2009年12月16日

いつ、どんな時も、喜ぶことができる

そろそろバンクーバーオリンピックの話題が新聞に載るようになってきた。

バンクーバーで脚光を浴びるのはほんの数人の選手たちだ。でも、彼らの陰にはその何十倍もの選手たちが長い時間かけて流した汗と涙がある。そして、そのひとつひとつにドラマがある。ちょっと前までは、そういうドラマはマスメディアを通してしか知ることができなかった。でも、今は違う。陰に隠れているいくつかのドラマを垣間見ることができる。僕の近いところでそういうドラマを見ることができるので、ちょっと紹介しておきたい。

僕が主宰しているスキーチーム「赤い彗星」には、VIC小林というエースがいる。赤い彗星は神奈川県のチームだが、彼は神奈川県の大会には出たことがない。彼の主戦場は、FISレースであり、ワールドカップだ。

VIC小林とは、僕が大学の時からの付き合い。彼がかもい岳レーシングの選手だったときから一緒に練習をした仲である。一緒の大会で勝負したこともあって、そのスラロームの大会で優勝したのは今でも僕の自慢だったりもする。

プロレーサーなどを経てスキークロスに転身した彼は、去年から赤い彗星の一員となり、来年のバンクーバーを目指してずっとトレーニングを続けてきていた。彼の今シーズンは、五輪出場資格との戦いとなった。

五輪に出るためにはワールドカップで相応の成績を残す必要があり、ワールドカップに出場するためにはその下位カテゴリであるFISレースで相応の結果を出す必要がある。ワールドカップ出場権確保のためのFISレースは2試合のみ。

そして、昨日、彼は一つ目のスキークロスの大会に出場した。32位までに入る必要があったのだが、残念ながら予選落ちだった。

日本チームはワールドカップの出場枠を8つ持っているらしいのだが、チームの方針は「FISレースで決勝に残ること(=4位以内に入ること)」というもの。この方針は全く解せないし、どういう理由なのか説明して欲しいところだけれど、とにかくこういう基準が明示されているのだから仕方がない。

そして、背水の陣となった二試合目がついさっき終了した。バンクーバーに出るためには、この大会で4位に入ることが絶対条件だった。そして、レースの結果は7位。日本人の中では3番目だったのかな?何しろ、4位に入れなかったところで彼のスキークロス人生は終了することが決まってしまった。でも、こればっかりは仕方がない。彼が五輪に向けてどれだけ努力をしてきたとしても、ワールドカップの出場枠がまだ残っていようとも、またその出場資格の決め方が理にかなっていなくても、どうしようもない。

僕が彼に送ったメールはこんな内容。

お疲れ様でした。

まずは、献身的にサポートしてくれた奥さんとゆっく
りしてください。帰国したら、飲みに行きましょう。

次の新しい生活の中でも、何か一緒にできることがあ
ったら嬉しいです。


そして、彼のお嫁さんのブログの記事がこれ。

皆様ありがとうございました

ちょっと引用してみる。

いつ、どんな時も、私達はこんな風に喜ぶ事ができる。

それができるかどうかは、

自分次第。


涙が出てくる。それは、悲しいからじゃなくて。人間の素晴らしさと、強さに。

この記事へのトラックバックURL