2011年02月05日

今日観た駄目なコンサート

今日、都内某所でコンサートを観てきた。本人たちの名誉もあるので僕にしては珍しく、「G」というグループにしておく。ギター2名とパーカッション1名の構成で、基本的にインストゥルメンタルである。全部で15曲程度を演奏したのだけれど、ほとんど心に残らないコンサートだった。

では、何が駄目だったのか。演奏が下手だったのではない。むしろ、上手すぎるくらいに上手だ。でも、駄目。なぜか。Gは、自分たちがインストゥルメンタルを演奏している弱点を全く認識していないのである。

一般の人が、ギターで何かのメロディを聴いたとき、何を考えるだろう。まず最初に考えることは、多分「これは何の音楽だろう」ということだ。過去に自分が聴いたことがあるメロディラインに照らし合わせて、それが聴いたことがあるものなのかどうかをチェックする。それが例えば中島みゆきのわかれうたであれば、メロディに合わせて頭の中で「途に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか」と、歌詞をなぞることになる。ところが、全く聴いたことのないメロディだった場合にどうなるのか。個人個人がそれぞれに考えるのだろうが、僕の場合は残念ながら考えるのは仕事のことである。多くの観客は僕のように仕事のことなどは考えないかも知れないが、それぞれが何を考えるのか、規定することはできない。これは、演者としては最悪の事態だと思う。

だから、僕なら多分、曲の前に何かしら、聴く人たちが頭の中でイメージしやすいことを、全ての曲の前にしゃべると思う。「この曲は、白馬の冬をイメージした曲です。皆さんは冬の白馬に行ったことがありますか?白馬の冬は、毎日がほとんど雪です。多くのスキーヤーは、『また雪か』と思いながら、スキーの支度をして、出かけていきます。そして、一日中太陽が出ることはありません。疲れて、雪まみれになって帰ってきます。ところが、2週間に一度くらい、真っ青に晴れ渡る日があるんです。夜のうちに降り積もった雪で、ゲレンデはお化粧をしたようにまっさらです。そして、蒸気が凍って、朝日の中で空気がキラキラしているんですね。僕たちは、この景色を観るために、毎年白馬に出かけていくんです。そんな、毎年楽しみにしている景色、だけど、3年に一度ぐらいしか巡り会えない景色に出会ったときに作ったのがこの曲です。聴いてください」ぐらいのことはしゃべるだろう。これによって、聴く人はかなりのところまで、その曲でイメージすべき情景が浮かんでくるはずだ。場合によってはスライドを上映したりする手もあるとは思う。でも、そこまで個人のイメージを規定する必要はないだろう。言葉でも、十分に表現が可能なはずだ。イメージと結びついたメロディはきちんと記憶に残る。

ところが、今日のコンサートでは、「この曲は、骨折して入院しているベッドの上で書きました」である。これは、聴く側を全く無視したMCである。もちろん、聴衆がアーティストに対して非常に好意的だったり、そのアーティストのコンサートの常連だったりすれば話は別かも知れない。しかし、実際にはそうではない。そして、全ての曲には歌詞が付属していないのだ。これでは、途に倒れている女性をイメージしたら良いのか、瞳が濡れている女性をイメージしたら良いのか、お前を嫁に貰う前に御託を並べているのか、ギンギラギンにさりげないのか、さっぱりわからない。そして、何もないところで何かをイメージするというのはとても困難な作業なのだ。だから、僕の場合は仕事のことを考えてしまった。

また、今日のコンサートでは、なぜか一曲一曲終わるごとに、ひとりのアーティストが一所懸命他の二人のアーティストの名前を絶叫していた。これも意味不明である。アーティスト紹介などは、途中で一回やれば十分だ。そんな絶叫よりももっと聞きたいことがあるのに、その話は全く聞かせてもらえない。これでは、演奏技術がどんなに素晴らしくても台無しである。

ひとことで表現すると、聴衆不在の自己満足型コンサートなのである。一番気持ちがいいのは演奏しているアーティスト自身だ。もしかしたら、「これを聞けば、誰でも全てが理解できるはず」と考えているのかも知れない。しかし、残念ながらそうではない。だから、決して小さくない音量の中でも、多くの人が船を漕いでいるありさまである。

日頃からちゃんとしたアーティストのコンサートばかり聴いているので、コンサートは楽しくてあたりまえだし、誰でも楽しいコンサートができるものだと勘違いしているのだけれど、たまに駄目なコンサートを観ると、あぁ、決してそんなことはないんだな、と気付かされる。

歌詞があるコンサートに比較して、インストゥルメンタルのコンサートは格段に難しいはずだ。だからこそ、アーティストには高い能力が要求される。ところが、今日のアーティストは、歌詞があるコンサートのアーティストよりもさらに表現力が低かった。これでは、お客さんを呼ぶのは難しい。初めて聴いたお客さんは「もういいや」と思うだろうし、CDを買って家で聴こうとも思わないだろう。

でも、多分このアーティストは、次も同じようなコンサートをやるんだと思う。なぜなら、彼らにとって悪いのは、彼らの音楽を理解出来ない聴衆だからである。

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この記事へのコメント
確かに知らないアーティストで事前にアルバムを聞いたこともなく、ジャンルも好みでなかったら、そのコンサートは苦痛です。MISIAのコンサートに誘われたことがあったのですが、MISIAの曲は「Everything」しか知らないので、辛い時間を過ごしそうなので辞退したこともありました。

ファンであったら事前にアルバムを聞いていて、アルバムには少なくとも曲名、ひょっとしたら解説もあったりしてそのような曲に関する事前知識があるので大丈夫なのでしょうね。

過剰なMCはライブの流れを切ってしまう恐れがあります。古い話で恐縮ですがYMOの散開ツアーはMC無し、曲のみの怒涛のラッシュでした・・会場は総立ち状態だったのですが、独りだけ通路に面した席で横向いて座っていた方がいました。その方は無理やり連れてこられて曲の意味もさっぱり分からなかった人だったのかも・・
Posted by fatgoat at 2011年02月05日 11:34
> アルバムには少なくとも曲名、ひょっとしたら解説もあったりしてそのような曲に関する事前知識があるので大丈夫なのでしょうね。

そうですねぇ。

> YMOの散開ツアーはMC無し、曲のみの怒涛のラッシュでした・・

YMOもインストですけど、彼らの曲は何度も繰り返し耳にしてますからねぇ。チャチャチャチャッチャチャッチャってなれば、あぁ、あれ、みたいな感じで。
Posted by buu* at 2011年02月05日 17:22