を決めた場合、その決定方法と採択理由については完全に情報を公開し、誰がどういう理由でどの組織を推薦したのか、それを誰でもアクセスできるようにしたらどうなんだろう。

これを何度も自慢するのは恐縮だけれど、僕はたくさんあるバイオベンチャーの中からリバネスという会社を見つけ出したことを今でも自慢に思っている。僕が先の委員会で筆頭に推薦した会社がリバネスだった。でも、誰も褒めてくれない(笑)。

お金をばら撒いたのはもう5年以上前だし、ばら撒き先、ばら撒き額もわかっているし、当然のことながら三菱総研あたりがその成果についても追跡調査をしているはずだ。その中にはうまく行っているところもあれば、もう存在しない組織もあるかも知れない。そのあたりの情報がきちんと提供されるべきだし、どうしてそこに決定したのかもディスクローズされるべきだ。残念なのは委員会の議事録が公開されていないことで、それさえあれば、その予算の成果と、それが誰の手柄なのか(あるいは失策なのか)がわかったはずである。そうした評価実績の蓄積こそが、「評価者の評価」にもつながるはずで、重要予算のばら撒き先の決定者を選択するときにも役立つはずである。

折角政権が交代したことだし、僕が思うのは、ばら撒き先を決めるときの議事録をきちんと公開すること、ばら撒き先を決めた人(個人)の能力と責任を明確にすること、この二つを実現するべきだと思う。その点さえ透明性が確保できるなら、あとは市場が評価してくれるはずだ。こうした条件を提示することによって、委員も相応の負担を負うことになるが、それでも構わないと考える人はいるはずだと思う。たとえばバイオベンチャーにお金をばら撒くというのなら、僕はいつでも委員として協力する準備があるし、その委員会での発言は全てオープンにしてもらって構わない(まぁ、中にはそれぞれの会社の秘密事項などもあって、どうしてもオープンにできないところはあるだろうが)。

要は、委員会とか、役所とか、組織によって責任の所在をぼかすのではなく、あくまでも個人として発言し、個人として評価され、個人として責任を持つべきだ、ということ。そういう手法によってばら撒き先が決められるなら、今よりもかなり効果的なばら撒きになるのではないか。

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出張続きで、更新が滞っております。 さて、その間にブログ徘徊していたら、気になるタイトルを発見。 科学技術という名のバラマキ@池田修..
「ばらまき」という名の思考停止ではなく、そこからが肝心【若だんなの新宿通信】at 2009年09月10日 10:49
この記事へのコメント
ばら撒き予算をいただいた側でした。下っ端なので、細かい経緯はわかりませんが、お役所から大きい予算がつくと、いろいろお役所から「ご紹介」していただきました。
 事務・イベント仕切りの会社や、事務員さん、弁理士さん、他部署の役人さん、など。貰った予算の中で処理するモノもありましたし、別枠で予算がついてくるモノまでありました。すべてが悪いとは思いませんが、「ご紹介」の経緯が不透明なものもありました。

buu2氏のおっしゃるように、委員名と委員会議事録の公開・事後評価(予算を付けた側の課長・課長補佐・委員の評価)が必要だと思います。事後評価が、役人さんご自身の出世に響くとなれば、すぐに制度は改善されると思います。
Posted by ちょっとだけ関係者 at 2009年09月10日 03:13
 税金が使われること自体が問題だと思う。 利益をあげる為の研究開発なら原則は資金は投資家を募って自分で集めるのが本来のはず。 税金には年金生活者の消費税も含まれているのだから個別の利益に関するばらまきに使用するのは適当ではない。 投資家が日本で育っていないなら個別業界内で基金でも募って新たな産業を育成するなり自助努力すべき。 
Posted by セレステ at 2009年09月10日 09:54
> お役所から大きい予算がつくと、いろいろお役所から「ご紹介」していただきました。

まぁ、そんなこともあるかも知れませんね。僕が担当したケースでは僕達はノータッチでしたが。

> 事後評価が、役人さんご自身の出世に響くとなれば、すぐに制度は改善されると思います。

有識者も。情報がディスクローズされていれば、判断に対する評価は全世界がやってくれます。結局のところ、何より必要なのは透明性です。
Posted by buu* at 2009年09月10日 10:10
コメントありがとうございました。

>必要なのは透明性
と思います。しかし、お役所が「議事録を公開する」と決めれば済む話ですよね。まじめに選考していれば、有識者・お役人さんのどちらも困らないと思うのですが。
Posted by ちょっとだけ関係者 at 2009年09月10日 23:31
> まじめに選考していれば、有識者・お役人さんのどちらも困らないと思うのですが。

僕がやっていたときは、有識者というのは産総研の研究者とか、要は他の案件があるときにはお金をもらう立場の人だったりしました。全員の面子は覚えていないんですが。それで、結局役所の方が立場が上ということもあり、持ちつ持たれつのところもあるので、そういうプレッシャーのある場に有識者を連れ出すことはしないんでしょうね。でも、そこから変えないと。

税金をばら撒くんだから、きちんと責任を持った仕事をしないと。良い仕事をすれば評価され、悪い仕事をすれば批判される。それが当たり前だと思うのです。
Posted by buu* at 2009年09月10日 23:42
シンガポールなどからの、引き抜き防止対策では?
Posted by K at 2009年09月11日 00:41
おっしゃる通り、ばらまきが悪いのではなく、ばらまき方が悪いのだと思います。国がリスク・マネーを出せなくて、誰が出すのか、ですよね。

透明性に加えて、”審査する資格のある個人に責任を取らせること”が必要なのではないかと思います。例えばアメリカのDARPAなどはプログラム・マネージャー制度を使っています。ある技術のくくりのプログラム毎に、その分野で認められている研究者をプログラムマネージャーとして数年フルタイムで招聘します。このプログラム・マネージャーがばらまき先を選び、さらに毎年各大学まで出向いて進捗報告をうけ、DARPA内で成果を報告します。ばらまき先が成果を上げなければ、自分の名前に傷がつくという形で”責任”があるのです。

プログラム・マネージャーに選ばれる教授は当然ある程度名前が売れた人で、自分の研究職から数年間引き離されることになるのですが、政治力が増すなどの長い目で見たベネフィットから引き受けるようです。

もちろん、プログラム・マネージャーと近しい研究グループが有利になる現象はあって、新しいプログラム・マネージャーが選ばれると各大学の教授が目の色を変えてワシントン詣でをするという光景が風物詩となります。しかしながら、目に余るえこひいきは自分の名前が傷つきますし、任期制で自分が辞めた後に”派閥外”の次のマネージャーに復讐される恐れもあるので、あまりに無茶なことは起こらない抑制力が利いているようです。

まあ、一分野に大ボスが一人のような緊張感のない日本の狭いアカデミックの世界では、そうはうまくいかないかもしれませんね。個人が責任をとって判断を下すことって、日本人にはとっても不得手な人が多いですし。
Posted by ET at 2009年09月11日 13:37
> 個人が責任をとって判断を下すことって、日本人にはとっても不得手な人が多いですし

判断を下すことは今でも誰かがやっているので、その人たちに責任を取らせれば良いだけのことなんですけどね(笑) 非常に簡単なことなので、民主党さんには是非実現していただきたい。茨城一区から当選した福島さん(元経産省バイオ課、そのあと内閣府)あたりにバイオ系予算について全部仕切ってもらったらどうかなー。決めるんじゃなくて、責任を取らせるところね。
Posted by buu* at 2009年09月12日 00:33