2010年03月16日

Twitterで一番面白いこと

前にも書いたけれど、僕はTwitterに書き込む頻度がかなり低くなっている。友達との情報交換には使えるし、地震かな?めまいかな?と思ったときにタイムラインを見ていればリアルな地震なのか自分がクラクラしただけなのかわかるから、便利といえば便利だけれど、面白いとはあんまり思っていない。あくまでも暇つぶし。

さて、そんな(僕にとっては暇つぶしの)ツールであるところのTwitterなんだけれど、世の中のTwitter好きな人たちにとっては物凄くありがたい存在のようで、もはや中毒と言っても良いくらいに依存している人も少なからず存在するようだ。ちょっと前にミクシィがそういう状態だったわけで、今もミクシィに依存している人もいるだろうから、多分、今Twitterに依存している人たちも、ある人たちは飽きてしまって使う頻度が落ち、またある人たちは引き続き依存し続けて生きて行くんだろうけれど、何しろ今はその依存度が多様な状態なせいで、色々とコンフリクトが発生しているようだ。これまたミクシィでちょっと前に「足跡を残してコメントを残さないのはイクナイ」みたいなコンフリクトが発生したのと似ている(内容じゃなくて、性質が)。

Twitterの最大の欠点は情報が蓄積されないことだ。これはメリットでもあるけれど、デメリットでもあって、個人的にはデメリットのほうが大きいと思っている。そもそもとして、Twitterでの情報発信なんてアーカイブ化することを前提としていない、くだらない「つぶやき」なはずなので、別にあとになって調べることができなくても本来は何の問題もないのだけれど、情報オタク的な視点からはどうにも不便だ。もちろん外部のシステムを使えばそこでの発言などは保存することが可能だけれど、それには相応の努力が必要とされる。

そういう、「情報の蓄積」部分が弱いシステムでは何が起こるかと言えば、情報を発信している人の性格付けが曖昧になり、結果としてTwitter上でのやり取りはどうしても表層的になる。つまり、過去の一連の発言を元にして個々人を性格付けするべきところ、その個人に紐付けされている情報量が少ないため、その人がどういう人なのかがさっぱりわからないわけだ。そういう、ゆるい人間関係こそがTwitterでは求められているのだろう。

ところが、そのあたりについて、Twitterにぞっこんな人たちほど気がついていない気配がある。先日もTwitter上をふらふらしていて、「あーーーー」というシーンを見かけた。そういう状況をさらに混乱させては申し訳ないので具体的に「これです」と現場にリンクすることはしないが、要はTwitter上でのある人の発言をつかまえて、「こいつはけしからん」と文句を言ったり叩いたりしていた。

別に叩くのは勝手だし、その現場を見る限りにおいてはその人が叩かれても仕方ないよな、とも思うのだけれど、その非難はTwitter上だけに表層的と言わざるを得ない。

僕が常々思っているのは、日本人的なネットユーザーというのは、あまり深く突っ込まず、目の前にあるテキストに対して脊髄で反射してコメントを書く人が多いということ。もちろん全部ではないし、あるいは日本人以外も同じなのかも知れないけれど、少なくとも日本人のネットユーザーにはそういう傾向があると思っていて、それが顕著になるのが「はてブ」みたいなメディアだと思っている。まぁ、はてブはそういうツールだから当たり前だけれど。

例えば僕のブログだと、記事数だけで6000を超えている。僕がブログ運営についてコンサルをするときには「こういう運営は良くありません」と、駄目なブログの事例として自分の紹介するのだけれど、それは何故かって、テーマが全く絞れていないからだ。その場その場で僕の興味も変わってしまうので、数年前には誤植のネタがたくさんあったけれど、今は料理のネタが多くて、みたいな感じで濃淡が経年変化していたりもする。おかげで、このブログはなんのブログなのかわからない。僕に対して興味を持っている人にとっては良いかも知れないけれど、僕に対して個人的に興味を持っている人などいるのかどうかもわからず、要は、僕のブログは読み手のターゲッティングが全くできていないのだ。料理のブログ、映画のブログ、ラーメンのブログ、サッカーのブログ、野球のブログ、スキーのブログ、どれかにテーマを絞れば良いのだけれど、実際にはそうなっていない。これはブログとしては致命的である。なぜなら、特定のブログについて定期的にチェックするという行為は、そこに何があるかわかっているからできることだ。これまた例えれば、この間まで八百屋だったところが昨日は魚を売っていて、今日は肉を売っている、というのでは困ってしまう。八百屋はいつも野菜を売っている必要があって、ときどき魚「も」売っているのなら構わないけれど、毎日売っているものが変わってしまうのでは、野次馬は良くても、目的をもって買い物をする人にとっては迷惑な話である。だから、ブログにはテーマが重要になる。そして、僕のブログにはそれがない。さて、そんな、とっちらかった部屋のようなこのブログの中に、どれだけ有用なエントリー、すなわち、僕の人となりが判断できるようなエントリーを見つけることができるのだろうか。これは僕の勝手な推測だけれど、多分2年くらいこのブログを読んでいないと、僕のことはわからないと思う。まぁ、「社長」とか、「ブログでバイオ」みたいな特徴的なカテゴリについてまとめて読めばなんとかなるとは思うものの、それにしたって、僕が「このカテゴリを読んでみてください」って提示しない限りはわからない話だ。でも、逆に言うと、僕のブログみたいに駄目な代表のようなブログであっても、ある程度のガイドさえあれば、その人となりをある程度理解することが可能だったりする。そして、僕のブログは事例として良くないけれど、世の中にある、一定の読者数を稼いでいるブログなら、その運営者については、ブログの過去ログやコメント欄を追って行くことで、かなりのところまで理解可能だと思う。ブログの最も優れているところは、過去の大量の記事がアーカイブ化されていることであって、それを元にして、一つの記事の背景にどういう思想があるのかを閲覧者は知ることができるわけだ。

しかし、実際にはそうまでするケースはほとんどないんだと思う。ちょっと記事を読んでみて、その感想をはてブに登録する。こんな感じの行動パターンがほとんどなんだろう。なぜなら、その記事には興味があっても、その記事を書いている人間にはそれほどの興味がないからだと思う。これはネガティブな感想を持ったときに顕著で、「これはひどい」と思ったときにはてブにさらっとコメントを書いて、それでそのネタは消費されてしまうのだ。こうした「ネタの大量生産・大量消費文化」はネットの特徴のひとつである。

それで、はてブについてはすでに一定の利用方法が共有され、「こういうもの」って思われているので、ブックマークする方も、ブックマークされる方も、ある程度の合意が形成されている。だから、はてブのようなシステムに対して嫌悪感を表明する人たちは一定量存在するものの、一応のバランスが取られ、共存できる状態になっている。

ところが、Twitterではまだそういう合意事項が形成されていない。今後、形成されるのかどうかもわからない。どういう合意事項が形成されようが、あるいは形成されないとしても、別にどうってことはないのだけれど、重要なのは、Twitter上での認識というのはあくまでも表層的なものだ、ということ。この点については本来利用者の全てが理解しておく必要がある。

例えば、昨日、僕はあるフォロワーが比較的早い時間に「眠いから寝る」と書いているのを読んだ。たまたま僕はその人がその日の昼、「今起きた」って書いていたのを見ていたので、「君は今日、昼まで寝ていたのではなかったのか?」と書いてからかったのだが、当人からはあとになって「いやいや、昼まで寝ていたけれど、その前、ほとんど徹夜で、全然寝ていなかったのです」という書き込みがあった。このやり取りが典型的な例なのだけれど、Twitterのタイムラインに普通の人は張り付いているわけではないし、全部を読んでいるわけでもない。そして、そこに流れているほんの一部を読んで、そしてそれに対して感想を述べているに過ぎない。結果として、そこで交換される情報はどうしても表層的になるし、誤解を多く含むし、またそれらの誤解はほとんどのケースで解消されずに流れて行くことになる(今回は仲の良いフォロワーだったから、「いや、それはね」っていう注釈がついたわけだが、こういう事態はレアケースだと思う)。ある程度成熟したメディアなら「ここはそういう場所」という合意が為されているのだけれど、Twitterについてはまだそういうレベルに到達していない(上にも書いたけれど、ずっとそういうレベルに到達しないのかも知れない)。

僕がTwitterをあまり使わなくなったのは、Twitterのこういう部分があるという点について無関心な人間が多いからだ。

でも、問題はそれだけではない。「脊髄反射的」という部分ははてブにも通じるところがあるのだけれど、はてブとTwitterとが決定的に異なることが一つあって、それは、Twitterにおける発言が勝手に自分の管理できないところに持ち去られてしまうということである。この点においてTwitterとはてブは全く異なり、それ故に、僕は使うのが嫌になってしまった。「自分の管理できないところに持ち去られる」というのは、例えば僕の発言を僕のフォロワーであるBさんがRT(引用)し、そしてそのRTを僕のフォロワーではないCさんがRT、あるいは公式RTしたとき、そこに僕の名前が書かれていなければ、CさんがRTした事実を僕は知ることができないのだ。

例えば、「Rh-AB型の血液が大至急必要」というデマがTwitterで流れたとする。このデマは、様々な形で転送され、やがて、発信者の名前は消えてしまい、情報だけが流通することになる。きちんとチェックすれば発信源は突き止めることが可能だけれど、実際、そこまでやろうと思うことはマレであって、情報の発信源と情報との結合力が弱い。

Twitterでの情報伝達はバケツリレーのようなもので、情報の発進ポイントがどんどん動いていってしまう。ブログにしても、ブログに付随するはてブにしても、こういうことは起きない。僕の記事について誰かがブックマークした場合、僕は常にそれをチェックすることができるのだが、Twitterではそれができない可能性がある。つまり、ポジティブにしてもネガティブにしても、そこでの評価が表層的であることと、発言と発言者との連携が弱いという二点において、Twitterには決定的な弱点があると思っている。

陰口を叩いたり、文句を言ったり、批評したり、というのは一向に構わないことなのだが、その意見が正鵠を射たものであるためには、背後の状況をきちんと把握しておくことが必須である。例えば僕が「ベンチャーに対して老人が首を突っ込むべきじゃない」と発言すれば、それに対して色々な意見があるはずで、賛成意見も反論もあるだろうけれど、僕がどういう背景でそういう考えに至り、そういう発言をしたのかについては、「正鵠を射た」論評をしようと思うなら、ある程度の調査が必要になるはずである。そして、そのためのネタはきちんと僕のブログの中に存在するのである。ところが、今のネット文化というのはそれをネグっちゃっているケースが少なくない。僕自身、別にそこまで調べてもらわなくても、とは思っているし、調べない人とは別に議論しなくても良いや、と思っているから、別にどうでも良いと言えばどうでも良いのだけれど、本気できちんと議論しようと思うなら、「じゃぁ、まずはここを読んでくださいな」ということになるわけで、そうならないのは何故かって、「別にTwitter上での議論なんて、大したことできないでしょ」と高を括っているからに他ならない。いや、別に、Twitterの中にいる人たちがクズばかりで議論に値しないとか、そういう意味ではないのだけれど、Twitterだけで完結するのは無理だし、まぁ、トリガーとはなりうるだろうけれど、どこまでできるかは良くわからんよね、というところである。

何しろ、Twitterというシステムは読まれる側にとっても、読む側にとっても、面倒くさがり屋さんにとって非常に都合の良いものだと思う。

ということで、僕が先日見かけた事例なんかも、そういった面倒くさがり屋さん達が大活躍している事例だよな、と思う次第。叩かれている人はちゃんとブログを持っていて、そこで長いこと情報を発進してきている。批判するなら、まずそのあたりをきちんとあたって、その上で批判したら良いのに、そこまでの努力はしないのである。というか、そもそも、Twitterというメディアはそこまでの行動を強要しないというか、そんな面倒なことは良いじゃん、とりあえず、軽く考えようよ、というメディアなんだから、努力しないのは当たり前。それでいて、少なくない場面で批判に使われるから、「あぁ、その程度のものか」ということになる。

馬鹿とはさみは使いようというように、そんなTwitterでももちろん使いようはあるわけだけど、ブログを使い込んでいる(といっても、お手本にはならないんだけれど(笑))僕には、今ひとつピンとこない。いや、面白い人を見つけてくるツールとしては利用価値が高いのだけれど、見つけたあとに「じゃぁ、リアルでディスカッションしましょう」というところまではそれなりの距離があると思うのだ。それよりは、すでに存在しているリアルな関係の中で紹介を受けた方が信頼度は高く、スピードも速い。

うーーーーーん、しかし、それでもなお、Twitterの方が広がりはある。リアルな紹介を繰り返していては当分到達できないところまで行ける可能性はある。だけど、そのためには、対象となる人がTwitterの中で物凄い量の情報を発信している必要があるわけで、そうまでするならTwitterじゃなくて、ブログで良いじゃん、ということになってしまう(僕の場合)。Twitter「だけ」だと、どうしても広く浅くなんだよな。だから、そこでのやり取りも今ひとつ盛り上がらないし、野次馬として見ていてもなんかツマラナイ。

さて、本題。結局、Twitter内で一番面白いのって、それなりに発信している情報が蓄積されていて、キャラクターがはっきりしている人同士(すなわち有名人)が喧嘩している場合なんだよな(笑)。

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