2010年04月15日

東浩紀さんが論壇時評を担当することについて宣伝している記者有論について

今日の朝日新聞の記者有論(新聞とってないけれど(笑))にこんな記事が載った。

「もっと理系知に胸を張れ」 編集委員 尾関章

科学VS仕分けの話なんだが、内容は正直微妙。論旨をまとめるとこんな感じ。

事業仕分けの第二弾が始まる
日々の暮らしにすぐには役立たない純粋科学は危機感を募らせている
純粋科学の決まり文句は世界一、ノーベル賞、夢
しかし、この3つは決め手にかける
科学は世界一とノーベル賞だけでは進まないし、夢やロマンも説得力を失いつつある
科学は知的世界への貢献に胸をはるべき
社会科学が自然科学の思考の枠組みを取り入れてきているケースもある
本誌で今月から論壇時評を担当する東浩紀さんは小説に物理学を取り入れた
文と理の化学反応は新しい知を生む
科学は実はとても役に立つ


前半は良いんだよね。異論がない。「これまで言われてきた『純粋科学にお金をかける理由』はいまや決め手に欠ける」というところは。問題は、「じゃぁどうするの?」というところ。え?文理の融合?だからお金をかけるべき?なんだ、こりゃ(笑)。

一番言いたかったのは多分「東浩紀さんが今月から論壇時評を担当しますよ!」ということなんだろうなぁ。いや、もし「そんなことはない」って言うなら、この人はもう編集委員なんて辞めた方が良いよ(笑)。

本当に、誰か、「こういう理由で科学にお金をかける必要があるんです」って明確に見せてくれないかなぁ。寡聞にして、まだ僕の腑に落ちるような理論を知らないです。その理由が存在した上ではじめて、「じゃぁ、経済対策とどちらを優先しましょうか」「じゃぁ、福祉とどちらを優先しましょうか」という、プライオリティの話ができると思うのだけれど。

「科学にお金をかけることの重要さなんて、そんなの、自明でしょ」じゃ済まなくなったというだけのことなんだけれど、理系の人はまだそこんところを正確に理解してないんじゃないだろうか。でもさ、本当に、純粋科学って、一部の科学者の個人的な知的好奇心に準拠している(って、言葉はあっているのかな?完全に過不足なく立脚している、それだけ、みたいなつもり)んだと思うんだよね。ファーストスターの写真が撮れたって言っても、だから何?ということであって、ふーんとは思うけれど、アバターのパンドラの方が「へぇー」という感じというのが実際のところなんじゃない?違うの?違わないと思うんだけどね。遠くのノンフィクションと近くのフィクション、どちらがファミリアかということなんだけれど、比較の問題ではないとしても、純粋科学の価値を主張するにはまずそのあたりからクリアしてもらいたいなぁ、と思う次第。

税金でSF映画を作るのはやっぱり認められないでしょ?

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