2010年04月18日

規格化したい人々にレッドカード

これまた電子出版ネタ。

佐々木さんというジャーナリストの記事ですが、

電子書籍の開放を阻むべきではない

もう、冒頭のパラグラフを読んだだけで失笑もの(佐々木さんの文章が変なのではない)である。「日本オリジナル」って、旗を振るのが既得権者は大好きなんだよなぁ。日本においてはそれが一番儲かるってことをみんな学んじゃって、それが染み付いている。フォーマットを作って標準化した人が勝ちっていうことですが。

このブログでも何度か書いているけれど、僕が経産省の役人をやっていたとき、DNAチップを作ったある大手家電メーカーH社の部長が経産省の生物化学産業課にやってきて、何を言い出すかと思ったら、「これを標準にしてください」とか言い出した。そういうのがあたりまえだった時代もあったんだろうな、と思いつつ、心の中で笑いながらスルーしようと思ったら、その部長氏、「日本はこれまで護送船団でやってきたんですから、よろしくお願いしますよ」とまで言い切った。彼のようなポジションの人間の仕事って、こういうことなんだろうなぁ、と思いつつも、心の中では今度は「ばーか」と思っていたわけだけれど、もちろん、そのチップを標準化するなんてことはしなかったし、そもそも検討すらしていない。彼が帰ったあと、みんなで「あんな馬鹿がまだいるんだね。良く恥ずかしくないよね」などと話したのだけれど、それが今からおよそ8年前。当時の経産省の課長補佐レベルだと「すでにそんな時代じゃない」というコンセンサスは間違いなく形成されていたのだけれど、あれから10年近くが経過していても、分野が違うとまだまだ「標準化して国の産業を守ろう」なんていうのは行けちゃう考え方なのかも知れない。

今の時代、こんな「プラットフォーム」なんて、頼まなくても自然にできちゃうもの。規格じゃなくて、まずはみんなが受け入れる製品を作れよ、という話であって、キンドルとか、iPadとか、まず作ってみれば良いだけ。そのためにはメーカーの視線はあくまでもマーケットを向いている必要がある。ところが、何故か役所とか、業界団体とか、上を向いちゃう。マーケットを見て、マーケットが期待しているものを作って、そして実際にそれがマーケットに受け入れられれば、自動的にそれが規格になる。これは佐々木さんが言っているところの「デファクト」(事実上)だけれど。

トップダウンの規格化って、メーカーにはうまみがあるけれど、ユーザーサイドには良いところがあまりない。でも、世界中が市場先導による脱デジュリ(規定)に向かっている中で、日本だけがそこに固執している。島国であること、言語の壁があること、英語力が総じて低いことあたりがそれを生き残らせている主要因なんだろうけれど、これなんかもまさに世代間闘争のネタ。これからの若い人達は英語圏の人たちをライバルにして頑張っていかなくちゃいけないのに、旧世代が一所懸命それを妨害しているわけだ。「中にひきこもって、既得権を確保しよう」って、そんなの、あと10年はいけても、20年は無理。それを通しちゃったら、今の若い人達はもう取り返しのつかない状況に追い込まれちゃう。でも、そんなこと関係ない、っていう層が今の世の中を動かしちゃっている。どこかで似たような話を聞いたよなぁ、と思い返してみると、北朝鮮だった。

しかし、何しろ、無理なものは無理。古い会社にはもう無理なんだろう。さっさとみんなで新しい会社を作って、新しい価値観の中でやっていけば良いんだと思う。出版社というものが物凄く軽量化できるということは、誰でもチャレンジできるということ。

Amazonはキンドルというハードウェアを売ることには全然こだわりが無いわけで、電子書籍の流通に必要だから、既存の会社を買収して、そいつらに機械を作らせて、「はい、どうぞ。できました」ってやっちゃった。そういう、何かを実現するための「製造技術」って、今はあちこちにもう散らばっていて、アイデアと調整能力さえあれば、誰でもできちゃう世の中になった。実現に必要なお金だってあるところにはあるから、アイデアが良ければ調達はできちゃう。本当に純粋に「これって実現したら面白いよね」というアイデアは、割と簡単に実現できちゃう。

この、「簡単に実現できる」というのが今の時代のポイントのひとつ。例えば、レコードを作るには色々な設備が必要で、「誰でもできちゃう」というものではなかった。でも、CDになったら、それが誰でもできちゃうことになった。本も、昔は出版するのは大変だった。でも、これからは誰でもできちゃう。ここがデジタル時代の恐ろしいところでもあり、面白いところでもある。「さぁ、どうしましょうか」とウキウキするところだ。

ところがこの国は、「オリジナルの規格を作りましょう。他者を排除しましょう」ってことから始めちゃう。マーケットを見ずに、護送船団でやりたがる。市場で競争して、勝ち残ったものが標準化される、デファクトの仕組みじゃないと、今後はうまくいかないってことが、頭では理解できても、行動につながらない。残念ながら、脳みそと体中の神経をつなぐ非常に重要な部分が断裂している。社会が植物人間化しているってことだ。

そして、この状況は悪化の一途だ。なぜなら、日本の外の世界はデファクトでまわっていて、その価値観で全ての仕組みが構成されつつある。今、日本の企業が何か「新しいもの」を作って、それを世界標準にしていきたいと考えるなら、まずマインドの部分から作り直す必要がある。相手はどんどん先に行っている。新入幕の力士がいきなり横綱と対戦するようなもの。全然勝ち目がない。そして、その状況はどこにも改善の糸口がない。

だからって、新入幕でやるけど、今のルールじゃやりにくいから、新しいルールをつくろうよ、自分たちがコントロールできる規格を作ろうよ、それでマーケットを囲い込もうよ、というのは、今この瞬間の敗北だけじゃなくて、将来の斜陽化にもつながる。以前、科学技術のところでドーピングに反対ということを書いたけれど、「規格化」なんていうのもドーピングの一種だ。

今の状況は出版業界にとって非常に苦しいところだとは思うけれど、さまざまな状況が大きく変化して、固定化していたものが流動化している。だから、出版社にとってもチャンスなはず。古い制度や流通とのしがらみでできなかったことができるようになりつつある。

ただ、そこで出てくるのが「今までの関係をどうするんですか?」という話。これは以前新聞の話を書いたときにも触れたけれど、「電子出版メインにして流通やら何やらが中抜きされて、出版を支えていた様々な業界がとんでもないことになりますよ」という意見に対してどう配慮するのか、ということ。

でもね、もう、そんな配慮とは関係ないところで世の中のスキームは再構築されつつある。時代がアナログからデジタルに変化したことによって、必然的にリストラされることになってしまったんだよ。僕は知らないけれど、それはレコードがCDに変わったことによっても経験した事態のはず。その時、「どうやってソフトランディングさせるのか」を考える人達は当然いる(みんなあんまり知らないかもしれないけれど、こういうところでも役所は活躍する)わけだけれど(昔で言えばカネボウとか、山一證券とか。近いところでこれからを見ればJALとか)、そこに配慮していることによって将来の産業の芽を摘んでしまうというのは最悪。

既存の出版社は多分たくさんの不良債権(人間だけれど)を抱えていて、身動きが取れない。そういう会社は、やっぱり前線から撤退するしかないと思う。で、その中の優秀な人だけが、次の世界を作っていけば良い。残念だけれど、その変化についてこられない人たちはもうお役御免なんだよ。そこを自覚した上で、無駄な抵抗はやめて、建設的な方向に行くべきなんじゃないだろうか。

 

この記事へのトラックバックURL