2010年02月28日

ソフトランディングを模索する人々

日経新聞が電子版を有料配信するそうで。電子版を有料配信するのはオッケーだけど、ちょっと高くない?っていうのは大方の見方(価格は朝・夕刊のセットで4000円。日経新聞は2010年2月現在、全日版で3568円、朝・夕刊セットだと4383円)。僕も高いと思う。適正価格は1500〜2000円ぐらいじゃないかな。なぜかって、多分、紙版の配布コストが2500円くらいなんじゃないかな、と思うから。いや、もっともっとかかっているかな?3000円ぐらい?

ま、そのあたりをきちんと調べるのは面倒くさいので、そのうち誰かがやってくれることを期待するとして、電子版に関する感じ方は例によってsmashmediaの河野さんが書いているのがそのとおりだと思うから、そちらにリンク。

日経新聞の未来を決める値付け

今回のこの値付けの理由は、社長さんの質疑応答なんかを読むとわかるけれど、

「今スタートさせないと、10年後の成功はない」――日経が有料電子新聞に挑む理由

「「紙の新聞の部数に影響に与えない」ということを前提に、その範囲内で価格を模索しました。」というのに尽きるわけで、これはどういうことかって、新聞社として紙の販売数が減少すると困るというわけではない。要は、過去のしがらみから、この価格にせざるを得ない、ということ。実際問題、日経新聞社からすれば、紙だろうが、電子データだろうが、情報が売れれば構わないはずなんだけれど、そこで顔を出すのがこれまで紙を売ってきてくれた専門関係者達である。一番大きいのは流通関係者達だろう。彼らは、電子化されることによって、下手をしたら会社が潰れる人たちだ。そして、彼らが日経新聞社に対して主張したいこともわかる。

「あなた達のつくる新聞は、これまで、私達がいたからこそ、読者のところに届いていたんですよね?長いこと、私達はあなた達を支えてきたことを理解していますよね?そして、電子版になったとき、どうなるかもわかりますよね?将来、私達の仕事がどんどんなくなっていくのは、それは時代の流れだから仕方ないです。でも、いきなりリプレイスされてしまったら、私達はどうなりますか?これまでのことを考えていただければ、あなた達がどういう行動を取れば良いか、おのずとはっきりしますよね」

みたいなことだろう。日経新聞をとってくださいとお願いしてきた人たち、日経新聞を個別住宅のポストまで届けてきた人たち、紙を早朝に印刷してきた人たち、折り込み広告を入れてきた人たち、新聞代を集金して回ってきた人たち、紙そのものを作ってきた人たち、などなど、こうしたせりふを口にしたい人たちは物凄くたくさんいるに違いない。

「電子版にしたらコストが大幅に削減できたので、価格は1500円で!」って打ち出したら、誰が困るかって、そのコストで食べてきた人たち。消費者からすればそんなのはただのコストなので、「節約できるならそれで良いじゃん」ってことになるけれど、社会システムとしてはなかなか簡単に割り切れない。

僕の会社でもネット販売を手がけているので、こうした既存勢力(既得権者)の圧力というのは目の当たりにしている。メーカー、生産側は僕達に商品を卸したいのは山々なのだけれど、メーカーのこれまでを支えてくれたのは紛れもなく販売に関わる既存勢力であって、それに対して背を向けることができないのである。

実際のところ、この手の話はソフトランディングせざるを得ないわけで、日本社会でそれを無視して強行するとほりえもんみたいになっちゃうというのを僕達は見てきている。そして、その結果、しわ寄せが消費者に行ってしまうのも仕方がないところ。日本は(海外もかも知れないけれど)経済原理だけで動く国ではないのだ。ただ、ちょっと前までは「じゃぁ、いらない」ってことで消費者にそっぽを向かれてしまい、なかなか成功まで行き着くことができなかったんだと思うのだけれど、決済コストの低下、閲覧端末の普及ということもあって、今回はこの価格設定でもそこそこ行けると思う。それに、そういう改革が行われないと、本当に新聞社って、潰れちゃうんじゃないかと他人事ながら心配にもなる。

電子化がきちんと機能してくると、読まれる記事と読まれない記事の差別化なんかもできるようになってきて、記者の能力評価なんかもできるようになってくる。ホワイトカラーの評価が可能になってくる一例にもなるわけで、なかなか面白そうだなぁ、と思って見ている次第。

ところで、こうした電子版って、多分、一番最初に需要が顕在化するのは、日本の大都市部でスピード命で働いている人たちはもちろんだけど、ど田舎とか、海外なんだろうと思う。要は、紙の配信速度が遅かったり、最終版が届きにくい場所。そういうところは、既得権者による圧力も弱いはず。

他の新聞社も、徐々に追従していくんだろうなぁ。「今挑まないと10年後の成功がない」という言葉の裏にある本音は、「そろそろ始めないと、既得権者の皆さんに引導を渡す機を逸してしまう」ということなんだろう。

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