今、僕が本業とは別のところでつらつら考えているのは、日本の大学院の改革。なぁんて、天下国家を高いところから語るのは正直あんまり趣味ではないのだけれど、税金から給料をいただいて理研や経産省で経験を積ませていただいた立場としては、その経験をきちんと社会にフィードバックするのが自分の責任だと思っているから。僕がそうやって税金で勉強したのは日本のバイオテクノロジー政策についてで、その現状は大学院の改革とはどうしても切り離せない。
僕がまず思うのは、日本の大学院は、どこまで行っても米国型にはなれないということ。これはつまりはインテルやバルサ、あるいは米国のメジャーリーグのような、世界の頂点、みんなの目標には成り得ない、ということ。長友を輩出したFC東京や、メジャーへの踏み台にされる日本の球団に価値がないのか、といえば、決してそんなことはない。イタリアの内部を見たって、ビッグクラブ以外は選手を育成して、踏み台にされつつも次の選手を探してくることによって存在意義をアピールし、地元に愛され、そしてときどき何かの間違いで優勝争いに顔を出すようなチームが存在する。要は、役割分担なのだ。
では、日本の大学院は何をすべきか。やはり、人材育成なんだと思う。企業で必要とされる人材、米国に留学して成果主義の中で戦っていく人材、日本の研究を下支えする人材、ニーズはある程度多岐に渡るけれど、いずれも「大学教授の言いなりになって労働力を提供する」という今の大学院の状況では育成が不可能な人材だ。この点を改善せずに、「大学院の学生と企業の採用のニーズのミスマッチ」の解消はあり得ない。あり得ないのに大学院は相変わらず同じことをやっていて、もちろん大学院が生み出す人材の受け皿は全然なくて、「どうすんだ、こいつら(博士、ポスドク)」みたいになって右往左往している。
そのあたりの僕の問題意識は先日こっちに書いたんだけど、
博士と企業のミスマッチの解決が困難な理由
このあたりの整理に何か良いアイデアが得られるかも(あるいは、「もうそんなの意味ないから考えなくても良いよ」ということになるかも知れないけれど)と思い、土曜日に芦田宏直さんの講義を聞きに行ってみる。
やはり、教育の素人は教育のプロに話を聞くのが第一歩。このところ大学・大学院関連のエントリーを書いていたのは事前に自分の頭の中を整理するのが目的。頭の中身をきちんと文書化してみるというのは、僕の場合は結構大事だったりする。
あ、全然関係ないけれど、今月中に『Twitter後のネット社会』(仮題)という本を出す予定です。人助けだと思って買ってください。よろしくお願い致します。