2010年09月16日

研究が個人的であるように見える事例

昨日、「研究なんて個人的なもんだよ」って書いたけれど、その典型的な例と思われる記事が今日Yahoo!のトップになっていた。

<ミドリムシ>目的の細胞だけ抽出・運搬 がん検出に応用も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100915-00000037-mai-soci

ぱっと読んでわかるのは、毎日新聞の記者の日本語力が非常に低いということ。

実験では、特定の細胞を認識する分子などをミドリムシの表面に付着させた。その上で、二つの容器を約5センチの管でつなぎ、一方の容器に、2種類の疑似細胞(蛍光物質)各2万個と、ミドリムシ3000匹を投入。ミドリムシは2種類のうちの目的としていた疑似細胞のみをくっつけ、光を当てると、もう一方の容器に移動した。約90分後、その疑似細胞は自然にミドリムシから離れ、35%にあたる約7000個の疑似細胞を回収することに成功した。


何をやったんだか、全然わかんねぇよ(笑)。一読してすぐに「あぁ、そういうことね」って合点がいく人は凄過ぎる。僕は全然わかんないもん。

特定の細胞を認識する分子を何の目的でミドリムシの表面に付着させたのかがまずわからない。なぜ擬似細胞が二種類必要だったのかもわからないし、その二種類がどう違うのかもわからない。ミドリムシがなぜ擬似細胞をくっつけるのかもわからないし、自然に離れる理由もわからない。加えて、どうしてこの技術ががん検出に応用できるのかもわからない。いや、がん細胞がミドリムシにくっつくように改造するのかも知れないけれど、そんなことができるくらいなら、がん細胞『だけ』に蛍光物質を付着させて光を当てたほうがずっと早い(ように思える)。

毎日新聞の記者が著しく情報伝達能力に欠けることはわかったけれど、そもそもこの記者は情報を伝達する気なんかなくて、「お前ら良くわかんねぇだろうから俺がわかりやすく結論だけ言うと、ミドリムシでがんが見つけられるかも知れないんですよ」ってことなんだろうなぁ。

で、この技術でがん細胞を見つけるの(笑)?「蒸気機関を開発しました。これで冥王星にも行ける可能性があります」ぐらいの感じだなぁ。ベクトルの方向は一緒だけど、そのスカラーの量が全然足んない(笑)。

この技術で「医療機器の不足しがちな途上国で病気の診断や再生医療に応用」できるようになる前に、そういう途上国でも使える他の診断薬が開発されると思うし、「途上国で医療機器が不足するような状態」を改善したほうがずっと世の中のためになると思うし、そもそもミドリムシにしか頼れないような貧乏国じゃ、もしこれが本当に技術化されたとしても、「あんたがんですよ」ってわかるだけで、「でも、ここは貧乏国なので薬もないし、手術もできません。今、ミドリムシでがんを治療する方法を開発中なので、もう少し待ってください。あなたの余命は長くて2年ですが」みたいなことになるでしょ?

と、僕的には「何だコリャ(笑)」みたいなことを一所懸命やっている人たちがいて、彼らは「この調子でやっていればいつかは人の役に立つかも知れません」って言っているわけだけれど、そんなことにはみんな興味ないし、がんの診断の役に立つようになんかなりそうもないし(もちろん可能性はゼロではないし、しかも「こんなの限りなくゼロに近いでしょ」という判断は僕の主観)、でもまぁ、やりたいならどうぞ、という感じであって、こういうのを「個人的」と思うわけですね。ほとんど誰も幸せにならないと思うから。

いや、もしかしたら、本当に役に立つかも知れないよ?だけど、こういう、「将来はがんの治療に役立つかも知れない」って研究者本人が勝手に主張する研究は山ほどあって、でも実際に役立つ研究なんてほとんどないわけで(本当に役立っているならもうがんなんかはしかみたいになっているでしょ)、「社会のために頑張って研究しています」(=個人的ではない)などとはなかなか言えないよな、と思うわけです。

「僕はアボカドの発芽を効率よくする方法を研究しています。アボカドが簡単に発芽すると、家庭でも簡単にアボカドが収穫できるようになります。アボカドは非常に栄養価が高いですから、世界から栄養失調がなくなることも期待できます」みたいな(笑)、心温まるニュースでした。

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この記事へのコメント
現場で研究している修士学生です。

ミドリムシの現場ではないですが、自分の研究室も同じような感じで、
「ボスはこんなこと言ってるけど、そんなんで社会の役に立つわけねぇでしょうが笑」
と陰で言いながら、ボスが取ってきてくれたお金で研究してます。


「癌が死亡率No.1のこの国で癌に苦しむ人を助けるためにはどうすれば…」
というところから話が始まるのではなく、

「ミドリムシ好きで研究してるけど、ミドリムシ使って何か世の中のためになることないかな、あ、癌!」

みたいに、頂点から底辺を目指すのではなく底辺から頂点を目指すことが、この世界には腐るほどあります。

逆に言えば、この世界には癌を治す可能性のある研究が(可能性の大きさは別として)山ほどあるということ。

大事なのは、その中で可能性の高い研究を見つけてくる目と、それらを有機的に結び付ける力と、それらに重点的に投資するお金だと思うけれど、言うは易しですね笑

Posted by oko at 2010年09月16日 13:20
> 「ボスはこんなこと言ってるけど、そんなんで社会の役に立つわけねぇでしょうが笑」
> と陰で言いながら、ボスが取ってきてくれたお金で研究してます。

そんなものですよね。

> 大事なのは、その中で可能性の高い研究を見つけてくる目と、それらを有機的に結び付ける力と、それらに重点的に投資するお金だと思うけれど、言うは易しですね笑

僕は、別に可能性が低くても、ほとんどの研究が役に立たなくても、研究なんてそんなものだから別に構わないと思うんですよ。そういう1000個の研究の中でひとつ、ふたつ、役に立つものが出てくるわけで。でも、それは棚から牡丹餅、瓢箪から駒という話であって、その、たまたま成果が出たひとつも含め、研究なんて全部研究者が好きでやっていることだと思うのです。だから、「世の中のためにやっている」なんて言って欲しくないし、「世の中のために頑張ってきたのにワーキングプアで大変」とか言って欲しくないし、仕事がないのは自己責任だと思うわけです。どこかに書いたけれど、スキーをやっているのも、麻雀をやっているのも、将棋をやっているのも、研究をやっているのも、全部同列だと思うんですよね。産業上の有用性なんてゼロじゃないけれどほとんどない。

そのことを研究者は自覚すべきです。
Posted by buu* at 2010年09月16日 14:20