2009年11月04日

綾波システム

僕は今のところ、365日、ほぼ24時間、お客様から緊急の連絡があれば対応できる状態を作っている。ただ、僕はマナーとか法律とかにも比較的センシティブな人間なので、電車の中で電話に出ることとか、自動車を運転しているときに電話に出ることとかはしない。また、移動は地下鉄が多く、携帯が圏外にあることも少なくない。当然のことながら打ち合わせしている時間もかなりの部分を占めるので、そのときも電話、メールに対応することはできない。だから、必ずしも即時対応ということではない。クライアントとのコンサル契約とかでは「24時間以内の対応」を約束している。

と、いうことで、僕には「これは休日」なんていう日は存在しないのだけれど、ベンチャーとかやっていれば当たり前の話で、僕の会社だけじゃなくて、僕の周辺の会社の奴らも似たような状態。少なくとも、日本にいるのに24時間連絡がつかない、なんてことはまずない。でも、別にそういう状態であることがストレスでもないし、逆に金曜日の夜にクライアントから連絡があったのに、月曜の朝までそれに気がつかなかった、なんてことになってしまうことの方がよっぽどストレスだ。

でも、この間、ある会社の社長と、現在進行形の仕事の打ち合わせをしていたとき、「担当の○○さんは凄く有能だけれど、土日はしっかり休む人なので、連絡は平日の昼間にお願いします」と言われた。ベンチャーと言っても、これはこれで当たり前で、そういう勤務スタイルはそれはそれで尊重されるべきだし、そのことを理解しつつ、ビジネスパートナーにそれを説明する社長(ちなみに社長は365日対応)は、それはそれで偉いと思う。

また、その会社の役員と打ち合わせをしていたとき、こちらが金曜日に急ぎのオーダーを出したら、「日曜日に対応します」との返事。「いや、急ぎは急ぎだけれど、土日に出勤する必要はないです。月曜日で構いません」と言ったら、「ちょうど日曜日に出勤する用事があるので、大丈夫です」とのことだったのでお任せしてしまった。彼と僕との関係を考えれば、嘘をついてまで休日出勤するとは思えないので、本当に日曜日に出勤する仕事があったんだと思うのだけれど、こちらとしては非常に助かった。

またこれは別の話なんだけれど、ある親方の話。彼は職人を複数抱えている親方なんだけれど、クライアントのオーダーに対して職人を派遣している。契約は時間で決まっていて、時間内に一定の作業を終了しないと、残業になってしまう。そんな状況で、彼の愚痴を聞いた。いわく、抱えている職人のひとりの評判が芳しくなくて困っているとのこと。どうしたのかと思って突っ込んで聞いてみると、その職人は就業時間中に手を抜いて、残業を増やし、それによって給料を多くもらおうとするらしい。その結果、派遣先の評判が悪くなってしまい「彼以外の人を頼む」と言われてしまっているそうだ。一定の時間の中で想定される量の仕事をきちんとこなす。こういうことが要求される場面も間違いなく存在する。そして、それができなければ、名指しで起用を拒否されてしまう。

こうして考えてみると、就業時間と非就業時間をどう考えるか、というのはそれぞれのライフスタイルによって選択できることが重要だと思うのだけれど、一方で、会社側が従業員に対して要求するのはあくまでも「成果」であって、「時間」ではないと思う。「中には時間が重要な仕事もあるんです」という考え方もあるのかも知れないが、時間を成果に変換できないような仕事を僕はあまり思いつかない。

それなのに、なぜ成果主義は嫌われるのか。あるいは、機能しないのか。

僕が上に挙げた事例で登場したのは、僕だったり、社長だったり、役員だったり、親方だったり、要は、人事権を持っている人間である。結局のところ、成果主義というのは人事権とセットなのである。

人事権(というか、解雇権)の話になると、今度は「上司に人事権を握られていたら、何の反論もできなくなる」なんていう話が出てくるのだけれど、上司が人事権を濫用して次々に従業員を解雇すれば、上司が責任を持たなければならない部署の成績が落ちて、その人の評価そのものが低下することになる。上司の評価が落ちれば上司の給料は下がるし、場合によっては解雇されるわけだから、自分の権利を濫用するということは合理的な行動ではない。逆に言えば、解雇されるリスクが小さいから濫用などということが起きるわけだ。

成果主義というのはあくまでも組織の効率化を進め、組織の充実と拡大を目的としているはずなのだけれど、責任の所在が不明確、かつ十分な権力を行使できず、しかも社会全体にそれを許容するだけの包容力もないというのだから、うまくまわるはずがない。

しかし、そんな状況にあっても、「なんとか成果主義をうまくまわしていきましょう」という人たちは少なからずいるし、「ただ座っているだけで何もせず給料をもらうなんておかしい」という考え方は徐々に浸透しつつある。問題は、「これまでただ座っている人たちのために苦労して、ようやくただ座っているだけで給料をもらえる立場になった人たち」と、「「将来はただ座っているだけで給料がもらえるのが良いなぁ」と思っている人たち」の力が意外と強いということで、この手の話は自民党も民主党も言い出さない。それで、僕としても、「成果主義以外はタコ。廃止!」「ただ座っているだけの奴は退席!」などと言うつもりはない。せめて、成果主義も選択できるような社会環境になれば良いのにな、と思う。

でも、社会環境が変わるのをじっと待っていたら、多分老衰で死んじゃう。だから、今は厳しくても、なんとかやっていかなくちゃならない。ひとりじゃ難しいけれど、意外と仲間はいたりする。僕は「綾波システム」などと茶化して笑いながら話しているけれど、雇う側も、雇われる側も、全ての階層で「代わりはいるもの」ということを意識しつつ働くのも決して悪くはない。

「君に求められていることはわかっているはずなのに、なんでちゃんとやれないの?できない、やれない、あきらめる、というのならそれでも構わないんだよ?別に君の代わりはいくらでもいるんだから」

「僕は社長なんてやっているけれど、社員たちはいつでも僕に辞任勧告できる。社員のために働けない社長だと判断されたら、それはそれで仕方がない。社長だって、代わりはいくらでもいるんだから」

明文化こそしていないものの、実際にその考え方で動かしていて、それがきちんとワークしていて、学生たちの支持を得ている会社もあるのだ。「あそこでやれれば一人前」という、ふた昔前ならニッポン放送、一昔前ならリクルートみたいな会社が。今、ニッポン放送のOBやリクルートのOBが色々な場所で活躍しているのと同様、そういう会社を巣立った人間が活躍してくれる社会になればと思う。

注釈:綾波システムの対語は「せかばなシステム」で、正式名称は「世界に一つだけの花システム」。この間、上に書いた会社の役員と徹夜でカラオケしたときに彼がこの歌を歌ったので、「お前、それは違うだろ(笑)」と思ったけれど、黙っておいた(笑)。

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