2011年01月31日

古館仁基さんの通夜

昨日、古館仁基さんのお通夜があって、横浜の上永谷まで行ってきた。

古館さんは一橋のスキー部で、僕より一つ下の代だった。当時、東工大と一橋のスキー部は仲が良くて(今も仲は良いみたいだけれど)、一緒に北海道のかもい岳温泉のボロ宿で合宿をした仲である(かもい岳温泉も今では随分と立派になって、当時の面影はほとんど残っていない)。

古館さんはアトミックの板にラングのブーツだったか、白っぽいスラロームセータとボグナーのダウンヒルワンピ、グローブがスワンズだったような気もするし、全然違っていたかも知れない(笑)。まぁ、人間の記憶なんてこんなもんだ。彼が一年生の時は僕のほうが速かったはずだけれど、その後は負けていたような気もするし、そのあたりも良く覚えていない。なんか大回転よりはスラロームが速かったと思うんだけれど。

ANAに就職して、普通に結婚して、普通に子どもがふたり。東工大のスキー部からはJALには何人か行っているのだけれど、ANAには僕が知る限りひとりもOBがいなくて、噂も全く聞いたことがなかった。

僕達の周辺は、東大、一橋、神戸を中心に「バブル・セブン」と称して年に数回、飲み会をやっているのだけれど、その飲み会にも来るという話があったような、何か具合が悪くて駄目になったという話だったような、そんなこんなで、結局もう20年以上、連絡を取っていなかった。ただ、噂で名前が出てくるだけ。

それで、先週、急に亡くなったという連絡を受けてびっくり。状況が全然わからない中で、お通夜に行ってきた次第。お子さんは小学生6年生と3年生ということで、まだまだ色々と手もお金もかかりそうな時期。もうちょっとみんなの経済状態が良ければ、こういう子供たちのための基金みたいなものも作れるのだけれど、残念ながら僕も含め、今のところそこまでの余裕が無い。幸い、良い会社だから、遺族年金とかはある程度期待できるんじゃないだろうか。そのあたりが、僕達ベンチャーとは違うところ。退職者の年金とかはまぁどうでも良いけれど、遺族年金とかはしっかりしておいて欲しいところである。ちなみに僕も小学校1年の時に父親が死んでいて、日産自動車からからそれなりに遺族年金が出ていた様子である。良くは知らないけれど。

実のところ、東工大と一橋で僕より下の代の人間が亡くなったのはこれが5人目。そのうち、子どもがいるのが3人。なかなか大変である。

古館さんはここ数年心臓が悪く、入退院を繰り返していたらしい。ご家族もあわせ、長い間苦労されたんだと思う。せっかく頑張ってきたのにこういう結果になってしまい非常に残念としか言いようがない。

お通夜では久しぶりに会う人間もいて、こんな会話が。

元木「ねぇ、星野(注釈:同じ代の一橋のアルペン主任。すげぇ速かった。東京銀行から、現在は三菱UFJ)って、今、海外にいるの?」
神戸OB「いたじゃないですか!!」
元木「えーーー、まじ?」
一橋OB「大分見た目が変わってましたからねぇ」
元木「そうなんだ。全然気が付かなかったよ。それで、文ちゃん(注釈:星野くんの嫁さん、旧姓田村、僕達のアイドルだった)は元気なの?」
神戸OB「いたじゃないですか!!!」
元木「ええええええ!!!!!!」

すいません、星野さん、田村さん、気が付きませんでした。金盛さんはわかったけど、挨拶する前に帰られてしまいました。まだ二子玉にご在住でしょうか?いや、もういませんよね(笑)。二子玉のご実家に遊びに行ったの、まだ覚えております。

今度実家に帰ったら、ちょっと古い写真でも探してみるかなぁ。

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