2011年01月19日

芦田宏直さん(@jai_an)と前野昌弘さん(@irobutsu)のやりとり

先日「この人のツイッターを読んでおけ」と紹介した芦田さんネタなんだけれど、この、補習に関するやりとりが面白いので紹介しておく。

芦田[文科省「質の高い大学教育推進プログラム」審査部会委員]宏直氏と前野[いろもの物理学者]昌弘氏による授業とか補習とかの考え方について

20年以上も前のことの自慢だけれど、僕は共通一次、理科大、慶應、東工大の入試では、物理に関しては全て満点だった。東工大の物理では出題ミスがあったのだけれど(提示すべき電磁波の向きが逆で、解答不能だった)、それも「こういう出題であれば、単振動の周期はこれこれになるはずである」と指摘して、一部で話題にもなったらしい。当時、僕は東大に100人前後合格する高校で、物理だけは常にトップクラスにいたんだけれど、実は、高校1年の時に物理がわからず、赤点を取ったことがある。というか、中学からそれまで、常に僕は力学がさっぱりだった。ところが、僕の(正確には、僕達数人の)惨状を見かねた物理の先生が実施した補習によって、僕の置かれた状況は一変してしまった。最下位から、突然トップになってしまったのである。一度トップになってしまうと話は簡単で、自分でトップで在り続けるために勝手に努力するから、ずっとトップを維持してしまった。波動、電磁気とテーマが変わるたびに、「波動は力学に置き換えても理解可能」「電磁気は水道管をイメージすれば理解可能」という感じで、自分の頭の中で考え方を創りだして、いくつかのハードルを勝手に自力で飛び越えてしまった。

それで、僕にとってはその、高校の時に補習をやってくれた先生は間違いなく恩氏なんだけれど、この芦田さんと前野さんのやりとりを見ていると、色々と考えさせられることがある。

まず、中学の時に僕が落ちこぼれた理由は、間違いなく僕の責任である。僕は小学校1年生の頃から落ち着きのない生徒で、席は常に先生の真ん前。それでも授業は聞かず、周りの友達に消しゴムを削って投げつけたりする、迷惑な子供だった。そんな状態でも本を読むのが大好きだったからか、あるいは6歳の時に父が死んだせいで預けられていた祖父のところで鶴亀算などの考え方を教わったりしていたからか、小学校の算数、国語、理科のテストでは満点以外を取った記憶がない。その延長で、中学の授業もなめていて、そして落ちこぼれたのである。中学での勉強は、小学校までのそれとは違い、何もしないでいても自然に満点が取れるものではなかった。中学1年の頃は小学校の貯金でトップだったけれど、そこから徐々に貯金を使い果たし、中学卒業の頃には「その他大勢」になっていた。そして、高校に入っても、特に物理に関しては相変わらず落ちこぼれだったわけだ。

そういうわけで、高校で僕に補習をした先生には何の責任もなくて、最初から生徒にはばらつきがあったことになる。僕のような「勝手に落ちこぼれてしまった生徒」の視点からすると、教室の中には物理に興味のある奴もいればない奴もいるし、またクラスの中には中学でしっかり勉強した奴も入ればしていない奴もいて、それらが高校入試によってきちんとフィルタリングされない(もちろんある程度はされるのだけれど、「力学を理解しているかどうか」は、その中ではかなり細かいところに該当してしまい、フィルタリングの対象にならない)のだから、ばらつきは仕方がない。そうしてみると、そんな状態でも卒業させてしまった中学の責任でもあると思うのだけれど、まぁ、それはそれ。そういう、意欲的にも、能力的にもばらつきがある中で、さらに目標もそれぞれに異なる。僕は国立大学じゃないと授業料が払えなかったので、高校1年生のときから「大学に行くなら国立、駄目なら高卒で就職」と考えていた。だから、それにあわせて勉強していたけれど、高卒で就職するつもりの奴も、文系私立大学志望の奴も、あるいは推薦入学を目指す奴もいたはずで、目標すらも色々だったはずだ。そんな中において、「決められた時間内(つまりは、補習なしに)に、バラつきのある全ての学生を、到達目標を下げずに目標に到達させる」ことというのは、非常に難易度の高い作業だと思う。ただ、この目標について否定的な意見を言う教師はひとりもいないはずだ。「それは理想です」と、教師なら誰もが答えるはずである。その上で、「これは難易度が高い。無理だから諦めよう」と考えるのか、「少しずつでも理想に近づけるために頑張ろう」と考えるのかによって、教師としての「質」が決まってくるのだと思う。

僕自身、このブログでも書いていたように(こことか、こことか)、4年ほど岡山の吉備国際大学で「バイオベンチャー」というマニアックな教科の非常勤講師をやっていたことがある。対象は、バイオも、そしてベンチャーも知らない学生たち。そして、彼らがこの授業を取る理由はほぼ全員が「卒業までの取得単位が足りないから」である。初年度の学生と話をしていて、対象が誰なのかがわかったので、以後、それに合わせてのシラバスに書き換えて授業を実施して行ったのだけれど、僕のスタンスは、「学生さんに勉強させてもらいつつ、少しずつ良いものにしていく」というものだった。しかし、振り返ってみると、これは教師としては完全に落第だったな、と思う。お金をもらいながら試行錯誤して、それによって品質向上を目指していたのだから、学生さんにとってすれば迷惑な話である。このあたりが、僕の教師としての品質の低かったところで、だからこそ、「こいつの授業は是非受けてみたい」と思う学生が最後まで出てこなかったんだと思う。僕が教師として教壇に立つ機会はもうないかも知れないけれど、教師が教師としてある限りこれを目指すべき、という指針を見せてもらったことはとてもありがたい。

あと、こうやって思い返してみると、確かに僕は補習によって最下位からトップに躍り出たのだけれど、多分相変わらず下位グループにいた人もいるはずで、じゃぁ、その補修はどうだったのか、という検証もあるかも知れず、また、補習前に僕より上にいて、僕が補習を受けたことによって追いぬかれてしまった大勢の人たちに関する考察というのも、教師の立場からは必要なのかも知れない。あのとき僕に補習をしてくれた先生の名前は、宮前さんだったか、宮原さんだったか・・・忘れてしまって申し訳ないです。まだ定年にはなっていないはずなので、今どこでどんな授業をやっているのかな、と思う。

ま、そんなこんなで、僕は教師ではないし、教師として教壇に立つ可能性もあまりないと思うけれど、下記の講義を申し込んでみた。

先生の学校【集中講義】 授業法と評価法
(もう満員御礼)

僕が何を勉強し、何を考えるかはわからないけれど、僕なりの理解はこのブログに書きたいと思う。

さて、また件のTogetterにもどるのだけれど、ちょっとひとつ引っかかったのが、この「苦笑」というもの。

賛成します。だが今補習をせざるを得ない状態を「手抜き」「言い訳」と表現されることには苦笑せざるを得ないですね。RT @jai_an: 教員の授業モデルの理想は時間内の教材展開で、全てが済むという点に置くべき。そうじゃないと教材開発のモチーフが生まれない。言いたのはそれだけ。

http://twitter.com/#!/irobutsu/status/27524952701804544

僕はこの2日間ぐらいで、Twitterで2度、苦笑された。現場のひとつは僕の非公開つぶやきだったりするので、引用で(morohoshidan、Amidalachanが僕)。

vikingjpn Jan 17, 1:50pm via Web
この記事を読むと、やっぱり現状の大学人が考える「改革」は意識改革程度なのかもしれないと危惧する。例の第7回RIETIインタビュー http://bit.ly/4DA6T7 にも見える通り、求められているのは「経営改革」のはずなのだが。 http://bit.ly/h67oxb

morohoshidan Jan 17, 1:54pm via HootSuite
だって、研究予算が減額されてもこいつらの給料は下がらないし、次のわたりの際の評価が下がるわけでもないもの。 RT @vikingjpn: 現状の大学人が考える「改革」は意識改革程度

vikingjpn Jan 17, 1:54pm via Web
@morohoshidan まぁ、そうですね。苦笑

morohoshidan Jan 17, 2:03pm via HootSuite
でも、改善されない本当の理由はそこなんだよ。大学が悪いんじゃない。経営者が公務員、あるいは公務員的だから、いつまで経っても改善されない。まだ私学のほうが可能性がある。 RT @vikingjpn: まぁ、そうですね。苦笑



suikyo_1221 Jan 18, 9:20am via モバツイ
「国民が民間より政府を活用したがっているのはどんなことか」

Amidalachan Jan 18, 11:57am via HootSuite
「一部の国民が」なら、「公共とか、公益とか称して税金泥棒するためのツールとして」なんだけどなぁ(笑) RT @suikyo_1221: 「国民が民間より政府を活用したがっているのはどんなことか」

suikyo_1221 Jan 18, 12:33pm via モバツイ
@Amidalachan 苦笑。「資本主義と自由」読んでます。総論賛成なのですが、具体的な政策について判断するにはもっと勉強しなければいけないと感じてます。

Amidalachan Jan 18, 12:44pm via HootSuite
最近あちこちで苦笑されるのですが(笑)。「資本主義と自由」は、「ムハマド・ユヌス自伝」とあわせて読みたいですね。参考→ http://ow.ly/3FvJL  RT @suikyo_1221: @Amidalachan 苦笑。「資本主義と自由」読んでます。


どういう場面で「苦笑」されるのか、ということなんだけれど、要は、「頑張ってるんですよ、芦田さんの主張は正論だけど、僕の置かれている状況にも理解を示してくださいよ」みたいな、正論を前にして、自分の置かれている状況を正当化したいとき、「仕方ないでしょ」と理解を求めたい時に出てくるのかな、と(厳密には、それぞれ少し方向性が違うかも?苦笑した当人に聞かないとわかりません)。僕も昔から「あんたは正論の人だから」と言われ続けているのだけれど、多分僕はこれからも正論を主張し続けるわけで、要は、苦笑した人たちがこれからどうするのかな、ということ。正論は、どこまで行っても正論なんだよ。「それは正論だけど」と言って正論をネグレクトするのか、正論を正論として受け止めた上で努力するか、なんだと思う。

#もちろん、それぞれに正義はある。だから、正論は唯一無二ではない。僕の主張も、あるいは芦田さんの主張も、絶対的な正義ではない。だけど、「苦笑」する限りにおいては、両者間では「それは正論である」というすり合わせは完了しているはずなんだよね。

##とは言いつつも、僕は自分の考えがころころ変わる人間で、それじゃぁ困ると思われちゃうかも知れないけれど、そんな簡単に真理に行き着くはずもなく、だから、いろいろな人の意見を聞くことができる今の時代は非常に居心地が良いです。

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この記事へのコメント
拝読しました。ここでの「苦笑」は、buu*(morohoshidan)さんの正論の方がずっと「本当に正しい」ということにすぐ気がついて、自分の論の不完全さが逆に可笑しくなったという感情の露呈です。

僕は正論を聞くと自分の考えを改めようと思い直す性格の人間ですが、世の中必ずしもそういう人たちばかりではないわけで、むしろそういう人たちにどうやって「正論」を受け止めてもらえば良いか?という方策についてよく考えております・・・。
Posted by vikingjpn at 2011年01月19日 13:51
> 拝読しました。

引用事後承諾で申し訳ありません。

> ここでの「苦笑」は、buu*(morohoshidan)さんの正論の方がずっと「本当に正しい」ということにすぐ気がついて、自分の論の不完全さが逆に可笑しくなったという感情の露呈です。

あぁ、なるほど、そういうことでしたか。

> どうやって「正論」を受け止めてもらえば良いか?という方策についてよく考えております・・・。

なるほど。それは面白いですね。その点、芦田さんがツイッターで展開している手法はひとつの参考事例でしょうね。vikingjpnさんがどういう方策に行き着くのか、楽しみにしております。
Posted by buu* at 2011年01月19日 14:06