2009年12月02日

事業仕分けに対する中村桂子さんの意見に対して

事業仕分けというショウがひと段落したので、思うところを。と言っても、僕が書けるのは事業仕分けの中のほんの一部分だけ。とりあえず、これまでに書いた関連エントリーへのリンクはこちら。

事業仕分けが見せる最初の一歩

理解できないのが悪いのではない。理解させられないのが悪いのだ。

ノーベル賞受賞者は財務省へ

今回のこのショウが個人的に面白かったのは、中村桂子さんの登場があったからだ。僕は中村さんと直接の面識があるわけではないのだけれど(いや、すれ違ったこととかはさすがにあるけれど)、僕の大学のときの先生は渡辺公綱さん、そのときの学部の代表選手は大島泰郎さん、と、中村さんとは比較的近い領域の人たちだったし(っていうか、渡辺格さんを筆頭にした凄く狭い世界なので、三浦謹一郎さん、松原謙一さんなどなど、すぐに知り合いに行き当たるわけだけれど(笑))、中村さんの息子さんは僕が入社した会社の一つか二つ後輩、僕が先進科学部で彼がニューサイエンス部で、隣の部署だったりした。まぁ、だからなんだって、別にどうでもないのだけれど、なんとなく、すぐそばの人という感じでちょっと親近感がある。また、僕のブログにも一度コメントを書いてくれたこともある。そんなこんなで、中村さんが比較的中立な立場からやや抑え目に、でも、言うべきところは言っていたのが興味深かった。

(余談)ただ、このブログを読んでいる人の多くが僕がたばこを物凄く苦手にしていて、それもひとつの原因となって三菱総研をやめたことを知っているわけで(恐ろしいことに、三菱総研は、禁煙である執務室内での喫煙によって受動喫煙の被害を受けた際、喫煙者に対して禁煙を徹底させるのではなく、僕に対して、空気清浄機を買い与えた会社である。こんな会社がまともに成長するわけがないのだけれど、案の定、せっかく公開した株価はどんどん下がる一方(いや、ここ10日ほど下げ止まっているか)。ダイヤモンドコンピューターサービス社の非上場(2004・12)→三菱総研の連結子会社化→三菱総研の株式公開という、三菱総研の株式公開にまつわる色々は、来年4月ぐらいに書いちゃおうかな、と思わないでもないが、今のところ黙っておく)、僕としてはそんな大嫌いなたばこの販売元であるJTが運営する生命誌研究館の館長だったり、僕が踏み台にしてやめちゃった三菱総研の社外取締役をやっていたりすることはちょっと面白くなかったりもする(笑)。

ま、それはそれとして、中村さんが事業仕分けについてちょこっとコメントしているので紹介しつつ、これをおかずにエントリーを書いてみる。

中村桂子の「ちょっと一言」

#記事への直リンクが難しいので、コーナーへのリンクになってます。2009年12月1日の記事なので、あとで読む人はバックナンバーから探してみてください。

まず、以前、中村さんが私の視点で大規模プロジェクトについて語ったとき、経産省の元同僚が「でもさ、中村さんだって、昔は予算を貰う側だったじゃん」という主旨のことを言っていたことを思い出すのだけれど、もしそうだったとしても、それでもやっぱり、中村さんの発言というのは重要だと思う。表現は悪いが、泥棒は盗みが悪いことだと主張してはいけないのか、それでは説得力がないのか、という問いに対して、僕は「そんなことはない」と思う。あと、僕は中村さんがかつてミイラ取りだったのかどうかを知らない。横山さんや林崎さんや榊さんや中村祐輔さんがそうだったことは知っているけれど。だから、この部分の、資格云々はあえてスルー。

さて、本論。

その発註に際してムダのないよう努力をしているかを見て、甘いところがあったら努力を求めるということで、事業そのものの意味や是非を云々するものではないわけです。


ここは全くその通りであって、実際、多くの国民はこのあたり、きちんと了承していると思う。逆に、分かってないのは金をくれと言っている科学者の方だと思う。だから、事業そのものの意味や是非を一所懸命述べようとしている。

仕分けによってすべきことは、例えば大阪に行くときに、歩いていくのか、自家用車で行くのか、新幹線で行くのか、さらにはグリーン車を使うのか、という議論のはず。大阪に行くこと自体について云々しているわけではない。仕分け人はこのあたりをきちんと説明していたが、仕分けられる側が一所懸命事業の意味を説明しようとするものだから、議論がかみ合わなかった印象がある。

これまたこのブログで何度も書いているけれど、今の国の予算のシステムは検証するフェイズがないのが最大の問題。それで、本来はそこをきちんとすべきなんだけれど(やるのかな?)、まずは入り口できちんと精査しましょう、仕分けしましょうということのはず。お金ないんだから、グリーン車は辞めときましょうよ、ということのはず。

ムダという言葉は難しく、文化、教育、研究などはムダなしでは成り立ちませんから、社会がこれらをどう位置づけるかが大事になります。


うーーーん、ここについては、国民的な合意はほぼ形成されていると思うんだよな。文化も、教育も、研究も、みんな大事だと思っているでしょう。ただ、それをやるときに、お金のハンドリングを天下りの職員が高給でやっていたりすると「それはおかしい」と思うだけのことで。仕分けは、目的ではなくて手段のところについて行われているのではないかなぁ。

けれどもこの国は、本質を問うても少しも動きません。


ここは、これまでずっとやってきた中村さんならではの無力感が感じられて、非常に重い言葉だと思う。確かに、「じゃぁ、どうしたら良いの?」という問いへの答えは非常に難しい。

ただ、僕が思うのは、例えば「ポスドクが余っていて大変だから、予算をつけましょう」というのは明らかにダメということ。そうじゃなくて、「研究を幅広くやるのは大事だから、予算をつけましょう」じゃないと。結果的には同じようなお金になる可能性もあるのだけれど、理念が必要で、その理念とは決して「人助け」ではなく、「科学の発展」じゃなくちゃダメだと思う。「それじゃぁ、ポスドクがかわいそう」とか思うかもしれないけれど、同情論になった時点で「いや、ポスドクよりもっとかわいそうな人がいますよ」と、プライオリティの問題に転換されて、結果的に切り捨てられることになる。世の中には非常に親切な人がいて、「こんなかわいそうな人がいるんです。助けてあげてください。みんなも、救済を求めて立ち上がりましょう」などとやらかしたりするのだけれど、この手の「善意ではあるけれど、無能なもの」はただ迷惑なだけで、生産的なものを何も生み出さない。「科学を発展させましょう」までは誰も文句を言わない。「そのためにポスドクを利用しましょう」となるとダメになる(「ポスドクも利用できるかも」なら受容される)。そのあたりのからくりを良く理解する必要があるわけで、その上で、「科学をどうやって発展させていくのか」を具体的に考えていく必要がある。

皆んな自分のことを考え、自分のところにお金が来ることを思う気持の方が強いようで、せっかくのきっかけだと思うのに、研究者全体でこの国の将来を考えましょうとはならず、お金を削減するのはけしからんと言う声だけなのです。


この部分がポイント。僕が理研のゲノム科学総合研究センターにいたとき、そこの3人のプロジェクトリーダー達は物凄く仲が悪かった。なぜなら、センターに割り当てられる予算を取り合う仲だからだ。それぞれのプロジェクトリーダー達は、それぞれが自分の研究こそが大事だと思っているし、それに関わっている研究者達の生活も背負っている。少しでも多くのお金が欲しいわけで、その中でセンターとしての予算の天井が決まっているのだから、どうしたって仲が悪くなる。今回の仕分けも、実はもっと興味深いもの、外から見て分かりやすいものにしたかったら、方法は凄く簡単だった。極端に言えば、「予算は○○億しか確保できません。このお金をスパコンとSPring8で分けることにします」と表明すれば良かったのである。これをやったとたんに、おそらく研究者達は「科学の発展が大事だ」ではなく、「SPring8に比較してスパコンの方がずっと大事だ」「いやいや、今こそSPring8」という論を展開し始めたはずである。僕はそういうところを見てきたし、今回もそうやれば面白いのになぁ、と思ってみていた(笑)。

この際、本当に大事なことは何かを考えて社会に発信しなければ、決して研究者への高い評価は得られません。なぜ皆本質を考えようとしないのでしょう。


この「なぜ」に答えるのは比較的簡単。なぜなら、登場人物たちがみんなそれぞれ「日本」という場所よりももっと下の場所での利害関係者だから。文科省系、経産省系、みたいな感じの切り分けが分かりやすいところだけれど、役人、学者、大企業はそれぞれに癒着し、利害関係者となっている。前にも書いたけれど、例えば野依さんはノーベル賞受賞者である「以前」に、理研の理事長であり、文科省の御用学者であるとも言える。スパコンならスパコン、SPring8ならSPring8で、それぞれに関係する大企業とも深いつながりがあるはず。こういう人たちは「本当に大事なことは何か」を語ることも、「本質」を語ることもできないし、もし語れたとしても、それが本当に大事なものであるとか、本質であるとか、社会に受容されるわけがない。理研=国家、あるいは文科省=国家でないことは明白で、社会は理研、あるいは文科省であっても、自分の組織へ利益誘導することを知っている。そして、これは理研が悪いのでも、文科省が悪いのでもない。これらの組織では、「本当に大事なこと」や、「本質」を考えることは構造的に不可能なだけである。そういう理由で総合科学技術会議が設置されたと思っていたのだけれど、中村さんが苦言を呈しているということは、おそらくきちんと機能していないということなんだろう。

「日本の科学技術政策が専門家の中でオープンに議論されるようになること」が目的ですので、そこにつながるような努力はしようと思っています。「決して、また声の大きい人が勝ち、政治決着がなされるなどということのないようにして下さい」。行政刷新会議にこれだけはお願いしています。


このためには、やっぱり総合科学技術会議の拡充、正常化しかないと思う。その際、どうやって個別の利害から隔離するのかが大きな課題になるはず。おそらく、徹底的な透明性の確保と、研究者による看視が必要になってくるだろう。看視の部分は必ずしも中立性は要求されないので、利害関係者が厳しい目でチェックすることも可能だと思う。そういう場面では高学歴ワーキングプアも活躍の場があるかも知れない。

その上で、成果に対するチェックというのもきちんとやって欲しいんだよなぁ。タンパク3000が失敗だったとしても、別にそれは横山さんの責任じゃない。横山さんに金を配ることを決めた人、あるいは組織の責任。で、そのことについてはきちんと×印をつけなくちゃいけないと思う。もちろん、ポイントを稼ぐ人もいて当然で、そういう人や組織の評価はアップさせなくちゃ。

(またまた余談)利害関係フリーとはどういうことか、ということ。例えば僕は先日、読売新聞の馬鹿記事について取り上げた。

読売新聞は相変わらず馬鹿

これについてコメント欄で「広告が取れなくなるからじゃない?」という意見があったんだけれど、まぁ、さもありなん、という感じなわけで、新聞だって利害に対してフリーじゃない。僕とか、「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ」などと公言しているけれど、これだって、生化学をやったことがある人間なら常識なのに、わざわざ指摘する有識者はいないわけです。なぜなら、それを言えば資生堂を敵に回すから。あるいはエコナだって一緒。「これ、GMO由来ですよね」と言う人は全然いない。それだって、花王と無駄なコンフリクトを生じたくないから。でね、そういうことなかれ主義が日本の村社会の中にははびこっていて、それが科学者に対する不信感にもなっているわけです。「トクホなんて効かねぇよ」「コラーゲンなんか、牛乳と全然変わらない」ってなぜ言わないんだと、そういうことなわけ。「わざわざ喧嘩しない」という利益を追求することによって、「自分自身の信頼性が毀損する」という不利益が生じていることに気が付いてない。

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「コラーゲン食って肌がぷりぷりになるわけねーだろ(笑)」社長のブログ:事業仕分けに対する中村桂子さんの意見に対してまだちゃんと読んでいません。自分のブックマークとして保存です。 ノーベル賞学者を並べたり、オリンピックメダリストを並べて陳情するという行為が...
事業仕分け あるいは 思想仕分け【おやじのぼやき】at 2009年12月02日 19:25
最近考える事。 日本て「あたりまえ社会」なんじゃないかという事。 その対局がアメリカを中心とした「契約社会」。 これは、山岸先生の..
あたりまえ社会と契約社会【若だんなの新宿通信】at 2009年12月03日 23:32
この記事へのコメント
始めに予算ありきで、タンパク、数で示せる具体的な貢献。それから産業への応用。ここまでの内容は始めに決まっていて、後は誰が拾うか。
なんで、こうなるのでしょう。”金を配ることに決めた人、あるいは組織”って、回りまわれば、国民?
そもそもHUGA1は失敗?
Posted by もどき at 2009年12月03日 00:04